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おはなし



「あっ」
「ん?」
「伏見の財布」
「……ほんとだ」
 バイト終わって、明日三限からだしあまりにも腹が減ったからちょっと寄り道しようと思ってファミレス入ったら、授業で何回か見たことある連中と有馬がいた。確か伏見と弁当と有馬は取ってて俺だけ取ってない授業の奴等だ。あの授業一年の時どうしても苦手だったから、選択の時に諦めちゃったんだよな。家じゃどうせ勉強出来ないししようとも思わないから、手付かずの課題でも進めようかと思ってもいたんだけど、ちょうどあっちが解散になるみたいだったから声を掛けてみれば、ふらふらと有馬がこっちに合流した。
あっちの人達と一緒に行かなくていいのかと聞けば、三野瀬は彼女のバイト終わって迎え行くとこで椎名は麻友ちゃん送ってそのまま帰るんだって、と事細かに説明されて、それって要するにみんな帰るってことだろ。見りゃ分かることをわざわざ教えてくださったことへのお礼代わりに、一発小突いておいた。
 適当に食い物頼んで、鞄の中に突っ込んどいた課題を引っ張り出そうと探すと、なぜか伏見の財布が出てきた。二人して顔を見合わせて、一応携帯を確認してみるも、連絡等は何も入っていなかった。気づいてねえのかな、そんなはずはないと思うけど。
「財布が無くても大丈夫な日だった」
「誰かに貸してもらえた」
「ただ黙ってるだけで小野寺が明日死ぬ」
「有り得るからそれ、嫌だから言わなかったのに」
「そういえば伏見昼も食ってないんじゃねえの?」
 ぽつぽつと可能性を出し合って、最後に出た有馬の言葉に顔が青くなるのを感じた。朝も急いでて食べられなかったとぼやいていたことも追加で思い出して、脊髄反射で電話を掛ける。
この時間じゃ出ないだろ、なんて呆れ声の有馬を横目で睨み付けながら、お前は俺が一週間くらい奴隷のような扱いを受けてもいいのか、と吐けば、それはいつもと何が違うんだと不思議がられて、携帯を下ろした。
「……それもそうだわ」
「納得すんなよ……」
「いつも以上に扱き使われるとしたら、もう内臓売るくらいしか残ってないもんな」
「え、そんなにアレなの、お前ら、ちょっと引く」
「やめろよお」
「照れんなよ!気持ち悪いな!」
 別に照れているつもりはなかったのだけれど、傍から見えたのならそうだったのだろう。逆に今の時間に電話した結果、もしかしたら寝ているかもしれないところを起こしてしまう方がよっぽど危険なのではないか、という結論に二人で至って電話を掛けるのをやめた。一応メールだけしておこう、お前の財布が俺の鞄に入ってましたけど大丈夫ですか、と。思わず敬語になってしまうのは若干の恐怖からだ、分かってほしい。
 最後の授業は確か伏見と弁当が一緒だったはずだ、という情報を有馬から得て、知らない誰かの元ではなく弁当の所にたかりに行ったことを願った。弁当には悪いけど、その可能性が一番高いし安心で安全だ。だらだらと飲み物を取りに行ったり、その間に机に出しておいた課題を有馬に奪われたり、それを奪い返したり、また奪われて何故か怒られたり、今ここで課題なんかやったらそのピアス引き千切るぞ、と脅されたものの言った本人が耳を押さえて震え始めたりしている間に、ようやく飯が来た。腹減った、と零せばのろのろと顔があげられる。
「痛い……」
「ちょっと引っ張ったくらいじゃ痛くねえって」
「そういう問題じゃない……」
「じゃあどういう問題だよ、フォーク取って」
「じゃんけんで勝ったら取ってやるよ」
「お?言ったな?俺じゃんけんはすげえ強いよ」
「いいのかよ、お前がいっつも最初にチョキ出すことは知ってるんだからな」
「は!?そうなの!?」
「伏見が言ってた」
「えっ、嘘、じゃあチョキは出さない」
「それを俺に言っちゃ駄目だろ」
「あっ」
