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おはなし



 別に理由とかはなくて、だから何でこんなことするんだと聞かれても答えられなくて、何となくで毎回はぐらかすより他の方法を上手く思いつかなくて、いつもこのパターンに落ち着くだけ。歩くのだるいから迎えに来いとだけ書かれた突然のメールにも、あいつはもうそろそろ慣れたはずだ。けれど、俺が小野寺を呼びつける時は自分の家よりも小野寺の家に近い場所を指定しているということや、実際のところ毎回一切酔いなんて回っていなくて全部ふりだということや、小野寺が忙しそうにしている時に限ってそういうことをしたくなるし我慢も出来ないで、俺が邪な感情を詰め込みながら携帯を弄っていることは、あいつは知らないのだ。
 小野寺の家の近くのバス停のベンチに一人で腰掛けて足をぶらつかせた。もうバスなんて来やしない上に人通りもない。日付が変わる直前の時刻だ、当たり前なのだけれど。実際は友達と飯食って普通に別れただけのくせに、迎えに来て、なんて短い文章に店で撮ったそれっぽい写真を添付すれば、五分も待たない内に、どこにいるの、と返事が返ってくる。それが十分ちょっと前の事だから、もうそろそろそこの角を曲がってきてもおかしくない。
俺なんかに何年も振り回されて、挙句の果てには好きだとか言っちゃって、ほんとあいつ可哀想。それは恋愛感情じゃないってあれだけ教えて刷り込んでやったのに、はなから聞きやがらないし、そのせいで俺だって離れがたくなって、いつの間にか依存して、その間にあの馬鹿犬は一丁前に嫉妬やら独占欲やらを覚えて、これじゃただの泥沼だ。どっちも抜け出せない、抜け出す気もない。こんな面倒な奴他にいないと自分でも思うんだから、あいつの負担は計り知れないし、それでも楽しい、なんて口先でいくらでも吐ける嘘は全く信じられない。
 あいつの馬鹿正直なところとか、底抜けに優しすぎるところとかにどっぷり浸かって、何も考えないでいる時間は確かに一番楽だ。小野寺は俺を必要としてくれる、それに酷く縋ってしまう。あいつに対して吐き続けた言葉が、俺の中で嘘と本当との境を漂っているから、ずっとそのままではいられないだけで。
 この感情は恋とか愛とは違う。あの日からあいつに言い続けたその言葉に、俺だけが囚われている。いっそああやって馬鹿になれたら、自分の言ったことくらい簡単に忘れられるのに。
「伏見?」
「……うん」
 顔を上げれば、走ったのか若干肩を揺らしている小野寺が目に入る。暗い道の中、目の前に立ち塞がっているから、恐らく俺の顔は見えていない。軽く目を細めて、歩けねえの、と聞きながら隣に腰掛ける体をほんの少し避けながら、一息吐く。
 俺は酔っ払って歩くのがめんどくさくなったからこいつを呼びつけたんだ、余計な言葉は必要ない。適当にふざけて、理性が緩くなったふりして、明日になったら何が何だかよく覚えてないとでも言い切れたら上等。忙しいから構えないと言い切られた一週間前から積もった鬱憤を、思う存分晴らせばいい。欠乏症状としての八つ当たりだ、許されるだろう。
 高い位置にある肩に無理やり頭を乗せて、結局ずり落ちながら口の中で笑い声を殺す。妙に響いたそれにこっちを向いて俺の頬を引っ張った小野寺が、仏頂面で言う。
「どこ行ってたんだよ」
「飯食ってたの」
「誰と?俺の知ってる人?」
「知らない人。綾乃ちゃんとー、穂乃香ちゃんと」
「もう行かない?」
「どうしよっかなあ」
 指折り数えながらくつくつと喉奥で笑う俺を見て、もう一度頬を抓った小野寺の表情が通り過ぎた車の光に照らし出される。気に入らないです、と思いっきり書いてある顔に、嘘だよとにやつきながら零せば、そっぽを向かれてしまった。
