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観察日記



ねえ、ポチ、お風呂入ろうか。君、血生臭い。
そう告げれば、じゅるじゅるお茶漬けを啜っていたポチが、不満そうにこっちを見た。お前がこうしたんだろうとでも言いたげだ。ポチは案外思っていることが顔に出て分かりやすい。喋らなくても伝わるので、当社比優しくできる。昨日ご飯をきちんと餌置き場で食べてくれたこともあって、甘やかしてあげたい気分なのだ。ご飯粒が飛び散っている顔を拭って、汁でびしゃびしゃの髪の毛を、ほら、と見せれば、咀嚼しながらまだ不満そうだった。自分のせいじゃないと訴えたいらしい。ポチが正解である。
枷から鎖を外して、俵抱きにしてポチを風呂場へ連れて行く。歩きたい、お風呂は自分で入りたい、と煩かったので何度か蹴ったら大人しくなった。綺麗にしてもらえるだけ良いと思いなさい、自分で入浴するペットなんて聞いたことないよ。ポチを外から連れ去ったあの日から、一度も彼を洗ってやってないし、むしろ血やら汗やら鼻水やら吐瀉物やらで彼の体は汚れていくばっかりだ。今だってせっかく食べたご飯吐いちゃったし。床の掃除するの誰だと思ってるの。
「……ごぇ、ん、らひゃ……」
謝るなら許してあげる。
ハサミを持ってきて服を切れば、異様な程にびくびくしながら警戒していた。そういえば、一番最初にハサミでいじめたっけ。そんなに日も経っていないので、浅い首の傷は勿論まだ残っている。というか、全身傷だらけだ。血が出るような傷はあんまりつけていないつもりでいたけれど、確認したことはない。お風呂ついでに見てあげよう。枷を残したまま、じゃくじゃくハサミを動かして服をただの布にしていくと、ひぐひぐ哀れに泣き出した。今まで服を着せたままでいたことに感謝して欲しいくらいだけれど、でもまあ、こちらとしても成人男性の全裸が毎分毎秒見たいわけではないので、着替えは用意してある。ポチの鳴き声がもうしばらく聞きたいからそれは黙っておく。
せめてもの抵抗なのか丸くなって固まっているポチを蹴り転がしてお風呂場に入れれば、いろんな場所をぶつけたのか弱々しい悲鳴が聞こえた。もっと従順にすれば怪我しないのに。髪の毛を引きずり上げて普通に座らせると、まだめそめそ泣いていたので、お風呂嫌いなの?汚いままがいい?と聞いたら首を横に振られた。訳わかんない。お湯をかけたら、跳ねっ返りの髪の毛がぺたんこになった。おもしろい。ポチは全く面白くないようで、しゃくりあげては黙り込んだ。つまんないの。
背中からごしごしと洗ってやると、改めて、酷い色の痣だらけだ、と思う。擦り傷もある。凡そ普通の生活を営んでいるとは思えない痛ましい身体に、かわいそうに、と思う。首筋には火傷みたいな痕が残っていた。スタンガンのものだろうか。まだ閉じ込めてから数日なので、均整の取れた背中や腕が、外の世界の名残を色濃く残している。ポチはもう外になんか出ないんだから、かっこよくなくったっていいんだ。痣は消えないまま残したいし、なんなら絶対消せない痕をもっとはっきりと記したい。ボディピアスはどうだろう。刺青でもいい。幸いなことに、伝はある。今のポチにそんなこと言ったら頭がおかしくなってしまうだろうから、もっとここの生活に慣れてから持ちかけてみよう。嫌だなんて選択肢はないけれど。
「や、ま、っ自分で、やる、から、やらせてください、できます、おねがいします、お願い」
首を通って前へとスポンジを回したら、抵抗したらどうなっているかをよく分かっているポチが、それでも震え声で懇願してきた。へたへたと伏せるみたいに、拘束のせいで不恰好な土下座を見せてきて、全裸で土下座って滅茶苦茶面白い。うっかり吹き出して笑ってしまった。こっちが笑ったことで少し緊張が緩んだのか、顔を恐る恐る上げたポチが、無理やり愛想笑いに顔を崩したのも面白かった。カメラが無いのが悔やまれる、正面からちゃんと撮っといてあげるべきだった。一頻り笑って、ポチもこの場に不釣り合いなほどへらへらして、すっげー面白かったので、浴槽にお湯を張った。
