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おはなし



今日は二限始まりだから大分余裕あるし昼ご飯買ってから行こうかな、なんて思いながら一人で大学に向かう途中、少し先の曲がり角から伏見が出てくるのが見えた。あっちも俺に気がついたようで、足を止めて待ってくれている。小走り気味に近づけば、だるそうな目で見上げられて。
「おはよ、弁当」
「おはよう」
「今日夜雨降るんだって、傘忘れてきちゃった」
俺も折りたたみしか持ってない、と言葉を返そうとしてふと伏見が出てきた道を見ると、相手が誰なのかぎりぎり分かるくらいの間を空けた先に小野寺がいた。あれ、なんで一緒じゃないんだろう。気づかなかったのかな、と立ち止まって待とうとすれば、ぐいぐいと伏見に押されて思わず数歩進む。あっちも確実に俺達に気づいてるはずなのに特別来ようとする様子がない、一体どうしたんだ。普段だったら走って寄ってくるって言うか、それ以前に伏見が前を歩いてる時点で追いつこうとするだろ。
「なに、え、なんなの」
「待たなくていいの」
「なんで」
「……小野寺が、俺と一緒なんてやだって言ったから。先行かなきゃいけないの」
「はあ?」
いいから早く、と押されてじりじり進むものの、意味が分からない。なんだ、どうした、一体なにがあったんだ。意味が分からなくて少しずつしか進まない俺とそれを必死で押してる伏見とは違って、小野寺は止まっているわけではないので普通に距離が縮まっていく。どうしたんだと伏見と小野寺を見比べてきょろきょろしていると、珍しく機嫌の悪そうな仏頂面を浮かべた小野寺がぼそりと口を開いた。
「……おはよ」
「お、はよう……」
「先行くから」
「えっ?え、うん、はあ……」
伏見には目もくれず俺の横をすり抜けて前を歩いて行ってしまった小野寺を当分黙って見送って、それからいつの間にやらすっかり俺を押すのをやめた伏見を見下ろせば、何か言いたげにもごもごしていた。でも何も言わないということは、伏見に少なからず罪悪感があるんだろう。小野寺がああなるなんてなかなかないし。
時々、本当に稀に、伏見と小野寺は喧嘩する。伏見が一方的に切れて小野寺がおろおろするのは割とよくあることだから喧嘩とは言わない、一種恒例行事みたいなもんだと思う。でも、何がきっかけで原因なんだかは分からないけど、小野寺が伏見を徹底的に避けることが稀にあって。二人が喧嘩してる、っていうのは大概そのことを指す。反抗期、って有馬は言ってたっけ。とにかく、俺も有馬も何度か見たことがあるそれは、とても珍しい上にどう対処したらいいのか分からない。気づいたら元に戻ってるからほっとくことにしてるけど、長くなるとめんどくさいんだよな。
「……どうしたの」
「知らない、なんもない」
あ、嘘ついた。心当たりがありそうな伏見を引っ張るように足を進めれば、今日はもうサボろう、と最低な提案をされたので無視しておいた。少し前を歩く小野寺を追うように教室へと向かえば、いつも座る辺りに席を四人分取ってくれた。お礼を言って座ろうとすると、二人がほとんど同時に声を揃えて、弁当が間に入りなよ、と言うので仕方なく真ん中に座る。これがめんどくさいんだ、伏見から喧嘩ふっかける時と一番違うのがここ。
伏見が小野寺を避ける時は勝手にどっか行くし小野寺がいる時は俺にすら話しかけもしない、そもそもこっちに来ようとしない。でも小野寺が伏見を避ける時は何故かどこにも行かない、いつも通りに近くにいる癖に話さないしあからさまに無視するんだ。だからその弊害で、座る時やなんかは俺や有馬を間に挟んだり、伏見が俺達と話してるとなんとなくそれを打ち切ろうとしたりする。意図的に人を避けることが苦手な小野寺らしいけれど、巻き込まれる側にもなってくれ。こないだこうなった時のことを忘れたのか、三日続いた時点で有馬がげんなりしてぶち切れたじゃないか。
「なんなの……」
「なんもないってば」
「なんにもおかしくないよ」
「……………」
「……………」
ぴったり同じタイミングで被った二人が、俺を挟んで険悪な雰囲気を醸し出す。なんにもないんだってさ、と恐らく俺に向かって小声で吐き捨てた小野寺がぷいっとそっぽを向いてしまったので、またもごもごしている伏見も黙り込んだ。なんにもないわけないだろ、なんにもない振りをしたいならあまりに下手だから早く諦めた方がいい。小野寺はただでさえ普段から怒ることなんて滅多に無いし、基本的にはにこにこしてるから、仏頂面で黙られると怖いんだよ。
