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めりーばっどえんど


*「はっぴーはろうぃん」の世界線



何度も何度も繰り返して、死んでは生き返って餌になる。不老不死の永劫を生きる俺たちは時間の感覚が緩くなっていて、もう航介が何度やり直して、何回めの誕生日を迎えたのか、さっぱり分からなくなっているけれど、彼が自分の意思とは関係なく、記憶が保持されないまま、他者の食欲と偽善心によって、無理矢理に人間の理から外されて、生き続けていることは、分かっている。俺も、弁当も、有馬も、伏見も、朔太郎だって、分かっている。知らないのは、当の本人だけだ。たった一人だけ、自分は正当で純正で何の縛りもない人間だと思っている。そう信じ込んでいる。自分から気づくことは、今まで一度たりとも無かった。気づく以前に、疑うことも無かった。
だから、きっと、しんしんと雪が降る冷え切った晩に、航介が真っ白な顔をして俺の家の扉を叩いた時点で、狂った歯車はシナリオ通りに空回っていたのだ。そうでないと、辻褄が合わない。そうでないと、物語は始まらない。永劫の時を生きる彼方側にとって、これはただの蛇足で、道端の小石で、余談でしかなかったということだ。
「……魔法、って」
ぱたぱたと、窓の外では雪が降っていた。俺の家はただの犬小屋で、航介の家の方がもう少し防寒に優れていると思う。雪が吹き荒ぶ外で泣き出しそうな顔をして、扉をノックをしたきり突っ立っていた航介を、家の中に入れてしばらくした頃。ようやく彼が口にしたのは、「魔法って何がどこまでできるんだ」といった疑問だった。燃える火に照らされて薄くオレンジになった頰は、まだ血の気が引いている。まだ彼の身体は成熟しきっていなくて、ついちょっと前に死んで生き返ったところだったはずだ。人間の年齢で言えば、十七とか、十八とか、そのくらいだろうか。いつもなら土を耕して野菜を収穫して汚れている指先が、きゅっと握られているのが見えた。
「どこまでって、例えば?」
「……生き死にに関すること、とか」
「俺は、死にかけてたところを、伏見が生かしてくれたんだよ」
「そう、だから、その、例えば……それが、死んでたら。小野寺が死んでたら、それを生き返らせることはできるのか?」
乾いた唇で、何とかそう吐き出した航介が、こっちを見た。それは出来ない、と言って欲しいと、顔に書いてある。死んだものを生き返らせることはできない、それは理に反している。それが今航介が求めている答えなんだろう。しかし、彼自身がその理に反していて、呪いと呼んで差し支えないほど厳重に、縛られている。そもそもにして、伏見は莫大な力の塊が具現化して目に見える形を取っているわけで、要するにできないことはないのだ。それは命の輪廻をひっくり返すことだって可能という次元のレベルで、現にそれは行われている。朔太郎が魔法陣に力を供給する度に、航介の腹には刻印が浮かび上がるのだ。そこには種子が埋まっているから。知らないのは、本人だけ。俺たちはみんなそれを知っていて、隠している。黙り込んだ俺を見て、俯いた航介が、膝に顔を埋めてぽそぽそと呟いた。
「……嘘、つかなくていいから、俺ちゃんと、黙ってるから……」
「黙ってるって、誰に、なにを?」
「……伏見にも、朔太郎にも、当也にも有馬にも、小野寺が言ったって絶対言わないから、ちゃんと隠すから、教えてくれよ」
俺、本当は、死んでるんだろ。
はっきりと囁かれたその言葉に、呼吸が止まった。



「朔太郎が、昨日の夜、俺の血を吸ったんだ。いつも通りに食事をして、そのまま、俺、気を失って、目が覚めたらあいつの家のあいつのベッドの上だった」
気を失って、というよりは、失わされて、という方が正しいだろう。朔太郎の食事には、航介の腹に埋まる種子に対する栄養の供給が付随する。前にこっそり覗いたことがあるけれど、吸血行為の後かくんと首を折って目を閉じたきりしばらく動かなかった航介が、およそ意識があるとは思えないぼんやりとした目で、つくりものみたいな動きで体を起こして、飼い主のなすがまま、人形のように扱われるのが見ていられなくて、途中で俺は逃げ出した。恐ろしくなったのだ。自分がそれのきっかけに加担してしまったことが、どうしようもなく怖くなった。それが恐らく昨日も行われて、だから航介はその時のことを覚えていない。きっとそれはそういうことだ。
「それで、朔太郎はいなかった」
「いなかった?」
「いつもだったらそういう時、俺が目を覚ましたら、家の中のどこかには必ずいるんだ。けど昨日はどこ探してもいなくて」
