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うそでもいいから



「好きって言ってよ」
「なにが望みだ、金か?」
「ちがーう!好きって言ってほしいの!」
「好きだよ」
「嘘でもいいけど外面は駄目」
「ちっ」
 語尾にハート飛ばす勢いで、ばっちり決め顔浮かべながら放たれた好きは、特にいらないのだ。聞きたいのは、嘘でも嫌々でもいい、仏頂面の伏見の言葉であって。ぶすくれた顔で舌打ちした伏見に、今のその顔いいねそのまま言ってみて!とカメラマンのように声をかければ、ぺっぺっとなにやら吐きかけられた。ばっちい、なにすんだ。
 最近お気に入りらしいスタバの期間限定のやつ啜りながら、好き、これは、なんてめんどくさそうな顔で言われて、それはなんか違うんだよ、と返す。好きって俺に向かって言ってほしいだけなのに、なんで頑なに言わないんだ。その顔のまま二文字、名前も呼んでくれるなら六文字、口を動かすだけじゃないか。
「伏見、俺の後に続けて言ってね、お!」
「お前冬物のコート買わねえの?見に行こうよ」
「もう!言ってったら!」
 こないだゲーセンで取ってあげたビーズクッションを取り上げてこっちを向かせる。ちょっとしょぼんとした顔になっていて面白い、いや、可哀想だけど仕方がない。心を鬼にしてクッションを後ろ手に隠せば、なんだって急にそんなことを言いだすんだと不満げな声を上げられて、いやまあ、特に理由はないんだけど。強いて言うなら、もうすぐクリスマスだしそういう気分になるよね?みたいな、そんな感じ。
「世間に流されやがって、クリスマスだからなんなんだよ」
「それはそうなんだけどさあ、どうせバイトだし」
「お前バイト入んの」
「え、うん。伏見休むの?俺も休もっかな」
「たった今入ることにした」
「あっそう……」
空になった飲み物をぽいっと投げ捨てて、我が物顔で俺のベットを占領した伏見が、そういえばねえ、と口を開いた。頬杖ついてる伏見に向かい合うようにベッドに上半身を預ければ、近い、の一言と共に二本指が突き出される。眼球直撃のそれをやんわりと避けながら、そういえばなんなの、と話を促した。
「こないだ美結と出かけたの、飯食ったりしたんだけど」
「誰だよ、俺の知らないとこで俺の知らない奴とデートすんなよ」
「え?お前知ってるだろ、同じ班だったことあるんだから。河合だよ」
「かわ……」
「木曜三限」
「……知ってるような気はするけど、知っててもだめだよ……」
「まあそれはいいんだよ」
「よくねえよ!なに名前呼び捨てまで親密度上げてんだよ!」
「俺の話聞けよ!別にまだそういうんじゃねえよ!」
「まだじゃん!まだってことは可能性があるってことじゃん!」
「ねえよ!うるっせえな、黙って話聞けっつってんだろぶっ殺すぞ!」
「ふぎゃっ、あっ、痛い!ごめんなさい!」
 どすどすと握り拳を叩き込まれて黙る、もとい黙らされる。肩とかはいいよ、いくらでも殴ってもらって構わないよ。でも目とか鼻とかは駄目だって、人体の柔らかい部分は攻撃しちゃいけないんだってこないだ有馬に怒られたところだろ、お前。そんなことを考えている俺には気づかずに、気を取り直したらしい伏見がごろりと仰向けに寝転がって、再び口を開いた。
「飯食ってる時にさあ、こう、今付き合ってる人とかいないの?みたいな話になって」
「うん」
「いないって答えたわけよ、一応な。そんでしばらくそんな話して」
「……こないだまでいたじゃん、あの、髪の毛がふわふわしてた」
「だから付き合ってねえっつの、ていうかそんなことはどうでもいいんだって」
「河合さん?とも付き合うの、お前……俺ってなんなの……」
