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おはなし



うちの子どもの話。寝てる時に鼻からぴーぴー音がしてる時があるんだけど、起きると治るの。鼻詰まってるならかめよって航介は言うんだけど、多分あれ詰まってないんだよ。毎回言われた通りにふんふん下手くそに鼻かんでるんだけど、乾ききってるもん。ほんと不思議、わけわかんない。
「さくちゃん、さくちゃんっ」
「どした」
「みて、ぼくつくったの。すごい、かっこいいでしょ」
「おー、すごいなあ。動くの?」
「とぶ!」
ブロックで作ったでかいロボットみたいなの、誇らし気に持ってきては俺に見せてくれる。両手でぎゅいんぎゅいんって飛ばせてすげえ楽しそうなんだけど、しばらくすると自分で墜落させて大笑いする。最初はものすごくびっくりしたし、壊しちゃったらもう遊べないんだぞって言ったし、一緒に作り直したりもしたけど、航介に聞くところによれば毎回最後はぶっ壊してきゃっきゃするらしいので、これがこいつの中の正しい遊び方のようだ。これもすごい不思議、おっきくなったらやらなくなんのかな。
「さくちゃんなんのごほんよんでるの?」
「お仕事で使うんだよ」
「ぼくもよむ」
「いいけど、難しいからわかんないと思うよ」
「わかるもん。こないだ、かすみせんせいといっしょにごほんよんだもん」
「何の本だった?」
「ん?んー、わすれちゃった」
忘れちゃったのかよ、意味ないじゃん。よじよじと人の膝の上に登ってくるので、抱き上げて座らせる。ふむふむなるほど、といった体で俺の持ってる本を覗き込むので、なにが書いてありますかね、と聞けばちっちゃい指を本に伸ばした。
「りんご」
「うん」
「てれび」
「惜しい、パソコン」
「ぱそこん!」
「うちにあるのとは違うけどね」
「さくちゃん、これは?」
「あー、なんだろうなあ。なんていうか、電波?」
「でんぱ?」
見ていたのはパソコンの簡単な使い方みたいな本だったので、りんごっていうのはまあロゴのことなんだけど。機械音痴の上司のために分かりやすく線を引いていたところを指差した子どもが、これぼくもする、と言うので蛍光ペンを持たせてみた。一緒にやればいいだろう、ちょっとくらい曲がっても。
「ゆっくりでいいよ。ほれ、ういーん」
「うにー」
「うまいうまい」
「んふふー、かたじけない」
「なんだそれ」
どこで覚えてきたんだろうって言葉も時々言う。それも割と不思議、保育園でも流石にかたじけないは使わないだろ。
一緒にペンを握って線を引いていれば、途中で飽きてきたのか手を離してびよんびよんと暴れ出したので床に下ろした。だって邪魔くさいんだもん、大人しく座っててよ。うえええなんでえええとじたばた駄々を捏ねてうるさいので、ちゃんと座ってるならいいよ、ともう一度抱き上げれば満足そうな顔をしていた。これすごい不思議、感情動きすぎじゃねって思う。なんで暴れた直後に楽しそうだったり、泣きながら遊んでたり、怒り狂いながら航介に大人しく抱っこされてたりすんだよ。
「座ってられる?」
「さくちゃんのめーがねー」
「ちょっと。俺の話聞いてよ」
「なあに?」
「さくちゃんはお仕事してるの、ご本に線引かなきゃいけないの」
「おしごとなのにおうちにいるの?ねくたいしない?」
「しないんだなー、これが」
「こーひーいれてやるろ」
「なにそれ、航介の真似?」
「んひひ」
舌回ってないし、でもなんか分かっちゃったし。よく見てるんだよな、こっちのこと。真似っこしたら航介がこらって言うってことも覚えてるから、ちょっと悪いことしてる時の顔。つられて笑えばまたびよんびよんし始めたので、あれあれおかしいぞ、とそっぽを向けば慌てて背筋を伸ばしていた。いいよ今のは、楽しかったんでしょ。
「こーちゃんおそいねえ」
「もう帰ってくるよ」
「いくつかぞえる?」
「いくつまで数えれるっけ」