 頬に添えられた小野寺の手を取って自分の膝上に置き、指を弄って遊ぶ。迎えに来てくれたんじゃないの、と聞けば、歩けないから連絡したんじゃないの、と返ってきた。
「寒い、帰る」
「だからさあ」
「何のためにお前呼んだと思ってんの」
「……俺、明日まで忙しいって言ったよな」
「うん」
「こっからお前の家まで、流石に背負っては帰れないよ」
「小野寺んちでいいじゃん」
「よくない」
「いいの」
「伏見」
 名前を呼ぶ声に、手の動きを止める。こいつが俺のしたいことに対して駄目だなんて言わないことは知ってる、今のはこっちが折れることを期待した呼びかけだ。正直な話、本気で帰ろうとしたらタクシーでも何でも拾えばいいし、何より俺は酔ってなんかないわけで、一人で歩けば流石に朝になるまでには家に着くはずだ。確かに、背負って歩く距離ではないけれど。
 答えないまま黙って小野寺の人差し指を握っていると、様子をうかがっていたらしい隣から深いため息が漏れた。離してほしいと言わんばかりに逃げる指に力を込めれば、痛かったのかくぐもった声を上げて抵抗が弱くなった。
「折っていい?」
「やだよ、痛いし」
「どうしてもって言ったら、いい?」
「まあ、そこまで言われたらなあ……」
 仕方ないかなあ、と背もたれに首を預けて仰け反った小野寺の人差し指から、手を放す。別に了承してほしくて言ったわけじゃないし、仕方ないで済ませるのはむしろ異常だ。どこまで我儘を受け入れれば気が済むんだか、甘いとか優しいとかそんなレベルはとうに越している。
 俺の首筋を緩く撫でて、もうそんなに熱くない、と零した小野寺が立ち上がり、手を引く。そろそろ歩けるだろうと促されて、椅子から立ち上がるのを拒否した。さっきも言っただろ、何のためにお前を呼んだと思っているんだ。
「歩けないとは言わせねえぞ」
「おのでらー」
「駄目」
 寒気がするほど猫を被った声色のまま、小野寺の服の裾を引く。あからさまに嫌そうな顔を浮かべながらも、しばらく粘れば必ず俺の前に膝をついてくれることは知っているし、そういうところが大嫌いだ。普段は思い通りになんてならない癖に、こんな時だけ。
 我儘を叱ってほしいのかと言われたら、それも違う。逆にここで小野寺が一人で歩いて行ってしまったりしたら、やっぱり俺は不平を漏らして管を巻くのだろう。何をしてほしいのか、何が正解なのかなんて、とっくの昔に自分でも分からなくなってしまっている。何をされようが小野寺本人が決めたことなら、俺は行為に対して何かしらの文句をつけて、最後には仕方ないと諦めたふりをしながら、その実絶対服従以外の選択肢を全て切り捨てている。
手放しに甘えられるほど素直な性格をしていたらこんな厄介なことにはなっていないし、そんな光景は想像すら難しい。定期的に繰り返されるこの呼び出しの意味も、相手の中での自分の優先順位を確認したいだけだ。好きだから、付き合ってるから、独り占めしたいから、寂しかったから。その類の言葉は、俺の中では理由にすることが出来ない。自分の手によって、出来なくしている。
「ちゃんと掴まったかー」
「んー」
「変なことすんなよ、落とすから」
「外だし、お前じゃないし」
 伏見を後ろに回すと何してるか見えねえから嫌だの何だのとぶつぶつ零しながら、前のめり気味に立ち上がる。体重を思いっきりかけてもこいつはびくともしやがらないので、首に緩く回していた腕に少しづつ力を入れていく。中途半端に絞まったところで、そのくらいしっかり掴まってくれたら落とす心配が無くていいと真面目な口調で言われたので、力を緩めた。
「……………」
「ふし、みぃっ!?」
