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おはなし




「授業終わったよ」
「……うん……」
「次の人入って来たよ」
「……腹減った」
 講義後半から聞こえてきてはいたけど、食うものには困らないはずの時代にどうしたらここまで腹を空かせることが出来るんだ。きゅるきゅる訴えるお腹を押さえながら立ち上がった伏見はどことなくふらついている気がして、取り合えず下のコンビニ行く?と声をかけた。
 すると、鞄を掛けた側に傾いた伏見は弱弱しく首を横に振って、こっちを向いた。
「……俺の財布、小野寺の鞄に入ってんの」
「小野寺もう帰っちゃったじゃん、バイトあるからって」
「今日朝急いでたし、昼時も用あって飯食えなかったし、財布ないし」
「貸そっか?」
「弁当今日暇?」
「……まあ」
「お金は後で払うから、俺に飯食わせて」
 両手を合わせられて、いやいやいいからファミレスでも何でも食いに行けばいいじゃん金は貸すって言ってんじゃん、と思いかけ、やっぱり考え直す。そういえばこいつものすごい偏食なんだっけ。そりゃあ誰かに注文付けながら作ってもらった方が好きな物だけ食えるに決まってる、伏見の場合自分で作る行為は自殺に等しいわけだし。
 まあ別に忙しいわけでもないし、わざわざ嫌いな物食べたいとは自分だって思わないし、丸一日食事抜きじゃ頭もよく働いてないだろうし。むしろ若干やつれているような気がする、と呆れ半分憐れみ半分で、半死半生状態の伏見を連れて大学を出た。しばらく歩くけど、と告げれば絶望的な顔をしながらどうにかこうにか頷いたので、やっぱりバスにしようと声を掛け直した。そこまで距離があるわけじゃないし、バス停が便利な位置にあるわけでもないけど、そんな顔見せられてそれでも歩かせるほど鬼じゃないつもりだ。
 というか、もっと早く誰でもいいから頼れば良かったのに。顔広いんだし、たくさんいる知り合いに声を掛けて回ればいくらでも食べ物なんて手に入っただろうに。授業の合間の休み時間にふらふらどっか行ったかと思えば、同じ教室で見たこともない、要するに授業で一緒になったこともない知らない女の子と楽しげに話してたじゃないか。あの現場見た有馬の歯ぎしりはほんとに酷かった、この世の憎しみを全部詰めた顔してた。
 バス待ちの暇潰しにそんな話を振れば、未練がましく鞄を漁って財布を探していた伏見が口を開いた。ちょっと眉根を寄せる顔、多分こいつ覚えてないな。
「あー……なんだっけ、なつき?なつみ?なんとかちゃん、どっちか」
「知らないけど」
「こないだ友達と飯食いに行ったらいたの、俺もよく知らない」
「……いや、あの子誰とかそういう話じゃなくて」
「やっぱ無い」
「聞いてる?」
だって知らない人にご飯恵んでくださいなんて言えないじゃん、かっこ悪いし迷惑じゃん、と遠い目をした伏見に、生きづらい奴だなあと思う。さっきのなんとかちゃんは知らない人ではないだろうと突っ込みたくなったけど、伏見の中には俺には無い、知り合いだけど知らない人間、というカテゴリーが存在するわけで、あの子は残念ながらその一部なのだろう。名前もなんかあやふやっぽいし。
少し待てばすぐにバスは来た。バスなんて乗るの久しぶりだ、時間帯の関係かそんなに混んでないみたいで良かった。定期片手に固まっている伏見の背中を押して、大人二人です、と運転手さんに告げお金を払って乗り込んだ。財布無いってちゃんと聞いてたから、今日は全部出してやるから、心配しないでほしい。
 幸いなことに昨日買い出しに行ったばかりで冷蔵庫の中はいっぱいだ。何が食べられないのかを確認してたらキリが無いから、反対に食べられるものを出してもらうことにしよう。
「おじゃましまーす」
「はいどうぞ」
靴を脱いでぺたぺたと上がって行った伏見の後を追えば、急かされるように台所に立たされた。しれっと普通の顔してるけど、どうやら相当辛いらしい。