「いち、にい、さんまのしーたけ」
「なにそれ、すげえ!」
「ご、ろく」
あ、そこからは普通なんだ。ちょっとテンション上がったのに。数え始めた子どもを抱きかかえながら、本に線を引く。しち、はち、きゅう、ない、なくなった!ってびっくりした顔でこっちを振り向く。ないってなんだよ、どの数のことだ。指折って数えたらなくなるからだろうか、不思議。
「きょうのよるごはん、さちえもいっしょ?」
「さちえ来るよ、今日オムライスにするって」
「とらさんかいて、さくちゃ、とらさん」
「なんでそんな難しいの……」
「だっていっつもへびさんなんだもん、やだあ」
だってへびさん楽なんだもん、にょろにょろしたらいいだけだから。とらさんってどんなだっけ、と空いてるとこにうっかり落書きしてしまって、やべ、これ上司のやつなんだった。さくちゃんへたっぴだ、と子どもに言われて、じゃあ書いてみろさとペンを渡す。危うくまた空きスペースに書かれてしまうところだったのでいらない広告を渡して、一安心。同じこと二回するとこだった、危ねえ。
俺から見たら何が何だかだけどとりあえずとらさんらしい何かをぐりぐりと紙に書いていた手がぴたりと止まって、ふんふんと満足げな息。出来たんだな、前よりうまくなったじゃん。
「とらさんは、バターになりました」
「ああ、ちびくろさんぼ?知ってるんだ」
「せんせえがおはなししてくれたの、ぐるぐるしてたらバターになるの」
「ぐるぐるしてみ、バターになるかもよ」
「やー」
ぎゅう、とこっちに引っ付いてきた頭をわしわし撫でれば、鍵が開く音がした。それと同時に、航介のただいまって声。
「こーちゃんだ!こーちゃん!おかえりこーちゃっ」
「おう、なに、元気だな。遊んでもらえた?」
「バターになった!」
「は?」
ただいまと同時に俺から飛び降りて航介の方に走って行くのも不思議。俺と今の今まで話してたでしょうが、浮気なんてひどいわ、とか思う。
足元ちょろちょろ纏わり付かれながら、もうすぐさちえさん来るって言ってた、とこっちに来た航介に恨みがましい目を向ければ、不可解そうな顔をされた。こーちゃんこーちゃんとうるさい子どもを抱っこして、航介に見せると、はあ、なんて言いながら受け取ろうとするので、そうじゃねえよ。
「俺の子だぞっ」
「……俺の子でもあるよ」
「たかいたかいするの?さくちゃん、ぼくたかいたかいすき!」
「うらあ!たかいたかーい!」
「ふぎゃああああ!こわいいいい」
持ち上げていただけの子どもを更に上げて振り回したら、泣かれた。なんでだよ、言われた通りにたかいたかいしたじゃん。ひんひん言いながら俺から降りて航介の足元に縋り付いた子どもが、抱き上げられてちょっと落ち着いたのかぐじぐじとしゃくりあげる。しかも俺今の一瞬ですっごい疲れたし、航介めっちゃ睨んでくるし、子ども大泣きだし、いいこと一個もなかった。もう二度とやらない。
「うええええ、ごーぢゃ、ええええ」
「……加減を考えろよ……」
「だってしてって言ったじゃん」
「たかいたかいはぶん回すもんじゃねえだろ」
「ちょっとスリルがあったくらいの方が燃える」
「お前はそうかもしんねえけど」
「分かったよお。ごめんね。さくちゃんがやりすぎた」
「んん……」
ぐしぐしと目を擦って、こっちに手を伸ばしてくる子どもを航介から受け取る。耳元でぼそぼそと呟かれた言葉に、つい笑ってしまった。
「……ちゃんと、とらさんかいてくれる?」
「書く書く、すげえ上手く書く」
「なにが?」
「二人だけの秘密だよ、なー」
「さくちゃんがとらさんかいてくれるの、ぼくのおむらいす」
「言うのかよ」
「こーちゃんもいれてあげるの」
ふにゃふにゃ笑った顔が航介に似てて、そっかあとか言いながら本人も笑ったから、同じ顔が二つ。なんていうか、胸の奥がむずむずする感じがした。


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