「なんなのっていうか、それにあいつ彼氏いるし、じゃなくて!俺の話聞けってば!」
「……だって」
好きって聞きたかっただけなのに、なんだってこんな話になるんだ。お前がどっかで友達以上彼女未満みたいな子と遊んでたり、下手したらちょっとお付き合いの真似事して別れてたりするの、そりゃあ俺は知ってるけど。嫌じゃないわけじゃないし、ていうかほんとはすげえ嫌だし、今だってお前のこと問い詰めてもうしないって言わせたいし、そんなこともう何回約束させても無駄なことも分かってるけど。伏見に背中を向けてベッドに寄りかかると、もそもそと背後から手が伸びてきた。そんな話をしたいわけじゃないんだって、じゃあ何の話がしたいんだよ。伏見は俺の話聞けよって言うけど、その前に俺の話こそちゃんと聞いて返事してよ。
「帰り際に言われたんだよ、俺」
「……付き合ってって?」
「伏見は何かを好きになったことなんか無いでしょ、だってさ」
 ぎゅう、と首筋に絡められた手に力が籠って、息が詰まる。振り向くことすら許されないままに、俺の肩を掴んでいる伏見の指先にとりあえず手を伸ばして、目を伏せた。細っこい指先は、酷く冷たくて痛ましかった。さっきから俺が聞こうとしなかった、伏見が言いたかったことは、きっとこれだ。たった一言で相当参ったのが、態度で分かるくらいなんだから。まあ今は特に隠そうともしてないんだろうけど、それにしたって珍しい。
 好きになったものがないわけなんてないのに。伏見はどっちかって言うとそりゃあ好き嫌いが他人よりも激しいけど、好きなものはずっと大切にするんだ。手のひらの上にあるものは特に大切でも何でもなくて、ほんとに大事なものはみんな足元に適当に放り出すから分かりづらいだけで。俺はちゃんと知ってる、足元にほっぽったやつを何も知らない奴に踏みつけられると、とりあえず平気な顔して自分も一緒に踏んづけてみたりして一頻り笑った後に、わあわあ泣くんだ、この意地っ張り。そのくせ気分屋だから、もういらないとか嘘吐いて時々自らわざとぶっ壊して、大事なものぐちゃぐちゃになるまでその上を散々歩いて、しばらくしてからのろのろ直して、綺麗になったら満足気な顔してまた足を振り下ろす。ぼろぼろになって継ぎ接ぎだらけになって、それでもとっておきたいものだけが、伏見の足元には転がってる。散らばるそれが、伏見の好きなものだ。なんにも知らないくせに酷いこと言いやがって、強がりなだけで打たれ弱いんだぞ、いじめっ子だから。
「いっぱいあるのにね、好きなもの」
「……ん」
「好きって言わないだけなのにね」
「おい、慰めろなんて言ってねえぞ」
「慰めてほしいんじゃないの?」
「……こっち向くな、黙ってろ」
振り返ろうとした首を絞められて、強制的に前を向かされた。肩に頭をぐりぐりと押し付けられて溜息、泣きたいなら胸くらい貸すってのに。
人の背中に指で、ばか、あほ、きらい、やだ、とか書きつつしばらく黙っていた伏見が、ようやく口を開いた。黙ってろ、と言われたから黙ってたんだけど、どうやら今回はこれで正解だったようだ。たまにこいつ、自分で黙ってろって言った癖して、俺が静かにしてるとなんか喋れよ馬鹿って怒る時あるからな。
「小野寺はさあ」
「うん?」
「俺がお前のこと、どう思ってると思ってるの」
「どうって、それ俺に聞く?」
「俺がお前に向けてる感情は、どれが正しいと思ってるの」
 背中の体温に意識を向けながら、少し考える。難しいことを質問されているようで、実際問題答えは酷く簡単なものだ。ただ、希望形にするか、俺個人の意見とするか、迷うべきはそこだけ。要するに、お前に俺を好きでいてほしいのか、お前は俺のことが好きだと思っているのか、その二択だ。でも考えれば考えるほどに、どちらを選んでも何かが違う気がして、選べない。どちらかというと、きっと、どっちでもなくて。
