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おはなし



 伏見は常に気を張っていて、他人がいる時は自分の本心を口に出したりしない。周りのことを執拗なまでに観察して、自分がどう動くのが最善かを瞬時に判断して、行動言動表情全てが利益を計算した上で形作られる。周りからの評価でこいつは動くのだ。
 要は、弓に弦が張りっぱなしにされているのと同じだ。外見の弦を張って、矢の代わりに言葉を放って、摩耗しきった頃にぶつりと切れる。切れたら替え弦と交換しなきゃならないけれど、弦は袋から出してそのまま張ればいい物じゃないから、前準備が必要になる。
 つまり、いつも完璧に見える伏見も人間なので、省エネどころか電源自体を切った状態というか、弦が切れて使えなくなった弓みたいになるというか、とにかく突然切れるのだ。月一程度で、例えば第二土曜日は丸一日休む、とか決めてくれるとこっちも驚かないで済むのだけれど、不定期に突然ぶっつり行くから全然気が抜けない。
 そして、今日はその日らしい。
「……あのう」
「なに」
「動けないんすけど」
「動かなければいいじゃん」
「はい……」
 そりゃあそうなんだけど、お前にお茶の一つも出したいんだよ、こっちは。そう言ってはやったものの、ベッドの上に胡坐をかいた俺の足を枕にして寝転がっている伏見は頑として動こうとしない。電源切れてんだから仕方ないか。お茶もお菓子も諦めよう。
 突然押し掛けてきて、どうかしたのかと聞いても生返事しか返ってこなくて、これはアレだなと何となく察した俺をベットの上に座らせ、おもむろに寝転がって、そのままだ。基本こうなってしまえば無言だし、俺が何しようが抵抗もしない。部屋を出ると、俺の服の裾を緩く握ってどこまでもついてくるし、こっちから話しかけると会話も成立する。外に出るのだけは、以前試した時に無言で首を振られたので、もう二度としないことにしているけれど。
 伏見はこうなってしまうと笑いもしないし怒りもしないし、会話してても普段の毒気は皆無だし、正直とてもつまらない。けれど、高二の頃辺りから電源切れてる時にはほぼ毎回と言っていい程俺の所に来るようになったので、頼られてる感じはして気分が良いというか、普段だったら有り得ない状態の伏見を俺しか知らない優越感というか、そういう感じで。
「伏見、頭痛くねえの」
「うん」
「やらかくなくてごめんな」
「別に、そんなに」
 ごろりと寝返りを打って俺と目を合わせた伏見が、そのまま仰け反るように膝から落ちたので、慌てて引っ張り起こす。ちょっとは自分で起き上がる努力をしろと言いたくなるくらいに力が抜けていたので、試しに途中で手を離してみた。すると小さく何と言ったんだか解読不能な声を上げてベットに突っ伏し、そのまま動かなくなったので、ずるずると引っ張り起こす。
「……お前な」
「なんで離すの……」
「受け身ぐらい取んのかなって」
「ベットだしいいや、って思った」
「そっかあ」
 散々揺すられてぼさぼさになった伏見の髪を手で弄っていると、眠いから布団を貸してほしいと訴えられる。いつもだったら、俺寝るからお前ちょっと部屋の外行くか今すぐ呼吸やめるか選んで、くらいは言って勝手に布団に潜りこんで寝る癖に、全く。
 素直になれないとか甘え下手とか、そういう次元からも逸脱しているこいつはただただ面倒で、歪んでいる。今だってきっと、目の前にいる相手は俺じゃなくたって全く構わないのだ。何にも聞かないで自分の言うことを聞いてくれるのが俺だから、定期的に止まり木にしているだけ、なんだと思う。まあ実際の所は、伏見が何を考えているのか俺にはほとんど分からないし、推測したって当たる訳がない。だってこいつは俺なんかよりとんでもなく色んな物を見聞きして、考えながら過ごしてる、頭のいい奴なんだから。
 それでも、家以外で素になれる場所って言ったら俺の前だったり、他の奴らに向けてる上辺が俺の前では舌打ちと暴言に変わったり、そういうことが嬉しいから、俺はこいつから離れられない。逆に、気の抜けた様子だったり笑顔の剥がれた表情だったりを俺以外の前で浮かべている伏見を見たら、俺は何をするか本気で分からない。想像もつかないし、想像したくない。
「……伏見さあ」
「うん?」
「あー……まえ、がみ?伸びてる」
「そっかな」
 俺の事好き?とは、何となく聞けなかった。今のこいつなら本当に本当の心からの言葉を吐いてくれるのだろうけれど、俺はそれを聞くのが怖い。
切らなくちゃ、と自分の前髪を見上げる伏見の頭を引き寄せて、二人してベットに倒れ込んだ。笑いもしない、怒りもしない、何もかもどうでもいいと言いたげなこいつの顔は、案外嫌いじゃない。頭の中を空っぽにしたこの泥みたいな時間の中に、一欠けらだけでも俺が存在しているなら、俺じゃなきゃいけない要素があるなら、この瞬間が永遠に引き延ばされたって構わない。結局のところ、自分だけが知っている表情や反応や瞬間だけを切り取って、そればかりを振り返るくらいには、俺はこいつに一方的に依存していて、吐き出される毒が体中に回り切っている、ただそれだけのことで。常用性のある薬を絶えず飲まされているのと同じだ、きっと捨てられたら生きていけない、勢い余って殺人犯しちゃったりして。
「伏見、俺の事捨てる?」
「まだいる」
「いらなくなる?」
「いつかはなるだろ」
 お前だってそうじゃん、と呟かれて、そうかもなあと笑った。
 男同士だからこうなったんじゃなくて、出会い方が違ってたらこうはならなかったわけでもなくて、俺もこいつも最初からどこかが致命的におかしかっただけ。伏見は知らない振りが上手だから自分すら騙して無かったことにしているようだけど、俺は馬鹿なので最近気付いてしまった。見なかったふりも嘘吐きも大の苦手なのに、今更どうしろっていうんだ、。
 どうも、おかしいのは周りではなくて、自分達の方だったようだ、なんて。



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