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おはなし



渚千景とかいう、俺のルームシェア相手で腐れ縁の男について説明するには、二重人格という言葉がきっと相応しい。
奴の中では好きと嫌いの境界線が酷くはっきりしていて、中間はほぼ存在しない。好きか嫌いか興味がないか、そのいずれかの中に全てを押し込んでいる。普通いるじゃん、あんまり好きなタイプじゃないけど人間関係上折り合いをつけて上手く話さなければならない相手って。けれど、千景にはそれがいない。会話をしている時点で割と気に入っているのだ、少なくとも嫌いな人間のカテゴリーには入っていない。だからその、有馬先輩とかいう人にも安心して欲しい。千景に本当に嫌われているのは、一切合切の関わりを断ち切られている上に本人からも特別関わろうとしない、小野寺先輩の方だ。まああの人の場合は伏見先輩関係の色々もあるし、千景の妬みとか嫉妬とかも多分に含まれてはいるんだけど。だって俺は別に嫌いじゃないし、普通にいい人だもん、小野寺先輩。どっちかって言うと、千景がただ単純にあの人の立場を羨んでいるだけだ。
あいつの好き嫌いの話はもういい、こんなことを説明していたら日が暮れても終わらない。あとはそうだな、なにから話そう。晴臣さん、実のお兄さんに対して、千景は酷く依存していた。尊敬もしていたし背中を追いかけ続けていた、のに自分が追いつけないと分かるとあっさり手のひら返して、周りの物ごとまとめて大嫌いになりやがった。つまり極端なのだ、渚千景は。その後、依存の対象は伏見先輩へとそのままスライドして、今に至る。
髪を切るのは嫌いらしい。というより、例えば鋏であったりアクセサリー類であったり、金属のような冷たいものが体に当たるのが嫌いなようだった。そのせいで伸びてる長めの髪を後ろで括ってテレビ見てる千景に、換気したいから窓開けろ、と声を掛ければ、寒いから嫌だとこっちを向きもせずに突っぱねられる。仕方が無いから隣をすり抜けて窓の方へ進めば、寒いから俺がいなくなってからにしてよ、と横暴極まりない我儘を言いながら服の裾を掴まれて、力任せに引っ張った。
「おい、掃除したいんだけど」
「俺午後蘭子のとこ行くからさー、それからにしてよ」
「永野さんとこ行くの?じゃあ早苗呼んでもいい?」
「坂上は呼ぶな」
「なんでさ、お前いないんでしょ」
「和葉と坂上が二人きりになんのがやなの」
こいつは俺の彼女を何故か好いていない。本人も自覚有りだからもうなにも言わないことにしてるけど、自分のものを取られたような気分になって嫌なんだそうだ。ぐいぐいと服の裾を引っ張りながら、ねえ坂上呼ぶぐらいなら俺も蘭子のとこ行かないから、今日は和葉と家にいるからあ、とぐずぐず駄々を捏ねる千景を叱るように手を引き剥がした。
「千景」
「ちぃくん」
「……ちぃくん」
「うん」
「じゃあ、早苗は呼ばないから。永野さんと会っておいで」
「和葉もおいでよ」
「やだよ」
「来てよお、だってお前、呼ばないって言った時は大体会いに行くもん」
結局二人きりになってちゃ意味がないだろうとふんぞり返る千景に溜息を吐いた。この我儘末っ子野郎め、なんでも自分の思い通りになるとでも思ってるんだろうか。きっと思ってるんだろうな、こいつ頭の回転は早いし。
そういえば、千景は俺に名前で呼ばれることを嫌う。苗字で呼んだら返事もしてくれない。じゃあなんと呼べばいいのかといえば先程使った、ちぃくん、である。ちっちゃい頃の呼び名なんだけど、いつまで経ってもそれで呼ばれたがる。なんでだかは知らない、恐らく何と無く気に入ってるとかそんな適当な理由だろう。ただ確かなのは、千景って呼ばれてる時とちぃくんって呼ばれてる時と渚って呼ばれてる時で、態度も口調も微妙に使い分けているということだ。
家の中、もとい今では俺以外は使わないけど、身内にはちぃくん、外の友達や彼女には千景、先輩が相手の時は渚。こいつは、呼ばれ方によって態度を変える。切り替えが下手くそだと言ってしまえばそれだけだが、その危なっかしい使い分けが俺は案外気に入ってたりもする。だって、ちぃくんなんて呼ぶの、今更俺だけだ。なんとなく他の人と比べて、気分良いじゃないか。千景が尊敬してて好きで堪らない伏見先輩だって、高校生の時から付き合ってる彼女の永野さんだって、こんなだらだらと我儘言っては俺を困らせるような、家仕様のこいつを知らない、見たこともない。だってちぃくんスイッチを入れないと見れないし、そのスイッチは俺以外誰も知らないんだから。
「永野さんとこ行っといで。この前淋しがってたよ」
「やだあ、和葉がいい。蘭子には今度謝る、絶対する」
「早苗には会わないってば、俺掃除したいんだよ」
「じゃあ窓開けてもいいから、ね?そったらいいよね」
「ちぃ」
「やだってばあ」
ぐずぐずと駄々を捏ねる千景の隣に腰掛ければ、ぱっと顔を上げられた。本当に行かなくていいの、ともう一度だけ問えば、にこにこしながら頷かれて、千景に見えないように笑う。ごめんね、永野さん。
千景は、愛してるって俺に言う。こいつにとっての愛してるは、好きの上位互換であって、すごく好き、とイコールでしかない。恐らく深く考えてなんかいないし、愛の言葉を囁く意味だって分かっちゃいない。きちんと考えているように見えて、千景は案外馬鹿だ。ただ、俺はそれを聞く度に何故だか酷く安心するわけで。そしてそこで安心してしまう自分のことが、ほんの少し嫌いだ。
「ちぃくん、アイス買い行こう。食いたい」
「寒いじゃんか」
「じゃあ俺行っちゃうからね、ばいばい」
「えっ、えっ待って、和葉やだ、俺も行く」
「いってきまーす」
「待ってってば、もう、俺財布どこやったっけかな、ねえ和葉あ」
「俺持ってるからいいよ、手ぶらで」
「かず、なに、なんでそんな怒ってんの?俺が蘭子のとこ行かないから?」
「怒ってないよ、喜んでる」
「なんで?どこに?」
「秘密」
「俺にも?」
「うーん」
「……ちゃんと和葉が一番好きだよ?愛してるのは和葉だけだよ?ほんとだよ」
「知ってるけど」
「怒ってんのやだあ」
「だからよく見ろ。怒ってる時の顔かよ、これ」
「和葉いっつも顔で嘘吐くからわかんない」
「そんな器用なことしたことないんですけど」
「……ねえ、肉まん好き?」
「うん。なに、買ってくれるの?手ぶらなのに」
「坂上、家に呼んでもいいよ?俺部屋にいる、なんならどっか行くし」
「ちぃくんがいるのになんで呼ぶの、呼ばないよ」
「……んー」
「んーじゃないよ、こら」
「いった、お前力強い!馬鹿になる!ってえ、頭叩くなってば!」
こいつの下手くそなご機嫌伺いが見れるのもちぃくんスイッチを入れた時だけだから、実は割と好きだったりして。とかって、照れ隠し紛れにばしばしと手のひらを打ち付けながら思った。


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