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土曜日の夜




 水曜の四限で出た課題は、ディスカッションのテーマと進行方法、その他必要事項を纏めて来いなんていうもので、ただそれだけならまだしも三人以上五人以内のグループを作りそれぞれ役割も割り振れとか縛りつけられて、正直ものすごく面倒だ。どうせなら個人で考えさせてくれたらある程度融通もきくっていうのに、下手に人数を増やしたってやり辛くなるし、事によっては一人当たりの負担が増える。そう、人数なんて増やすべきじゃないのだ。
「これ嫌い、そっちやって」
「はいはい、これなら食えるだろ」
「俺もこれ嫌い、匂い駄目。小野寺抱えててよ」
「ええー……おいしいのに……」
 ここは俺の家で、現在時刻は午後十時半。狭い机を男四人で囲んで、空になった缶と袋のゴミ散らかして、何がどうしたらこうなったんだ。
集まれる奴だけでも呼んで明日課題やっちゃおう、なんてメールが有馬から来て、場所の提供として家を差し出したのが、確か昨日の夕方のことだ。行けるか分からないけどまた連絡するとだけ返してきた伏見が、一応気休めにと掃除していた俺の家に大量の菓子類と飲み物を持ってきたのが夕方頃。貰い物だから気にしないで、とそれを渡され、ついでにこれ俺の鞄に入ってた、と有馬の電車定期を見せられたのが確か午後六時過ぎ。生理痛でバイト休んだ、なんて嘘か本当か分からない伏見の言葉を聞き流しながら、適当に行くから別に平気だと楽天的に笑う有馬と電話して、途中だった掃除を片付けてから、全員揃う前にある程度纏めてしまおうと課題を引っ張り出したのが、その一時間後くらい。昨日有馬はどうやって帰ったのか、本気で気付かなかったなら病院に行った方がいい、と定期を横目に話しつつ大まかに方針を固めている内に小野寺から電話がかかってきて、道に迷ったと言われて伏見が迎えに行くことになって、俺は一応家主だし留守番として残ることになった。その間に有馬が家に着いて、その手には近所のスーパーの袋が二つもぶら下げられていて、さっきの差し入れで大分潤った冷蔵庫の中身を見せたものの済し崩し的にそれを受け取らされて、立て続けに鳴ったチャイムに玄関を開ければ小野寺が下げていたコンビニのレジ袋が大量に視界に入ってきて、思わず立ち眩んだ。
「スナック菓子ではねえよ、チーズそのものだよ」
「チーズよりは固いと思うんらけろ」
「食いながら喋ると弁当に怒られんぞ」
「同じのもう一本取って、はるかちゃん」
「あ!?」
「ば、っか、投げないでよ、炭酸なのに」
 それで冷蔵庫が氾濫して、温くなる前に飲んじゃおうと建前で誤魔化した有馬が、入りきらなかった缶ビールを早々に開けたのが今から一時間前。まだ何一つ片付いてないしそっち始めちゃうのには早すぎるんじゃないの、なんて俺に言えるわけもなく、いつの間にか机の上の課題は端に追いやられて、その代わりと言わんばかりにつまみと缶が占領して、何のために集まったんだかこいつら確実に覚えてない。少なくとも髪の色弄ってる奴等は、初っ端から課題の事なんて一切頭にない。だから馬鹿なんだお前ら、いっそ単位落とせ。
 まあ伏見が予想よりも早く来たおかげである程度までは纏まってるし、最初から授業中寝くさってる二人には特に期待してない。欠伸混じりにポッキー齧りながら、今回は出来るだけこの酔っ払い連中には関わらないように解散まで持ち込もうと心に決めた。別に楽しくない訳じゃないけど、爆発パターンが違う地雷みたいなの三人も相手にしながら俺まで羽目外しちゃったら収集がつかない、最悪この家追い出される。
「はるかちゃんが振るからこれ開けらんなくなっちゃった」
「伏見黙ってくんねえかなあ!」
「え?なに?なんか言った?はるかちゃん」
「この、ふし、っな、名前!名前なんだっけ!」
「……………」
「伏見割と本気で引いてるよ、有馬」
「俺だって引くわ……」
