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おはなし



↓弁当と有馬の場合
「降ってるよ!」
「走りゃ濡れねえよ!」
「無理に決まってんだろ!馬鹿じゃねえの!」
 大学の出入り口、なんて人目につく場所で弁当が声を荒げるなんて普段だったら有り得ないんだけど、これは怒られても仕方ないと自分でも思う。ざあざあと音を立てて降る雨の中に出て行く人は、こちらをちらちらと窺いながら傘をさして通り過ぎて行く。みんな、傘をさして大学を出て行く、わけで。
 授業中降り出した突然の豪雨に、チャイムと同時に慌てて傘を買いに行ったものの、大学のコンビニにはもう一本もあるはずもなく、かといって止むのを待つわけにもいかず。元々この時間に授業が入ってる奴は少ないことくらい知ってたし、一つ前に授業があった奴がちょうど帰る時間帯に降り出したからコンビニの傘が全滅してるんだろう、そんくらい分かってる。走るか、と八割本気で零した言葉を拾った弁当が自分の鞄に入っていた折り畳み傘を俺に押し付けながら、これ使っていいよ、なんて言い出したのが発端だった。
 当然ながら、折り畳み傘が二本もあるわけがない。結果として、俺がその傘使ったら弁当濡れて帰るんだろ、近いから大丈夫、いやそんなわけねえだろ俺走るよ、馬鹿か走ったって濡れるだろ、いや早いから平気だし馬鹿だから風邪引かないし、風邪引かなくても鞄とか濡れるんだからこの傘使ったらいいよ、だからそしたら弁当濡れるじゃん、以下無限ループ。
「分かった!じゃあ!分かったから!こうしよう!」
「俺バス停まで着いたらあんまり濡れないで行けるっつってんじゃん」
「話聞けよ!」
「走って行く」
「お前が走れるわけねえだろこのもやしっ子!」
 あからさまに、うっぜえな、と顔に書いてある弁当が振り向いて、鞄を掴んだ俺の手を見下ろした。今まで決して手に取ろうとしなかった、押し付けられ続けていた傘をついに受け取れば、じゃあこれで!と言わんばかりに走り出そうとするので、鞄の紐を手前に引っ張る。だから無理だっつってんだろ、お前にそんな長距離走らせたら家帰るまでに死ぬわ。
「俺が弁当の家までこの傘に入って行くじゃん!」
「お風呂入りたいの?」
「違う!入りたいけど!そうじゃなくて、お前はそこで家に到着するわけだろ」
「うん」
「俺がそこからこの傘を使って駅まで行くわけだよ!これで二人とも濡れないじゃん!」
「……折り畳み傘で相合傘しようって?」
「そう!」
 我ながら超名案だ。むしろ何で弁当がこの案を思いつかなかったんだか不思議で仕方ない。これなら弁当も濡れずに家まで帰れるし、そこから駅までの道程も同じく、俺が弁当の折り畳み傘を使うことで完璧だ。確かにちょっと傘が小さいかもしれないけど、別にそんなの全然些細なことだ。全くこんな簡単なことも思いつかないなんて、弁当は仕方ないやつだなあ。
「……お前俺の話聞いてなかったの?」
「ん?なした?完璧じゃん、俺の案どうよ」
「俺今日このまま家帰らないんだけど、用あって」
「えっ」
「駅の方じゃなくて、反対側。あの急坂の途中に塾あるだろ、あそこ行くの」
「……じゃあ、そこまで送ってそっから俺帰るから」
「今日これから雨止まないと思うよ、台風だから」
「なんでお前折り畳み傘しか持って来てねえんだよ!」
「天気予報じゃ夜遅くからだったから間に合う予定だったんだよ!」
 ぎゃんぎゃん吠えあって、結局もう一度盛大に人目を引く羽目になった。確かに勿論当然のことながら話なんか聞いてなかった、あれもそれも初耳だ。ていうか塾ってなんだよ、なんで塾なんか行くんだよ、どっちかっつーとその経緯が知りたいよ。
 俺塾着くまでに大きい傘買うからお前これ使え馬鹿ちょっとくらい言うこと聞け、とぶん投げられた傘が鼻っ柱にぶつかって、苛立ち紛れに思いっきり傘袋を引っこ抜く。ああはいはい分かりましたよそれじゃあ使わせてもらいますよ、なんてわざと腹立つ言い方しながら傘を開けば、いや開こうとして、開か、なかった。
「……………」
「……ちょ、えっ、嘘、貸して」
「ん」
「……あれえ……」
「開かないなあ」
「開かないね」
「ちょっともっかいやらして」
「うん」
「よ、っしょ、あ!?」
「あっお前、なんで壊すんだよ!馬鹿!」