たくさん食材が詰まっているはずの冷蔵庫の中から選び出された伏見が好きな食べ物は、酷い有様な上に少なすぎたため、これだけじゃ何も作れないからといくつ足すことになった。さって、肉と魚の切り身と人参と白米で一体何をしろっていうんだ。一緒くたに炒めればいいじゃん、なんて平然と言いやがって、だから地獄みたいな味の料理しか作れないんだ。俺の言葉に言い返そうとして珍しく詰まったらしい伏見が微妙な顔をして、でも食えそうな見た目には出来るから、と少しずれたフォローを入れた。食えない料理を美味しそうに見せるって、それもう詐欺じゃないか。食品サンプル作ってんじゃないんだから。
「ほら、なんか他のもうちょっと出して」
「……これはちょっと頑張れば食べられる」
「じゃあ頑張ろう」
「ていうか別に全部食べられないわけじゃないし」
「なら全部使う?菜っ葉いっぱいあるよ、安かったから」
「悪魔!」
「だってこれは酷いよ、体に悪い」
「でもあれ食べれるようになった、こないだ」
「どれ」
「カリフラワーとブロッコリーが混ざったやつ」
「……なにそれ、ていうか両方とも無いし」
「ロマネスコ、だっけ。確かそれ」
「聞いたことも無いよ」
 じゃあカリフラワーとブロッコリーは食べられるのかと聞けば、そうではないらしい。複雑だ、訳が分からない。むしろカリフラワーとブロッコリーとロマネスコの違いが分かっているかすら怪しい。食べられない野菜、としての括りにざっくり入れていた所からして、恐らくわかっていないだろうけど。今度三つとも混ぜて出してみようか。それはそれで楽しそうだ。
 適当に有り合わせで何とかしましたけど、っていうのがあからさまに透けて見えるおかず類と、もうこのままでいいから寄越せと引っ手繰られた、茶碗どころかタッパー入りの白米を並べて、いただきます、って。飢えとは恐ろしいもので、普段だったらこんなのやだとかほざき当たり散らしそうな見た目の料理を掻っ込んでいく伏見に、足りなそうだったらすぐ言って、とだけとりあえず声を掛けた。触らぬ神に祟りなし、だ。
一応エプロンはつけたまま、横に座って様子を窺う。こんなまずいもん食えるかって言わないってことは、それなりに食える味ではあるようだ。まあ、今のこいつの味覚が信用していいものなのかどうかは甚だ怪しいけれど、普段あれだけ好き嫌いして美味いもんばっか食ってるんだから、大丈夫だろう。
「おふぁあり」
「食べ終わってから言えよ……ご飯?パンもあるよ」
「パンなら牛乳ほしい」
「今ちょうどない」
「じゃあ紅茶」
「淹れなきゃない」
「じゃあ刺身」
「ある訳ねえだろ」
 少し目を離した隙にすっからかんになったタッパーと、雀の涙程しか残ってない皿の上を見降ろして、そのままこっちに目も向けない伏見に間持たせとして非常用のクッキーを渡す。これ美味しいから取っといたのに、絶対これだけは買い直してもらうからな。
「なにが食べたい?」
「チャーハンかフレンチトースト」
「入れて良いもの出しに来て」
「フレンチトーストは甘くないやつ」
「はあ?なにそれ、そんなんやだ」
「俺のために作ってくれるんじゃないの?」
「フレンチトーストなら俺も食べる」
「チャーハンは?あっネギ嫌い、入れるんならすっげえ細かくして」
「めんどくさ……あ、納豆あった、入れる?」
「は?なにに?」
「チャーハン」
「……面白い冗談だね……」
「いやいや、えっ?」
「えっ」
「……苦手だから、とかじゃなくて?」
「好きでは無いけど、そんなん嘘じゃん」
「嘘じゃないよ」
「俺のこと騙そうとしてるじゃん」
「してないよ、入れる?」
「入れない」
「あ、そう……」
 ぱきぱきとすごい勢いでクッキーを空にする伏見が、この一時間半後くらいに腹いっぱいになりその途端電源が切れたように寝てしまって、俺は一人で困った挙句に様々な事情が折り重なってほぼ完徹を決行する羽目になるのだけれど、その話は特に思いだしたくもないので、誠に勝手ながら割愛させてもらうことにする。



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