「だって!小野寺、伏見の下の名前ってなんだっけ!」
「教えませーん」
 俺から見て真正面が小野寺、右側が伏見、左側が有馬で、その背中側には冷蔵庫に入らなかった分の飲み物と食べ物がどっさり置いてある。嫌がらせをしているからか酔い始めているからか、にやにや笑う伏見を横目に見ている小野寺が、片手に持った缶をべこべこ凹ませててとても怖い。何が気に入らないのかは何となく分かったから、一定のペースで力込めて鳴らすのほんとやめてほしい。二人とも気付いてないし、ていうか多分本人も無意識だし。
「なんで?いいじゃん、名前で呼んでも。訳分かんない」
「なんで嫌っつってんのにちゃん付けすんのかが訳分かんない」
「呼び捨てならいいの?はるか」
「……なんかお前のそれは、普通に女の子呼んでるみたいで、嫌」
「はあ?なにそれ」
「分かる?伏見のあれは違くない?」
「うん……何となく分からなくもない……」
「もっかいやって、伏見」
「……はるか」
「違うな」
「なにそれえ……」
 机の上の狭いスペースに突っ伏した伏見がこっちを見て、じゃあ弁当はどうなの、なんて言うから軽く喉が引きつった。そのままあっちに流してやろうと小野寺の方に目を向ければもう既に自主的に名前を連呼してくれやがっていて、そうだとは思ってたけど。
 伏見のいる方はもう振り向けない。さっき目があった時点で既に半笑いだった。
「呼ばないの?ねえ、はるかって呼んだげなよ」
「いいよ、有馬名前呼び嫌だって言ってんじゃん、いいって」
「遠慮すんなよ、ついでに弁当も名前で呼んでもらえよ」
「いいです、いいんでそういうの」
「有馬、弁当の名前ってなんだっけ」
「ん?当也」
「ほら、お返ししな」
「いいっつってんだろ……」
 嫌にぐいぐい迫ってくる伏見から体ごと逃げると有馬側にものすごく寄ることになるし、かといって後退って距離を取れるほどこの家広くないし、正面で缶凹ませてる奴はいつの間にかこっち見てる上に目が完全に笑ってないし、何よりなんで俺が有馬のこと名前で呼んだりしなきゃなんないの、伏見は俺を痛めつけて何が楽しいわけ。
 どうしようかと目を彷徨わせながら逃げ場を探していると、缶を片手にぼうっとこっちを見ていた有馬が、空いた方の手で机を指差し、次にそれを押さえるような動きをして、最後に自分を指して缶を置いた。意味が分からない、なんだそれ。伏見はどうやら気づいていないらしく、反対に小野寺は気付いたのかきょとんとした顔で有馬に言われた通り机を押さえる。頷いた有馬が突然消えたのと、伏見がいきなり小さくなったのが、ほぼ同時だった。
「うっわ、え、なに、な」
「いじめよくない」
「は?何言っ、ひ、あっは、あはははは!」
「あっぶね!」
 簡単に説明すると、机の下を潜って伏見の真横まで移動した有馬が、引っ張って横倒しにした伏見を胸から下を机に埋めたまま思いっきり擽り、その影響で机ががんっがん揺れているため俺と小野寺は焦って机を押さえつけている、ということで。さっきのジェスチャーはこれだったのか。何にせよ助かった、まさか物理的に黙らせてくるとは思ってもみなかったけれど。
 伏見が弱いのか有馬が上手いのか酒のせいなのか、若干心配になるくらい笑いまくっている様子を見ながら、確か擽りって拷問とか罰にも使われてたんだよな、と記憶を探る。別に他意はない、ほんとに。苦しげに咳き込む音と、普通に会話してても恐らく聞くことは出来ないであろう悲鳴が笑い声の中に混ざってきた辺りで、ようやく伏見は解放された。最後はほとんど抵抗もなかった、ていうか有馬が退いても動かないんだけどこれ、救急車呼ぶべきかな。
「あのな、自分がされたくないことはお前も」
「伏見今多分聞いてないよ」
「人の名前をちゃん付けで呼ぶとかな、そういうことも」
「あ、そっち?弁当が困ってたからじゃねえんだ?」
「だからこいつ名前で呼ばれるのほんと嫌いなんだって」
「千晶ちゃんすごかったんだなー。ていうか伏見動かねえんだけど」
「もっかいやる?俺押さえててあげる、小野寺やって」