 結局あいこ二回で俺が勝って、チョキを最初に出す癖があると伏見が言っていた、なんてのは有馬がかけた揺さぶりだと分かった。ちくしょう、馬鹿の癖に余計な知恵を付けやがって、なんて思ったけど騙された時点で俺も恐らく同レベルだ。どんぐりの背比べ、とこの間のテストの時に称されたのを思い出して、なんかちょっと落ち込んだ。
 もごもごとスパゲッティを口に入れながら目線だけ教科書に落とす。まあ当然のことながら全然頭に入らないし纏まらない、まずそもそもこの授業を受けた覚えすらない。有馬はぶつくさ文句を垂れているけれど、こればっかりはやらないと仕方がないやつだ。ていうかどうせお前もやってないんだろ、紙ならやるからやっちゃえよ。
「まだ提出まで時間あるじゃん、家でやるからいいよ」
「弁当怒るぞ」
「あいつ最近課題見せてくれなくなったの、参考までにって言っても駄目だって」
「自分でやれってことだよ」
「ノートは見せてくれるんだけどなあ」
「そんならいいじゃん、俺も見せてもらおうかな」
「嫌だ、弁当ノートは俺の」
「独り占めすんなよ、ずるい」
「お前には伏見がいるじゃん、あいつも頭は良いんだから教えてもらえよ」
「そんなことしてただで済むと思ってんの?」
「あいつ馬鹿嫌いだもんなあ、何で小野寺とつるんでられるのか不思議」
「お前だって、なんであの弁当のノート見てんのに頭悪いの?そっちのが不思議」
「え……えっ?なに、なんて?」
「……性能の違いだな」
「俺のが新型のはずなんだけど、誕生日的に」
「劣化版ってもんが存在すんだよ、残念ながら」
 そんなこと言うなよとか何とか言いながら有馬が静かに俺の教科書を閉じるので、もう諦めて課題はやらないことにした。どうせ教科書を開いてたって進みそうにないし、別に俺元々そんなに真面目なわけでもないし。フォーク咥えながら課題と教科書を鞄にしまうと、有馬が嫌に良い笑顔を浮かべてにっこにこしてたので、お前と一緒にすんなよ、と思う。多分相手にも同じこと思われてるんだろうけど。
 それからしばらくだらだらと飯を食って、他愛もない話をして、いつの間にやら有馬は伏見の財布を俺の鞄から勝手に出していた。いいなこれホワイトハウスコックスだ、と呟いた有馬に、今なんつった、と聞き返す。なんかのゲームの呪文とかならまだしも、少なくともこいつの口から出ていいような言葉じゃなかった。そんな長い横文字すらすら言えるわけないだろ、舐めてんのか。
「え?だから、これ」
「財布」
「ホワイトハウスコックス」
「は?財布じゃねえの?」
「財布だけど。聞いたことない?」
「ない」
「ブランドものだよ、伏見こんなん使ってんの?金持ってんなあ」
「それ確か大学受かった時に姉ちゃんか誰かが買ってくれたやつだよ」
「いいなー、俺のと交換してくんねえかな」
 あいつの持ってるものいちいち高価で腹立つ、と眉根を寄せた有馬が財布を勢いよく開けたので、ちょっとそれは待てと止める。流石にそれはダメだろう、だってそもそも持ち主がここにいないし、ましてやその財布の持ち主は伏見だ。お前が普段何をしようが困り顔程度で許してくれる弁当とは違うんだぞ。
 そう告げれば、でもばれなければ大丈夫だろ、なんて言いやがるので、止める気も失せた。まあ別に中身抜こうってわけじゃないし、確かに元通りに直しておけば気づかれないかもしれない。というか何より俺だって気になっていないわけじゃないんだから、正直あんまり強く止めようともしていない。財布の中身には人柄が出るとかよく言うけど、外見の感じだと小銭があんまり入ってなさそうだ。まあそれも伏見らしいというか何というか、もういい、正直に言おう。俺すっげえ財布の中身見たい。そんじょそこらの見たいと一緒にしてもらっちゃ困る、超見たい、ものすごく見たい。
 でも知らない店のレシートとか出てきたら嫌だな、しかもお二人様だったりしたらもっと嫌だ。悶々とした気持ちを抱えながら、嬉々として財布を開ける有馬を見ていると、一枚の紙が取り出された。うわ、やだ、レシートは勘弁。
「これ、高校の時の?」
「う、い、えっ?」
「何構えてんのお前」