「壊そうとして壊れちゃったわけじゃねえよ!取れちゃったの!」
「もー……最近使ってなかったからかな……」
「古いの?」
「実家から持ってきちゃったやつだし、でもここくっつけたら使え……ないな……」
「折れてんじゃん」
「折ったのは有馬だろ!」
「折りたくて折ったんじゃねえっつの!」
「ねえ、ほんとにどうするの。どうやって帰るの」
「弁当こそどうやって塾まで行くんだよ」
「走るってば」
「え?遠回しな自殺?」
「……………」
蹴られた。無言で。されると思ったけど。
 折れてしまった傘を何とかしようと試行錯誤している弁当の鞄からぴろぴろとデフォルトの着信音が響いて、二人して顔を見合わせる。はいもしもし、と怠そうな声で無愛想に電話に出た弁当が、二言目に発したのは、ほぼ溜息だった。
「はあ……はい、ですよね……あ、いえ、大丈夫です。帰れなくなる前に、はい」
「塾?ねえ、なくなった?塾?」
「宮上さんも気を付けてください、電車ですよね?止まっちゃうと困りますし」
「宮上さん?誰?女の子?弁当女の子と話してんの?」
「あー、すいません。まだ大学で、雨で出られなくて。うるさいですよね」
「うるさいって俺のこと?弁当怒ってる?ねえべぐふっ」
「はい、ありがとうございました。じゃあまた明日、はい、失礼します」
「腹……」
「うるさい」
 裏拳叩き込まれた腹を摩りながら弁当を見れば、今日は危ないし電車止まるかもしれないから休みになった、なんて教えられてなるほどと頷く。台風だって言うし仕方ないよな、安全第一だもんな。そんで、俺たちはどうするよ。
「……これ使う?」
「もうちゃっちゃかお前んちまで行って、そんででかい傘貸してよ」
「帰り道にコンビニくらいあるけど」
「俺明後日給料日だから、財布の中五十円」
「明日の昼飯買えないじゃん」
「馬鹿お前、家からおにぎり持ってくんだよ」
「珍しいね」
 今月はちょっと使いすぎたからなあ、なんて話しながら、先程力づくでひしゃげさせた傘に二人して入る。鞄を抱えて、明らかに入り切ってない体を無理矢理縮こませて、もう既にくしゃみしてる弁当に、諦めて傘から出たりしようとか絶対すんな、と約束させて。
「行くぞー!」
「あっ冷た、これ傘意味無い、っうわ」
「風強っ、えっあっ傘折れた!待っ、もう弁当走れ!こっち来い!」
「え?えっ、や、無理待って早、へくしっ、ふぁ、っくしゅんっ」
 くしゃみ混じりに走ってた弁当を引っ張る手が次第に重くなり、もういい無理です置いてって、なんて蚊の鳴くような声が聞こえ始め、いつしかそれすらなくなった頃ようやく駅前の開けた場所まで出ることが出来た。ここなら屋根もあるし、大きめのコンビニもある。正直、走ってる途中でコンビニに駆け込む余裕はなかった。
 初っ端の風一発でばっきばきになった折り畳み傘をなんとか元の形に畳んで、ほぼ死体の弁当に渡す。呼吸が荒いというより浅い、これやばいやつなんじゃないの。救急車呼んどかなきゃダメかな。
「はい、傘。と、飲み物。走らせてごめんな」
「……おかね……」
「下ろした」
「なん、かさ、いっぽん」
「そんなに本数無かったから。俺達で二本買ったら後の人可哀想だろ」
 途切れ途切れになんとか聞いてくる弁当は目が大分虚ろだったので、いやここでお前一人置いて帰るとかどんな薄情者だよ、とか思ってしまったから、という理由もあるんだけど。折り畳み傘よりは強いものの、また風が吹いたらすぐにでも圧し折れそうなちゃっちいコンビニ傘開いて、とりあえずお前の家まではがんばろうか、なんて言ってみる。
「もう走らないから安心しろよ」
「……まだいける……」
「強がんなよ……なにその無駄な自信……」
「お茶飲んだし、ふぁ、っぶしっ」
「風邪引いたな」
「引いてない」
「もう俺が弁当ごと鞄みんなまとめて抱えて帰った方が早いんじゃないの」
「かか……なにを……?」
「お前頭大丈夫?熱あるんじゃねえの?」
 案の定、次の日弁当は学校を休んだ。


↓伏見と小野寺の場合
ぱたり、と窓を打った音に顔を上げる。時計を見れば、次の授業が始まるまであと二十分といったところだった。寝こけてる小野寺を揺さぶりながら、もう片手で散らばっていたペンとレポート用紙を掻き集める。
「あーめー」
「んん……」
