このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

おはなし



七年目、の夏。出会ってからのカウント、もとい伏見が素で俺に接するようになってから、七年。その間なにがあったかなんてもう細かく言えやしないけど、七年間変わらずに一緒にいられたことは、変えようのない事実だ。
茹だるくらい暑い日も凍りそうに寒い日も、雨が降る日も雪が降る日ももちろん晴れの日も。遠出した帰りに通り雨に降られてびしゃびしゃになりながら家まで走ったこともあったっけ。暑い溶ける死ぬってぼやく伏見引き摺って無理やり出かけたこともあった。家の中で二人だらだらごろごろしてるだけの一日もあったし、前々からちょっとずつお金貯めて行けるところまで行ってみようって当ても無く出かけた一日もあった。伏見が外面使わなくてもいい場所まで旅行に行ってふらふら観光して健全に過ごした二日間があれば、家に籠って延々やらしいことして二人して指先動かすのも怠くなるまで不健全に過ごした二日間もあった。
高校出て、大学入って、伏見が素で接する友達が増えた。その中で俺はたった一つの特別になれてるのかな、とは聞けないまま、四年が過ぎようとしている。あいつの中で俺ってなんなのか、馬鹿な俺は未だに理解できないまま、七年過ぎようとしている。
立ち位置、というか。恋人、ペット、腐れ縁、親友。伏見の中での俺の居場所。そんなもの気にすることないと目を逸らしていたけれど、どうも現実的にそうはいかないようで。二十二なんて年齢だとか、大学卒業とかいう節目とか、そんないろいろをべたべた貼り付けられながら、伏見の隣を守ること七年目。
そろそろ、飼い犬じゃいらんないのかなって思い始めたのは、最近のことだ。
「ん」
「……なんでいんの」
「課題纏めてたから、一緒に帰ろうと思って」
「うん」
 ふらりと教室から出てきた伏見と鉢合わせして、小声の早口で問い掛けられた。鉢合わせというより待ち伏せなんだけど、そんなことこいつは言わずとも察するだろうから黙っておく。目を細めて暴言を吐かれることも舌打ちされることもないままに、くるりと振り返り気味に視線を外され、なんでだろうと声を掛けようとして、咄嗟に口ごもる。一緒に授業を受けていたらしい、俺の知らない人間とにこにこしながら話している伏見に、伸ばしかけた手を下ろした。
 こういう時に俺が邪魔だってことくらい、もう知ってる。俺の存在がこいつの背負うリスクを跳ね上げてることだって、十分知ってる。きっと今伏見は、ちょっと小野寺どっか行っててくんねえかな、とか思ってる。
 俺はこいつの書いた台本通りに動けないから、分からないから、空気が読めないから。伏見の立てた計算尽くの筋道から外れてふらついてる俺は、いつか見捨てられるんじゃないかって思うと、怖い。それならこいつの考える通りに動いたらもっと許されるのかと思って、いっぱい考えて演じて偽って過ごしたこともあったけど、伏見はすごく嫌そうな顔で、お前には失望したと吐き捨てただけだった。それは足元が一気に全部崩れたみたいな感覚で、酷く怖くて、死にそうなくらい怖くて、もう二度とするもんかって思った。
こんなこと今まで考えたこともなかったけど、大学卒業の四文字は思っていたより重くて、今度こそ本当に離れ離れになるんじゃないかって不安で押しつぶされそうで、どうしようもなくて仕方ない。俺が唯一必死で縋れるのは、こいつが俺に突きつける不正解と、正解した時の小さな小さなご褒美だけだ。
伏見が前に話してくれた、卒業して働き出したら一緒に住もうって約束。あれ、ちゃんと覚えてんのかな。それともあれも口約束だったのかな。卒業したら、邪魔っけな俺は伏見の記憶の中で無かったことになって、ゴミ箱に捨てられるのかな。
「小野寺?」
「えっ、あ、うん、ごめん」
「……なにお前、風邪でも引いたの」
 訝しげな顔で俺を見上げる伏見に、大丈夫だと手を振れば、お前がいなかったらみんなと行ったのに、と溜息混じりに零されて喉が詰まる。邪魔になってるんだなんて知ってるけど、辛くないわけじゃない。
 なんでこんなに不安になるんだろう。今まで深く考えないようにしてたのは、無意識の自己防衛だったんだろうか。伏見はいつか俺のことを必要としなくなるんだろうなって思ったことはあった、けどそこまでだったのに。