 見せられた紙切れはどうやら何かの切り抜きのようで、受け取って見れば確かに高校の時の同級生たちが弓道着に袴姿で笑っていた。大会に出た時の校内新聞かなにかだろうか。こんなん入れとくなんて普段の様子からじゃ考えられないというか、外見を取り繕うためならまだしも財布なんて誰に見られてもおかしくない場所にこれがあるのはあいつらしくないっていうか、なんだかむず痒い気分になる。何でこれ財布に入れてんのか、聞いたら教えてくれるかな。
 いつの間にかにやけていた顔を指摘されて、仕方なしに紙を返す。有馬は特にあの切り抜きに興味がないみたいだけど、よく考えてみろ。基本的には他人を自分の踏み台だとしか思ってない、もっと言うなら、自分以外みんなゴミだから踏みつけて歩くけど、可哀想だからせいぜい可愛い俺が手くらいは振ってやるよ、喜べお前ら、って認識のあの伏見が、思い出に浸るような真似してんだぞ。どう考えても可笑しいし、逆にちょっとくらいときめいたって仕方ないだろ、そりゃあにやにやもする。そう力説していると、確かに珍しいけど伏見だって一応は人間なんだからぎりぎりで微かに残っていた良心が奇跡的に働いた結果こうなったのではないか、あとお前は眼科に行った方が良い、と諭された。そこまでは言ってないんだけど、と若干躊躇したものの何とか分かってほしくてもう一度口を開いた俺に半目を向けながら、カード類が入ったポケットに指を突っ込んだ有馬が、突然変な顔をした。
「……小野寺」
「なんだよ!あの伏見だぞ、不良が雨の中猫に傘貸して自分は濡れる感じだよ!分かれよ!」
「いやもうそれはいいよ」
「よくねえよ!あいつ高校の時の部活の友達みんなにも終始猫被りっぱなしだったんだぞ!」
「そうなん?そこまで行ったらいっそ尊敬ものだわ」
「だろ?そしたらさっきの写真ってすげえんだよ」
「だからそれはもういいんだって。じゃなくて、伏見って免許持ってたんだ?」
「は?うん」
 ああなんだ、知らなかったのか。伏見は誰も気づかない内にいつの間にか免許取ってて、しかも取った後もしばらく黙ってて、いつだか年齢確認された時にしれっとした顔で平然と免許出して、店員どころかまず俺に疑われる始末だった。ちなみにいつ取ったのかは未だに分からず仕舞いのままだ。いくら聞いても何故だかふわっふわはぐらかされて、結局聞き出せた試しがない。だから俺個人の中で一番濃厚なのは、偽造免許説だ。
 その話しなかったっけ、と聞けば、知らないと首を横に振られた。
「有馬は?」
「取ってない、大学出るまでに時間作るつもりではいるけど」
「俺は別に、車乗りたいと思わないしなあ」
「なんで?移動楽じゃん」
「チャリのがいろんなとこ通れるだろ?近道できる」
「小野寺は自転車を信用し過ぎだと思うんだよ」
「え?だってタダだし、自分が頑張ればどこまでも行けるし」
「ていうかそんなら原付のが良くね?小回りも利くし、あれってちょっと早いチャリだろ」
「んー…原付乗るなら車にしろって兄ちゃんに言われてるしなあ」
 そういや弁当は免許持ってるのかね、なんて話に自然と流れて、どうだったっけ、と笑いながら言葉を漏らした後、二人して黙る。どうだったっけ、割とマジで。
 実家の方じゃ車じゃないと移動が辛いとかいう話を聞いた覚えがあるから持ってるような気もする、と俺が口火を切ったものの、でもあいつ一人暮らしだから割と頻繁に買い出しに行く癖に毎回ぜえぜえ言いながら荷物抱えて歩いてる、ともっともな言葉が返ってきて、振り出しに戻った。弁当こそ、中古でも何でもいいから原付やら軽やら買えばいいのに。そしたら買い物もちょっとは楽になるだろうし、疲れるだの遠いだのって理由で家近辺しかうろうろしないあの性分も変えられるはずだ。ただしそれは免許を持っているならの話であって、あいつは自他ともに認める程度には運動神経が無いから、取ってない可能性もある。
「ちょ、えっ、気になる、このままじゃ俺寝れない」
「そんなに?明日にでも聞いてみればいいだろ」
