このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

おはなし




 珍しいこともあったものだ、と思う。
 普段通りに俺は一限遅刻すれすれで、保険として俺の分の出席を取りかけてくれてた弁当に今週だけでもう三度目の一番深いお辞儀をし、ばれないように侵入した教室で惰眠を貪って。もう諦められているのか、寝るな、との声もかからなくなってしまったので、俺の睡眠を妨げる奴は誰一人としておらず、もちろんノートもプリントも白紙のまま。
 だからこれまたいつも通り、授業終わりのチャイムとほぼ同時に目を覚まして、隣に座っている真面目で優しいお友達に向かって手を合わせよう、と思ったんだけど。
「……ふしみー」
「んー」
「明日の天気は雪かなんかなの?」
「頭湧いてんの?」
 弁当を挟んで反対側に座っていた伏見が俺の声に反応して顔を出す。けれど、何言ってんだこいつ、が人間の顔に文字で表示されるならまさにこうなるだろうとしか思えない表情で首を傾げて、すぐに引っ込んでしまった。酷い、こっちは至って真面目なのに。小野寺なんか悠長に起こしてないで、もっとこっちに注目してほしい。
 だってあの弁当が寝てる、しかも授業中に。雪どころか槍が降ってもおかしくない。
「なあ、なあってば、こいつなに、どしたの」
「小野寺、昼飯買ってきて、麺類」
「う、え……なに、え……?」
「小野寺!弁当が寝てる!」
「冷やし中華」
「おー……う、わか、た」
「写メとっといていいかなあ!なあ、ふし」
 伏見が立ち上がったのと俺の頭に手が掛けられたのはほぼ同時で、そのまま動きを止める。旋毛辺りに押し当てられているのはシャーペンで、頭を動かさないよう目線だけずらして様子を窺えば、伏見の両手は共に俺の頭の上へと伸びていて、ということは片手はシャーペンを支えているにしても空いた方の手は恐らく力を込めて突き刺す用のはずで。
 ふわふわと欠伸をしながら、寝ぼけているのか財布だけ持って立ち上がった小野寺に、ここで待ってるから戻ってこい、なんて声を掛ける伏見は至っていつもと同じで、なんだあんまり怒ってないじゃん、なんて思いながらそうっと頭を引けば、髪を引かれて動きを止める。
「痛い!」
「有馬」
「はい!」
「弁当なんか体調悪いんだって。最近暑かったり寒かったりだから」
「そう、なん……?」
「風邪だと思うっていうから薬あげたんだ、俺。そしたら眠くなっちゃったみたいでさあ」
「へえ」
 他人事気分で相槌を返して顔を上げようとすれば、がりがりと頭皮の削れる音がした。痛みにその場で足踏みすると、まだこれ消しゴム側、なんて恐ろしい声が聞こえてきて、冷や汗だかなんだか分からないなにかで背中が脅かされた。どうやら恐怖で鳥肌はたつらしい。
「薬が体に合う合わないもあったんだろうけど、ほんとに若干体壊してるから治すために無意識に休息を取ってるのかもしれないよね。普段はこんなことないし」
「そう思います」
「あ、休息の意味は分かる?説明してあげようか?」
「分かります」
「じゃあ、俺が何を言いたいのかも分かるよね」
「はい……」
 要は騒ぐな、ということなんだけど、それを伝えるのに俺に恐怖を叩き込む必要は果たしてあったんだろうか。確かに俺もうるさかったかもしれないけどさ、と言い訳したくなって、寸でのところで引っ込めた。シャーペンの芯側で抉られたら確実に痛い、血が出る。
 俺の頭皮から手を引きながら、熱は無さそうだけど、なんて言いながら弁当を覗き込む伏見を、内心でちまちまと罵っていると、いつの間にか目線だけ上げて瞬きもせずこっちを見ていたので、顔を逸らす。その、弁当に対する優しさというか思いやりというか、そういうのをもうちょっと俺にも向けられないもんだろうか。小野寺曰く、嫌いではない、そうだけど。
「……………」
「……なに、見下ろさないで」
「お前も立てばいいじゃん」
「なにそれ、嫌味?いい度胸してんね」
 そんなつもりじゃ、と言おうとして、一人納得して頷く。確かに嫌味だった。
 弁当は一回寝たらなかなか起きないので、自然に起きるのを待とうと言う話になり、小野寺待ちの伏見にパンを分け与える。もそもそと物を頬張っている姿なら無害だ、と首から下を手で隠して何とか目の保養が出来ないかと模索していると、心底馬鹿にした表情で、しかも鼻で笑い飛ばすオプションまでつけてくれやがった。弁当越しに、お前もうちょっと俺に感謝して食えねえのだの、お前が勝手に寄越したんだのと言い争っている内に、教室の扉が開く。
「はー……なにしてんの、お前ら」
「遅いんだ、よ……」
「うん、ごめんごめん。はいこれ伏見の」
 帰ってきた小野寺が手に提げている袋を見て、訝しげな顔をした伏見が、中身を確認してすぐにシャーペンを構えた。標的は勿論俺だ。何でだよ。
「なになになに、待てって!ええ!?」
「俺の冷やし中華……」
「は?冷やし中華?」
 見せられた袋の中身は普通にお弁当で、小野寺が間違ったんじゃん、と悲痛に訴えれば、お前がうるせえから間違って覚えちゃったんだろうが、と怒られる。それほんとに俺のせいじゃなくない、小野寺にも絶対非があると思うんだけど、俺間違ってないよな。
「小野寺が俺が頼んだもの間違えたことなんてないんだよ!お前のせいだろ!」
「俺が言った弁当は人間の弁当じゃん、小野寺が寝ぼけんのが悪いよ!」
「じゃあ俺この弁当食うから、伏見俺の食う?」
「食えねえよ!なんでお前俺の食べれないもんばっか買ってくんだよ!」
「えっどれ?伏見どれ食えないの、普通の弁当だろ、これ。変なもん入ってねえよ」
「これと、これと、これ。こっちの弁当はこっから全部」
「だからお前ちっちぇえんじゃねえの」
 言い切る前に机に手を付いた伏見がまっすぐ喉元に手を伸ばしてきて、反射的に下がる。お弁当が落ちる、と机の上の袋を取ろうとした小野寺とこっちに向かってくる伏見、寝てる人間の方の弁当で、狭い机の上が大渋滞だ。お弁当の入った袋を片手に提げてなんとか遠ざけた小野寺が、一旦座れって、と宥めくらかしながらもう片手で伏見を持ち上げかけるのと、今の今まで寝ていた弁当がタイミング悪く目を覚まして体を起こすのがほぼ同時だった。
 がつん、と誰のどことなにがぶつかったんだか分からないような音がして、次に目に入ったのは、目を疑う光景だった。俺以外全員崩れ落ちているなんて、珍しい事この上ない。当たり所が悪かったんだか、頭の天辺、顎から首にかけて、鳩尾付近をそれぞれ押さえて黙り込む三人をとりあえず記念撮影してから、そのまま天気予報を確認する。
 画面の表示は確かに晴れだけれど、やっぱり明日は槍でも降りそうだ。



62/69ページ