「じ、自分でやるから、これ、手の、はずっ、外して、はずさなくても、いいから、それくれたら俺、できるから」
うん、知ってるよ。ポチが一人で体を洗えることは知ってるし、自分でやりたいこともよく分かったよ。笑いすぎて出てきた涙を拭いながらそう答えれば、こくこく頷いて手を出して来たので、ぎゅっと握った。その、えっ、て顔たまんない。お前本気で自分でやらしてもらえると思ったの?学習能力ないの?そんなわけねえじゃん。逆らったらどうなるか、いい加減覚えないと、マジで死ぬよ。
窒息は60秒を超えたらまずいらしい。30秒で急性呼吸困難を起こして、酷いと痙攣したりするんだとか。随分と昔に何かで調べた。飼い主的には、ポチに死んで欲しいわけじゃない。ただちょっと今は、苦しがってるポチを見たいだけだ。あんまりしつこく自分でやりたいって言うから、こっちがやってあげるって言ってるのに!って腹が立ったのもある。だから、これはただのお仕置き。お湯に浸けるのは、30秒以内。そのくらいならポチだって息を止めてられるでしょう。1回で終わりじゃ面白味がないから、何回もやるけど。
「がふっ、ぉえ、ぇ、ぐっ!」
ポチもしかして泳ぐの下手?
「は、っはぁっ、ぇ、ごぷっ」
ねえ、まだ15回目だよ。潜水ってしたことあるでしょ?あれを何回も何回もやってるんだと思いなよ、ほら、もっかい。
「ゃ、ゅ、しれ、けふっ、ゆぅ、して、ぇ、ふ、っゔ、ぉええっ……」
わあ。お風呂場でも吐くの。ポチはマーキング大好きだね。
結局、30秒も経たないうちにがくがく震えだすポチをお湯から上げてやって、短く言葉をかけてはまた沈めて、15回しかできなかった。気管にお湯が入ったのか、具のない液体を吐き出したポチに、しょうがないから今日はこれでおしまいね、とシャワーをかける。綺麗にしたのにまたばっちくしたら意味無いじゃない。まったくもう。
体を拭いてあげている間も、がくがく震えているポチは丸くなったままだった。苦しいのが一番嫌いなのかもしれない。体を起こそうと、もうしないからね、って優しく言ってあげても駄目。頭引っ叩いても駄目。低く唸るだけで全くこっちの声は聞こえていないようだった。パニックを起こしているみたい。このままじゃ風邪を引いてしまう。しょうがないから、本当はあんまり使いたくなかったあれを持ってくることにした。
「ふ、ゔ、ぅう、うー」
ポチ、こっち向いて。そう声をかけると同時にスイッチを入れると、聞き覚えのある、ばっちん、と大きな音が響いた。音に反応して雷に打たれたみたいに跳ね起きたポチは、手にある四角いスタンガンを見て、音の発信源がそれだと知って、自動販売機の前であの瞬間自分の自由を奪った機械が目の前にあると理解した途端、枷なんて引き千切る勢いで暴れ始めた。一番とびっきりのトラウマはこれか。痛みも何もないのか、頭をぶつけようが無理やり押さえつけられようが全部を跳ね除けて半狂乱で逃げようとするポチの手枷を引ったくって捕まえて、どこでもいいからと肌に押し当ててスイッチを入れる。がくん、と反射的に仰け反って体を強張らせたポチが、スタンガンを押し当てられた二の腕から足の先と頭の天辺まで電気に打たれて、ぬいぐるみみたいに脱力した。ぴくぴくと不随意に跳ねる指先は、電流が流れた印だろうか。虚ろな目をこっちに向けたポチが、ぱくぱくと声にならない声で呼びかけてきた。何言ってんだかさっぱりだ。褒められてるはずはないし、感謝される謂れもないし、ひとでなし、とかそういうことだろうな。力の抜けた身体をひっくり返して、枷を外して服を着せた。今なら逃げられるよ、と教えてあげたけれど、ポチは恨めしそうに睨むだけだった。逃げない保証が出来るまでは、枷をとらなければならない時にはスタンガンを使うことにしよう。ポチは死ぬほど嫌だろうけど、こっちだってペットに逃げられるのは死ぬほど辛い。安心のためだ、しょうがない。わかってくれるよね、ポチ。
「……………」
寝ちゃったの。しょうがない子だなあ。

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