この感じからして、多分伏見が小野寺の琴線に何かしらのきっかけで触れたんだろう。早く有馬来てくれないかな、と助けを求める目を教室の扉に向けていると、チャイムとほぼ同時にふわふわと欠伸かましながらようやく入ってきた。地獄のような時間だった、もっと早く来れなかったのか、この馬鹿、遅刻魔。恨みがましい目で睨むと、まだ分かっていないのかきょとんとした顔で空いてた端っこに座ろうとして、伏見に退かされていた。
「おう、おっ、なんだよ、なに」
「俺端っこ」
「は?なんで、弁当の隣嫌なの?お前朝変なもんでも食ったの?」
「食ってない」
「いいから真ん中入れよっ」
「え、いいけどさあ……」
不思議そうな顔で伏見と交代して俺の隣に座った有馬が、小野寺におはようって挨拶する。それに対して、眉間にシワ寄せたままぼそぼそとおはようを返した小野寺を見て、もう一度伏見の方を振り返った有馬が、割とでかい声で言う。
「喧嘩すんなっつったろ!」
「してない」
「違う」
「してるじゃねえか!どう見ても!馬鹿でも分かるわ!」
「有馬、先生来たから」
「嫌だ!俺ここにいたくない!お前らどっかで話し合ってこい!いっそ殴り合え!」
「みんな見てるから、主にお前を」
「追い出される前に黙れば」
「俺出てってもいいよ、俺がいなかったら有馬だって怒らないでしょ」
そっぽを向いたままつっけんどんに吐き捨てた小野寺に、そうじゃねえだろうがよ、と有馬が頭を掻きむしっていた。喧嘩するのも怒るのも嫌いな有馬を間に挟む時点で間違ってる。なんだか知らねえけど多分九対一くらいでお前が悪いんだからとっとと謝れ、と伏見の頭を下げさせようとして殴られている有馬を止めながら、小野寺の方を窺う。俺には関係ありませんとばかりにしれっと素知らぬ顔をしているのがなんだかむかついて、ちょうど持っていたシャーペンで手の甲を刺してみた。
「あいって!」
「……どこ見てんの」
「どこって。別に」
「話し合いもできないわけ」
「あ?」
「喧嘩しようが何しようが勝手だけど、人に迷惑かけないでくれない」
「かけてねえじゃん。俺なんかお前にした?してねえだろ」
「あっこら!なに弁当まで参加してんだ!ちょっと楽しいのかと思っちゃうだろ!」
「参加してない」
「……有馬もさあ、正直そういうのうざったいっていうか。大きなお世話だし」
「大きなお世話あ!?誰と誰のせいで朝からこうなってると思ってんだ!」
「っる、せえな!離せよ、お前関係ねえのに首突っ込んでくんじゃねえよ馬鹿!」
「あー!伏見もそういうこと言うんだ!間に挟まれてるだけで関係なくて悪かったな!」
「だからうるせえっつってんだよ、ほっとけよ!」
「有馬、伏見の頭そのまま下げさせといて」
「はあ!?弁当までなんなの!?俺がなにしたって言うわけ!」
「自分がなにしたかも分かんないんだ、かわいそ」
「っんだとてめ、えっ」
「有馬くん、伏見くん、弁財天くん、小野寺くん」
頭を押さえていた有馬の手を振り切って、机の端から端まである距離を無理やり詰めて小野寺に手を伸ばした伏見を捕まえると同時、上から降ってきた声に顔を上げる。いつも困ったような笑顔を浮かべている教授が出席表片手に立っていて、そっと扉を指さされた。
「退場」

「……………」
「……………」
「……なんか喋れよ」
「……………」
退場、と言われたものの実際授業は受けさせてもらえた。険悪な二人に挟まれてその雰囲気に引きずられるように黙っている弁当をちょいちょいとつつく。あ、いや、違うな、こいつ別に引きずられてるわけじゃなかった。基本そんなにぺらぺら喋らないだけだった。さっきまで小野寺とつっけんどんに喧嘩腰だったのはどこに消えたのか普通にこっちを向いた弁当に、小声で話すのはあえてやめた。
「ん?」
「どうすんだよこれ」
「……もー、ほっとけば」
「ほっときたいんだけど出してもらえないんだよ、俺昼飯無い」
「伏見、どいて」
「や」
「小野寺」
「……どうぞ」
弁当の方を向きもせずに退いてくれた小野寺の横をすり抜ければ、それにまたむっとしたらしい弁当が俺は梃子でも動かねえぞと言いたげな顔で頬杖ついた。弁当は案外喧嘩っ早いというか、不満があると結構口に出すというか、表情に出て怒ったり不機嫌になったりしないだけだからな。嫌なもんは嫌だし面倒なもんは面倒だし、むかついてる時はまあ見ての通り、こうなる。
ここにいるだろ、と弁当に聞けばこくりと頷かれたので、財布と携帯だけ持って扉へ向かう。その途中、伏見が投げたらしい消しゴムがぽこんと頭に当たって振り返った。
