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観察日記



『わ、ぅ、ぇぐ、っゔ、わんっ』
「……なんで、おれにみせんの」
成長を分かち合いたくって。
「……ふん」
嫌そうに眉根を寄せたポチの肩から、随分と伸びた髪の毛が滑り落ちた。切ってやってない代わりに染め直しているので、出会った時と同じ金色。じゃらりと手枷の鎖を鳴らして、不満そうに荒く鼻息を吐くので、この時はまだポチも緊張してて乱暴ばっかりだったよね、と頭を撫でてやれば、唸られた。今日はご機嫌悪いね。
髪も短ければ、今より健康そうな身体に穴も空いていない、数ヶ月前のポチが、画面の中で新しい飼い主を認められずにきゃんきゃん吼えて抵抗してはぼこぼこにされている。それをつまらなそうに見ている画面のこっち側のポチは、食べ物はちゃんと食べさせてるから痩せてるわけじゃないけど筋肉は落ちたし、活発な生気に満ち溢れてなんかいないし、傷の跡が多いし、会話が下手くそになった。ベロに金属を通したからかもしれないけど、そういう外部的な要因を抜きにしても、舌ったらずになって、言葉に詰まることが増えた。まあ、自分以外と会話をすることもないので、自分が待ってやればいい問題であって、特に困りもしないけれど。くああ、と欠伸を漏らしたポチが、見たくないとばかりにお気に入りのクッションの上で丸くなってしまったので、しょうがないから一人で見ることにする。血と涙を流しながら、画面の中ではポチがくすんくすんと啜り泣く。……この数ヶ月で随分と君、ふてぶてしくなったな。元から図太かったとか、この環境に慣れるしかなかったとか、そういう理由も分かるけど。
「……といれ」
もそもそと起き上がったポチが、蛙のように跳ねつつトイレへ向かった。手足の拘束にもすっかり慣れた頃、ポチなりに編み出したらしい素早い移動手段らしいけれど、見てるこっちは面白いからあんまりやってほしくない。這ってた方がまだ良かった。
ぺたぺたとトイレから出てきたポチをもう一度膝元へ呼べば、文句のありそうな顔で渋々寄ってきたので、とりあえず頬を張っておいた。口の中が切れたのか、ぺっ、と血を吐いて、心の全くこもっていない「ごめんなさい」を吐かれて、こいつこっちが本気で怒ってる時とそうじゃない時を見分けやがって、と思う。まあ、ペットにも知恵がつくものだろう。絶対的な恐怖心で支配したいわけではないので、特にこっちが躾けようと思っていなくて、ポチの機嫌が悪かったら、こんなもんだ。
「……めし」
そういえばさあ。話を変えれば、どうもまだご飯にはありつけないらしいと理解した腹ぺこのポチは、せめてご機嫌とりをすればこっちが良心の呵責を感じると思ったのか、甘えるように膝に寄ってきた。あからさまだよ。
こないだ、新しく穴開けたじゃない?
「……へそ?」
そう。あの時にさあ、ピアス屋さんに、お名前聞かれてたでしょう。
「……あー……そうだっけ……」
なんて答えたの?
「わすれた」
嘘だね。だめだよ、嘘は。しらない、ほんとにわすれた、と誤魔化し始めたポチの耳についてる取っ手、じゃない、ピアスを引っ張れば、涙目になって大人しくなった。ピアス千切りも今度やりたいけど、穴作るのにもお金かかったからなあ。ピアッサー買ってきて、普通に耳朶に開けて、それを千切ろうかな。そんなことをこっちが考えてるとも知らないポチは、まるまると丸くなってしまった。都合が悪くなるとすぐそのポーズ。じゃあこれで見ちゃうからね、とパソコンを弄ると、やだあ、と涙声で訴えてきた。
「やだ、みないで、みな、ぎゃう」
ポチの髪の毛、長くなったからハンドルみたいだよね。体を起こして邪魔しようとしたポチの髪を地面に向かって引っ張りながらそうからかえば、ハンドルじゃない!と怒り出した。ごめんごめん、自慢の髪の毛だったね。
ああ、あったあった、ここだ。かちかちとマウスを動かして、再生。ポチとピアス屋さんのカウンセリングのところだ。腰とか軟骨とかベロとか、色んなとこに穴を作ってもらったけど、ポチと彼がきちんと話したのはこの時が初めてだったはず。経過観察からね、とベロを出して見せていたポチが、知らない人の手にあからさまにびびってて笑えたのを、よく覚えているから。自分はポチとピアス屋さんの会話をあんまりよく聞いていなくって、どちらかというと彼が持ってきてくれたカタログに魅入ってて、次はポチの体のどこに穴を開けてやろうかと画策していたから。
『痛かったりしたら、すぐ飼い主さんに言うんだよ』
『……………』
『今度はここだから、自分でも気になっちゃうかもしれないけど、あんまり触ったら膿んじゃうからね。気をつけるように』
『……………』
こくん、こくん、とポチは縦に首を振りながら話を聞いている。鞄に道具をしまった彼が、そういえば、と立ち止まった。自分はちょうど部屋にいなかった。ピアス屋さんが帰るならお金を払わないと、と思って、取りに行っていたのだ。
『君、名前はなんだっけ?』
『……………』
『言いたくないならいいけど、』
『……ぽち』
『ああ、そうだ、ポチくん』
『っわ、わん』
『へ?』
『……ゔ』
かああ、と画面の中のポチと画面の外で髪の毛を引っ張られて床に額を擦り付けているポチが同時に、真っ赤になる。ああ、反射的に鳴いちゃったの。いつも、ちゃんと返事しなさい、って叱られるから。良いことじゃない。可笑しそうに笑ったピアス屋さんは、画面外へ出て行った。画面の中のポチは、真っ赤になったまま、部屋の隅に丸くなって顔を隠している。
「ぴぎっ」
髪の毛を持ち上げてポチの顔を見れば、真っ赤な上に涙目だった。自己紹介の名前の段階でポチって名乗る奴だってそうそういないよ。だからピアス屋さん、変な顔しながらお会計してたのか。やっと合点がいった。髪の毛を離してハンディカムを用意すれば、いつまで経っても受け身が下手なポチは、今度は鼻を床にぶつけたのかふがふが言っていた。髪の毛で支えられてる時は手を離されたら顔をぶつけるってことを覚えなよ。
はい、じゃあ改めて、君の名前は?
「……ぽち……」
お返事は?
「……ぅ、わん」
はい、笑って。
「……ぇへ、へ……」
カメラに向かって、無理やり口角を上げて笑うポチが、たらりと鼻血を垂らした。あーあ。





多分お遊びの延長で案外あっさり死んで処理に困ってバラバラにされて庭に埋められるオチ
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