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好きとか愛してるとか



分岐2その後


「べんと」
「……なに」
「とーうやさーん」
「なにったら」
「なんかすっげ疲れたの、へとへとなんですよ、有馬さんは」
「そうすか」
「だからこれ、癒し」
「重たい」
「はああ、落ち着く」
 いや、俺はすっごく動きづらいんだけど。机の上に広がっているのは教科書と辞書とパソコンで、場所は俺の家で、俺の背中にへばり付いてぐだぐだ言ってるのは有馬だ。昨日出された課題は、パソコンで作ったデータを印刷したものしか認めない、手書き提出不可なんて条件の付いたもので、正直面倒なことこの上ない。俺の家にはプリンターなんてないし、このパソコンだって中古のやつだからボロだし、とっととこんな課題終わらせてしまいたいんだけど、ピンポン連打でいきなりやってきた有馬が玄関を閉めた瞬間から背中に引っ付いて離れなくなったから、なかなか進まないし。
 べたべたと触ってくる有馬をちょくちょく払い除けながら、キーボードを叩く。遅いだの間違ってるだのと後ろから声がするけれど、無視だ。引っ付いてられるだけで満足してほしい。
「終わる?」
「がんばれば」
「いつ終わる?」
「もうちょっとかかる」
「俺お腹空いた」
「パンあるよ、いつものとこ」
「ご飯がいい、あったかごはん」
「伏見みたいなこと言わないでよ」
「酷い、あたしといるのに他の男の話ね」
「気持ち悪い」
 妙な裏声で泣き真似まで披露してくださった有馬が、突然ぴたりと黙った。腹でも痛いんだろうかと心配になって教科書を捲りながら聞けば、自分が黙っていればその分俺の課題が早く終わりそうなことにようやく思い当ったらしい。静かにしてるから早く終わらして、なんて当たり前のように告げられて、離れてくれたらもっと早く出来ると思うんだけどと伝えれば、それは無理だと悲しげな声で深刻そうに返された。そんな重大な話はしてないんだけど。
 とにかく、有馬が静かになってくれたおかげで大分捗るようになってきた。俺の体に手と足を回して固まっている有馬に、こんな人形あったな、とぼんやり思う。空気入れて膨らまして腕とかにくっつける、お祭りで売ってるの。疲れているというのは強ち嘘でもないようで、うとうとしているのか定期的に有馬の全体重が預けられては驚く羽目になった。こんなになるくらいならちゃんと寝ればいいのに、俺のことなんてほっといてくれても構わないんだから。
「布団出す?」
「……まだ終わんない?」
「あとちょっと」
「じゃあいらない」
「そう」
「なんか飲む?」
「淹れてくれんの?」
「ううん、聞いただけ」
 そうだろうと思った。ここまでべたべたしといてお茶淹れに台所まで行くわけないだろ、お前。首筋に頭を擦りつけられて、こそばゆいからやめろと手を伸ばして頭を叩いた。構ってもらえたからって嬉しそうな声で笑わないでほしい、今俺お前の頭叩いたんだぞ。
それからしばらく引っ付かれ続けながらパソコン弄くって、ようやく完成に漕ぎつけた。あとはこれをメモリに移して、大学持ってって印刷して、全部まとめて左上で留めて提出するだけだ。電源を切ろうと画面上の矢印を端っこまで動かした途端、後ろからそれを見ていた有馬が突然耳に噛みついてきた。
「あいった!なにすんだ、痛、わあ」
「終わったんでしょ」
「終わったよ、ちょ、待って」
「俺待ちくたびれちゃったんだけど」
噛みつかれた痛みに声を上げれば、瞬く間もなくぐるりと体を反転させられて、ちょっともうついていけない。まだパソコン閉じてないからと振り返るも、こっち向けってば、と拗ねたような手と声に引き摺られて、されるがままだ。そんなに長い間ほっといたわけでもないし、普段だったらもうちょっと諦め良いのに、一体どうしちゃったんだ。ほんとに熱でもあるんじゃないだろうな。
