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おはなし



分岐2その後


 数度通ってすっかり覚えた曲がり角を折れた先、お世辞にもぴかぴかの新築とは言い難いアパートの一室。ちょっと分かりづらい位置にあるインターホンを押して数秒待てば、ばたばたと急ぐ足音が近づいてきて、扉が開く。
「おー、遅くなってごめんな」
「……別に」
 顔を出した弁当は、別に、なんて言ったところまでは良いものの、待ってましたとでも言いたげな、犬だったら尻尾ぶん回してるような、そんな足音と表情で全部筒抜けだ。なんとなく見てるだけじゃ気づけないけれど、よくよく観察してみればこいつは案外分かりやすいところが多かったりもして、今まで自分がいかに何も見ようとしていなかったのかを省みたり。
狭い玄関口で靴を脱ぐ俺を置いて、さっさと中に入ってしまった弁当を追っ掛ける。台所から漂ういい匂いにつられて覗けば、まるで晩飯前みたいに用意がされていて、首を傾げた。確かに今日泊まり行きたいって持ちかけたのは俺だし、そのきっかけは弁当の作る飯が毎度の事ながらうまいから次はこれ作ってほしいなんて言葉だったけれど、うっかりバイトを入れてしまって日付が変わる直前の到着になってしまったのも俺のせいだ。一応俺の名誉のために言い訳をさせてもらうと、忘れてたわけじゃなくって急に休んだ奴がいたせいで出ざるをえなくなってしまったのであって、それに弁当も行って来いって言ったし、俺はちゃんとこっち優先にしようとしたんだって、ほんとに。でもまあとにかく、そんなこんなで予定は多少なりとも崩れてしまった。けど、晩飯はまた今度の機会にしよう、でも泊まりだけ行かして、って頼んだらもごもご何か言いながらも頷いてくれたのだ。
そういうとこで俺はこいつに好かれているんだなあって確認とってる訳で、要するにまだ好きだとは言ってもらえてない訳で。あの寝ぼけ眼かつ本人も覚えてないらしいあれを告白に入れるならカウント1回だけど、それでも1回だ。俺から弁当に恋愛感情があるのかと聞かれたら未だにそれもよく分からないもんだから、これでイーブンなのかもしれないけど。
「あ、これあげる」
「なに、これ?ぬいぐるみ?」
「バイト先の人がゲーセンで取ったんだって、くれたから」
「お前が貰ったんじゃないの、いいよ」
「俺は弁当にあげたくて貰ってきたの」
 お世辞にも小さいとは言えないぬいぐるみを受け取りながら微妙な表情を浮かべている弁当と、その手にぶら下がっている熊だか猫だか兎だかよく分からない代物の顔が、何となく似てたから貰ってきたんだけど。だらんと垂れ下がった腕がどことなく悲しげで良いと思う。
 何の生き物だこれ、とぬいぐるみを捧げ持っている弁当がくるりとこっちを振り向いた。どうも腹の音が聞こえたらしい、ていうかさっきから見て見ぬ振りされてただけで割と鳴り響いてるよな、俺の腹から。だっていい匂いすんだもん、仕方ないじゃんよ。
「……晩飯、食うだろ」
「晩飯って時間じゃないけど、ていうかお前あれ俺に作ってくれたの?」
「だって食べたいって言った」
「今度で良いよって言ったじゃん」
「でも有馬急いで来ると思って、腹減ってんだろうなって」
「腹は減ってるよ」
「じゃあ食べればいいじゃん」
「ちなみに聞くけどお前晩飯食った?」
 待てど暮らせど返事が無いので代わりに顔色を窺って、大体の事情を察する。元々食う方でもないし、思ってることをぺらぺら口に出す方でもない、そのくせ律儀に待ってくれちゃうもんだから、なんというかこう、言葉では言い表しづらいな、なんだこれ。男相手に可愛いとか言っちゃうのも変な話だけど、例えばこれを女の子がやってたら俺は恐らく可愛いと感じるんだろう。だったら要するに弁当のこれも、お付き合いしてる相手が一途に尽くしてくれて可愛いんですよ、なんて惚気の範囲内に収めていいんだろうか。でも、付き合ってるとか彼氏彼女とかそういう話するの、こいつ嫌がるしな。
 無言で出された皿の上には俺が食いたい食いたいって騒いだそれがきちんと乗っていて、当然のようにそれは、ああこれ俺のために作り方調べて練習したんだな、ってぱっと見でも分かる出来をしていて。だっていくら一人暮らしで料理慣れしてるからって、キッシュなんかいきなり小器用に作れねえだろ、と思わざるを得ない。生地も自分でやったの、どんくらい時間かかったの、と聞いてみたものの早々にフォーク刺そうとしてる弁当は俺の話なんか聞いちゃいなかった。もとい、聞こうとしていなかった、が正しいかもしれない。
