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観察日記



「……ぶらっしんぐ……」
そう、ブラッシング。
ポチを二回目のお風呂に入れてあげたのが昨日のこと。精一杯優しくしてあげてたつもりなんだけど、ペットを飼うのはこちらも初めてだから気遣いが足りなかったみたいで、ポチが寝ながらお漏らししてしまったから。調べたら、体が健康なのであれば原因はストレス等の可能性が、って出てきた。怒られると思って部屋の隅っこで縮こまってたポチを綺麗にしてやるのも大変だったし、それから慰めて安心させてご飯を食べさせるのも一苦労だった。もうポチを飼い始めてから月曜日が二回以上は回ってきているけれど、どうやったって慣れられないということは、やっぱりこの環境はポチにとってまだ過ごしやすいものではないのだろう、と改めて思う。だから、ブラッシング。少しでもより良く過ごせるように、まずはポチを安心させてあげることが必要だと思ったのだ。
櫛と歯ブラシと耳掻きを持って近づくと、近づいた分だけポチがずりずり下がるので、結局壁際まで来てしまった。真っ青になりながらぎゅうっと目を閉じているポチを、ゆっくり撫でてやる。飼い主が近づいてくる、イコール、痛い思いをする、に結びついているのなら、そりゃ辛かったはずだ。厳しく躾をしすぎたかもしれない。まだ体を硬くしているポチが伏せても痛くないように、クッションを敷いてあげた。これ、ポチにあげるよ。よく考えたら、床の上に薄っぺらい毛布一枚で寝るのだって痛かったよね。今日中に寝床をもっとふかふかにしてあげる。かわいそうに、ごめんね。
「……ぅ、ん」
何故優しくされるのか分からないらしいポチは不安げに戸惑いながら、それでもふかふかのクッションに顔を埋めた。本当にもらっていいのかと問いかけるように、こっちを見ながら頭をぐりぐり擦り付けていたので、あげるよ、ともう一度繰り返す。ポチは少しだけ顔を綻ばせて無い尻尾を振ったけれど、これからは自分も飼い主として反省するから、もっと優しくしてあげようと思う。躾はきちんと、甘やかす時は思いっきり。メリハリが大事だと、そういえばはじめてペットを買う人向けの本にも書いてあった。指通りの悪い髪の毛を撫でていると、きゅっとクッションを抱いたポチが、壁沿いに逃げ出した。ちょっと、どこ行くの。
「も、もう、いい、もう平気、いい」
どうして。ブラッシングしてあげるって言ったでしょ、こっちにおいで。
「……でも……」
優しくされた後は痛いこととか嫌なことされると思ったの?しないよ。終わったらご飯を食べよう。今日のご飯は炒飯だよ。
「……うん」
なにか嫌だった?と聞いても答えてくれなかった。気分屋さんだ。それとも炒飯が好きなのかな。分からないけれど。
ポチのために以前通販で取り寄せておいた櫛。使うのは初めてだ。痛かったら言ってね、と告げて櫛を通せば、あんまり手入れしてないせいできしきしと引っかかって、ポチはあんまり嬉しそうじゃなかった。指で絡まりを解きながら櫛を入れてやることにする。毛先の傷んだ金髪の根本は黒くなっていて、要するにポチが元気に生きてるってことだ。今度染め直そうね、と独り言のように零せば、いつになく目を輝かせてこっちを見上げてきた。人工っぽい金色の髪はポチにすっごく似合ってる、かっこいいよ、と本当に思ったままをつらつらと伝えると、嬉しそうに頬を紅潮させてそわそわしだすので、可笑しかった。自分でも気に入ってるみたい。
大分髪の毛の指通りが良くなったので、今度はこっちだ、とばかりに歯ブラシを構えて上から見下ろすと、ポチは少し眉を下げて、不安そうになった。でも、虫歯になったら歯医者さんに行かなきゃいけないし、病院頼りには出来る限りなりたくないし。うえってなったらすぐおしまいにするから、ほんのちょっとだけだから、と食い下がると、恐る恐る口が開く。近い前の歯からブラシを滑らせると、ひくりと喉が震えた。やっぱり怖いかな。一本ずつ丁寧に、表も裏も、少しずつ綺麗にしていく。今はポチを安心させるための時間だから、ブラシで口の中を突つくなんて、例え無自覚だったとしても絶対にしてはいけないことなのだ。時間をかけて磨いていく間に溜まっていく涎を吐き出すために小さな桶を用意して、こっちにぺってしていいよ、と見せれば、大人しく言うことを聞いてくれた。最初は居心地悪そうに動いていた足や手の指先から、くたんと力が抜いているのが見えて、少しでもリラックスしてくれたなら良かったと、ほっとする。うがいをさせて、顔を上げたポチは、なんだか目がとろんとしていた。眠たくなったのかもしれない。マッサージとかと同じような効能が、少なからず歯磨きにもあるらしいから。
最後は耳掃除だ。むにゃむにゃしているポチはいとも簡単に耳を向けてくれた、というか元から横になってたから髪の毛を掻き分ければすぐに耳だった。耳掻きで入り口からそおっと擽っていくと、んん、とむずがるように声を上げたので、手を止める。痛かった?
「……痛くない」
痛かったら言ってね。そう告げて手のひらで頬を撫でれば、目を細めたポチが自分からすりすりと甘えてきたので、大進歩。これだけで今日甘やかした甲斐があったってもんだ。かりかりと、耳の際から細かく綺麗にしていく。ポチは耳掃除をされたことがあんまりないのか、深くに進む度に、ひええ、うああ、と小さく声を上げた。その度に手を止めて、声をかけて、ゆっくり進んで。どれくらい時間がかかったかは分からないけれど、毛繕いから歯磨き、耳掃除まで終わった頃にはポチはくったりお腹を見せて服従のポーズをする勢いだった。耳掃除だから横たわってるけど。イメージそんな感じ。
「……ん」
終わったよ。ぽんぽん、と頭を軽く撫でて立ち上がれば、何となく寂しげな顔でこっちを見るもんだから、離れがたくなってしまった。ペットが住処や飼い主に心を許すには3ステップあって、まず目の前で食事をすること、次に触らせてくれること、最後に自分から寄ってくること、と本には書いてあった。今日やっと、最後のステップまで辿り着けたわけだ。嬉しい。ポチも、いつになくリラックスして安心してくれてるみたいだから、気持ちが休まったと思う。
ご飯は一緒に炒飯を食べた。わざとポチの餌置き場の隣で、床に座って隣で食べたら、ポチがいつもより零さずに食べられた。思っていたよりも寂しがりやさんだったんだね。気づいてあげられなくってごめんね。


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