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おはなし




「……ふ、しみ?」
 真っ黒の髪、無愛想に引き結ばれた口元、寄せられた眉根とつまらなさそうな目。それはどこからどうみても、俺の目の前に立った時の伏見だった。他の奴がいる時には死んでも見せない表情は見ていて何となく優越感を煽るそれで、確かにそのはずなんだけど、今目の前にいるこれは俺の知っている伏見ではない。確実に違う。
 まず、なんというか、ちっちゃい。小さいのは元々なんだけど、これは度を越しているというか、十センチあるかないか程度の大きさしかない。胡坐をかいているので正確な大きさは分からないけれど、とにかく小さすぎる。伏見かどうか以前に、人間ですらなさそうだ。
 あと、頭の上になんか生えてる。葉っぱ的な何かが生えてる。ふよふよ揺れるそれをとりあえず突いてみると、ふしふし鳴いて威嚇してきた。これは触ってはいけないものらしい。
「あ、ごめ、ごめんな」
 振り返ってようやく俺の存在を知ったらしい伏見、に見える何かは、憮然とした表情で俺の事を見上げ、立ち上がった。なんか、ちょっと昔のゲームに出てくる、あれに似てる。
 どう呼んでいいかも分からないので、とりあえず思い浮かんだままに、ふしみん、とだけ呼べば、かくりと首を傾げて辺りを見回した。お前だよ、お前以外に何がいるんだよ。どうもこいつは喋らないらしく、さっきの威嚇はやっぱり鳴き声のようだった。
 こっちおいで、と声を掛けると案外単純に、特に嫌がりもせずに歩いてくる。みっみっと音を立てながら俺の目の前まで来て首を真上に向けて見上げる様子に、小動物的な何かを感じて指で頭をがしがしと撫でた。
「うはは、かわいい、ふしみん」
「ふし、っふし」
 じたばたと抵抗する様子に、痛かったのかなと手を離せば、ふらふらと数歩後ずさって、力が抜けたようにしりもちをつく。小さいから加減を間違えたら大惨事だ、とようやく思い至って、大丈夫かと目線を下げて問い掛ければ、俯いていたふしみんが顔を上げて。
「ふしー……」
「えっ」
 ぼろぼろと泣き始めてしまったふしみんに、なにかないかと辺りを見回す。餌とかなんかそういう、泣き止みそうなもの。どうしようかと狼狽えつつ、鳴き声を上げながら涙を零して震える背中を指で撫でると、泣いていたふしみんがぱっと顔を上げ、横を向いて。
 どこからともなく現れて走り寄ってきたもう一匹が、タイミングばっちりに首を竦めたふしみんの上を通り越して俺の指に噛みついた。
「い……っ!?」
 がぶりと噛みつかれた指を咄嗟に引きながら顔を上げれば、さっきまで泣いていたふしみんはけろっとした顔でいつの間にか現れた別のふしみんに俺を指差しながらふしふし鳴いて指示してるし、そこらじゅうの物陰からふしみんが湧いてきてるし、指に噛みついてるやつは全然取れないし、なんだこれ。
 わらわら集ってくるふしみんから何とか後ずさって逃げながら、指に引っ付いたやつを引き剥がす。けれど如何せん小さいから力の調整が難しくて、取り合えず葉っぱの部分を持って引っ張ると、ぐすりと涙を目に貯め始めたので指を離した。恐らくふしみんは泣かせてはいけないのだ、しかもこいつら泣き真似が上手すぎる。
「ちょ、ちょっと待って、待ってふしみん」
 足元に目線を落とせば、もぞもぞとズボンを登ってきているふしみんが三匹ぐらい見えて、顔を引きつらせる。一番最初に胡坐かいてたふしみんの周りからぴょんぴょん飛んできては服とかに引っ付くやつらを払い落とすわけにも行かず、どうやって登ったんだか頭の上で思いっきりジャンプしては頭皮を痛めつけてくるやつに手を伸ばせば噛みつかれて。
 けらけら笑ってる元凶に人差し指を伸ばして弾くと、上手く衝撃を殺してころころと転がった挙句、にたりと嫌な笑顔を浮かべた後に、顔を覆ってまた泣く体勢に入って。
「わああっ」
「う、わっ」
 自分の上げた声と、目を開けて夢から覚めた反動と、隣で目を丸くしている伏見に、三重で驚く。どうかしたのかとどこかから問い掛けられる声に、小野寺がなんか急に、でも大丈夫です、と伏見が答える様子を見て、現状を把握する。
 窓の外を流れているのは知らない景色で、目の前にあるのは前の座席の背もたれで、ここは合宿帰りのバスの中だ。隣に座っているのは伏見で、周りに人がいるからかうるせえとも言わずに心配そうな表情で俺の顔を覗き込んでいる。声を掛けてくれたのは倉科先輩で、通路を挟んで反対側では俺の大声で目を覚ましたらしい西前が桐沢に向かって怒っている。ゲーム片手の桐沢からしたらとんだとばっちりだ、申し訳ない。
「小野寺どうした、の……?」
「……生えてない……」
「あ?」
 一瞬素に戻りかけた伏見に、何でもないと言い訳しながら、それでも頭を撫でる手は止まらなかった。葉っぱの有無を確認している俺の方を向くと他の奴らに背を向けることが出来るので、大丈夫なの?と口で聞きながらも目が心配なんて一切していない。うぜえから手を退けろ今すぐにだ、と思いっきり顔に出されて頷きながら手を引く。うっかり、噛まないでください、と小声で零せば、タイミングよくお菓子片手に前の席から身を乗り出してきた倉科先輩と水無瀬先輩が変な顔をしていた。
「小野寺猫でも飼ってんの?はいこれ」
「あ、いえ、ふしみんが」
「は?伏見が噛むの?」
「噛みませんよ」
「伏見よく見ると猫みたいな顔だもんな」
「うさぎだろ、あのあれ、最近よく出るアイドルに似てねえ?」
「カンナちゃん!カンナちゃんの話っすか!?」
「六島うるっせえ!ドルオタは黙ってろ!」
 これっすよこれえ!と言いながら後ろの方で最近よく聞く流行らしい曲を流す六島にみんなが気を取られている隙に最後の確認をしておこうと伏見の後頭部に目を向けると、一瞬こっちを見てから席を立ち、六島の方へ歩いて行ってしまった。
「ろくしまー、こっち座ってもいい?」
「いいけど、せめえよ」
「平気、ていうか俺この子に似てるの?初めて言われたよ」
「に……似て、あっ体隠したら似てる……!?」
「ほんと?」
 そうかな、と笑う伏見の事をぼうっと眺めて、やっぱりあの葉っぱは成長するんだろうか、本当に生えてきたら俺はどうしたら良いんだろうか、水でもあげるべきなのか、と考えていると水無瀬先輩が持っていたお菓子の箱で俺の事を殴り、見すぎだよ、と一言言った。
「……そんなに見てました?」
「倉科なんて気持ち悪ぃって引っ込んだぞ」
「えっ」
「なに?カンナちゃんみたいな子がタイプなの?」
「んー……そういうわけじゃねえと思いますけど」
「小野寺と水無瀬が話してんのを伏見はすげえ見てるよ」
 こっちを向かずに、後ろの座席から見えない角度でミラーを指差した倉科先輩につられてそっちを見れば、伏見はもう六島の方を向いてしまっていて、残念でした、と先輩が呟く。
 まあ、葉っぱが生えていない内は増えることも泣くことも無いんだから、と無理やり安心して先輩が振るお菓子に手を伸ばした。



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