なんとなくしたくなったから、お礼代わりに服を掴んで引き寄せると、容赦なく翻されたフォークが手の甲に突き刺さった。なんでだよ。
「いてえ」
「刺したから」
「スキンシップじゃん、ちょっとぎゅってしようとしただけじゃん」
「そういうのいいんで」
「よくはねえよ」
「もう一度来るなら今度は目を狙うからな、いいのか」
「とか言ってほんとは来てほし痛いすいません」
 水平に差し出されたフォークは宣言通りにばっちり目の高さだったので、咄嗟に手のひらを翳して事なきを得る。その結果さっくりと手のひらに三つ穴が開いたけれど、目よりましだ。
 案の定美味しい飯を思ったまんまに美味しい美味しいって言いながら食うとこいつは非常に嬉しそうな、正直ほとんど表情変わらないままなんだけどそれでも嬉しそうな顔をするので、俺はこの時間をそれなりに気に入っている。飯食いながらくだんないこと話して、テレビ見ながら笑って、どうでもいいことで言い争いして、何となくそれも忘れて、そんな時間。
 していること自体は今までとなにも変わらない、ただほんの少しだけ距離が近くなったかなってくらい。だけど、ちょっと触ろうもんなら即行静かに離れて、いや別に何にもなかったんですけど、俺最初からここにいましたけど、みたいな顔を平然と浮かべてたあの弁当が、家にはあげてくれるし飯も作ってくれるし、さっきは武器的な物持ってたからアレだったけど、タイミングと雰囲気さえ読み間違えずにちょっと強引目に寄ってけば大分近くまで引っ付いても何も言わないし、これはすごい進化だ。まあ、何も言わないっていうのは嘘だ、大抵なんかもごもご言ってるか、徹底して何も言えない状況に勝手に陥って無言になる。
「明日暇?」
「……二限から授業あんじゃん」
「えっ、そうだっけ」
「補講入ってたよ、水曜の休みの分」
「あー……休む?一緒に休む?」
「やだ、俺は行く」
「くっそ真面目、俺せっかく泊まりきたのに」
「最近そんな珍しくもないだろ……」
 ざくざく音立てながらタルト生地を崩していく弁当に、じゃあいっそ俺もここに住む?と聞けば、一瞬止まった手の動きを再開させながら、馬鹿言うな、なんて言葉が返ってきた。確かに今のところ特に本気ではないけれど、まあ、なんというか、うん。
 結局のところ俺は未だにこのもやもやが何なのかよく把握できていなくて、こいつのことは好きか嫌いかで聞かれたら確実に好きだけど、その好きってじゃあなんなの、って話で。いなくなられたら嫌だって不安とか、出来るならこのまま独り占めしてたいって欲とか、こいつ俺のこと好きなんだって嬉しさとか、そういうのがどこに当てはまるんだかが分からない。
 とりあえず、俺が弁当のことをどう思ってるのかをきちんと考えられるまでは、このまま隣にいてほしい。ちょっと近くなった距離感のまま、あとちょっとだけ待っててほしい。待たせてばっかりでほんとに申し訳ないけれど。
「明日ほんとに行くの?明日ってか今日だよもう」
「なんで休むの、行くよ。ていうかお前も行くんだからな」
「じゃあ俺明日も泊まり来よ、だらだらし足りない」
「……………」
「嬉しい?」
「嬉しい顔に見えんの……?」
「ぜんっぜん、むしろ死相」
「じゃあ遠慮してほしいんですけど」
「明日学校終わったらどっか行こっか」
「今までの話聞いてた?」
「弁当疲れてるからご褒美にデート」
「は?」
「どっかゆっくり出来るとこ行って、ちょっといい晩飯食って、そのまま帰ってきて寝よ」
「待っ、なに、急すぎて」
「晩飯奢り、今月ちょっと稼いだ」
「……………」
「それは嬉しい顔だな、よし決定」
「いや、駄目だって明後日も普通に学校、ていうかお前家帰れよ」
「腕枕に抱き枕で甘やかしてやるからゆっくり寝たら」
「それはいらない、夕飯食ったら帰れ」
「照れ隠し?」
「違う」
「布団一つしかないからなあ、ここ」
「当たり前だろ、一人なんだから、おい聞いてんのか有馬、明日来んなよ」
「ドレスコード付きの店とか行っちゃう?」
「上下ジャージ着てるくせに何言ってんの」


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