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おはなし



俺の試験の出来は高校時代からずっと、伏見の機嫌に左右されている。片手で数えられるくらいしかない歴代の得意教科、と言っても程度が知れてるんだけど、それならまだ自力でも何とかならなくもない。ただ得意教科しかない素敵な世界には生きていられないわけで、それに加えて俺はとにかく勉強が苦手なタイプの人間らしいので、試験前には周りの人に助けを求めながら必死で勉強しないととてもじゃないが追いつけないのだ。じゃあ普段から地道にやればいいって言う奴もいるかもしれないが、悪いけどこれでもやれることはやってる。分からないまま放置して諦めるのは嫌なので、分からないなりに勉強しようとはしている。それでも出来ないから困ってるんじゃないか、全く。
試験前、伏見が嫌々ながらに勉強を教えてくれるようになったきっかけは恐らく、追試になると部活に出られないからだ。小野寺が試合メンバーに入ってる時に追試被せられると困る、というほとんど俺のためでもなんでもない理由で始まった不定期の勉強会は、大学に入っても続いている。上手いタイミングで頼めば、理路整然と教えてくれる上にきちんと出来たらご褒美もくれる。ただ欠点があるとすれば、大概の場合二度聞くと一発で不機嫌になって答えてくれなくなることと、そもそも伏見の機嫌が良くてちょうどいいタイミングがほとんど皆無だと言うことくらいか。
「ねえ」
「……俺これ提出しないと単位もらえない……」
「後で」
「明日出したくて、あの」
「あーとーで」
しかし、伏見の虫の居所が悪い時にうっかり俺が目の前で勉強を始めようもんなら、全力で邪魔してきたりすることもある。例を上げるなら今だ。機嫌が悪い時もそうだけど、特にそうじゃないけど俺が伏見を放って勉強してるのが純粋に気に食わない、という理不尽極まりない理由の時もある。ちなみに今は後者、もうどうしようもない。
「勉強しないで」
「するよ……しないとお前俺のこと馬鹿馬鹿って言うじゃん……」
「そんなに言ってない」
「言ってます」
「お菓子食べよ、小野寺も」
「食べません」
「やだー、ばーか」
「やだはこっちの台詞だよ」
また馬鹿っつったし。人の頭をお菓子の箱でぽこぽこと叩きながらぶーたれている伏見を無視して机に向かう。木魚じゃないんだから、一定のリズムで叩くのやめてくれませんかね。一叩きごとに書きたいことが抜けてく気がする。今日は試験勉強じゃなくて授業中に出た課題だけど、これ出せなかったら単位がとても危ういことになるやつなんだから、ちゃんとやらせてよ。
後ろから俺の手元を覗き込んだ伏見が、ちなみにそこ間違えてるから、なんて言うから手を止めて振り返った。そんなはずはないぞ、ちゃんとゆっくりやってるんだから。
「嘘」
「いいえ」
「お前はこういう時嘘をつきます」
「本当に間違えています」
「嘘です」
「あまりに見ていられない間違い、俺教える、お前酷い」
下手くそな翻訳みたいだ。絶対合ってるから、と強情に続きを考えていれば、ぎちぎちとピアスを引っ張られたので思わず悲鳴を上げた。もげる、痛い、怖い。間違っています、と機械のように繰り返されて慌てて消しゴムを持てば、満足そうに離れて行った。ほんとに間違ってんのかよ、嫌がらせしたいだけじゃないだろうな。
「そこにいるんなら教えてよ、ここわかんない」
「一ページ三百円」
「金取らずに、親切心で教えてくれないの」
「そんな心は俺にはないんだ、残念ながら」
「あるでしょ」
「ない」
「ここってこの通りやればいいの?なんか繋がらないんだけど」
「勉強なんかすんなっつってんの」