いない家主を探している間に航介は、普段鍵がかかっている地下室の扉が開いているのを見つけた。きっと入ってはいけないと思って、聡明で正しい判断を下した彼は、そこから距離を置いた。中を覗いて見たくなったけれど、無視をした。俺のただの予測で良ければ、それは恐らく意地悪なブラフでしかなくて、「中を覗きたくなった」というのも魅了魔法がかかっているからで、それに打ち勝った航介の意思が、魔法をかけた側からしたら想定外だったのではないかと思う。だから、いなくなった家主と共犯者の誰かさんは、第二波を打ったのだ。
「そうしたら、外に出られなくて、玄関に鍵がかかってたんだ。外からかけられて中からは開かなかった。おかしいだろ」
「……おかしいね」
「朔太郎の悪戯だろうなって。だから、いつもと違うここに入れってことかなって思って、地下室を見に行ったんだ」
前にもそんな騙し合いの遊びをしたことがあるから、と航介は言った。確かに、その覚えはある。まだ暑かった頃、ほんの少し前に、気紛れに忽然と姿を消す朔太郎や伏見を、航介が一人で探し回っては、少ないヒントを手掛かりに見つけ出す、ゲームをしていたっけ。隠れる側の二人は魔法が使えるから、探す側の航介に多大なる負荷がかかっているのだけれど、そこは結局遊びということで、知恵を使えば居場所が分かるように設定されていた。それと同じだろうと、航介は判断した。そして唯一のヒントである、普段は鍵がかかって厳重に管理されている地下室の扉を、開けた。なぜ普段は鍵が閉まっているのかを、どうして存在をなかったことにされるくらいの扱いしかされていない扉に今だけ入ることができるのかを、もし考えることができていたなら、きっとその先は変わっていただろうけれど。
「そしたら、……そし、たら」
「……そしたら?」
「不思議なところ、だったんだ。ええと……まず、部屋の中なのに花が咲いてて……本がたくさんと、文字が壁に書いてあって」
「うん」
「……俺の字なんだ。俺には、書いた覚えのない、俺の字なんだ」
「どうして分かるの?」
「……わかんないけど、そんな気がして、俺の字だと思うんだ」
それは、多分、その場に漂う魔法の残滓に、そう思い込まされているだけのような気もするけれど、恐らく本当に航介の字であることは確かで、何回前か分かんないけど、いつかの彼が書き残した文字なのだろう。いつだか朔太郎の調子がめちゃくちゃ悪かった時、航介を一切見かけない時期があって、どうしたのかなって思ってたら、今の時期は吸血鬼って食欲旺盛だから四六時中食い散らかしてるみたい、って教えてもらったことがある。もしかしたら、その時の航介が死ぬ思いで書き残したのかもしれない。姿を見なかったのは、きっと閉じ込められていたからだ。その時の朔太郎にとって、その時の航介は、完全に食糧だった。伏見がつまみ食いできないくらいに。
部屋の中に書き殴られていた文字は、うすらぼやけて消えかかっていたところもたくさんあったそうだ。何月何日、と書いてあるのは字が綺麗ないくつかで、乱雑に書き散らかされた文章になると、錯乱ぎりぎり一歩手前、といったところなのだろう。掻い摘んで読み解けば、ただ食べられるだけで終わりたくない、一目でいいから外に出たい、死にたくない、誰か助けて、死にたくない、死にたくない、以下略。それを見て、航介は目の前が真っ暗になったそうだ。食べられる、という言葉の響きが自分ととても被った。どうしてかって、自分も朔太郎と伏見に食べられ続けているから。けど今の航介にとってそれは当たり前のことで、取るに足らない日常でしかなくて、それがどうしてかって、航介の意識がある時に二人が食事をするのは二週間に一回とかそんなもんだからだ。実際、もっと食ってる。眠っているはずの航介が、体を起こしたら、それははじまる。伏見のエナジードレインは不定期かもしれないが、恐らく吸血行為はほとんど毎晩。そんな実際を知らない航介は、書いてある文字を目で追いかけて、地面に描かれた大きな陣に気がついた。魔法陣の存在くらいは、ここで過ごしてれば知っていて当たり前だ。見てはいけないものを見てしまったと、部屋から出ようとした航介は、最後に自分で自分の首を絞めた。
「……本が、一冊だけ、机の上に出てて」
「うん」
「読むつもりはなかった、んだけど」
「……航介に一つだけ教えてあげるよ」
自分の意思とは関係なく、「そんなつもりはなかったのに」、まるで当たり前のようにそれを行わせる魔法は、伏見の得意分野だし、「そうせざるを得ないと思い込ませて」、まるで義務のように意図しない行動を取らせる魔法は、朔太郎の得意分野だ。それを伝えれば、強張っていた航介の肩がすとんと落ちた。実際魔法が掛けられていたかは分からないけれど、そうかも知らないと思うことで彼の心は多少なりとも救われるだろう。
