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おはなし



仕事の都合で、東京に行くことになった。とは言ってもすぐに戻ってくる、長くいられても精々三日が限度だ。遊びに行くわけではないし、俺だってこれでも忙しいんだ、一応。せっかく東京まで行くのに、そっちでよろしくやってるはずの当也にも会いに行けそうにない。飯くらいならなんとか、と思ったけど偉い人と一緒に食べなきゃいけなかったりするんだよな、面倒だなあ。
割と急に決まったことなので、準備もままならないままに出発の運びとなった。家族には顔を合わせて説明できたけれど、運とタイミングがどうにも悪くて、航介には電話で素っ気なく一言伝えるだけになってしまった。東京行くことになったから、なんて言われて、行ってらっしゃいと普段通りのトーンで答えたあの意地っ張りは、どんな顔をしていただろう。また無理矢理下手くそに笑ったんだろうか、電話で顔が見えないのをいいことに泣いていたんじゃなかろうか。電話先はどうにもざわついていて、今ちょっと忙しいから、とすぐに通話を切られてしまったせいで声色すら窺えなかった。ああ、だからちゃんと、向かい合って話がしたかったのに。俺の杞憂なら構わないんだ。あの野郎ずるいぞ、俺も連れてけよ馬鹿、とでも思ってくれていた方が断然楽だ。あいつが一番引き摺るポイントを的確に突く羽目になることは知ってたから、だからちゃんと、すぐ帰ってくるからって言いたかったのに。
掛け直すのも憚られたまま、新幹線の座席で電話番号と睨めっこしてる間に、いつの間にか辺りの景色はがらりと変わってホームに車体が滑り込んでいた。駅を出た足でそのまま向かう先は、宿泊先の安いホテルでもなければコンビニでもレストランでもなく。早くしないとしまっちゃうかも、なんて知らない女の人達が話している声に、走り出した。

「もしもし?」
『……んー……』
「寝てた?」
『うん……』
「ごめんね」
もにゃもにゃと眠た気な声で電話に出た航介に、話があるからちゃんと起きろと告げれば、がさがさと起き上がっているような音がした。本当のところどうだかは分からない、起き上がったんだが布団に潜ったんだが知る術はこちらにはないわけで。そんなに遅い時間でもないのに寝てたってことは、普段より朝が早かったのかもしれない。申し訳ないことをしたなあ、なんてちょっとだけ思いながら、航介が起きていてくれることを信じて口を開いた。聞いてるなら返事してね、と切り出せば、またがさごそと衣擦れの音と、寝起きの唸り声。
「俺ね、明日帰るんだけど」
『……おー』
「こっち来て、ていうか来る前から、いろいろ考えたんだ。いろいろ調べてさ」
『んん……』
「そろそろお金もいっぱい溜まったし、航介にあとは決めてもらおうと思って」
『……なにを』
「もし、良かったら、さあ。来たかったらでいいんだけど」
俺と一緒にこっち住みませんか、と絞り出した言葉に対する返事は、無言だった。分かってる、荒唐無稽で馬鹿なこと言ってるなんて。でも俺ずっと見てきたから、航介はきっと一人ぼっちじゃあそこから出られないから、だから俺も一緒ならなんとかなるんじゃないかなって、そう思ったんだ。ちゃんと不動産屋さんもたくさん回っていっぱい調べたし、高校出てから働いた分のお金もみんな取ってあるから、そういう面での心配はあまりない。親元離れて一人暮らし、正確には二人暮らしか、そういうのを始めるにしちゃ資金は充分すぎるくらいのはずだ。仕事だってきっとすぐ見つかる、俺そういうの上手くやれるから、多分大丈夫。家族にも前にそれとなく相談したことがある、そしたら俺の好きにしたらいいよって言ってくれた。親孝行も勿論したいし、さちえのこと放ってどっかになんか行けないけど、でもそれよりお前を何とかしたいって思っちゃったんだよ。
来たいって言われるか、ふざけんな馬鹿ってまた怒られるか、全く予想がつかなかった。だからこんなに心臓ばくばく鳴ってんだ、なんか喋れよ。十二時間後にはチェックアウトするホテルのベッドの上で、正座して手握りしめて、無言の電話口に耳を傾ける。まさか眠くて聞いてなかったとか言わないだろうな、と口を開きかけたその時、声が届いた。
『……帰っといで』
「は、え?」
『いいから。帰ってこい、早く』
「えっ、いや、俺の話」
『朔太郎が行きたいなら行く』
「俺は別に、航介がどうしたいかって」
『お前が行かないなら行かない』
「え、っと……」
『……帰っておいで、っつってんの』
「だって、今俺なんの話したか聞いてた?航介がどうしたいかって」
『聞いてた、無理な話じゃなさそうだことも分かった。俺の話はさっきした』
「だってお前、こっち来たいんじゃ、そうやって言って」
『明日何時に駅着くの』
「うえっ、ええっ、と」
『迎え行く。眠いから寝るわ、メールしといて』
「あ、はい……」
ぶつん、と切られた電話に、呆然。訳わかんないんですけど、なにあの人。一頻りぼうっと携帯を見下ろして、会話の内容を思い出したらなんだか無性にむかついて、寝呆けてんじゃねえぞあのデコ丸出し野郎、と掛け直しボタンを押そうとした寸前、メールが来た。上司とかだったら殺す、と液晶が陥没する勢いで画面を開けば、先程電話を切りやがった寝呆すけ馬鹿からで、拍子抜けする。なんだよ、謝りたいなら電話じゃなきゃ許してやらねえぞ。
「……ふはっ」
三回読み直して、ちょっと笑った。寂しかったから拗ねてたの、さっきのは不貞寝だったの、あっそう。置いてかないよって俺が言ったから、もう別に当也のこと羨ましくもなければ妬ましくもないそうで。ざっくり簡潔かつぶっきらぼうに纏められたメールの内容は、拡大解釈すればそんなもんだった。大人になったねえ、強がりの泣き虫の癖に、最近生意気だと思ったんだ。笑い出したら止まらなくて、一人で声出して笑うのも気持ち悪いからくつくつと喉奥で息を殺せば、それはそれで気持ちが悪かった。
そういえばお土産買ってなかった。地元の駅で買ったら流石に怒るかな、航介。


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