「雨降ってきた、ねえ、傘、小野寺傘」
「かさあ?……ないよ……」
「買ってきて」
 むくりと体を起こした小野寺が、窓の外と俺を見て、欠伸混じりに立ち上がる。財布と携帯だけポケットに突っ込んでばりばり髪の毛掻き回してる小野寺に、鞄持ってかないの、と聞けば、このまま帰るんだろ?なんて疑問形が返ってきて、頷いた。ここに戻ってくるから待ってて、と言い残されてとりあえず本類を元の場所に戻しに行く。内容がいくらすっからかんだろうがレポート出しただけで点にはなる、でもそれだけじゃ単位は取れないからきちんとやって加点しないといけない、なんて七面倒な決まり誰が考えやがったんだ。このくらいやったら合格ってラインをせめて提示してほしい。
 本を元の位置に戻して鞄の中身を纏めて、なんてしている内に雨はどんどん酷くなった。ぱらぱら、がいつの間にか、ざあざあ、になった事に気付いて窓の外をぼおっと眺めていると、小野寺がばたばたと走って戻ってきた。ただし、一人ではなかったけれど。
「あれ?」
「ん」
「弁当、どしたの」
「どうしたもこうしたも、まだ授業あるよ」
「伏見、俺補講あった、弁当と一緒のやつ。今下で会って聞いたんだけど」
「……あ、そう」
 小野寺から透明なビニール傘を受け取って、先帰るんだろ、と聞かれ首を縦に振る。自分の鞄を持った小野寺が弁当と連れ立って歩き出そうとして、ふと声が漏れた。
「お前、傘は?」
「ん?ないけど」
「……今日雨止まないよ、ていうか土日にかけて天気予報雨」
「マジで?うわあ」
「じゃあこれ俺使って帰ったら、どうすんの」
「あー平気平気!何とかするから」
「小野寺、そろそろ時間」
「うん、行く。じゃあ伏見気を付けて帰れよ!また来週な!」
「え、あ、うん」
 嵐のような勢いで走って行ってしまった小野寺と弁当に手を振り見送りながら、呆然。また来週、そっか、今日金曜日か。あいつ土日なんか用あるって言ってたんだっけ、ああ違う、俺が用事あるって小野寺に言ったんだ。何で暇じゃないって言ったんだっけ、特になにも、それこそバイトぐらいしかないんだけど、忙しいことにしたかったんだっけ。
 傘を片手にぶら下げたまま、鞄を肩に引っ掛けて窓を見上げる。ふと、二十分あったはずの猶予と、二十四時間が二回だと四十八時間なんていう当然の計算式と、ぜはぜは言いながらコンビニで傘買ってる小野寺が頭を過って、溜息を吐いた。
 なんか、ぐるぐるする。

「小野寺、結局傘どうすんの」
「コンビニでもっかい買うよ」
「こないだの台風の時、傘売り切れてたんだよね」
「ほんとに?今日は平気かなあ」
 俺にとっては突然の、でもみんなにとっては前々から予告されていた補講は、授業終了時間よりちょっとだけ早く終わった。割と急いでいるらしい弁当が珍しくダッシュで出て行って、その後を追い掛けるように廊下に出る。ざあざあと強めの音を立てて降る雨を横目で見ながら一歩踏み出せば、扉の陰から誰かに引っ張られた。
「うっわ、あ?」
「ねえ」
「えっ、え?どしたの、伏見」
 ぐいっと服の裾を握っているのは伏見で、お前一時間くらい前に帰ったんじゃなかったの、なんて。元々補講に真面目に出る奴なんて、俺みたいに出席回数もしくは成績がぎりぎりか、逆に弁当みたいにクソ真面目か、大方その二択だ。だからなのか、伏見の様子から見る限りでは外面全開でないと付き合ってられない相手はここには少ないらしかった。
 三人程で連れ立って出て行った女の子ににこにこしながら手を振り数言会話を交わして、すぐにまだ黙り込んだ伏見に、どうかしたの、ともう一度問い掛ける。珍しくもごもごと口ごもりながら、いや別に、だって雨が、ていうか明日とか、それに傘も、と支離滅裂に零している伏見を連れて、とりあえず元いた教室の後ろの方に座った。金曜日なことと補講なことが重なって、早くも教室の中には俺達以外誰もいなくなっていた。
「……だから、傘、お前の無いから」
「買って帰るって。待っててくれたのはありがたいけど、二人で一本は流石に」
「じゃあ、俺頭痛い、ことにする」
「痛いの?」
「痛くない……」
 ふるふると首を左右に振られて、若干途方に暮れる。なんて待ってたんだか全然分かんないし、なんでか知らないけどさっきより伏見がちょっと弱ってる。俺の服の裾を掴み続けて離してもらえないままの手の中に、試しに自分の指をそおっと滑り込ませると、案外従順に握り込まれて少し安心する。
