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おはなし



かちりかちりと時計の針が進んでいく毎に、さよならの時間が近づいてくる。寒そうに手袋をつけたまま指先を擦り合わせながら時計にちらりと目をやって、それじゃあもう行かなくちゃ、と一歩を踏み出す。俺にはそれを止めることは出来なくて、うん、なんて弱々しい返事しか出来なくて。大きい鞄を重そうに持ち上げて、いつもよりゆっくり前へ進んでいく。無言の俺を訝しんだのか一瞬足を止めてこっちを向いたのが視界の端に映ったけれど、アナウンスに背中を押されるようにまた足を早めて歩みを進める。荷物持とうか、とかそんな気遣いをする余裕もなくとぼとぼ追いかける俺の方を振り向きもせず車内に乗り込んだ靴の爪先が反対を向いて、目が合った。扉が閉まるまであと少しある、なにか言わなきゃ、なんでもいいからなにか、なんて思っているうちに、時間が来た。
鳴り響くベルに、口を開いた瞬間聞こえた言葉は、いってきます。閉まった扉に手を振ることもできずに、遠ざかる電車を目で追った。こんなのテレビで見たことあるや、シンデレラ・エクスプレス。

「うえええ……」
「うっざい、すぐ帰ってくるんだからぐずぐずしないでよ、うざい」
「だって、だってやっぱり実家のが居心地いいしって帰ってこなかったら、もし」
「お前がうるさくてうざいから戻ってこねえかもしれないけどな」
「夏も楽しそうだったもん、しばらくずっと実家の話ばっかだったもんあいつ」
「うるせえな!こんな年の瀬に呼び出しといて何かと思えばそればっか!」
伏見の言葉はごもっともだ。今日は十二月三十日で、時刻は午前十時半で、クリスマスの盛り上がりも冷め切って新年を迎える準備にあちらこちらが大慌ての、そんな時期だ。俺夜勤だったから寝るけど起こしたら殺す、と伊達眼鏡を俺に投げた伏見が机に突っ伏して動かなくなった。相当疲れてたんだろう、この時期なんてバイト出てくれる人も少ないだろうし。昨日うち出た時に終わる時間言われたから朝迎えに行ったんだけど、顔死んでたもんな。これを隠すための帽子と眼鏡だったのか、と妙に納得したのをよく覚えてる。ていうか俺も夕方からバイト先行かなくちゃなんだけどな、大掃除の手伝いで。伏見うちに連れて帰って風呂入れてベッドに押し込みたいから、というよりそれしないとこいつ確実に自宅には帰らないしどこふらつかれるかわかんないし溜まったもんじゃないし、とにかく一旦家に帰りたいんだけど。
有馬は昨日、実家に帰る弁当を見送ってきたらしい。そこでどうも、なにがあったかは知らないけどなにかがあったようで、有馬がぐずぐずになっている。ちょっと俺にはよく分からない、伏見が訳わかんなくて切れて寝るくらいなんだから俺に分かるわけがないだろう。弁当にさっき連絡してみたけど、別に特に変なことはなかったけど有馬なんか無口だったから腹でも痛いのかと思った、とあまり当てにならない返答が戻ってきただけだった。移すのとかやめてくれよ、お腹の風邪は引きずるから嫌なんだ。
今日の朝、伏見を迎えに行って帰る途中、有馬から急にちょっと来てって言われたから二人して焦って来てみればこの有様だ。伏見なんか、身体が疲れてるとこに妙な連絡が入ったもんだから、どうしたんだろう、有馬に何かあったんじゃないか、ってらしくもなく心配してたのに。呼び出された先がファミレスだったからそんな重大なことはないと思うよ、と伏見を宥めながら到着して話を聞いてみればすさまじくどうでもよかった、言っちゃ悪いけど時間の無駄だ。本格的に寝てしまったらしい伏見に構ってもらえなくなった有馬がぐずぐずしながらこっちに向き直る。やだなあ、だから俺帰りたいんだって。
「大丈夫だよ、三日には帰ってくるって言ってたじゃん」
「わかんないじゃん……俺弁当と初詣行く約束してたのに……」
「そうなんだ」
「小野寺と行くしかないじゃん……」
「俺ここ最近毎年、初詣は大晦日の夜から伏見と遠くまで行くから」
「裏切り者!」
わあっと顔を覆って有馬が机に俯せたせいで、俺の正面に座っている二人が二人とも潰れていることになった。ちょうどタイミング良く近くを通りかかった店員さんに、あのすいません、と声をかけて注文。
「……あの、お酒ください」
「こちらでよろしいですか?」
「はい……」
飲まないとやってらんねえっつの、このやろう。

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