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人魚姫


結論として、人間は割と早く回復しました。本気を出した魔法使いの力も勿論あるでしょうが、人間になった当也くんの献身的な看病も功を奏しました。不慣れなはずの足でぺたりぺたりと歩きながら、人間の体を清め、定期的に水を飲ませ、毛布の調節をし、ベッドのすぐ傍で見守り続けた彼の力なくしてはここまで早い回復は得られなかったでしょう。何故なら、魔法使いは日常生活における家事その他に関して、全く才能がなかったからです。全て魔法で事足りるから、と言えば聞こえはいいですが、身の回りのことに対して不器用が過ぎるのを隠す為にこいつは魔法を使うようになったのではないか、と当也くんが何度も怪しむくらいには、魔法使いはただ可愛いだけの何もできない人間でした。可愛くなかったらとっくにその辺で野垂れ死んでいます。俺の飯もついでに作って、と強請る魔法使いの分もスープをよそいながら、当也くんは溜息を吐きました。
意識の回復した人間は、自らの名前を有馬と名乗りました。許容範囲が広いと言えば聞こえはいいですが、あまり頭がよろしくない人間のようで、溺れ死にそうになってたお前を拾った魔法使いです、こっちは俺の友達で今のところは人間、なんてざっくりした魔法使いの説明に特に突っ込みもせず納得したように頷きました。魔法使いが身内にいてもおかしくないレベルで魔法使いのことを受け入れましたが、そんなことはあり得ません。魔法使いも人魚も、人間に見つかったら面倒なので隠れ住んでいるのですから。ただ単純にこの人間の脳みそが傷んでいるだけです。
「そういや俺ってどうなんの?家に帰れんの?」
「元気になったら出てってもらうつもりでいたけど」
「そっかあ」
「今すぐにでも記憶を消して家まで転送してやってもいいんだぞ」
「いやあ、まだいいよ、飯美味いし」
「早く出てけよ、おかわり」
「つーか弁当はなんで喋れねえの?俺もおかわり」
「色々馬鹿には分からない事情があんだよ。ん、ありがと」
くっちゃべりながら人の作った飯を競い合うように掻き込んでいる魔法使いと人間におかわりの皿を渡しつつ、当也くんの中にもやもやした感情が生まれました。有馬と喋りたい。けど、人魚だということは知られてはいけないから、喋れない。もっと仲良くなりたい。近くにいたい。けど、自分は人魚だから。ぐるぐると回る頭の中を封じ込める度、口に出せない思いが溜まって行きます。積み重なってうず高くなった思いは、いつしか友情とも愛情とも取れないどっちつかずの感情へと変わって行きました。
人間、もとい有馬はよく喋りました。口の利けない当也くん相手にも、ぺらぺらと話してはにこにこしている男でした。頷いたり首を振ったり、身振り手振りで返事をする当也くんとの拙い会話を彼は楽しんでくれているようで、それが当也くんにとって身を焦がす喜びになるのは時間の問題でした。魔法使いともよく話す彼が聞き出す話を片耳に挟んでいるうちに、魔法使いは時々人間の世界に遊びに行っているらしいことが分かりました。飼い犬がいる、と言うからには家もあるのでしょうか。特に隠していたようでもないらしく、たまに行くだけだから人間の世界には知らないことがたくさんあるけど、と魔法使いはしれっとしていました。忙しそうにしている時期も多々ある魔法使いのことです。人魚の当也くん達にも人間の知り合いにも、はたまた全く自分の知り得ない世界の誰かにも、並行で用事を取り付けていることがあるのかもしれません。以前、二人程度ならコピーを作って動かせるんだ、とへとへとの魔法使いが三人に増えて大鍋をかき混ぜ薬草を潰し魔法陣を床に書き綴っていたのを当也くんは見たことがあります。
兎にも角にも、有馬が全快と言っても差し支えない程に元気になったため、人間の世界へ帰ることになったのです。それについて行くことにしたようで、久しぶりにお散歩しようかな、なんてクローゼットを開いた魔法使いのローブをぐいぐい引っ張って当也くんは意を示しました。俺も連れてって、一緒に行きたい、まださよならしたくない。その言葉は声にはなりませんでしたが、三角帽子を外した魔法使いはあっけらかんと答えました。
「いいよ。行く?」
「……………」
「なにその顔。だめです!って言われると思ってたの?」
「……………」
「別にだめじゃないよ。だって今お前人間じゃん」
「……………」
「俺はすぐ戻ってくるけど、いたいなら有馬に言って少し長居させてもらえば?」
とはいえ、自分で有馬にその説明は出来ないわけですが。文字を書けたなら筆談という手段が使えたのでしょうが、当也くんには人間の使う文字は分かりません。自分の代わりに魔法使いに伝えてもらうのも、少し違う気がします。何故ついていきたいのか、まださよならしたくないのかの理由はそのものずばり、自分の言葉で話をしたいからなのですから。
「……………」
「ん?どした」
魔法使いの本の中でも簡単な、当也くんも見せてもらったことがある絵がたくさんの本を読んでいた有馬の服の裾をくいくいと引けば、ぱっと振り返って笑いかけられました。紙と羽ペンを持って、出来るだけ伝わりやすいように図を書きます。まず有馬と魔法使いと自分、魔法使いが帰るまでの日にちに線を伸ばして、自分のところからはもっと長く線を引いて、有馬の隣に家を書いて、自分からそこに矢印を引いて、とちらちら相手の様子を伺いながらペンを走らせる当也くんに、有馬はぽんと手を打ちました。
「うちに来たい!ずっと!」
「!!!」
「え?違う?ずっとじゃない?」
「……………」
「ずっとじゃないけど、伏見よりも長く?」
「!」
ぶんぶん首を横に振ったり、こくこく頷いたりと忙しい当也くんのふわふわした黒髪をぽんぽんと撫でた有馬が頷きました。うち広いからいいよ、恩人だって言えば超高待遇間違いなしだし、なんて言葉は頭に入りません。俯けた当也くんの顔は真っ赤になっていたのです。
魔法使いに人間らしい服を誂えてもらって、ぴかぴかの靴を履かされた当也くん。少し前にも潜った空間の切れ目に、三人は足を一歩踏み入れました。ほんの数歩で辺りの空気が変わって、喧騒が耳に届きます。降り立った石畳はもちろん路地裏、魔法を使って現れたことなんて人間に知られるわけにはいかないからです。それじゃあ俺はあっち行くから、帰って来たくなったらあの笛吹いて教えてね、と魔法使いは踵を返して別の道へと消えてしまいました。行くべき場所があるということは、やはり人間の世界にも住処を作っているのでしょう。きょろきょろしていた当也くんは、有馬に手を引かれて歩き出しました。
「あそこから出るのは初めて?」
「……………」
「そっか、じゃあメイドたちにも上手く言っとかないとな」
頷いた当也くんを安心させるように、ぎゅっと手が握られました。


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