「……えっ?いや、いやだって」
「せきねんの?恨み、だっけ、合ってる?弁当」
「合ってる合ってる」
 俯せたまま動かない伏見の両手を押さえた有馬が小野寺を手招きしたものの、机から離した手をおろおろと彷徨わせて迷っているようだった。この前コンビニでおにぎり二つ持ってどっちにするか悩んでた時も同じような動きしてたし、癖なんだろうか。
小野寺がなかなか動かないので、有馬はぴくりともしない伏見の指で遊んでいる。上機嫌そうに吹いている口笛に、いくら消耗してるからってそんな無防備でいいのか、今までのことをよく思い出してみろと内心考えていると、突然悲鳴が上がった。振り返れば案の定復活した伏見が有馬の指を今にも反対向きに圧し折ろうとしているところで、体は俯せたまま顔だけこっちに向けていて、すごく怖い。髪の隙間から目が垣間見える辺りなんてホラー映画にありそうだ。幽霊よりも生きている人間が怖いんだなんてよく聞くけど、今なら全力で賛成する。
「いだだだだ!」
「折れる!伏見それほんとに折れる!」
「折る」
「折られ、ちょっ、誰か助けて痛いマジ痛い!」
「俺だって息出来なかったんだから我慢して」
「でも伏見笑ってたじゃん、楽しかったんじゃないの?」
 割と他人事気味に小野寺が零したのを聞いて、有馬の指を今にも逆さに曲げようとしているんだとは思えない笑顔を浮かべた伏見が、次はお前だと吐き捨てた。自分にとばっちりが来ないことにまず安心してしまったのは仕方ない、だって痛いの嫌だし。
目を離してもいないのに、いつの間にか伏見と有馬の立場は逆転していて、床に横たわった有馬が手首ごと指を捻じられながらぐずぐず謝っている。体育座りのような体勢で座り込んで不機嫌に笑顔を浮かべている伏見を見て缶を傾けていた小野寺が、それは嫌だなあ、なんて呟いてのろのろと伏見の方へ近づき、机よろしく、と俺に声をかけた。
「え?」
「やられる前にやれって言うじゃん、あれ」
「はあ……?」
「ふーしみっ」
 声に反応して舌打ちと同時に振り返った伏見が、突き飛ばされてバランスを崩す。いきなりのことに相当驚いたのか、珍しく声も上げずにぽかんとしている伏見の方へと、小野寺が有馬を跨ぎ越すようにして移動する。それを見て遅ればせながらようやくさっきの会話の意味を察して、机に手を掛けた。もういっそテレビ側に机ごとずらしておいた方が良いかもしれない、なんて思いながら缶類が倒れないように机を押す。どれが中身入ってるか分かんないし、零したらめんどくさいし。この際今の内に空缶と入ってるの仕分けしとくか、と缶を手に取った。
俺の後ろからは、もう嫌だやめて死ぬ、なんて笑い声に混じった懇願と逃げようと暴れているらしい音、それらの抵抗を楽しげに無視する言葉が主に聞こえてきて、不意にお隣さんその他の顔が思い浮かんで寒気がした。ただでさえ壁薄いのに、時間も時間だし。
指を圧し折られかけたところから動けなかったのか、伏見の抵抗のとばっちり食らって蹴られたらしい有馬が転がり這うように机の方へ逃げてきたので、一応慰めとしてこないだ美味しいって言ってたお菓子を新しく開けてやった。
「俺の指無事?くっついてる?」
「十本ちゃんとついてるよ」
「十本もあるんだ……」
「……頭、なんでもない」
「え?」
 頭打ったのか、とか余計な事聞くところだった。普段から割とこんな感じだ、今はちょっといつもより抜けてるだろうし、全然問題ない。自分の指の数を数え始めた有馬に、もうお前ちょっとでいいから寝れば、と声をかけた。今から少し寝て終電間際にでも帰れば多少は酔いも醒めるだろうし、何より俺としては後ろの二人をどうにか連れて帰ってほしいわけで、それなのに有馬が眠気にやられてたら心配でしょうがない。どうしよっかなあ、なんてつまみ咥えながら呟いたのと同時に、玄関のチャイムが鳴った。
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