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人魚姫



「あっ、当也だ。とーやあ」
「ん」
「最近見ないからさあ、どこ行ったのかなって航介とも言ってたんだよ」
「風邪引いてた」
「えー?家にもいなかったらしいじゃん」
「伏見んとこにいた」
「えっ!?伏見くんのところに!?何日も!?風邪を引いた状態で!?」
「うわ、うるさっ」
「では伏見くんは今現在当也の風邪が移った状態ということ!?看病に行かないと!」
「うっわ!死ぬよ!なにしてんの!」
「ごぼごぼごぼ」
久しぶりに会った海鳥の朔太郎くんは相変わらず最高に頭がイかれていて、人魚のように潜水もできない癖に思いっきり海の中に飛び込んで、案の定ぶくぶくしていました。戻ってきた足ひれを自在に操って潜った当也くんが朔太郎くんを海面へ押し戻すと、溺れかけたにも拘らず、でも当也が元気そうで何よりだよ、とにこにこしていました。本当のことを言えない疚しさに心がちくりとしましたが、笑顔を浮かべる友達にそんなことを悟らせる意味もないので、自分も笑顔を浮かべておきました。
人間の世界から帰ってきてから、もういつの間にか一週間以上が経っています。大量のお土産を持たせながら、待ってるからな、絶対また来ないと許さないから、と別れ際に何度も繰り返して手を離してくれなかった有馬に、当也くんは苦笑するしかありませんでした。当也くんが有馬の家にいた間、魔法使いも自分の家にいたらしく、あのクソ犬、もう当分こっち来ねえ、とぶつくさ文句を垂れながらぐったりしていました。ものすごくハードな散歩でもしたのでしょうか。そんな別れを経て魔法使いの家に戻ってきた当也くんは、はいじゃあ今度はこれ飲んで、と薄緑の液体を渡され、口に含んだと同時に海中へ繋がっている小さな入り江に突き飛ばされ、死ぬかと思いました。まだ飲み込んでいない状態で、率直に言えば人間のまま海へと落とされたので、普通に溺れます。薬をみんな吐き出して手足をばたつかせている当也くんを見て何かがおかしいことに気づいたらしい魔法使いが救い上げてくれたおかげでなんとか一命は取り留めましたが、助け出された当也くんの目は据わっていました。だって人間になった時はすぐだったから人魚にもすぐなるかと思って、とばつが悪そうに魔法使いはぼそぼそ呟きましたが、当也くんはなかなか機嫌を直してくれませんでした。
有馬から貰ったものは、海の中に置いておくことができないものばかりだったので、魔法使いの家に置かせてもらっています。眼鏡も、かけていることは出来なかったので服や靴と一緒にとっておいてもらいました。朔太郎くんと別れ、今日はあの分厚くて綺麗な図鑑を見に行こう、と水の中を切るように泳ぎながら魔法使いの家へ向かう当也くんの首元には、青い宝石のついたリボンタイが揺れていました。空間の裂け目に二人が消える寸前、半ば無理やりに手を突っ込んできた有馬がくれた、最後のプレゼント。魔法使いにお願いして、海の中でも壊れないようにしてもらってあります。割れ目もない大岩に見せかけた入り口に迷いもせず突っ込んで、人間の状態で突き飛ばされた入り江から反対に顔を出して、魔法使いを呼びました。
「ふしみー、伏見?いないの?」
「……………」
「いるじゃん……」
がたがた音がするのはお風呂場の方でしょうか。当也くんから用がある時に限って四六時中風呂に入っている奴です。どうせすぐに出てくるだろう、と尾びれを海面からぱたぱたさせながら、首にかかった青い宝石を眺めていた当也くんの耳に、扉が開く音が聞こえました。
「ねえ、俺のほ、ん……」
「……えっ」
「……あ、え……」
ほかほかと湯気を立てて風呂上がりを全身で表してくれているその人は、一週間ちょっと前に別れたはずの、人間の男でした。不思議な色の髪に、整った顔。首にタオルをかけて、上半身には何も着ていません。家主ではない、けれど恋い焦がれた相手のいきなりのサービスショットに、当也くんは唖然としてひれを隠すことも忘れています。酸欠の魚のように口をぱくぱくさせている彼を見てようやく事態を把握したらしい有馬が、走り出しました。
「わああああ!」
「う、わぶっ、ちょっ、あっつっ」
「会いたかった!俺お前のこと探してて、魔法使い見つけて、会いにきたんだ!」
「は、え?なに、俺」
「ていうかお前、人間じゃなかったのか!」
ざぶんと入り江に飛び込んできた有馬をなんとか受け止めて、溺れてしまわないよう抱き上げている当也くんの顔が、ざっと青くなりました。人魚と比べて火傷しそうに熱い人間の体に手を回していることは、きっとお互いにとって毒です。凍り付いたように動かない当也くんに気づいているのかいないのか、能天気な有馬がぱっと笑いました。
「声、綺麗だな」
「……あ、りがと……」
小さな国の一角に住まう貴族の息子と、海の底の世界で生きてきた一匹の人魚が、いずれ人魚と人間の間に存在する壁を打ち壊すのは、また少し後の話なのでした。


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