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はっぴーはろうぃん



小野寺と二人暮らして千載。弁当と有馬がお隣さんになって千秋。朔太郎が居座るようになって早幾年。
『伏見くん。俺、この子飼う』
『は?』
朔太郎が航介を拾ってきてから、どれだけが経っただろう。雨の降る夜、ご飯食べてくると言い置いて出て行ったうら若い吸血鬼は、人間の子どもを拾って帰ってきた。どういうつもりだと目を剥いた俺たちに、いいでしょお!飼わせてよ!お願い!と地団駄を踏んで我儘を言ったのだ。一番年下というだけあって、自分の思い通りにならないとうるさいことこの上ない。別に構わないけど騒がせないでね、と呆れたようにくたりと眠り込んでいる子どもの首根っこを引っ掴んだ弁当がしばらくそれをぶら下げて、いけない、子どもだった、と降ろした。お前結構そういうとこあるよね、自分の世界の範囲外に対してはヒトですらモノにしか見えないっていうか。小野寺はずっと興味深気に匂いを嗅いでいたし、有馬も心臓が当たり前みたいに動くそれをじっと見ていた。俺も、別に騒ぎにならなければ子どもの一人くらい飼ってもいいんじゃないかと思ったから、嬉しそうにふんふん鼻歌を歌いながら子どもの首筋に顔を擦り付けて可愛がっている朔太郎をぼうっと見ていた。目が覚めたら食べるんだあ、と幼気に言われて、全部吸わないで俺にもちょっと分けて、とお願いしておいた。家畜よろしく、食い尽くすまではふくふく健やかに育ってくれればいい。健康な方が美味いから。
次の日の朝だった。珍しく有馬がうちに来て、昨日の子どもさあ、と話し出したのだ。ぷーすか惰眠を貪っている狼の小野寺を足で退けながら、聞く。元人間だったこいつは、外から見た俺たち、人間社会からした怪異譚をよく知っているので。
『あれ、非常食にしたら?』
『……どういうこと』
『昨日あんな嬉しそうな朔太郎の前で言うのも憚られたんだけどさ。お前ら二人って結局は人間の血とか生気とか食わなきゃ生きていけないわけだろ?』
『そうだけど』
『弁当が昔研究してた中に、確かあったと思うんだよな。成長を止める?巻き戻す?っていうか、そんな術式』
わざわざ村に降りて、誰とも知らぬ人間と接触するのは、得策ではない。そんなこと分かってる、けどそうしないと食欲が満たされないのも事実なのだ。だから俺も朔太郎もそうしてきたし、出来るだけひっそりと細心の注意を払って食事してきた。有馬や弁当は人間に接する必要も全く無いわけで、そんなのんびりゆったりライフに突然の部外者参入は、大きな衝撃なわけだ。だから、これ以上部外者に入ってこられると困る。朔太郎がこれで味をしめてまた子どもを拾ってくるかもしれない。そんな話を、昨晩から有馬と弁当はしたらしかった。その間に弁当から出た、一つの提案。言葉足らずの有馬からでは半分くらいしか伝わらなかったが、俺の足を家の外に向けさせるには充分であった。前提条件として、朔太郎は血液、俺は生気を、それぞれ食糧としている。それは生きた人間から摂取するものであって、死体の弁当や呪い持ちの有馬、狼の小野寺はどうしたって食べられない。頑張れば食べられないこともないが、あんまり気が進まない。だから、あの子どもにも術を掛けてしまえば食事は出来ない。そう思っていたからこその放置だったのだが、有馬から興味深い話を聞いたので、俺は弁当に研究資料を見せてもらうことにしたのだ。そこには、俺たちの特性の抜け穴を突く、頭のおかしい術式が組まれていた。弁当がどうしてこんな方程式を作り上げたのか全く分からなかったが、どうも有馬を正しい時間と選択肢の世界に戻すための一環で生まれてしまったのだとか。
『朔太郎』
『あっ、伏見くん!大変!人間ってどうやったら冷やせる?』
『……なにこれ?どうなってるの』
『分かんないけど、朝からずっとこうなんだ。起きないし、心音は弱まってくし』
弁当から教わった術式を、物は試しにあの子どもに掛けてみようと、朔太郎の家に行った。そしたら昨日の子どもは、ぜえぜえと苦しげな息を吐きながら真っ赤な顔をして、汗だくになっていたのだ。確かに熱い、どうしたら冷えるのだろうか。不健康極まりなくとっても不味い匂いのする子どもの看病方法など、人外二匹が知るわけもなく、俺たちは弁当と有馬に頼った。大変あっさりと、熱が出てる、と診断を下した弁当が、てきぱき子どもの体を清めて布を巻いた氷で冷やし、栄養失調と極度の緊張によるものであることを朔太郎に伝え、それを解消する魔法は何かないかと俺に聞いた。聞かれたので答えるより早く、体調を全回復する式と、何もかもを忘れて深い眠りにつく催眠をかければ、すうすうと子どもは安らかな寝息を立てる。良かったあ、とペットの回復に安心した朔太郎を見ながら、俺は思った。さっき教わった術式を掛けるのには、まだ早い。あれは、もう少し待って、この子どもの体が出来上がってからにするべきだ。