「やだ、電話する」
「今何時だと思ってんだって怒られるよ」
「大丈夫、弁当は電話には基本必ず出るから」
 それは緊急だった場合の事を考えているだけではないかと思わなくもなかったけれど、有馬がもう既に携帯を耳に当てていたので何も言わないことにした。時計を見ればもうじき日付が変わるぎりぎりで、バイトが終わってここに来てから結構な時間が経っているようだった。いつの間にこんなに時間が経ったんだ、結局課題は微塵も進んでないし、無駄にも程がある。全くもう、と溜息を吐きつつ、でも本気でこの時間を無駄だと思っていたわけではないから、どういうことだかは察してほしい。無駄な話の積み重ねで飛ぶように時間を浪費させて、それでも特に飽きさせることもなく、むしろ時間の経過にすら気付かせないって、もう既にきっと一種の才能だから、もっと誇っていいと思う。
 この時間にくだらない電話されたら、俺だったら適当に流して切るけれど、弁当はどうだろう。元々優しいし、その上有馬相手だし、即行切ったり留守電に回したりはしないだろうな、と思いながら欠伸を漏らすと、繋がったのかぱっと有馬の顔が明るくなった。
「弁当今平気、うん?なに、どした?は?もうやだ?なにが?」
「……なんかあったの?」
「や、なんか弁当が、変」
「へん?」
「うん、財布?伏見が、あっそう、お前のとこいるの、今?寝てる、は?起きてる?」
「伏見やっぱり弁当のとこいたんだ、よかったあ」
「お前ちょっと落ち着けって、怖い?誰が、なに、伏見が?」
「はあ?なにしてんのあいつら」
「わかった、なに、うん、お前今家にいんだろ?今から行くからちょっと待ってろな」
「……なんだって?」
「なんか、弁当のとこで伏見がしこたま飯食ってそのまま寝て、怖いって」
「息してないとか?」
「それ死ぬやつじゃん。なんか時々急に起きて変なこと言って寝るとか」
 ああ、と納得したような声をうっかり漏らしてしまった。疲れてるとこに食欲の限界まで飯食ってそのまま寝たから、ちょこちょこ寝ぼけて起きて、普段だったら理性でセーブしてる諸々がぼろぼろ出ちゃってるんだろう。怖いっていうのは恐らく、他人に見えないものが見えてるとか、顔が真っ青で今にも死にそうとか、そういうんじゃなくて。例えばほぼ初対面の人に向かって名前と誕生日と家族構成を言い当ててみせるみたいな、そういう怖さだ。弁当に置き換えて考えてみるなら、誰にも話してないことを何故か伏見が知っていて、しかもそれを不定期にだらだらと零され、尚且つ張本人は無責任にも言うだけ言ってまたすぐ寝るんだから、そりゃあ恐怖以外の何物でもないだろう。
 そんなら拾いに行かないと、と若干痛み始めたこめかみを押さえながら口にすると、弁当が相当やばいっぽかったから俺今から行くって言っちゃったよ、と有馬が俺の鞄を手に取りながら言った。それは助かる、寝ぼけてる伏見はレアだがかなりめんどくさい。
「で?どうやって弁当の家まで行くの」
「え?電車じゃねえの」
「もう終電出てるだろ、多分」
「じゃあタクシー?」
「住所分かんなかったら説明出来なくねえかな」
「バス、は無いな」
「……歩くか……」
「うわ……歩きか……」
 会計を済ませてファミレスを出る。たらたら歩いてたらいつまで経っても着かない上に、さっきの電話の様子からして弁当が心労で死ぬので、歩きというよりは小走りで、若干急ぎ目に暗い道を進んで行く。この年になってマラソンもどきを自主的にすることになるなんて、思ってもみなかった。
「そもそもお前が伏見の財布なんか鞄に入れっから」
「俺じゃないよ!入ってたの!」
「動機は普段の復讐だろ?伏見に頭を垂れさせたかったんだろ?」
「んなこと言ってる暇があったら急げよ、弁当の胃に穴開けてえのかよ」
「……ちょっと、割と笑えない感じだったから、それ」
「うん……なんかごめん……」



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