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この物語はフィクションです



自宅、ボロアパートの玄関前。にゃご、と手で顔を洗っている障り猫が鎮座ましましている。
「にゃあ、待ったにゃあ。お前の顔には見覚えがあるのにゃ」
「……有馬は?」
「ここで、おやすみにゃさい」
とんとん、と耳付きの頭を指した障り猫が、くああ、と大きな欠伸をした。白猫は助けたら障られるとか、蟹に頼むと重さが取られるとか、猿に願うと人で無くなるとか、ある程度物語を知っていれば回避できる怪異たちに、どうしてこいつは引っ掛かったかな。まあ、なんらかの理由があって、有馬は死んだ白猫を埋めてやってしまったのであろう。恩を売ってしまったものは仕方がない。鍵を開けて中へ入れば、猫がにゃごにゃごとついてきた。
「俺のこと襲わないの」
「にゃんでにゃ?」
「……障り猫の仕事はストレッサーを殺すことだろ。ここに来たのは、俺がストレッサーだからじゃないの」
「いやあ?御主人様、ストレスにゃんて欠片も感じてにゃいからにゃ。俺様困ってるのにゃ」
「ふうん……」
「だからしばらく与太話に付き合ってくれよ。御主人様の頭の中で、話に付き合ってくれそうにゃ奴、って検索かけると、お前が一番に浮かんでくるのにゃ」
それは少し嬉しいかも。
猫が何を飲むか分からなかったので、有馬がいつも使ってる青いカップに牛乳を入れて出したら、特に手をつけてくれなかった。猫って牛乳飲まないのかな。なにやらぼおっと考えているらしい猫を刺激しないように、なんかあったらこれを使おう、と実家近くの神社から先日帰省した時もぎ取ってきたお札を片手に忍ばせていると、猫がぴょんと机を飛び越えてこっちに来た。
「うわ」
「分かったにゃ。にゃんで俺様が御主人様に体を返せにゃいのか」
「……ストレスが解消できてないからだろ」
「その根幹が探れなくて困ってたんだけどにゃあ、今分かった」
「なに?」
「御主人様のストレスは、お前がストレスを感じることにあるにゃ」
「……そうなんだ」
「あー!それそれ!それにゃ!お前がストレスを隠して物分かりのいい振りをする度、御主人様はもやもやを溜め込んで行くのにゃ!今ももやっとしたにゃ!」
「……それ、俺のせいなの」
「いいやあ?御主人様が捻じ曲がってるだけにゃ」
「あっそう……」
「だから俺様はお前の話を聞かにゃきゃにゃらにゃいにゃ。多分そのために来たのにゃあ、大分回り道しちまったみてーだけどにゃ」
と、言われましても。俺の隣にどっかり腰を据えてしまった猫に、にゃおん、とうっかり擦り寄られて、吸い殺されるかと思った。急速な眠気と疲れにかくりと頭を傾がせた俺を見て、すまんにゃ!そんにゃつもりは!と猫は焦っていた。障り猫的にも訳の分からない要因でストレスを感じている御主人様に早いとこ楽になって欲しいらしい。俺がストレッサー、ですらないってどういうことだよ。俺がストレスを感じてることを隠すのがストレス、って。優しすぎて気が遠くなりそうだ。
障り猫が憑いている間、体の持ち主の人間には意識も記憶もない。それは知っていたので、有馬には話せないようなことをぽろぽろとお気軽にぶちまけることが出来た。人間、お前苦労してるにゃあ、と障り猫が知った顔で頷いてるのがちょっと面白い。
「人間。お前、蟹に想いを取られたことがあるだろ」
「……なんで分かんの」
「匂いにゃ。それと猫の当て勘にゃ」
「ふうん」
「にゃっはー、さてはお前、想い人がいるんだにゃ!」
「いなかったら蟹に願ったりしないよ」
「それもそうにゃ」
「……猫、そろそろ体返せないの」
「だめにゃー、御主人様のもやもやがにゃかにゃかにゃくにゃらにゃいにゃ」
「……しんどい喋り方だね」
「そうか?こうやって生きてきたから、特にそうは思わにゃいにゃあ」
「そうなんだ……」
「お前だってそうにゃんじゃにゃいのか?」
そうやって生きてきたから、特にしんどいとは思わにゃいんだろ?と重ねられて、そうかもしれないなあ、と他人事のように思う。全部放り投げて忘れてしまえるように神様に預けたくなる程、鬱屈して溜まりに溜まった想いは、それでも捨てられないもんで。蟹から重さを、もとい思いを、返してもらった後も、ともすると潰れそうなくらいに想いは積み重なっていく。それでも案外、しんどくはないのだ。慣れたとも言う。こうやって生きてきたから、しょうがない。そう割り切れてしまっている。今更、気づいて欲しいとか、とんだ冗談。
「猫」
「にゃんにゃ?」
「俺には憑いてくれないの」
「……お前みたいなのに憑いたら、さぞかし俺様大暴れ出来るんだろうにゃあ」
「そう?」
「お前、自分で気づいてにゃいのか?俺様からしたらすっげー美味そうな匂いがしてる、ストレスの塊にゃ。やりたいこと一つもできてにゃい、全部我慢して良い子ぶってるせいにゃ」
「……一つもってことはないけど」
「いやいや、欠片だけでも吐き散らかした方が楽ににゃれると思うぜ?お前のその、塊をどうにかするには、街一つ全員エナジードレインしても収まらにゃいだろうにゃ」
「恐ろしいこと言わないでよ」
「ほんとのことにゃよ?首都圏に多大なる影響を及ぼすくらいには暴れ回らないと落ち着けにゃいにゃあ、そしたら俺様は一発で専門家たちから追い回される駆除対象にゃ。そんにゃのは困る、猫は気ままが一番にゃ」
「……………」
「自覚症状がにゃいのが一番厄介にゃあ」
だから人間、お前は絶対に白い猫が死んでるのを見つけても良い子ぶって埋めてやって墓なんか作るんじゃねえぞ。障り猫は捨て台詞のようにそう吐いて、満足したのか一つ伸びをして、丸くなった。ごろごろ、喉を鳴らす音がして、耳が消える。白んでいた髪の色が、するすると戻っていく。くかー、と寝息が聞こえてきて、自分も目を閉じた。
……ああは言われたけれど、ストレス解消なんて自分じゃ出来ないんだから、本気で猫に任せてしまおうか。


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