「……俺は」
「ん」
「俺はね、伏見」
首を反らして見上げれば、吐きそうな顔して真っ青になってる伏見がいた。首筋に触れている指先は冷たいというより硬くて、そんなに聞きたくないなら聞かなくたって構わないのに。
伏見は自分に逃げることを許していないから、罪と罰と報いと耐えることをみんなごちゃ混ぜにしてるから、聞かなくていいことも聞こうとするし見なくていいものも見ようとする。怖いなら目を瞑っても構わないし、その場で蹲ったっていい。だって、俺にだって手も足もあるし、お前の手を引いて歩くことくらい出来るんだから。そりゃあ頼りないかもしれないよ、自分で歩いた方がはるかに速いんだろうよ。でも、俺もいるよってことを忘れられているような気がするんだ。前に進みたくないなら隣で待ってるし、引き返したいならついてってあげるし、黙っててほしいならちゃんと静かにしてる。わざわざ言わなくても、分かってるから。
「お前は俺のこと好きだよ」
「うん、……うん?」
「好きだって。いい加減認めた方がいいよ、俺のこと好きだって言ってみ」
「えっ、いや、俺、なんかもうちょっとこう、違う答え期待して」
「うるせえ、事実だ」
「違う」
「違くない、伏見は俺のこと好きなのにそんなこと言われたから悲しいんだ」
 だからそうじゃないって何度も言ってるだろ、お前のそれは根本的に恋愛感情じゃないんだよ、雛鳥が親鳥追いかけて歩くみたいなもんなんだ、執着を擦り込まれてるだけだから、なんて。伏見は繰り返しそう言うけれど、もうそんなもん耳たこだ。高校生の時に吐いた嘘なんていい加減時効にして然るべきだろ、だって俺らいくつになったと思ってんの。もうすぐ大学卒業だよ、何年そんな口約束に縛られてんのさ、そんな真面目ないい子ちゃんじゃねえだろ、お前。自分が吐いた言葉から逃げない伏見は強いと思うし尊敬するし好きだけど、逃げないどころかそれが枷になってちゃ仕方ないじゃないか。いいからもう、充分我慢したから。俺のこと好きって言っちゃえよ。
 お決まりの文句を振り回して、お前のことなんか好きじゃないって喚きだした伏見の鼻を何も言わずに摘まんだ。これすると怒るけどすぐ黙るんだ、最近見つけた。静かに俺の話聞いてほしい時に最適。
「ぷ、ぴぎゃっ」
「ははは、変な声」
「そこ摘まむのやめろって言ったべや!」
「伏見は、俺のことが好きなんだよね」
「好きじゃない、お前だって俺のことなんか好きじゃないんだ」
「俺は好きだよ、他のものみんないらないくらい好き」
「そんなわけあるか」
「じゃあ、世界中かお前かって言われたら、伏見を選ぶくらい」
「……俺にそんな価値」
「価値とかじゃなくて。俺以外に誰もいなくなったら、好きって言ってくれるかなって」
 分かってるから、言いたくないなら言わなくてもいいから。伏見は俺のことが死ぬほど好きで、だから俺のせいでたくさん傷付いて、俺のためにいっぱい泣いて、足元に落っことした好きの塊を、俺への気持ちを、ずたずたの手で直してるんだ。愛されてることなんて、分かってる。確かに見失うことばっかだけど、俺ももっとちゃんとお前のことを捉まえとけるようにするから。ただいつもは、お前が違う違うって言うからそっちに流されて、そうか違うんだって気分になっちゃうけど、ほんとはそうじゃないんだって。刷り込みというならこっちの方が余程正しい、恋愛感情ではないんだと言い続けられたせいで俺だってそんな気分になるし、言ってる本人の伏見はその思いでいっぱいになってしまった。服の裾掴んで追いかけてるのはどっちだかなんて、聞くまでもないことじゃないか。
