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おはなし




「せんぱい?」
 ゴールデンウィーク直前、休み中にやっとけと言わんばかりに課題が出され、隠しもせずに面倒だとぼやく伏見と一緒に廊下を歩いている時だった。突然かけられた知らない声に二人して足を止めて振り返ると、そこにいたのはやっぱり知らない男で、思わず一歩引く。丸っこい目が向く先は俺ではなく伏見だったので、知り合いかな、とそっちに顔を向ければ。
「渚?」
「伏見先輩だー!うわ、うわあ、久しぶりです!」
「久しぶりー」
 なぎさ、と呼ばれた後輩らしき男はにこにこと人当たりの良い笑顔を浮かべていて、それに答えるように伏見も笑顔を向ける。先に行っていた方が良いかと一歩踏み出そうとすれば、あっちからは見えない位置、鞄の裏を掴まれて足を止める。行くな、ということなんだろうけど。
 身長が大きいと言うほどではないし体格が良いわけでもない、至って平均的なその辺によくいる大学生、といった風な見た目の相手に伏見がここまで警戒するなんて珍しい。高校の時は酷かった、と小野寺が言っていたのは、まさか後輩を苛めていたとかそういう類の話ではなかったと思うんだけど。掴まれている服もそのまま、ぼおっと手持ち無沙汰に待っていると、ちらちらと俺を窺っていた渚さんがついに耐え切れなくなったのか指をさした。
「お、小野寺先輩、イメチェン……」
「……違います」
「ですよねえ!びっくりした!」
 じゃあ誰っすか、と臆面もなく聞いてくる勢いに面食らいながらも自己紹介すれば、特に興味が無いですと言いたげな顔をあからさまにされて、若干愛想笑いが引き攣った。失礼というか、感情が表に出やすいタイプというか、まあいいんだけど。
 二三言会話を交わして、授業があるので、と慌ただしく行ってしまった後輩に手を振る伏見に、なんなの、と聞けば、あからさまに肩を落としていた。さっきまでとはえらい違いだ。
「……渚は、俺が好きなの。超尊敬してんの」
「弓道部の後輩だよね、あの人。俺先行ってたのに」
「弁当だけ行ったら小野寺がこっち来ちゃうでしょ」
「駄目なの?」
「あそこ仲悪くってさあ、小野寺は無意識に避けてる」
 確かに、小野寺が他人の好き嫌いで選り好みをしている印象は無いから、無意識というのは頷ける。伏見をすごく尊敬してて、ってことは渚さんからしたら小野寺が相当邪魔だったんだろう。何があったのかとかは特に聞こうとも思えないし、唐突に地雷が隠れてるのも嫌だ。仁ノ上はどこ行ったんだよ、とか頭を抱えている伏見に、それも後輩かと聞く。
「んー……後輩、だけど。渚のストッパーがいたんだよ、高校には」
「さっきいなかっただけかもよ、ちょうど一人だったとか」
「六島と仁ノ上が同じ学校行ったと思うんだ……」
小野寺と渚が会うのは嫌だ、阻止する、とふらふら歩く伏見をなんとか元気づけながら教室に入れば、気づいた小野寺が振り返った。あっけらかんと笑う様子に、無意識でも何でも苦手な相手がいるとか想像も出来ない、なんて思う。時々伏見と喧嘩してるけど、それはそれこれはこれというか。上手に躱して取り繕うとか、内心隠して愛想笑うとか、小野寺にそんな器用な事出来ると思えない、となると大っぴらに避けたりするんだろうか。うわ、ちょっと見たい。
「課題出たー?」
「うるっせえ馬鹿、気づけ」
「ん?あ、今日俺いい匂いすんだろ、なあ伏見」
「お前必要以上に廊下歩くな、お前自分が不機嫌だってことに気付かないから一番嫌」
「なんで?あっ弁当、ねえ俺いい匂いしねえ?電車でさあ、お姉さんが隣にいて」
「こっち来い」
「えっ」
 ずるずると引き摺られて行った小野寺に手を合わせると同時、ほとんど入れ替わりにもそもそと眠たげな顔でパンを貪っている有馬が教室に入ってくる。さっきの渚さんも表情に出やすいタイプの人だったけれど、こいつに敵う奴はそうそういないだろうなと思いながら椅子を引いた。重たげな音を立てて置かれた鞄に目をやれば、頬張っている割に減っていないパンを口から離した有馬が大きな欠伸を漏らして喋り出す。
「……べんと」
「おはよう。なに」
「俺、間に合った?まだ授業始まってない?」
「……寝ぼけてんの?」
 そういえば今週は遅刻しないとか言って伏見と賭けてたんだっけ。まだ意識が覚醒していないのか、口だけ動かしながら半目で座る有馬を教科書で叩いた。鞄の中に珍しく物が入ってると思ったら漫画じゃないか、学校に何しに来たんだこいつ。
 それ借りたやつ、とかなんとか言い訳しながら机に突っ伏して、寝る体制を固め始めた有馬に一応声をかけた。何してんの、なんて見りゃわかるけどさ。
「寝てていい?」
「遅刻しないで来た意味ないじゃん」
「遅刻しないで来たから寝るんじゃん」
「授業始まったら起こすからね」
「いい、俺の事は気にしないで」
 パンあげる、と言い捨てて腕に顔を埋めて、それから三分もしない内に聞こえてきた寝息に、思わず溜息を吐いた。しばらくして帰ってきた伏見が、寝ている有馬を見て油性マジックを手に取ったけれど、気にしないでいいと言われているし、自業自得ということで。

『もしもし、仁ノ上です』
「あっ和葉ー?俺だよ、ちぃくんだよお」
『千景?どうしたの、忘れ物でもしたの?』
「ちぃくんだよー」
『……ちぃくん、どうしたの』
「伏見先輩みっけた、なんか知らない人と一緒にいたけど」
『へえ。元気だった?』
「あ、大丈夫だよ?一番好きなのは和葉だよ?愛してっから安心しなよ」
『そんなん知ってるから、元気だった?ってば』
「相変わらず犬のマーキングが激しかったー」
『犬、て……小野寺先輩、一緒にいなかったんだ』
「いなかったけど、すげー匂い、あと噛み痕」
『かみ、あっ、お前また首んとこやったろ!やめてって言ったのに!』
「和葉がぼーっとしくさってるのが悪いよ、俺授業だから切んね」
『は?ちょっと待、千景てめえ!』
「うふふー、明日から毎日教室全部まーわろっと」



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