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はっぴーはろうぃん


「お腹空いた」
「野菜かじってろ」
「血が飲みたいんすけど」
「寝てろ」
「航介さんや」
「寝てろ」
ひどいやひどい、と人の周りを彷徨く吸血鬼野郎を追い払いつつ、自分の飯の用意をする。今日はポトフだ。昨日も同じだったけど。しょうがないだろう、当也の腕が繋がるまでは自分で料理を作らないといけないんだから。人のベッドに寝転んで、もうしばらくお食事してない!航介の鬼!意地悪!と喚く朔太郎に内心で、血なんか飲まなくても普通の食事で一週間以上持つくせに、と吐き捨てる。
朔太郎は、吸血鬼だ。人によく似た人ならざる者、生き血を啜り生きる鬼。鋭い牙、黒い羽、月光に照らされて紅く光る眼。そこまでは物の怪らしいといえばらしいし、化け物じみているといえばじみている。けれど、それ以外はもっぱらただの人と変わりないのである。回復力は高いが怪我はするし風邪も引く、日光が苦手ではあるが焼け死ぬ程ではないので日中外を出歩くことも出来る、空も飛べるし多少の魔法も使えるが万能ではないので自分の足で歩き自分の力で身の回りのことをする。よく笑い、よく喋る。幼かった俺を森で拾ったのは、朔太郎らしい。それだって食糧面の確保としての意味合いは勿論あっただろうが、「こんな子どもが一人ぼっちで、かわいそうに」「家に返してあげられないこと、ごめんね」と頭を撫でて寝かしつけられたことは記憶に残っている。俺がここに来るまでだって、最低限しか吸血行為を行っていなかったらしい。俺を拾ってからは俺の血ばかり飲んでいるようなので、村にすら出て行かない。どうやら吸血鬼とかいうやつの食事は、人間の食べ物である程度の代替が利くようである。吸血行為以外に朔太郎の吸血鬼らしいところを挙げるとしたら、不老性だろうか。何年経っても全く見た目が変わらない。絶滅危惧種である吸血鬼の中では、まだまだひよっこのぴよぴよらしいが、それだって何百年単位で生きているわけだ。正確に何歳なのかまで俺は知らない。
しつこく俺の血を強請る朔太郎を受け流しながら飯の支度を進めていると、鍵なんてない掘っ建て小屋の扉が大きな音を立てて開いて、小野寺が駆け込んできた。こいつら、人ん家をなんだと思っているんだ。迷路のように入り組んで人なんて寄り付かない、鬱蒼と茂る森の奥深くのここには、うちと、朔太郎の家と、伏見の豪邸と、小野寺の小屋と、有馬と当也が住んでるうちより少し広い家しかない。その中でも恐らく一番出入りが激しいのがうちだ。次が当也と有馬の住まいかもしれない。どかんと音を立てて飛び込んできた小野寺を見ないように、そっと手を合わせる。
「航介!」
「うるせえな、いただきます」
「伏見が大変!お腹ぺこぺこだって!」
「元気なお前が吸わせてやれよ」
「俺じゃダメなんだよ、獣くさくて」
「朔太郎」
「ははは、俺人間じゃないし」
「……当也、は、今だめか」
「ていうか動く死体に生気ってあるの?」
「有馬」
「あいつこそダメだよ!伏見が呪いもらったらどうするの!」
「元々死なねえだろ」
「お腹痛くなっちゃう!もー、早く来てっ」
「あっ、バカ、俺の飯」
「小野寺くん耳出てるよー、今日そろそろ満月だっけ?」
「うん!」
ぶんぶんと尻尾を振りながら、我ながらそれなりに重みのあるはずの成人男性をひょいっと担ぎ上げた小野寺が、お借りしまあす!と相手の無い断りを入れた。何故か朔太郎が、よかろうなのだ、と頷いているけれど、俺の体は俺のものである。全く良くない、飯食ってる途中なのに。そんな言い分が聞き入れてもらえるはずもなく、忠実な犬である小野寺は、腹ぺこ御主人様のために、わっせわっせと俺を運んでいく。売られていく子牛の気分だ。ドナドナ。
朔太郎が吸血鬼であるのと同じように、この森の奥に住む生き物たちは、俺以外みんな人間じゃない。元人間だったり、ギリギリ人間かどうか微妙だったりもするけれど、自分が正しく霊長目ヒト科ヒト属の哺乳類であると言い切れるのは俺くらいのもんだ。生き物であるかどうかすら微妙っちゃ微妙なやつもいるし。まず、今現在俺を担ぎ上げて運んでいる小野寺は、狼男だ。狼がベース。満月の夜には完全に見た目が獣に戻ってしまうが、意識は彼のものなので特に問題はない。ちなみに今晩が満月なので、我慢しきれなかった耳と尻尾がぴょろりと顔を出してしまっている。普段は俺と大差ない、全くもって人間の見た目をしているわけだ。朔太郎みたいに不老なわけじゃないけど、死にかけていた狼の小野寺に人間の体を与えた飼い主様がとんでもないチートだったために、ほぼ現世の時間の流れからは切り離されていると言って差し支えない。