引っ張られるままに何の疑問も無く移動すれば、座ってる有馬の上に腰を下ろして向かい合うような体勢にさせられて、それは嫌でちょっと抵抗する。それを更に封じ込められて、立ち上がろうともがいてみて、無言でじたばたと争っている内に、最終的に有馬がバランスを崩して後ろに倒れた。しかも、俺のこと引きずったまま。
「ふぎゃっ」
「う、ぐえっ、いった」
「っあ、いって、頭!後ろ!頭!打った!」
「うるさい、俺だって痛いんだっつの……」
がつん、と痛そうな音を立てて後頭部を床に打った有馬も可哀想だが、それでもかなり自業自得だ。手を離してもらえなかったせいで一緒くたに倒れて、有馬が立ててた膝が腹に突き刺さった俺の方がよっぽど可哀想だ。痛い痛いときゃんきゃん喚く有馬に掴まれたままの両手首を、いい加減に離せと引っ張ってみたものの、全く離す気配が見られなかった。これじゃ腹を摩ることも出来やしない、それどころか体を起こすことだってままならないじゃないか。
有馬に覆い被さった体勢のまま、しばらく待つ。こいつ、俺が離してもらうの待ってるの察して、わざとぐだぐだしてやがる。離したが最後、恐らく有馬は体を起こそうとする俺を何とかして止めようとするだろうし、俺はどうにかして元の体勢に戻りたいしで、完全に空気の読み合いだ。弁当のせいで後頭部割れちゃったよお、とかなんとかほざいてる有馬に適当な返事をしながら、両手が自由になったらすぐに逃げる算段をつける。だって俺こういう感じからどんな展開になるか知ってる、捕まって流されると大変なことになるんだ。ただでさえ体力無いんだから、頭を使って逃げないといけない。幸運なことに有馬は根本的にあんまり頭がよろしくない上に優しいので、俺が上手くやれば逃げ切れる、はず。とにかくこのままべたべたされてたらまずい、だって有馬の目がやばい、完全に据わってる。
「弁当」
「はい」
「離してほしい?」
「うん」
「でも俺が離したらどっか行くじゃん?」
「行かないよ」
「じゃあ手離してもここ乗っててくれる?」
「でもお風呂沸かさなきゃ」
「お風呂沸かしたら戻ってくる?」
「お風呂沸かしたら入んなきゃ」
「お風呂入ったら」
「寝る」
「俺と?」
「うちの布団一人用なんだ」
「ほらあ!そら見ろ!お前はそういう奴だよ!」
「有馬こないだお風呂覗いたからやだ、俺風呂入る時帰っていいよ」
「覗いてねえし!シャンプー取っ替えてあげようとしただけだし!」
「詰め替えたばっかだ、馬鹿」
「じゃあこうしよ」
「ん?」
「いっぱいちゅーしたら離したげる」
「一回につき頭突き一回でいい?」
「頭突き一回につき目開いたままポッキーゲーム一回なら良いよ」
「ポッキーゲーム一回につき千円になりますけど」
「たけえ!十万くらい払わなきゃいけなくなる!」
「お前何回するつもりだったの」
「わっかんないけどお」
 でもいちゃいちゃしたかったんだもん弁当の馬鹿、とぐずりだした有馬が俺の手を一本巻き込んでうつ伏せになってしまったので、もうそっちの手は犠牲にすることにした。ぐずぐず具合からどうも本気で調子悪いみたいだし、手の一本くらい快く貸してやろうじゃないか。
巻き込まれてる手を動かさないように上手く体を起こして、一段落。まあその間に有馬の頭を一度思いっきり踏み潰してしまったので悲痛な声は上がったけれど、それは置いといて。空いてる方の手でその辺に転がってた鞄引き寄せて、携帯を出した。片手で本読むのって意外と難しいんだよな、テレビ付けようかな。リモコンに手を伸ばしてチャンネルを回してみたものの、特に面白そうなのはやってなかった。それか適当にゲームとかしようかな、ちょうどパソコン出てるし、マインスイーパとかなら片手でも出来るだろう。
「明日寒いって、有馬。お前ちゃんと上着着なよ」
「ジャージ着てんもん」
「風邪引いても知らないからね」
「馬鹿だから引かない」
「あっそう」
「……引くよ、馬鹿じゃないもん俺、ねえ弁当」
「はあ、なに。風邪引くの?上着着なってば」
「うん」
「お腹冷やしちゃ駄目だよ」
「あ、はい、いや、あの」
「調子悪いんならすぐ病院行かなきゃいけないんだよ、今まだ開いてるとこあるし」