 雨だからかな、それとも金曜日だからかもしれない、二日も会えないのにちゃんとさよなら出来なかったからかもしれない。ばたばたと雨が窓を打つ音が続く中、伏見が口を開いた。
「別に違うから、待ってたとかじゃなくて、お前いないのに家行くのやっぱ気が引けて」
「伏見今日家来るつもりだったの?明日明後日用事あるんじゃなかったっけ」
「なくなった」
「はあ」
「明日の夜までなんにもなくなったの」
「そう」
「……嘘、バイトはある。でもそれ以外はなんにもない、から」
「なあ、土日はずっと雨なんだって」
「じゃあ家にいなきゃな」
「そうだね」
「ずっといなきゃ、雨だから」
「そうだなあ」
「うん」
「伏見さあ、一緒に帰りたかったの?」
「ううん」
「そっかあ」
 何となく、だから言葉には出来ないけど、本当にぼんやりした感覚で、ちょっとだけ分かってきた。目を伏せているせいで長い睫毛がいつもより目立って、のろのろと緩く瞬きする度に揺れるそれに、ほんとに綺麗な顔してるなあ、なんて思っている内に、ふと上げられた目線が合った。どことなくぼんやりした目に、困った顔した俺が映っているのが見える。
「……お味噌汁飲みたい、油揚げと豆腐のやつ」
「今日の晩飯なんだろうね」
「もし違っても飲みたいの」
「そんくらいなら俺作れるよ」
「お前の作るお味噌汁、毎回味違う」
「ごめんって」
「割と好き」
「そう?」
「うん、割と」
 そう言ったきりまた黙ってしまった伏見に、雨もうちょっと弱くなるまで待ってみようか、と告げて笑ってみた。しばらくこっちを見ていた真っ黒な目は、よく分かんないままにとりあえずにこにこしてる俺から、雨が降りしきる窓の外、繋ぎっぱなしだった指先、と移って最後にようやく、瞼の下にゆっくり隠れる。
「……傘一本でも平気になるくらいまで、待ってようよ」
 へにゃりと笑われて、胸の奥の方がいきなりすごい勢いでぎゅうぎゅうに押し潰されるような感覚。どうしようもなく手を伸ばしてしまいたくて、でも場所的に自制心を働かせざるをえなくて、ぎりぎりの理性で自分の欲をどうにかこうにか殺す。もうそれでも残った衝動は、握った指に込める力を少しだけ強くすることで、仕方なく耐え抜いたことにした。結局我慢し切れずに、ちょっと撫でるだけ、と呟けば、しょうがない奴だとでも言わんばかりの顔で、肩に頭を乗せられた。いいってことか、いいんだな、触るぞこのやろう。
 ああもう、普段は生き生きと下衆い暴言吐きやがる癖して、周りどころか本人すら把握出来てないような変なタイミングで急に弱気になっちゃったりして、重ねて甘えてみちゃったりもして、ほんとにずるっこい、この悪魔。今回に至っては恐らく、自分でもなんでこうなってるんだか絶対訳分かってない。でも知ってる、俺には分かるんだ。伏見はきっと自分で思ってるよりもはるかに俺のことが好きで、その自覚が圧倒的に足りない。寂しいなら寂しいって言ってくれたら、好きだから離れたくなくて寂しいんですって正直に口にしてくれたら、俺だって何でもする。不意打ちは本当にこっちの身が持たない、良くない、駄目絶対。
 猫みたいに目を細めて大人しく髪の毛撫でられてる伏見に言ってやりたいこと全部飲み込んで、机の下で絡んでた指先を手のひらごとくっつけるように動かしながら、絞り出した。
「あの、ちゅーとか、したいです」
「駄目です」
「駄目ですか……」
「……だって、あそこのドア、開いてるし」
「閉めたらいいの?」
「やだ」
「やだか……」
「……どうしてもって言うならトイレね」
「えっ、うわ、あー待って、それ俺が駄目になるやつじゃん」
「駄目になんないでよ。それなら家まで待って」
「今お前すごいもん、可愛いもん、絶対待てない。確実に無理」
「じゃあ家まで我慢で」
「はい……」
「待て」
「……犬じゃないんだけど」
「んー」
 賢いわんこだなあ、なんて満足そうに言われても。ご褒美の餌をちゃんとくれるなら、いくらでも従順な犬になってやるけどさ。
 とりあえず、雨が弱くなったら、スーパー行って油揚げ買わないと。



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