 これは予感じゃなくて、確信だ。あの時弓道場で、ものすごく嫌そうな顔しながら俺の手をとって、緊張で噛みまくりの俺を見て泣くほど笑ってから、ちょっとだけ恥ずかしそうに頷いて、喜んだ俺のこと思いっきり蹴った、あれからずっと。
「俺のこと、好きになってくれてありがとう」
「……………」
「言わなくてもいいよ、でも知っててよ。俺が知ってること分かってて」
「……なにを」
「お前が俺のこと好きだってことを俺は知ってるんだって、伏見にも分かっててほしい」
「好きじゃない」
「強情っぱりだなあ」
「だって、だから、俺に好きなものなんてないんだよ、自分でも知ってるんだよ」
「あるでしょ、嘘吐いちゃ駄目だよ」
「違う、そうだろ、そうやって責めろよ、なんなんだよ、怒れよ!」
「なんで俺が怒んなきゃいけないの。河合さんのとこに殴り込みに行ったらいいの?」
「俺に怒れっつってんの、もういい、嫌い、話通じない、小野寺のば、っうあ」
 ベッドから降りて出て行こうとした伏見の手を掴んで止める。強く引っ張り過ぎたせいでバランスを崩した伏見のちっちゃい体を腕の中に閉じ込めて、転んでしまわないように。転ぶのは痛いんだ、怪我をするから。でもこいつはそんなことも知らないんだ、痛いのは自分が悪いせいだと思っているから。
「泣くならここで泣いて、どっか行かないで」
「はあ?泣かねえよ、なに言ってんだ」
「やっぱり一回だけ言ってみない?楽になるよ」
「怪しい薬売ってるみたいでやだ」
「好きって言ってみ、俺しか聞いてないから」
「言わねえよ馬鹿、そもそもお前のことなんか好きじゃないって何回言ったら」
「じゃあこれでどう」
 減らず口がぽかんと開いて、真っ暗闇に隠されて見えなくなる。分厚い布団を二人して被って、これで二人っきりだよ、と笑えば鼻で笑われた。でもこれでいいでしょ、俺しか見えないし、俺にだって見えない。二人きりだけどお互い一人ぼっちだ。もそもそと動いて体勢を変える伏見を逃がさないように抱きかかえれば、おずおずと背中に手が回された。しばらくして、ぐずぐずとしゃくり上げる声、水っぽい音、湿った感覚。
「ひぐ、ゔ、ぅえっ、ぇっ」
「よしよし」
「ふ、ぇ、ひっく、ふぐ、っう、うー……」
「我慢しなくてもいいのに」
 ぶんぶん首を横に振った伏見に、やっぱりちょっとは楽になるかもしんないから好きって言ってみない、嘘でもいいから言葉にしてみてよ、としつこく言い寄れば、ぐじゅぐじゅの鼻声でようやく言葉が返ってきた。
「……うん、そっか。俺には、それを、嘘吐きたくないんだね」
「ん、ゔ、ひっく、ひぐっ」
「伏見にだってよく分かんないことくらいあるよね、ごめんね」
「っふ、う、おれ、だって」
「うん。俺ちゃんと分かったから、大丈夫」
 自分でも判別のつかなくなった感情を抱えたまま、本当に好きなのかどうかが分からないまま、自分の中で俺に向けてるそれがなんなのかすら分からないまま、何もかもが曖昧なまま。そんな状態で好きとは言いたくない、と伏見は泣いていた。その結果としての、嘘は吐きたくない、だ。俺の言う通りに、自分の気持ちは恋愛感情だったんだと納得してしまえば楽な癖に、あくまでも自分の感情は自分の手のひらの上に置きたがる。そういうとこ好きだし、そのせいで向き合うのに他人より時間がかかること、怒ったりなんかしないよ。
 ごめんな、嘘じゃだめだね。俺ずっと待つから、そしたらいつか、いっぱい考えて傷だらけになってる伏見が答えを聞かせてくれるの、楽しみにしてるから。それまで大事に取っとくことにしよう、ね。
「でも俺には言わせてね」
「……なに」
「好きだよ、伏見」
「……うん」



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