 時間に追い立てられて、急かされるように毎日過ごして、ばらばらになるまであと何日だ。逆算せずともカウントダウンできるようになってからじゃ、とっくのとうに遅い。俺はただ、こいつの傍からいなくなりたくないだけだ。
「行かねえの?」
「……伏見予定あったんならそっち優先でもいいかなって、俺勝手に待ってただけだし」
「はあ?」
 なに言ってんのお前、と変な顔を向けられて、曖昧な笑顔で答える。嫌だ、失望されたくない、邪魔になりたくない、一緒にいたい、それだけなのに、どうして。
 こいつが望む通りの俺を俺が演じたって、どうせ嫌がられるだけで。けど反対に独り善がりに動いたって、それは単なる邪魔にしかならなくて。疑いの目を向ける伏見の背中を押すように足を進めて笑いながら、今の行動は正解だったんですか、と誰かに聞きたくなった。
 いつかきっと俺がここにいる必要はなくなって、その方がこいつの為にはなるのかもしれないけど、いらないと思われたくない。覚えていてくれたらそれでいいよ、なんて言ってやるつもりはさらさらないのだ。いつまでもどこまでも、未練がましく追いかけるに決まっている。
 欲望まみれの我儘を俺がどれだけ吐き出したところで、きっと伏見は綺麗な顔を不快そうに顰めて、その後にちょっとだけ笑うんだろう。みんな纏めていつか無かったことにして、俺のことなんて頭の中のゴミ箱送りにしてしまう癖に、笑って言うんだ。
「小野寺、ねえ、聞いてんの」
「はっ、え、なに?ごめん、ぼーっとして」
「……具合悪いの、顔青いよ」
「え、いや、ううん……」
 びっくりした。伏見がそんなこと言うなんて珍しいから。俺の知らない知り合いとすれ違う度に声掛けられて、それに外面全開で答えて手を振って、なんて繰り返してる合間に挟まった小声が、ぎりぎりで耳に届いた。
「……なにしてもいいけど、妙なこと考えんなよ」
 一瞬だけ向けられた、女王様然とした顔。俺しか知らない、他人をみんな踏み台か何かだとしか思ってない時の目。細められた瞳は暗くて濁ってて、きっと俺なんかが考えてることなんて全部読み取ってて、それでいて尚のことこの態度なんだろうな、なんて。だって、俺がもやもやしてるのなんて伏見からしたら恐らく相当分かりやすいし、何について考えてるのかなんて最高にどうだっていいんだろう。
 それに、妙なこと考えるなとか言う割になにしても良いって、どういうことだよ。こいつの言葉は難しくて、俺はいつも理解が追い付かない。
「……なにが?」
「別に、俺ルーズリーフ買い行くから」
「うん、俺も行く」
「ん」
 ぱしりと当然のように手を取られて、伏見を見下ろす。唖然とした俺の顔がぱっちりした目の中に写っているのが見えて、声も出なかった。俺の後ろにコンマ数秒だけ視線を向けた伏見が、困ったような笑顔を張り付けて鞄を肩に掛け直す。
「俺さっきの授業実験だったんだけど、なんか目がちかちかしてさ。階段掴まってもいい?」
「え、うん、いいけど」
「ありがとっ」
なんて言いながら俺越しにひらひらと手を振って、こないだすっぽかしてごめんね!とか叫んでる伏見は、もうこっちなんか見ちゃいない。タイミング的に、さっきの実験がなんたらなんてのは嘘もいいとこだろう。こいつはこういう嘘を吐くのが上手いから。案の定、お前どうしたの、なんて俺と繋いでる手を見下ろされながら聞かれてる伏見は、知らない男に向かってさっきと同じような嘘八百の説明をしていた。
「えー、お前大丈夫なの」
「うん、ちょっとこいつに掴まらしてもらいながら帰る」
「そっか、気を付けろな。あ、じゃあ、今日の夜も来れない感じ?」
「ごめんね、こないだもすっぽかしたばっかりなのに」
「前回も今回も仕方ないって。また予定空いてる日教えろよな」
「んー」
 ばいばい、なんて言いながら手を振った伏見が、黙っていた俺を横目で見て、薄く笑った。他の奴らに向ける笑顔じゃなくて、にたあって口の端吊り上げる下衆い笑顔。思わず一歩引くと、ほんの数秒前まで申し訳なさそうな顔してたのが嘘みたいに、計画通りって表情で。
「俺あいつの彼女嫌いなの、うざくてしつこくて」
「……ひっでえの」
「なんか勘違いしてるし羽崎にべったりだし、邪魔なんだよね。別れねえかな」
「あいつ羽崎っていうの?」
「うん。お前授業一緒じゃないっけ」
「知らない……」
「あっそう。とにかく俺今あんまりあいつと絡みたくなくてさあ」
「ふうん」