その本には、床に描かれた陣の説明と、賛同者のサインが記されていたという。失われた命を繰り返し巻き戻してやり直すシステム。航介が縛られている呪いじみた魔術そのものだ。魔術自体の組み立ては弁当と有馬、起動させる動力源は伏見、その後の監視と管理は朔太郎にそれぞれ割り振られていたそうだ。そこまで聞いてやっと分かった。成る程。今回は、こういうパターンで、ばらすわけだ。
航介は、自分が何度も巻き戻らされていることを、知らない。ただし、基本的には、だ。最後には、大概の場合は朔太郎が、ばらす。事実を知って絶望的な顔をするシーンがどうやら大好物らしい。しかし、毎回毎回そういうわけでもなくて、さっき話にあった監禁されてた時なんかは、恐らく閉じ込められた時点から航介は自分がやり直していることを教えられているようだったし、昔巻き戻しが上手くいかなかったことがあった時には何故か前回からの記憶が保持されていた。その時は、魔法陣のエンジンである伏見が風邪引いてて、くしゃみのたびにあちこちの火山を噴火させるぐらい体調悪かったからなんだけど、兎角そういう例外もあるのだ。毎回同じじゃ、悠久の時を生きる化け物とはいえ、飽きる。工夫を凝らして、結果、今回はこういうばらし方をすることに決めた、ということだろう。きっかけづくりの種子だけ撒いて、航介が自分で気づくよう仕向けるパターン。しかも、俺を敢えて仲間外れにしたことで、頼りどころを残した。俺が今回の、「監視役」。
だから、俺は多分もうずいぶん昔に死んでて、朔太郎や伏見に食べられるためだけに、生かされているんだと思う。そう震える声で言った航介は、顔も上げずに丸くなった。本に名前を連ねていなかった俺は、無関係だと思って、逃げてきたのだろう。ちらちらと、窓の外で降り続ける雪に、暗い影が混ざったのには、見て見ぬふりをした。
「……なあ、そうなんだろ。俺、死んでるんだろ?」
「……航介」
「もう分かったから、そうだって、言っていいから……」
そうだ、と認めたら、きっと心が壊れてしまうような気がして。それを今か今かと待ち望みにしている外の仕掛け人たちの、思う通りにするのは、なんだか癪だった。いくら食糧として飼い始めたペットでも、思いも考えもある、人間だ。どこまでも正しく人間であれ、と魔術を組んだのはあっち側じゃないか。こんなの、ただのエゴだ。
「……そうだったとしても、本当にそうなのか俺には分かんないけど」
「分かんないわけないだろ!小野寺は、伏見と一緒に生きてきたんだから、俺が急にいなくなって、死んで、でももっかい生き返らされて、次の日普通に家から出てくるみたいな、そういうとこ見てきたんだろ!?」
「航介」
「本当のこと言えよ!そうだって、死んでるんだって、ズルして無理やり生きてるんだって、怒れよ!」
「じゃあ死にたいの」
泣き出しそうな航介が、振り上げた手を、止めた。ズルしてまで生きたくない、今すぐに死にたい、そういうことなのか、と問えば、彼は答えなかった。そんな望みなら、叶えるのは簡単だ。俺は狼だから、人間の喉笛なんていとも簡単に噛み切ることができる。痛くなくするのは無理だけど、確実に殺すことなら、できる。そうしてほしいのかと聞けば、ぺたりと手を下ろした航介が、首を横に振った。じゃあ、どうするか、一緒に考えよう。これからのことを、一緒に考えてみようよ。
「……これから……」
「一回や二回死んでるからって、なんだよ。今航介の心臓は動いてるんだから、足だって手だって元気なんだから、それってどうしようもなく自由だろ?」
「……でも、俺は、食べられるために、生かされてるんだ」
「逃げちゃえばいいじゃん」
「は、」
「逃げちゃえばいいんだよ、そんなの。俺たちはこの森からは出られないけど、航介は出られる。好きに生きてみたいって、思うでしょ?」
「……すきに……」
俺は、俺の命を救ってくれた飼い主様に、生まれて初めて逆らっている。航介を奈落の底まで突き落として絶望を啜って楽しむつもりだった二人を、出し抜こうとしている。けど俺は馬鹿だから、きっと上手くなんか行かない。それでもこのまま終わりにするよりは、マシに思えるから。唖然と見上げる航介の頭を軽く叩いて、立ち上がった。
「さあ、この森を出ようよ!」
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