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おはなし



分岐1その後


きっと、お互い正気ではなかったとも思う。らしくもなくいい年して酒に酔って、次の日には忘れているような与太話の一種として受け止めてやれたら良かったのに。
千晶が子ども二人を連れて急な用事で実家に帰ることになって、俺は仕事の関係でどうしても一緒には行けないな、なんて話したのがつい昨日の事だ。お父さん来れないの?と子ども達に代わる代わる聞かれて、仕事なんて休むかと千晶を見ると、馬鹿言わないでと笑顔で一蹴された。それから俺の知らない間に、一人じゃ料理も出来ないはるかちゃんの世話は弁当くんの家に任せます、なんて勝手に頼まれてて、今に至るわけで。
家がそこまで離れて無い割には意外と会わないもので、よく覚えてないだけで下手したら一年ぶりとかなのかもしれない。ちなみに妻同士はしょっちゅう会ってるみたいだけど、俺は夏目さんに嫌われてるので誘ってもらえない。酷い話である。
弁当んちの子どもはまだ幼稚園に入るか入らないかの歳で、見ない内に大きくなったな、なんて抱き上げたらものすごい勢いで泣かれて大変だった。顔立ちは母親似ではっきりしてるけれど、中身はどう考えても父親譲りだ、人見知りなんてもんじゃない。
 泣き疲れと俺に対する警戒疲れを重ねた結果寝てしまった子どもを抱いて、俺のことを思いっきり隠しもせず睨みながら寝室に引っ込んだ夏目さんを見送ったのが数時間前の事だった。近況報告ってわけでもないけど、会えば積もる話もあるわけで、共通の知り合いの話だったりこの前やらかした失敗だったりを途切れることなく離して、まるで大学時代に戻ったようで。
 いつの間にか黙り込んだ弁当を、お前このぐらいじゃ酔わないだろ、なんてからかったのがきっかけだった。
「……なんか、さあ」
「ん?」
「井生さんが凛ちゃん生んで、芽衣子さんが遥希生んで、凛ちゃんが幼稚園入って、それから健くん生まれて、遥希がもうすぐ幼稚園で」
「凛ももうじき小学生だし、時間経つのって早いよなあ」
 そうだね、と薄まって消えそうな声で返した弁当が体育座りのまま膝に顔を埋めているのを見て、水飲む?と声を掛ければ、いらないと首を振られた。らしくもなく続けざまに並べ立てられた言葉に、もっと違和感を覚えれば良かったのだろうけれど、判断力なんてとうに鈍っていて、頭がきちんと働いている訳もなくて。
 一瞬、聞き違えだと思った。
「そろそろ、死のっか」
「……は?」
「二人で」
 顔は隠されたままで微動だにしなくて、冗談だろと笑い飛ばそうにも相手の反応すら窺えなくて、意味もなくもう一度、はあ?と聞き返した。背中が上下していることから息をしていることは分かっても、それ以外は何も分からない。どうしちゃったのお前、なんかあったの、と声を掛けると、顔を上げないままにくぐもった声が聞こえてきた。
「お前は知らなかったかもしれないけど俺ずっとお前の事好きだったんだよ、過去形じゃなくて今もなんだけどごめんな、夏目さんの事なんか好きでも何でもないし井生さんの事は早く死ねって思ってるんだ、お前と一緒にどっか遠いとこまで行ってそのまま車で崖から飛び降りて海に突っこんだりとかしたいんだ、子ども出来て孫の顔見せれて親孝行もある程度できたからもう生きてても意味ないし、今ここでお前の事刺して俺も喉掻っ切って死にたいし、もうなんか全部どうでもよくなっちゃったし、だからそろそろ報われどきかなって」
 ぶつりと言葉を切った弁当に、何となく後ずさる。せめて顔が見れたら何か言えたかもしれないし、動いてくれたら逃げれたかもしれないけれど、相変わらずこいつは体育座りの体勢を全く崩そうとしなくて、俺も立ち上がったまま動けない。ドラマとかだったらここで劇的な展開が待ってるんだろうけれど、そんなことは全然無くて、そもそもこんなの冗談だろって話であって、信じるにしたって俺らもう二十代後半もいいとこで、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
 無意識の内に手が空いた缶に当たって、中身のない音を立てた。それに反応して顔を上げた弁当は普段と同じ平然とした表情で、俺がおかしかったのかな、なんて思うくらいで。ぼうっとこっちを見る様子から若干酔っていることは見取れても、さっきの言葉を訥々と吐き出したとは思えなくて、渇いた喉から無理に声を絞り出した。
「……あ、の」
「嘘だよ」
「は?」
「嘘だって、そんなわけないじゃん」
 馬鹿じゃねえのと鼻で笑われて、本気で怖かったんだからなとへたり込む。エイプリルフール近いし、とカレンダーを見る横顔に、練習台に使いやがったなと文句を言って、椅子に元通りに腰掛ける。あんな嘘信じるなんてと堪え切れないように笑い出した弁当に、言い方とタイミングが悪いとか声色が本気っぽかったとか言い訳をして、結局一緒に笑った。
 顔を埋めていた膝辺りの服が、何かの水分を吸ってぐちゃぐちゃに濡れていたのからは、わざと目を逸らした。性質の悪い嘘だと言うならそういうことにしておくし、余計なことに口を出さなくても無かったことに出来るのならそれでいい。それこそ大学生の頃だったら何も考えずに聞けたのかもしれないけれど、今とあの時じゃ置かれている状況が違いすぎる。何を言われた所で全て今更だし、あっちだって子どもじゃないんだからそんなこと分かっているはずだ。
 次に会うのはいつになるだろう。何にせよ、当分の間あいつと酒は飲みたくない。


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