「あんなんといるならお前んとこ行って甘やかされた方がマシだっての」
「甘やかしてなんかやらないぞ」
「ええ……」
「伏見の我儘は金がかかるんだから」
「でも手離さないじゃん」
 ほら、と二人して見下ろした手は当然繋がれたままで、そりゃあお前が繋いできたから、と零しかけて、やめた。手を離せないのは俺の方だなんて、自分が一番よく知ってる。伏見から手を離そうとしない限りこのままがいいと望んでいるのは俺の方で、しかも相手はそんなこと考えちゃいない。俺からの一方通行、独り善がりだ。よりによってこんな時に手を伸ばしてくる、優しさとか思いやりなんて温かい言葉とは到底縁遠い、暴力じみたエゴの塊。全部分かってて、見透かしてて、それでいて笑ってる癖に。俺のことを助けようとして差し伸べられたわけではない手に、どうしても縋ってしまう。
 お前がなに考えてるかなんて知らねえしどうでもいいけど、なんて前置きして俺の爪先をなぞった伏見が、内面垂れ流しのにやにや笑いのまま、小声で呟いた。
「ぐだぐだ悩んでる時のお前、すっげえしつこくて好き」
「……しつこいの嫌いなんじゃないの」
「そんなこと言ったっけ」
「今さっき」
「うるっさいなあ、じゃあ今好きになったの、今」
「……あ、そうすか」
「今日晩飯なにかなあ」
「お前自分の家にちゃんと帰れよ」
「三日中二日は帰ってるじゃん」
「着替えて寝るだけじゃなくて、家で過ごせって」
「じゃあ小野寺うちに住む?」
「そうじゃなくて」
「あ、そういや帰り不動産屋寄るからついてきて」
「ふど、え?」
「なに?」
「お前家出るの?」
「はあ?」
「え、だって」
「一緒に住むのに俺一人に考えさせるつもりなの?」
 立ち止まり、不満そうな顔でこっちを見た伏見が、外に繋がる扉から差し込む光にちょうど照らされて、目が眩んだ。俺はこいつが思う通りに動けないし、こいつがなに考えてんだかも分かんないし、いつか興味を失われるんじゃないかってびくびく怯えながら、それでもなんとか差し出される手に縋ってるけど、伏見の方だって大概俺の考えてる通りには動かないし、頭の螺子は百本くらい抜けてる。要するに、俺とこいつは一番根本の部分だけ見れば、似た者同士なのだ。例えば、相手の考えていることが永遠に理解できそうにないとこ、とか。
 いつか俺は伏見の中でいらない存在になって、そしたらきっとぐちゃぐちゃっと丸めて頭の中のゴミ箱に投げ入れられて、道端で会っても目も向けられない、他の有象無象と同じになってしまうんだろう。一生一緒にいるなんて無理だなんて、ただ認めたくないだけで、そんなこと分かってる。縋っていたいだけで、不可能なことなんて知ってる。けどきっと、俺が今必要とされてる理由は外面のお面を外して楽が出来る止まり木だから。いつか俺が不必要になったその時は、伏見の分厚い化けの皮が一緒にゴミ箱送りになったらいいなって、そうなってほしいなって、なんとなく思う。
 いらないって言われて、無かったことにされたその時に、また他人から始めることだって出来るかもしれない。どれだけかっこわるくても、ただの使い捨ての駒でも、伏見の隣にいる術を何度も繰り返し考えていけば、それでいいのかもしれない。今の立ち位置に無理やり居座り続けなくても、どんな形であれ隣にいられれば、それで。
 こいつにとって俺が特別な何かになれるように、ちょっとでも長くしがみ付きながら、無い知恵絞って考えてみる。不確定な未来でもぼんやりと、どうしたらいいか見えた気がした。
「……覚え、てたんだ」
「ほんとは誕生日プレゼントにするつもりだったんだけど、お前なんか変だし、前倒し」
「そ、っか。も、すぐだし、うん」
「なに、はあ?っちょ、なに、泣きそうになってんのお前」
「うー……ごめ、だめだ」
「ふっざけんな、どこだと思ってんだ、恥ずかしくねえのか馬鹿っ」
もごもごと小声で俺を罵倒しながら、顔では気遣うふり。そのまま人目につかない自販の裏まで連れてこられて、ばしりと頭を叩かれた。その衝撃でばたばたと落ちた涙にぎょっとしながら、慰めるのが下手くそな伏見が困った挙句、吐き捨てるように言った。
「……んだよ。そんなに嫌なら別にいいけど」
「馬鹿言うなよお……」
 どうかこのまま、家の鍵という鎖を嵌めたまま、少しでも長く隣で息をしたい、と。久しぶりに胸のつかえが取れた気分で、泣きながら思った。




46/69ページ