「なんだよ」
「お茶買ってきて」
「やだ、自分で行け」
「……買って来い」
「命令形にしても行かねえからな」
そのまま無視して扉を出れば、しばらくして後ろからぱたぱたと走ってくる音がした。飲み物が欲しいっていうのも勿論あっただろうけど、あの場にはいられなかったんだな、とぼんやり思う。弁当がこの間に小野寺と喧嘩してなけりゃいいけど。多分平気だろう、むしろ原因を聞き出してくれるかもしれない。
「なに、どうしたの」
「……なにが」
「なにがもくそも、小野寺怒ってんじゃん」
「俺なんにもしてない」
「悪いと思ってるなら早く謝った方がいいぞー」
「悪くない」
「嘘こけクソチビ」
「ぶっ殺されたいの」
「いって!蹴んな馬鹿!」
適当な昼飯を買って教室へ戻る途中もずっと、俺悪くないもん、の繰り返しで話にならなかった。なにを聞いても返事がそれじゃどうしようもない。これまた長引くのかよ、めんどくせ。小野寺だって本気で延々怒ってるわけじゃないんだから、伏見が一言素直に謝って少し歩み寄れば速攻で解決する話なのに。
ぶすくれた顔で、俺歩かない、階段昇るのやだ、エレベーター、とぼそぼそ反抗してきた伏見を一人置いて行くわけにもいかないのでボタンを押してエレベーターを待つ。ゆっくり動く階数表示を見てる伏見を見下ろすと、気がつかれたらしく不愉快そうな顔で睨まれた。でもなんていうかやっぱり、覇気がない。クソチビ扱いして一発蹴られるだけだなんて異常だ、しかもその後俺こいつに向かって馬鹿って言ったのにそれについても全く触れてこないし。いつもだったら目線に篭ってるのは、殺すぞって感情だけじゃなくて、もっと凶悪な何かのはずだ。一思いに死ねると思うな、じわじわと嬲り殺しにしてくれるわ、まずは三親等からだ、って感じの塊が今日はシンプルに、殺すぞ!だけ。絶対喧嘩してるせいだろ、後々の爆発が怖いから下手に我慢するのやめてほしいんだけど。
「……謝っちゃえよ、それで終わりなんだから」
「俺なんにもしてないって言ってんだろクズ、脳みそねえのか」
「あっちが十割悪いならいいけど、ちょっとでも非があるなら良くないだろ」
「……ちょっとってどんくらい」
「それは知らねえよ、俺なんでお前ら喧嘩してるんだか知らないし」
「ふん」
「伏見に謝られたら小野寺も反省すると思うんだけどなあ」
「……なんで」
「うん?あれだよ、飴と鞭?ツンデレ?そういうやつ」
「ふざけんな、適当かよ」
「いいからちょっと謝ってみろって、どうせ伏見が悪いんだろ?」
「違う」
「じゃあ小野寺にはいいけどさ、弁当には謝っとけよ。迷惑被ってんだから」
「……………」
「お、なんだ、小野寺にも謝る気になってきたのか」
「なんねえよクソジャージ」
舌打ちと共に伏見が扉を開けて教室へと戻る。元々いた席に近づくと、弁当と笑ってる小野寺が見えた。なんだ、弁当なにしたんだ。俺達が出てく時までの仏頂面が夢だったみたいにへらへら笑いながら話している小野寺に目を向けて、弁当の方を見れば、得意気な顔をされた。いや、すごいけどさ。あの不機嫌そうなのをここまで普段通りに持ち込むためにお前は何をしたんだよ。
「おかえりー」
「お、う」
「早く食べちゃわないと時間なくなっちゃうね、三限移動教室だし」
「……弁当なにしたの」
「秘密」
ほっといたらいなくなりそうな伏見を半ば無理やり弁当の隣に座らせて出口を塞げば、すごく嫌そうな顔で蹴られたけど、そんなことしてないで早いとこ謝ればいいと思う。小野寺の方を一瞬見て、俺までぎりぎり聞こえるくらいの小声で弁当が言った。どうやら、なにがあったか弁当が上手く聞き出したことで、小野寺も多少すっきりして元に戻ったらしい。そうじゃなかったら弁当からこんなこと言うわけないし。
「……今回はほんとに俺からは謝らないし折れないから、って。小野寺が」
「ほら伏見」
「……だから、俺なんにもしてないんだもん……」
弁当と顔を見合わせて肩を竦める。伏見が折れるのが早いか、小野寺が諦めるのが早いか。いつも俺が気づかないうちに何らかのきっかけで仲直りしてるから、どっちが早いか分からないけど、今回もきっと俺の知らない間に解決するんだろう。
それまでぎすぎすしてるのが非常にめんどくさいので、後で小野寺に明日までになんとかしとけって言っとこう。喧嘩なんかするもんじゃないんだから。

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