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おはなし




「それ好き?」
「ん」
「これは?好き?」
「んん……」
好きじゃなさそうだぞ、おい伏見、押し付けんなよ。弁当に目で助けを求められて、伏見の手から箸をもぎ取れば、容赦無く腹パン一発食らった。あのな、だからお前、何も言わずに殴るのはやめろって何回言ったら分かるんだ。いくら殴られるのに慣れたとはいえ、痛いんだぞ。
もそもそとおかずつつきながらまるで作業のように中身の残った缶を空っぽに開けていく弁当に、伏見が纏わりついてはねえねえって話しかけて、早数十分。こいつ酔っ払うとめんどくさいから。べたべたされていい加減うざったいと思うんだけど、弁当はきちんと一回一回付き合ってやってて、えらい。俺いっつも、めんどくせえんだよもう酔うなようぜえから、って思うもん。いくら伏見が相手でも、俺だって嫌なことくらいあるんだ。
「伏見寝れば?」
「やだ触んな、弁当これおいしい?好き?」
「俺は好き」
「じゃあ開けよー、あけ、あれ、んー、やー、小野寺あ」
「指に力入ってねえじゃん……」
「ね、開けて」
弁当がせっかく片付けてる机の上を散らかすように、伏見がまた新しい缶を開けた。実際開けたのは俺なんだけど、伏見が開けた。人のことほんの五秒前に触んなって足蹴にしといて、よくもまあかわいこぶって頼むよな。誰がこんな傍若無人に育てたんだ。俺じゃないぞ、あんまり我儘言ったらちゃんとこらって叱るんだから。有馬とかは甘やかすなって言うけど、甘やかしたことなんてないし、ほんとないし。誰に言い訳してんだか分かんないけど変な汗出てきた。
上機嫌なのかふんふんと歌まで小声で口ずさんじゃいながらぐいぐい煽る姿に、これは明日が大変だな、とぼんやり思う。すると、寄りかかられながらもずっとちまちま飲んだり食ったりしてた弁当が、ようやく箸を置いた。弁当は元々量を食うわけでもないのに、そういえばこういう場ではずっと食ってる。つまみがないと嫌なんだよな、俺も食いながらがいい。有馬とか伏見とかはぱっかぱか飲むけど、あれは俺には真似できないや。
「ごちそうさまでした」
「ええー、これも!」
「もうお酒はいらない」
「弁当が好きって言うから開けたんでしょ、飲んで」
「いらないです」
「飲め」
「う……」
半ば強引に押し付けられた伏見の飲みかけの缶を傾けている弁当を満足気に伏見が撫でていた。よーしよしじゃないんだよ、かわいそうだよ。だってお前目が怖かったもん、断ったらどうなるか分かってんだろうなって目力で語ってた。あんなん断れねえよ、怖いし。
「お前は良い弁当だなあ」
「なにそれ。悪い弁当もあんの?」
「……勝手に人のこと増やさないでくれる」
「良い弁当にはこれもあげよお」
「だからもう酒は」
「あ?」
「……………」
「……俺がもらうよ……」
「小野寺は欲しがりだなあ、我儘クズ野郎。仕方ねえ奴」
背後に隠し持っていたのか、これもと取り出された缶ビールを伏見から受け取る。我儘は分かるよ、弁当にあげようとしたの横から取ったからだろ。でもその後の悪口って必要だったかな、この酔っ払い。弁当に申し訳なさそうな顔をされて、別にいいからと手を振る。強いからって伏見には飲まされるし、下手したら飲みかけを回されたりもするし、飲んで吐いて寝る有馬の世話もするし、お前いつも大変そうだもの。まあ有馬はとっくに寝てるけどさ。
弁当に寄っかかったままぐらぐらしてる伏見の体重に押されて、弁当の体がだんだん向こう側に傾いで行くので、伏見を引き取った。やだばかしねってぐずぐず言われたけど、あのままじゃ弁当お前ごとあっち側にごろんって倒れちゃうから。ていうか弁当も辛かったらもっと早く言ってくれてもいいのにな。我慢は体に良くないってよく言うし。寄っかかる対象は俺にずれたものの、まだ弁当の指で遊んでいる伏見に声をかけた。