シャーペンを俺の手から抜こうとしてくる伏見の頭を押さえながら、ここが本当に違うなら大分前から読み直して考えないと、と遡る。ただ邪魔したいだけなんだから無視してりゃいいのかもしれないけど、その無視が大変なんだ。あの手この手で邪魔して来やがるんだから、序の口で済んでる今の内にとっとと進めないと。
物理的に邪魔するのは不可能だと思ったらしい伏見が、不貞腐れた顔で体を引いた。頭押さえられてたら俺の手元まで届かないもんな、チビだから。つまんないなあとか、お腹空いたなあとか、どっか行っちゃおうかなあとか。ぶつぶつ呟かれる言葉を必死で無視してシャーペンを走らせていれば、ぱっと伏見が黙った。見たら負けな気がしてそっちに目をやらないようにしているのに、くいくいと袖を引っ張られてつい横目で窺ってしまった。あ、だめだ。
「……………」
「……………」
「……………」
無言のまま何してるかって言えば、目が合った瞬間から俺は視線を元に戻そうとしてるし、伏見が逃がしてくれない。怖い、なんで真顔、でも顔だけ見たら可愛い、ただなに考えてるかわかんない、怖い。このまま見てたら絶対駄目だと思って目を泳がせて何とか逃げ切った挙句、刺さる視線もそのままにシャーペンの先を見つめて固まっていれば、音もなく伏見の手が伸びてきた。
「あ」
「……………」
するりと俺の手からシャーペンを抜いて、自分の顔の前に持って行く。ふらふらと揺らしたそれを目で追えば否が応でも視線がぶつかって、にやりと悪い顔で笑われる。きっともうあのシャーペンは二度と返してもらえない。さよなら、俺の百均シャーペン。
「おしまい」
「……明日、提出の」
「しゅーりょーう」
「はい……」
「片付けて」
「……………」
「早く」
「……後でまた」
「あ?」
「なんでもないです……今日はもうしません……」
「なにをしないの?」
「勉強です……」
「そう」
泣く泣く課題を鞄の中に片付けながら、今までの攻防が無かったことのように携帯弄ってる伏見を睨む。ほんとに邪魔したいだけなんだ、この野郎。一緒にどっか行きたいから勉強しないでって訴えるとかじゃなくて、俺のことほっといて勉強なんかしないでって嫉妬してるとかでもなくて、純粋に悪意のみで俺の邪魔をしたいだけ。これで俺から伏見に絡むとどうせぶち切れるんだ、別に構って欲しくて俺の気を引いたわけじゃないから。
「ふし」
「俺今日友達と晩飯食うから」
「……俺は?」
「知らねえよ、帰れば?」
「そ、っか。そうだね」
「勉強すんなよ」
「……………」
「今日は、家に帰っても、勉強しないって、さっき、言った」
「い、っ痛い!するなんて言ってないだろ!」
「顔に書いてあった」
言葉の句切れごとにぐいぐいと指で頬を刺されて、爪がすごい食い込んでる、地味に痛い。もう別のことに気が向いてる伏見に見えないようにあっかんべーすれば、さっき取られたシャーペンを眉間に刺された。やった、返ってきた、でも血が出た。

「っていうことが昨日あってね、課題が終わらなかったんだよね」
「そう」
「だから弁当」
「え、嫌だ」
「まだ何も言ってない!」
「ちょっとでいいから見せて、でしょ。嫌だ」
「写したりしないから、ちょっとやり方見るだけだから」
「有馬にも頼まれたけど断ったの、だから駄目」
「終わらなかったの伏見のせいなんだよ!俺可哀想なのに!」
「伏見も悪いけど、小野寺ほぼ毎回同じこと言って課題終わってないから」
「……そんなことない」
「今迷っただろ」
「毎回じゃない」
「はいはい。出してくる」
「出す前にちょっとだけ見せてったら!弁当!ねえ!」
「じゃあ伏見に責任とって教えてもらったらいいでしょ」
「そ、そんなの無理だよ、俺死んじゃうよ」
「これ研究室に持ってけばいいって言ってた?」
「弁当の意地悪!」


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