それから、しばらく。子どもは家周辺から出さないことを約束した朔太郎は、すくすくと育つそれを大切に見守っていた。いつになったら食べるの?と聞いたら、もうちょっと、具体的に言えば精通が来たら、とリアルな言葉が返ってきて引いた。いや、うん、知ってるけど。広義的には吸血鬼も魔族というやつで、悪魔というのは幅広いもので、ベルフェゴール、インキュバス、メフィストフェレス、その他諸々。純血の吸血鬼なんてこのご時世いやしない、朔太郎だって限りなく血は濃いけれど純血ではない。真昼間歩き回ってるのがいい証拠だ。恐らくはどこかで夢魔が混ざっているのだろう、村に食事に行く時もいろんな意味で食い散らかしてくるし。
最初は喋ることすら怯えていた子どもは、献身的に世話をする朔太郎に少しずつ懐き、心を開いた。自分のことを航介と名乗り、異形の俺たちも受け入れた。ちょっと最初に掛けた魔術が強すぎたみたいで、贄として森に置きざられる前のことは丸々忘れてしまったようだけど、まあいい。そんなことは些細なことだ。航介の為に整えた小さな畑や鶏小屋を、自分の食い扶持を守るため一生懸命に管理した。時々失敗して食べ物が素寒貧になってしまった時だけ、俺も魔法を用いて手伝ってやった。それは反則だ、自然に出来たものをいただくのが摂理だ、と航介は不服そうだったけれど、空腹には負けるようだったっけ。病気もせず、怪我もせず、成長した彼は少年になった。朔太郎が手を出さなかったので俺も手を出さなかったんだけど、ある日を境に彼から物凄くそそられる美味そうな匂いがするようになったので、そろそろかな、と思ってたら案の定齧った跡がついていた。初めて血なんか吸われた、としくしく痛がる航介を慰める振りして、俺も美味しく彼の生気をいただいた。そして気を失った航介を、魔法陣の中に横たえて、弁当を呼んだ。機は熟した、計画実行の時だ。
『掛ける術式は、説明した通りのやつでいいんでしょ?』
『うん。花が咲いたらリセット、巻き戻ってくるのは今日のこの日で』
『わはー!楽しみ!航介びっくりするかなあ』
『言っちゃだめだからね』
『分かってるよ!でも楽しみ!』
『魔力源は伏見を使うけど、栄養供給は朔太郎がするんだよね?』
『うん!まかして!』
今から掛ける魔法は、航介の知りえない場所で進む。どんどん胸を叩いた朔太郎と、術式を組み上げた弁当と、鍵となる種を作り出す俺が、共犯者。この方法を俺に伝えてしまった有馬だって、俺たちが準備してるのを知りながら何も知らないふりで航介を逃さないようずっと見張っていた小野寺だって、同罪だ。
航介の腹の中に、種を埋める。魔法陣を描くのは弁当、それを動かすためのガソリンが俺だ。その種は、一番彼に近しい朔太郎が栄養管理を行い、成長させる。同時に航介の肉体も成長するが、それには何の害もなさない。彼には、どこまでもいつまでも、純粋に正当に純潔に、人間のままでいてもらわなければ困るのだ。腹に埋まった種に気づかないまま、航介は大人になる。栄養供給の仕方は朔太郎にお任せだ、何を用いても構わない。種が芽を出し花開いた時、航介の体は巻き戻る。魔法が掛かった今この瞬間に、彼の体と心と記憶は帰ってくる。外の世界で何年経っていようが、航介だけはここからやり直しだ。例え彼の肉体が死を迎えたとしても、花さえ咲けばここに戻ってこられるのだから、別れの苦しみに嘆くこともない。供給の絶えない、永遠に食べ続けられる食糧が欲しかった。朔太郎はペットと離れたくないという気持ちもあったかもしれない。けど、食い気のことを考えていたから、俺がこの手段のことを説明して彼がもう少し丈夫になるまで待ちたいと言った時に、じゃあ俺が航介のこと初めて食べた日にしない?と持ちかけてきたのだ。自分が一番美味しいタイミングで食事に至ることを知っていて、言ったのだ。食えない男である。
目を覚ました彼は、何も知らない。緩やかに時間が経ち、彼が成長して、芽吹いた種が花開いた時。そこで航介の生きた時間は一度ストップして、今この時からもう一度やり直して、また花が咲いたらもう一度、花が咲く度もう一度。何度繰り返したって気付くわけがないのだ。だって、自分が何度目の誕生日を迎えたか、彼には記憶がない。覚えているのは俺たちだけ。なんて可哀想な、なんて人生だろう。それでも航介のことを俺たちは幸せにしたい。幸せでいてくれないと、美味しくないからね。


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