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おはなし


「ピアス」
「あ?」
「ピアス開けたい」
 卒業式も近づき、学校に来る奴も少なくなった頃。後輩達が授業の間好きなだけ弓が引けると思って学校に来たのは良いものの、どうも今日は学校側の何たらって理由で道場が開けられないらしく、見事に無駄足になった。道場が開けられないことが分かればもう後はどうだって良かったので理由は右から左へ抜けて行ったけれど、聞いていたふりはしたのでいいだろう。
 ついてきていた小野寺が、帰んないでどっか行こうお願い春休み中放置すんのやめて俺達付き合ってんでしょ?とうるさいので、仕方なく小野寺の家に引きずり込まれてやって、今に至る。椅子に逆向きに腰掛け、背もたれに腕を引っ掛けて小野寺を見ると、伏見に見下ろされるなんて視界が新鮮、とか余計なことをほざくので、黙れの意を込めて舌打ちを贈った。
「勝手に開けりゃいいじゃん」
「伏見もやって、お揃いにしよ」
「お前が顔面ピアスだらけにしたらいいよ」
「じゃあ、伏見がやって」
「なんで」
「なんでって、理由とかないけど」
「それなら俺じゃなくてもいいでしょ」
「伏見がいいの」
「なんで」
「だから!何となく伏見にやってほしいなあって!」
「お前は、俺に、穴を開けてほしいんだ」
「うわ、その言い方やだ……」
「だってそうだろ」
机の引き出しからピアッサーを取り出して俺に投げる小野寺に、一応確認を取る。当然だけど、ピアスなんてしてたら弓道は出来ない。矢か弦に引っかかって耳が千切れてもいいのなら止めはしないけれど、勧めはしない。最初のやつって何か月か取っちゃいけないんじゃないの、と聞けば、転がっていたピンで髪を止めた小野寺が首を傾げる。
「え?引退したじゃん」
「は?」
「俺、自分の弓持ってるわけじゃないし。多分もうやんないよ」
 そっか、と返した言葉が声になっていたかは分からない。言ってることは至極自然だし、そりゃあそうなんだけど、何となく納得したくなくて、口を噤む。俺の手の中にあるピアッサーを使ってしまったら、こいつはもう道場には戻ってこないわけで、それは嫌っていうか、そんなのもう今更思い浮かばないっていうか。
 一人でいる自分が想像できなくなったわけじゃない。後ろを振り返った時に、いつもみたいにこいつが笑っていることが確定事項でなくなることが嫌だ。ピアス一つで何言ってるんだと自分でも思わなくもないけれど、手の中で生温くなる小さなプラスチックを今すぐに捨ててしまいたくて仕方が無かった。
「伏見ー?」
「……んー」
「嫌だったらいいよ、俺やる」
「うるさいな、もっとこっち来い」
「……手え滑った、とかやめろよ、洒落になんねえから」
「俺がそんなことするように見えんの?」
「すんなよ!振りじゃないからな!」
「分かってるよ、馬鹿」
 びくつく小野寺を笑って、考えるより先に手に力を込める。音もなく空いた穴を塞ぐ細い金属と、血も出ないような小さな傷を見て喜ぶ小野寺に冷たい視線を向けた。けれどこんなものに嫉妬じみた怒りを覚えるなんて、俺の方が馬鹿みたいだ。
小野寺の前では基本的に閉じることのない頭の中の扉を、一つだけ静かに閉めて、ついでに鍵もした。いくら普段被っている仮面を外せと言われたところで、それは何もかも全部吐き出してもいいって訳じゃない。言ったら面倒なことになる言葉は、確実に存在する。
 それから数か月して大学生活にもいい加減に慣れた頃、再びピアスを片手に小野寺が擦り寄ってきて、小野寺の耳に穴を増やしていくのがいつの間にやら恒例行事になり、いつの間にか俺はピアスが大嫌いになった。けれど、それを小野寺は知らないし、これからも教えないつもりでいる。



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