担がれて連行されている間に、今は無人の朔太郎家と、今は静かな有馬と当也の家を通り過ぎた。有馬が先日うっかり当也の腕を捥いでしまったのだけれど、それからというもの有馬はとても深く反省しているらしく、家から出てこない。体のバランスがおかしい当也が伏見に治癒を手伝ってもらうためふらふらしてたのは昨日見た、けど有馬はその時も玄関から泣きそうな顔で見てただけだったし。もしかしたらそれこそ伏見辺りに、罰として有馬だけが家から出られない結界を張られているのかもしれない。それは大いにあり得る。
先の話にあった通り、当也と有馬はそれぞれ、人間だか微妙な感じの立ち位置である。当也は死体なだけで人間ではあるし、有馬も死ねないだけで人間ではある。けど、胸を張ってそうだと言い切れる俺と一緒にされると俺は困るし、あっちだって一緒にしてほしくはないだろう。二人がそんなことになってしまったのにはそれなりにきちんと理由があって、話は数十年前まで遡る。いや、数十年では生温い。数百年前、ではないはずだけど、百数年前、ではあるかもしれない。この村から東にしばらく行ったところにある大都市が、まだ都市ですらなかった頃のことだ。有馬は死ねなくなった。それは俗に呪いと呼ばれるもので、彼の意思とは関係なく世界に作用するルールだった。生きているならば誰しもに訪れる、死という選択肢が、有馬から奪われたのだ。呪いを掛けた人間が有馬を憎んでいたのか好いていたのかついうっかり不慮の事故でやってしまったのか、そんなバックグラウンドまで俺は知らないけれど、とにかく彼はその時その瞬間から、死ねなくなった。有馬の身に起きていることを、死亡という分岐点が消された、と表現したのは伏見だけれど、全くもってその通りなのである。例えば、死の恐れがある食中毒を引き起こす腐敗物が有馬の口に入ったとする。それは飲み込まれる前に何らかの要因で吐き出される。もしくは、その食中毒に対する奇跡的な抗体が彼の体に突如出来る。例えば、有馬を爆心地として半径5キロが根こそぎ吹き飛ぶ何らかの自然災害が巻き起こったとする。彼だけは傷一つ無く無事にその場に立っていられる。どうしてか、とか考えちゃいけないのだ。彼が死ぬことは、世界が許していない。怪我をすることや年をとることですら、命を失う可能性が少しでも含まれるならば、有馬の体には起こらない事象になる。だからあいつの肉体年齢は呪いをかけられた二十歳過ぎで止まっているし、怪我もしない。治癒力が高いから治る、とかじゃなくて、しない。恐ろしいほどに世界から護られている、それが死ねない人間、有馬はるかである。
そして、弁財天当也は死体である。有馬に出会わなければ恐らくはこんなことにはならなかった、巻き込まれ死体。元々アンデッドを作り出すネクロマンサー、死霊魔術行使者だった当也は、厄介事請負人としてそれなりに適当な感じで仕事を片付けつつ自分の魔術研究を重ねる、引き篭もりと言ってしまえばそれまでな生活をしていた。他人から任せられた仕事関係だったのか、趣味が高じた研究関係だったのか、運命だったのか、偶然だったのか、ともかく二人は出会った。死ねない有馬と、死んだ者を動かすことを専門とする当也が、出会った。普段死体相手に術を掛けてる当也からしたら、死ねない有馬に多少の興味は湧いたものの、そういう人もいるんだ、それじゃ俺の死霊魔術が掛からないのか、くらいの受け取り方だったらしい。けど、有馬は違った。死体を動かせる、要するに世界の理から外れた行動を取る当也ならば、自分が死ぬ術を知っているのではないか、と思った。それからしばらく、有馬は当也の近くにいて、二人はいつしか仲良くなって、死ねない有馬の死にたいという願いに当也が耳を傾けて、彼の研究は大きく方向転換して、道半ばで潰えた。当也が死んでしまったのだ。理由不明、殺害方法不明、まるで禁忌を犯した罰のようにすとんと彼の命は絶たれた。それは、あの楽天家であっけらかんとしている脳みそ空っぽの有馬が、世界中の人間を殺す勢いで三日三晩村々を渡り歩いて殺戮を繰り返し、それでも収まらずに自傷を重ねるくらいの衝撃だった、らしい。殺して欲しくて他人の命を奪ったのに世界に許される自分の罪は問われず無罪放免、自殺志願も儘ならず、気が狂いかけた朝。ふらりと目の前に現れた当也に、有馬はついに自分は死んだかと思った。まあ、残念なことに、そうではなかったわけだけど。
