このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

この物語はフィクションです



障り猫。現代怪異の一種であり、端的に言うならば「取り憑かれた人の本音を暴露する」、もしくは「取り憑かれた人のストレスを代わりに解消する」ことが目的の怪異である。猫自体の力は弱く、憑く人間によってはそこまでの効力を発揮することはない。そう、本には書いてあった。分厚く古い書物には、猫の耳と尾の生えた人間が艶めかしく描かれていた。人間が無意識のうちに抱え込むストレスの発散。それが、障り猫の本分であり、人を襲うのはその弊害なだけなのである。
だから。
「……………」
「ふっざけんじゃにゃいよ!こんにゃのありえねーだろうがよ!こいつどうにゃってんだよ!重い生い立ちの割にストレス欠片も存在しにゃいのかよ!こんな早さでオチてたまるかよ!」
地団駄を踏む朔太郎の頭に猫の耳が生えていても、取り憑いた障り猫が体の持ち主のあまりの楽観思考に髪をかきむしっていても、「そりゃそうだろうな…」としか俺には思えないのである。

物語の始まりは数日前に遡る。火車の引き起こした大規模火災がどうとか、吸血鬼の及ぼした害がどうとか、怪異についての被害がニュースで取り上げられてるのを当たり前に目にするようになった今日この頃。おはよお、と釣り竿背負ってうちの玄関にやってきた朔太郎の手が、土で汚れていた。
「んー、猫がね。轢かれちゃったみたいで、道路に倒れてたから、お墓作ってあげたんだ」
「ふうん」
「もしかしたら今晩くらいに恩返しに来るかもしれない」
「亡霊じゃねえか」
「うひひ」
元々釣りに行く約束をしていたので、それからすぐ家を出て、いつもと全く変わりのない様子で軽口を叩く朔太郎と別れて家に帰った。明日は仕事だ。こんな田舎町にはニュースでやるような怪異は出ない。古い神様がこの土地を守っているからだとも聞いたことがある。なんとなく、神棚を見上げて、目を閉じて、手を合わせた。明日も何事もありませんように。
目を開いたのと、窓ガラスが割れた音がしたのと、ごろごろと人が転がり込んできたのは、同時だった。
「にゃっはー、どれどれ、ここが御主人様の頭の中にあった居心地の良い住処だにゃあ?お、こいつにも見覚えがあるにゃあ!ええと、えーっと、んー?にゃはははは!にゃまえがわっかんねー!」
「……なにやってんの」
「よくぞ聞いてくれたにゃあ!俺様は障り猫、御主人様が拾ってくれたので今晩から体を貸してもらって御主人様のストレス解消、おっ?」
「窓」
「……にゃあ?」
「にゃあじゃない。窓」
「しょーがねーだろ、俺様この家の入り方がわかんにゃかったんだからよお」
「直せ」
「にゃ!?無理だにゃ!」
「寝れねえだろ割れてたら!耳生やしてにゃーにゃー言ってりゃ誤魔化せると思ったか!」
すぱん、と頭を叩いたら、体から力が抜けた。障り猫、って言ったっけ。特性、確か、エナジードレイン。こいつが自分でも制御出来ないくらいに容赦なく根刮ぎ奪うのは体力気力であって、触っちゃいけないんだ、そういえば。みゃああ、と泣き真似をし始めた朔太郎、もとい障り猫を棒で突つきながら、おら早くしろ、警察呼ぶぞ、と携帯片手に脅した。てめえこちとら高校生の時にも朔太郎が見えない蛇に巻きつかれて呪い殺されそうになってんのを力づくで解決してんだよ、猫ごときでびびんねえよ。
「ひでえやつにゃあ!御主人様のストレスを解消してやりたくにゃいにゃ!?」
「朔太郎にストレスなんかねえよ」
「にゃーに言ってるにゃあ、俺様にかかれば心の奥底までお見通しなのにゃあ、心の病を探し出して見せるから待ってろ!」
そして最初に戻る。

「ぶええええ」
「泣くなよ、猫」
「こんなことってにゃいにゃあ……御主人様はきっと笑顔の裏に莫大なストレスを抱えているもんだと思って、俺様」
「俺はこんなことだろうと思ったよ」
「ぶえええええん」
にゃあにゃあ泣いている猫に、それでそろそろその体を持ち主に返してやったらどうだろう?窓ガラスを明日には直したいのでお前の御主人様とやらに金を請求したいのだが?と問いかけてみたが全く聞いちゃいなかった。都合のいい耳だな、おい。
「でもまだ体は返せにゃいのにゃあ……」
「なんで」
「俺様全然満足してにゃいにゃ……暴れたりにゃい……もっとぱーっとやりたいにゃ……」
「別のやつにしてくんねえかな……」
「……あっ、お前が体を貸してくれたらいいのにゃあ、名案にゃ」
「やだよ」
「ぶえええいじわるにゃああ」
「泣くなって」
ストレスが無いならもうお前のやることは無いじゃないか。未練がましく居座ってないで出てってくれ。どんまい、と猫を棒で突っつきながら声をかければ、恨めしげな目で見てきた。せめて御主人様にほんの少しでもストレスがあったなら俺様にも暴れる大義名分ができたってもんにゃのに……と、俺に言われても。朔太郎がストレスと呼ばれる類のものを全くと言っていい程感じることがないなんてこいつとある程度の知り合いなら察するであろう事実だし、昔を鑑みるとよっぽどいいことじゃないか。荒れ荒れだった中学二年生の頃のようなストレスを、朔太郎がもし今でも感じ続けていたとしたら、とっくに心が壊れている。頭の中を侵略している以上そんなこと百も承知らしい猫は、かくりと頭を垂れた。
「そうにゃのにゃあ、御主人様が今はストレスフリーでやりたいように生きていられるのは良いことなのにゃあ、でもにゃあ……」
「諦めろよ」
「そんにゃあ」
「な」
「さっきっからてめーは俺様を突っつくのをいい加減にしろ!殺すぞ!」
「触れねえんだからしょうがねえじゃん」
「くそ……人間はいつからこんなに図太くにゃったにゃ……」
失礼な猫だ。くそお、と頭を抱えた猫は、すぐにぱっと顔を上げてこっちを見た。耳がぴくりと震えて、瞳孔がきゅっと細まる。猫丸出しのその動きに、若干たじろぐと、猫はふっと目を細めた。おお、人間らしい顔になった。
「……でも、図太くて鈍感で後先考えにゃい、馬鹿正直にまともで真っ当にゃ、お前みてーにゃ人間が、御主人様には必要だったにゃあ」
「あ?」
「御主人様でいうところのストレッサーはお前にゃ。まあ今はストレスにゃんて感じていないんにゃけどにゃ、昔はお前のことを御主人様は殺したいほど憎んでいたにゃ」
「ふうん」
「……軽いにゃあ、分かってんのか?」
「そりゃあ、まあ、俺が悪いことしたってのは知ってるし、分かってるつもりだけど。でも、家族になる人たち、自分を受け入れようとしてくれてる相手から、わざわざ逃げようとしたのは朔太郎だから。それを許すつもりは未だにねえよ」
「……それがどう捻じ曲がったか、御主人様の救いににゃったにゃあ……」
人間ってやつは訳が分からないにゃあ。ふっと笑った猫は、くたりと崩折れた。耳がさらさらと消えて、寝息が聞こえる。満足したんだろうか。俺、喋ってただけだけど。

1/3ページ