「良い弁当はお酒もらってくれるの?」
「良いも悪いも、ここに一人しかいないって」
「伏見喋らせとけば寝るから、適当に合わせてやってよ」
「寝ねえぞ!なに言ってんだ馬鹿犬、庭で穴でも掘ってろ」
「庭ないよ、ここ」
「ねえ、良い弁当の話してよ。良い弁当はなに?捨て犬とか拾うの?」
「んん?ちがいます、ぶー、ばか。正解は、俺の言うことを聞く」
「あ、伏見にとって良いか悪いかなんだ……」
「悪い弁当ってなんか腐ってそうでやだね。悪くなっちゃった、みたいな」
「悪い弁当は、あー、んー、俺に痛いことする」
「こうか」
「はえ!?え!?」
伏見の頭を弁当が叩いた。前振りもなく、ぱかんって、急に。そんなに強い力でぶん殴られたわけじゃないけど、そりゃあびっくりもするだろう。俺なんか声も出なかった、伏見の声が裏返ったのだって責められたもんじゃない。目を丸くしている伏見に見上げられた弁当がぺこりと頭を下げて、言った。
「……どうも、悪い弁当です」
「あ、え、あ?はあ、はじめまして」
「はじめまして」
「いたあい!なんでぶつの!」
「悪いからです」
「わる、ふぎっ」
嘘だろ、弁当目据わってる。伏見のほっぺた引っ張って楽しそうににこにこしてる。伏見が言った悪い弁当になってくれたんだな、痛いことしてくれようとしてるんだな、ってのはすごくよく分かる。分かるんだけど、たてたてよこよこ、と頬を弄ばれてひんひん言い出した伏見がなんだか哀れだったので、自称悪い弁当さん、その辺で良い弁当にバトンタッチしてやれないですかね、と聞けばぱっと手を離した。おお、聞き分けがいいな。酔っ払いにもたくさんいるんだ。解放された伏見はよろよろと逃げるように俺に縋り付いてぶるぶるしてるので、余程びっくりしたんだと思う。
「いたいぃ……ほっぺもげた……」
「ついてるよ、大丈夫だよ。安心して」
「こんにちは伏見、良い弁当だよ」
「べ、弁当、さっき、今さっき悪い弁当がお前をのっとろうとしてた」
「なにそれ、怖い」
「気をつけてね、悪い弁当が狙ってるからね」
「うん」
さっきまでのちょっと悪いにやにや顔は何処かに隠したらしい弁当が、おろおろしてる伏見に頷いてる。いや、伏見があんなんなるのなかなかないから、面白かったけどさ。でもやっぱり怯えさせるのは可哀想だ、とぼんやり思いながら、俺から離れて弁当に擦り寄ってごろごろもにゃもにゃ言ってる伏見を眺めた。眠いんだろうな、このままほっといたら多分数分で寝る。弁当も普段なかなか酔っぱらったりしないけど、今日はいつの間にかたくさん飲んでたみたいだし、片付けくらい俺がするから一緒に寝てもらおうかな。
「伏見、寝るならちゃんと横にならないと」
「んー……」
「小野寺どこ行くの」
「弁当、伏見頼んでいい?俺片付けするね」
「うん」
ぽやぽやした顔で伏見と弁当が横になったのを見て、分かる範囲で片付けをしようと立ち上がった。ゴミの分別と食器洗いくらいならできる。明日の朝弁当だけ大変になっちゃうから、今のうちに出来るだけたくさん片付けておこう。音を立てないように食器類をシンクに運んで、缶をすすいで、なんてしていたら後ろから伏見のしくしくした声が聞こえてきた。
「どしたー」
「うええ、やだあ、どっか行ってよお」
「なんだよ、良い弁当だけしか好きじゃないのかよ、ひどい」
「なにしてんの……」
「弁当が、悪い弁当が、俺のことぶつ」
「悪くないもん」
「あー、んー、寝れば」
「寝ようとしたらぶつんだ、悪い弁当は嫌いって言ったら」
「また嫌いって言った!」
「いたーい!やだー!もうきらい!」
「こら!伏見のこと叩かない!」
「やらかい」
「叩かなけりゃいいってもんじゃねえぞ!」