「今は別に平気なんすけど、ちょっと、おい、大丈夫だっつの!」
「よしよし」
「やだよ、弁当お前、髪型が崩れる!もしゃもしゃになる!」
「普段と何にも変わんないよ」
 調子が悪いと思ったからわしゃわしゃと頭を撫で回してみたんだけど、不評だったようだ。お腹冷やしちゃ駄目だよ、の辺りから撫でてたのに抵抗されなかったから受け入れられているもんだと思った、ちょっとショック。ていうか髪型も何もないだろ、朝遅刻しそうな時とか頭ぐしゃぐしゃでほぼ寝起きのまま学校来たりするくせに。
 人の手を下敷きにまた黙り込んでしまった有馬をとりあえず放ったまま、テレビのリモコンをもう一度手に取る。どうも見覚えがあるドラマがやっていて、これ先週見逃したな、なんて今更気がついたりして。さっき有馬にお茶くらい取って来いって頼めば良かった、と思いつつテレビの中で深刻そうな顔を浮かべている女優さんを眺めていれば、脇腹をばしばしと下から叩かれた。なんだよ、用があるなら口で言えよ。
「あいた、いった」
「べんと」
「なに。お茶飲む?」
「ううん」
「俺飲む、取って来るから手離して」
「やだ」
「すぐ戻りますけど」
「……弁当から、なんかしてくれんなら、いいよ」
「ん?」
「俺からべたべたされんの嫌なんでしょ、じゃあお前からなんかしてよ」
構ってちゃんか。ぶすくれた顔でこっちを見ながら人の爪先引っ掻いてる有馬に、ちょっと溜め息。どうしたものかと見下ろしていれば若干顔が赤い気がして、本当に熱があるんじゃないかなんて不安が頭を過って、額に手を伸ばした。
「え、えっえっ」
「……熱くはないね」
「……………」
「どうしたの。なにその顔、どっか痛いの?」
「……ちゅーされんのかなって思った……」
「はあ、しないけど」
「どきどきしたのにな」
 額に手を伸ばしただけなのに妙に慌てられて、重ねて目まで閉じられて、おかしいと思ったんだ。こっちに向けられる、納得いきませんと言わんばかりの憮然とした表情に、いや勝手に勘違いして盛り上がってたのお前だから、と言いたい。何も言わない俺に期待するだけ無駄だと判断したのか、もそもそと丸くなった有馬が一頻り唸って顔を上げた。
「ちょっとトイレ行って来る」
「は、え?もう手いいの?」
「だめ、帰ってきたらもっかい、あ!俺ココア飲む!」
「あ、はい」
 なんだったんだ、一体。宣言通りにトイレへと消えて行った有馬を見送って、台所に向かう。うっかり一週飛ばしてしまったドラマは、内容がすっかり分からなくなってしまっていて、なんだか残念だった。二人分ココア作って適当なお菓子見繕って出して、なんてしている間に有馬が戻って来て、何の気なしに俺が言った、お腹でも痛いの、なんて言葉を受けて若干目を逸らし気味に言った。
「……別になんにもしてないよ」
「はあ?」
「弁当がちょっと積極的になったって、そんなんじゃ俺どきどきしないから、大人だから」
「……ココア出来てるよ」
「ほんとに!普通にトイレだから!恥ずかしかったとかじゃないから!」
「冷めるよ」
「出すもん出し、あっいやなんつーか、でもとにかくほんとに普通にトイレ」
「マシュマロ好きだっけ」
「とりあえずもっかい手繋いでもいいかな!」
「嫌ですけど」
「嫌かあ!そっか!」
「だってお前、なに。心配したのに」
「なんにもしてないってば、心配したままでいいんだけど」
「人んちのトイレで妙なことしないで」
「誤解だよ!今日のベルト外しずらいから時間かかったの、ほらあ」
「こんなとこで脱がないで」
「なんだよ!全部裏目かよ!さっきまで頭撫ででくれたりしたのに!」
「元気になったみたいだからもういいかなって」
「よくない、まだ全然元気ないもん、優しくしろよ!」
「元気ない奴は叫んだりしないよ」
「ああ……そっか……」
「ココア飲みな」
「うん」
なにがあったんだかは知らないし、言いたくないなら聞こうともしないけど、まあなんというか。元気になったようで何よりだ。


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