別に掴まりたかったわけじゃないと言い返すのも癪だったので、目の前にある穴だらけの耳に舌を這わせる。すると、もう首なんて絞めていないのに噎せ込んで足を止めたので、面白くなってもう一度。調子に乗って回数を増していくと、支えていた手が何も言わずに離れ、突然の浮遊感に慌てて首筋に縋り付いた。言いたくはないけど身長だって差がついてる、落とされたところで怪我はしないだろうが、わざわざ痛い思いはしたくない。
「……そこまですんなら歩けよ」
「最後まで責任もって運べよ、危ないな」
「変なことしたら落とすつったろ」
「美味しそうだったんですー」
「酔っ払いめ……」
 忌々しげな声と共に、さっきまでより不安定な体勢で小野寺が走りだす。一応慰め程度に手は回されているものの、今にも外れそうで冷や冷やさせられる。足まで使って落ちまいとしてるこっちの気なんか知らずに、ばたばたと小走りで暗い道を駆け抜けていく小野寺が、大きめの通りから細道に逸れながら目線だけ俺に寄越して声を掛ける。何度もこいつの家には行ったことがあるけれど、こんな道今まで通ったことがない。人一人ぎりぎり通れるかどうかの細い道だ、足でも引っ掛けかねないと申し訳程度に身を縮めた。
「ちょっとは反省した?」
「なに、ていうか、この馬鹿、落ちる」
「頭すっきりしただろ」
「うあ、あいたっ」
 ごつん、と鈍い音がして、小野寺の後頭部と俺の額が衝突する。やったのは小野寺なんだけど、あまりに急だったので首に回してしがみついていた手を思わずそのまま額に当てると、苦しいと不平が飛んできた。仕方ないだろう、自業自得だ。
 こいつの言う反省が何に対するものなのかは大抵予想が付くし、そんな感情があったら毎回こんなことしないでも済む。痛みに目を眩ませている間にいつの間にか見たことのある道に出て、最近あの道通れるようになったんだと説明する言葉を遮って口を開いた。
「降ろして」
「え?歩くの?珍しっ」
「いいから離せよ、今日の小野寺なんか意地悪だ」
「仏の顔だって三度までなんだから、俺だってそろそろ怒るよ」
 ずるずると地面に足を着けながら聞こえた言葉に、無意識でびくりと腕が反応する。離しかけていた腕を引き止めるように強張らせてしまった、こんな様子見せて変に突っ込まれたこと聞かれても困る。首に回していたそれに気づかないほど小野寺も鈍感ではないので、嘘だよ、なんて笑われて頭を撫でられる。一瞬の心配とは裏腹な、子どもを扱うような態度がどうしても気に入らなくて、手を払いのけて踵を返した。
 仕返しをしてやろうと振り返り、何をしたいか聞かれる前に襟首を掴んで引き寄せると、外だから、と端的な理由を冷静に吐かれて、両頬を挟まれる。まあ予想されているだろうとは思っていたし、これではどれだけ引っ張ったところで小野寺は今以上こっちに寄ってこない。
「ちゅーしてやるって」
「反省なら後でしっかり聞いてやるから、家入ってから」
「反省じゃなくて、お礼」
「ありがとう、よりも、もうしません、が聞きてえんだけど」
「忙しいのに、しっかり聞いてくれんの?俺どのくらい喋ったらいい?」
「喋んなくていい」
「喋らせてやらない、の間違いじゃねえの、それ」
「うーるーさーい」
 両手で挟まれていた頬を左右に引っ張られ、弾くように離される。額に頬に、散々だ。ぐずぐずと不平を小声で零しながら、小野寺に手を引かれて歩く。
 まあ、結果的には、最善だ。こうやって嘘を吐きながらこいつとは過ごしてきたのだから、当然だけど。これでこいつの時間を刈り取って、自分の安心に充てて、明日からも笑ったふりをしながら生きていくことが出来る。俺以外を見ていない小野寺に優越感と独占欲を満たされて、本当に一番根っこの感情は隠して。背中を向けられているのを良いことに、目を細めた。
 願えるならどうか、こいつが一生俺の本当に気が付かないままで、過ごしていけますよう。



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