どうやらさっきから伏見は太ももをひっぱたかれていたらしい。見てない間になにしてんだ。手を止めてふむふむとか言いながら太ももを撫でさすり始めた弁当をごろごろと向こう側に押して転がせば、弱った伏見が這うように寄ってきた。弁当相手だと抵抗しないんだな、こいつ。突き飛ばしたりぶん殴ったりして逃げててもおかしくないのに。構ってもらいたがりだから友達思いの弁当も絡むし、まあ今回は珍しく伏見が一方的に可哀想だけど、駄目な方向に歯車が噛み合っちゃった感じだ。
「伏見をお願いしたでしょ?なんでぶつの」
「悪い弁当は嫌いだって言うから」
「さっき良い弁当にバトンタッチしたじゃん、そのままでいてよ」
「だって俺一人だし……」
ごもっともだった。良いも悪いもそもそも一人しかいないし、と若干困った顔で言われて、そりゃそうだと頷くしかなかった。足元で蹲ってもう誰も信じないと言わんばかりに丸くなってる伏見を慰めようと膝をつけば、弁当がずるずると詰め寄ってきた。酒が回ってるからかいつもよりも表情が分かりやすい、ちょっと拗ねてる。弁当のずるずるに合わせて、まだびびってるのか俺に乗り上げるように逃げる伏見が弁当に捕まった。もういいや、大変なことになるまで好きなようにやらせよう。
「ひええ」
「伏見は俺が嫌いなの」
「だって、俺痛いのやだもん、だからぶたれるのも好きじゃないもん」
「俺は?ねえ、痛いのしないから」
「んん。嫌いじゃない、けど」
「じゃあぶっていい?」
「え、やだ……」
「でも俺のこと嫌いじゃないんでしょ、俺がどうしても伏見にいじわるしたいって言ったらどうするの。その時もいやだって言って、お願い聞いてくれないんだ。すごい痛いことなんかしないのに、ほんのちょっとだけぺちんってするだけなのに」
「あえ、う、え、え……?」
「弁当もうやめて!伏見を洗脳しないで!」
だってもう既にこっちを見上げた目がぐるぐるしてる。今にも、そうか分かった!ほら俺のこと叩いて!とでも言い出しそうだった。そうなったらどうしてくれるんだよ、流石に対処に困るよ。抵抗しないっていうか受け入れちゃうんだから、下手なこと吹き込まないでよ。
「お、おのでら、俺」
「寝ようか。ね、ちょっと飲みすぎちゃったね」
「小野寺も伏見のこといじめたいって思ってるよ」
「弁当は有馬のあっちで寝てねー、伏見はここです、はい散ってくださーい」
「え、でも、小野寺は俺のいやなことはしない……」
「したいと思ってるんだよ、とんだ狼だよ」
「なにまた仲良く喋ってんだ、寝ろよ」
「さっき俺のこと止めたのだって羨ましかったんだよ」
「ええ……ど、どうしよ……」
「ちょっとだけなら我慢したら、わぶっ」
「お前の場所はあっちだー!」
弁当を持ち上げて投げるように有馬の向こう側に落とせば、静かになった。代わりに有馬がむくりと体を起こしたけれど、それをどうにかしろと手で伝えれば、自分の横を見て、机の上を見て、またもそもそと横になってくれた。もういい、手伝ってくれなくていいから寝てくれ。
「あんまり痛くなくならぶってもいいよ、はい」
「寝て、お願いだから」
「ねむくない、寝ない」
「じゃあ静かにしてて」
「あのねえ、こないだ小野寺の兄ちゃんがお前の部屋に勝手に入った時にねえ」
「伏見」
「俺お前の部屋で寝てたの、そしたらいつの間にかいて、クローゼットの中の」
「伏見、おい、聞いてんのか」
「なんだよお」
「静かにしててって」
「やーだ、あっ、ねえ、俺もお皿洗ってあげる」
「余計な面倒ごと増やさないでください」
「じゃあなにしたらいいの?」
「なにもしないでいいです、こら、立つな、こっちに来るな」
「嬉しいくせにい」

「お前ら昨日なにしてたの」
「なにって、別になんにも」
「特に覚えてないよね」
「……俺帰って寝たい……」
「なんか頭痛いや」
「俺なんかほっぺ痛いんだけど」
「小野寺顔青くね」
「は?なんで?」
「休めば?」
「……小野寺すげえ顔したけどお前らなんかしたんじゃないの」
「したっけ」
「分かんない」


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