当也は保険をかけていた。いつか自分が、研究途中で死んでしまったとして。完遂せずに半ばで諦めることは耐え難い、かといって任せられる相手もいない。と来れば、自分でやるしかない。死んでしまっても大丈夫、だってネクロマンサーだもの、死体を動かすなんて料理と同じくらいの頻度でやってきたじゃないか。というわけで、めでたく当也は動く死体となり、有馬の暴走を止めることができた。それからまた月日が経ち、森の奥深くにとんでもない魔力の持ち主である化け物が住んでいるらしい、という噂を聞いた二人は、そいつなら自分たちがこれから先生きればいいのか死ねばいいのか、より良い過ごし方を教えてくれるかもしれない、と旅に出た。死体になった当也のデメリットとして、体が脆くすぐ捥げたり折れたりする、ということが挙げられるが、それも今のところ普通になんとかなっている。ちなみに今後どうすべきかという二人の疑問は、有馬に掛けられた呪いは伏見には解けないということ、当也的には有馬を置いて本当に死んでしまいたくはないこと、の二つから、現状維持、という大変日和見な結果に落ち着いて今に至る。
「なあ」
「ん?」
「俺まだ回想中」
「かいそーちゅー?ちょっとよく分かんない!干からびないように頑張って!」
「おい!ぎゃんっ」
必死の現実逃避も虚しく、伏見の豪邸の前に辿り着いてしまった。というか、俺の家と伏見の家なんて徒歩2分くらいしか離れていないんだから、小野寺に担ぎ上げられて連れ出されてからも2分程度しか経っていないのだ。その間にあれだけの回想を延々繰り広げた俺を褒めてほしい。
ぺっと小野寺に投げ出された先は玄関入ってすぐの三和土で、振り向く間も無く扉が閉まる。頑張って!なんて不穏な言葉を最後に扉の向こうへ消えた小野寺は先程、「伏見がお腹ぺこぺこだって」とか恐ろしいことを言っていなかったか。ふざけんな。俺だって腹減ってんだよ。
「……航介」
「ひっ」
ひたり。冷たい手が首筋に触れる。背後から縋り付かれて、体が強張る。いやに暗い部屋の中は、自分の心臓の音が聞こえてくるくらい静まり返っていた。だくだくと脈打つそれは、一人分だ。何故かって、この部屋に存在するもう一つの生き物は、今まさに俺を食べようとしているのだから。
神様、化け物、怪異、物の怪、天使、悪魔、幽霊、天の使い。どんな表現を用いてもこの万能チート野郎には当て嵌まらない。強いて言うならば、信仰の具現化、概念の物質化、とでも説明したらいいのだろうか。人に望まれて生まれてきた、伏見はそういう存在だ。意志を持った莫大な力の塊が、人の形を取っている。概念である以上、生死や歳月は彼にとって何の意味も持たない。伏見彰人の消失はそれ即ち、この世界の破綻を意味する。最近風邪っぽいかも、とこいつがふらつき始めたらこの世の何処かにあの世と繋がる穴が開くと思ってもらって構わない。つい最近でさえ、小野寺と大喧嘩した伏見が、もういい、知らない、馬鹿、大っ嫌い!とたった四回暴言を吐いたことで、近所の湖が消し飛んで山が割れた。しかも傍迷惑なことに、人間の見た目をして人間の感情を手に入れたこの概念は、すぐぶち切れて怒るしすぐ泣き真似をして我儘を言うのだ。お前が嘘泣きするせいで今日もどこかの国に豪雨災害が起きている、と当也は遠い目を向ける。しかも伏見も知っててやってるから、タチが悪い。揺らいでるくらいじゃないとバランス取れないんだから天候と地形ぐらいしょっちゅう変わったところでなんの問題もないだろ、なんて伏見の言い分も分からないわけでもないけど。
「ねえ、航介」
「……っ、っ、」
「お腹空いたなあ……」
声は出ない。振り返ることもできない。今から俺は殺されるのだ。生気を吸い取られる、とはそういうことだ。本当に命を刈り取られるわけではないけれど。
不定期的に巡ってくる伏見の「お腹ぺこぺこ」は、一ヶ月に一回だったり二ヶ月に一回だったり三日に一回だったり一週間に一回だったり十日に一回だったり、下手したら半日に一回だったりする。その頻度は誰にも分からないし、伏見本人が制御できるものですらない。人型になった概念でしかない伏見だけれど、人間の形を取っている以上空腹も眠気も感じるらしい。ただ、食べるものは人間の生きたいと願う心。生き物がそれぞれに持つそれを吸収すること、エナジードレインが伏見の食事だ。
「……あー、心臓の音やばいねえ」
「っふ、ふし、み」
「んー?」
俺がなんとか無理矢理絞り出した声は掠れ切っていたけれど、返事は甘ったるく響く。首に掛かっていた手が、そっと頰に移る。ぐい、と喉を反らされて息を飲めば、窓からちかりと射し込んだ光で、伏見が薄く笑ったのが見えた。
真っ黒な髪と、真っ白な肌と薄赤い頰。陶器のように艶めく肌が紅潮しているのに対して感じるのは、恐怖でしかない。真紅に染まった瞳の中心には、切れ長の瞳孔。尖った耳と、側頭部から伸びるひゅるりと丸まった角と、唇から覗く牙は、彼が人間でないことを明確に表している。ぱたん、と床を叩く音は、尻尾だろうか。属性過多の全部盛り、異形の塊。人間のふりをするために普段は隠している何もかもを曝け出した伏見のお腹が、くるくる、と鳴った。
「いたらきまふ」
もう齧ってるって!


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