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おはなし



 嫌いなものも、好きなものも、大切にしているものも、いらないと思えるものも、幼い頃から特になかったように思う。何かに拘ること自体が、苦手で仕方なかった。流されるまま適当に過ごしていくのが幸せなんだろう、とぼんやり思っていた。
 年を取るにつれて、何の変哲もなく毎日変わらない、生まれ育った町が何となく嫌いになった。変えようとしない自分のせいだとは知っていた癖に、変わろうとしない周りも纏めて、少しずつ嫌いになっていった。一日一日積み重ねる度に、何も変わらない周囲を何故か嫌いになる自分が、何より嫌で仕方なかった。
 ここを出たら何かが変わるんだろうかなんて希望と、どうせどこにいたって自分は変わらず適当に過ごすんだろうなんて絶望がない交ぜになったまま、高校卒業と同時に家を出ることを選んだ。幼馴染や親にはほとんど相談しないで、一人で決めた。誰かに教えてしまうとまたその人の意見に流されるがまま、適当にそれなりに、生きてしまう気がして。
 知り合いのいない場所で一人になったことで、今まで見ようともしなかった嘘がたくさん目に入るようになった。当然のようにそこらじゅうに蔓延る嘘の塊の奥にみんな本音を隠していて、それはきっと深く知ってはいけない暗黙の了解で、そんなこと自分だって一緒のはずなのに何故かまた少しずつ周りが嫌いになって、そんな自分をもっと嫌いになって、終わらない螺旋階段を下りているような感覚。ぐるぐると、自分を鎖で縛っていることは分かってた。そんなこと当たり前だって、みんな受け止めて生きてるんだって、そう思おうとしてもどうしても駄目で、自分に嘘を吐き続けた。見ないふり、求めないふり、探さないふり。そうしてれば、きっと楽になれるはずだったから。
 四月のある日だった。明るく染めた髪に似合いの馬鹿みたいに明るい笑顔引っ提げて、有馬が俺の隣で笑うようになった。最初の印象は、変な奴。それからその後に、ほっとけない奴。危なっかしくて目が離せない奴、うるさい奴、学習能力が欠落してる奴。それでもって、いつも楽しそうで、嘘吐くのが下手で、怒るのが苦手で、後ろからついてく俺の方を必ず振り返っては手を伸ばす、優しい奴。
 いつの間にか、俺は有馬ばかりを目で追うようになって、差し伸べられる手に助けられることが多くなって、それが当たり前のことのような自然さで、好きになった。きっと本人は何も考えていないんだろうけど、俺からしたら、あの優しい声で名前を呼ばれるだけで救われている。自分はここにいてもいいんだって、嫌いなものがあってもいいんだって、そう思えるようになった。
 隣に並んで歩けば笑ってくれる。少し遅れると、立ち止まって手を引いてくれる。走って先に行こうとすると、追いかけてきてまた隣に並ぼうとしてくれる。泣いてたら黙って横で待ってるし、笑ってたら一緒に笑ってくれるし、怒ってたらつられて怒り出すし、何もなければ何か起こそうとする。どうせ何も変わりやしないんだって諦めてた俺の前で立ち止まって手を引いて、お前の名前なんていうのって笑いかけてくれたことが、今の全てを形作っている。
「なあ弁当、見てこれ。見ろって、昨日すっごい時間かかったんだよ」
「……次の時間のレポート出来てるの?」
「え、そんなもんあんの?」
 教科書をぱらぱらと捲って誇らしげに落書きを見せつけてくる有馬に、それにお前今日指される日なんじゃないの、例文訳したの、と問い掛ければ頭の上に花飛んでる顔で首を傾げていた。馬鹿だなあ、だから昨日の帰りに言ったのに。ここだよ、と教科書のページを開いて指させば、そっか忘れてた、ありがとう、なんて言葉。ありがとうを言いたいのはこっちの方だ。
 見つけてくれて、一緒にいてくれて、手を握ってくれて、名前を呼んでくれて、ありがとう。だから俺も、お前の隣に少しでも長くいられるように、たくさんがんばるから。いくら短くても先が無くてもいい、その間だけはどうかこのまま、ただ一緒に居させて欲しい。



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