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人畜無害





「あれ。ヒノキさんなにしてるんですか」
「ん」
「先輩は?」
「飲み物を買いに行ったきり戻ってこない。誰かに何かで捕まったんじゃないか」
淡々と返されてスマホを見たが、特に連絡は入っていなかった。まあいっか。
スタジオで練習で、電話がかかってきて俺がここから出た時には先輩はまだここにいたはずだから、戻ってくるのが遅くて何処かへ行ってしまったのだろう。だからヒノキさんが暇つぶしをしていた、と。しかしこの人はなによりも時間効率重視なので、暇つぶしではなく何かを調べていたり情報収集していたりすることが殆どなのだが。趣味とか、何の意味もなくなにかをしているところをほとんど見たことがない。いや、なんていうか、音楽が趣味なのだけれど。うーん、難しいな。
音が聞こえなかったのはイヤホンを繋いでいたかららしい。特に隠すほどのものでもないようで、接続を切ったらしいヒノキさんがワイヤレスのそれを耳から外した。はい、と画面を向けられて覗き込む。女の子。
「……誰?」
「ああ。この人が見たいわけじゃない。いづるが戻ってこないうちに再生するぞ」
「え?なんで?」
「うん」
返事になってないんですけど。まあ割りかしいつものことだ。再生ボタンをタップして、音量を調節する。きゃいきゃいと楽しげにはしゃぐ女の子の声が多く入っていて、それを割って自撮りしているらしき子が、カメラの前からどいた。
『えー、ほんとにいいんですか?』
『いいですよ』
『やー!やばーい!』
『おねがいしまーす!』
「……あ。ドラムの人」
「しばらく前にこの人たち、アイドルグループらしいんだが、パーソナリティーやってる音楽番組に四人で出てた。それは知ってたんだが、舞台裏動画が番組公式で配信されていたのは知らなくて、昨日見つけた」
「へーえ……」
ドラムの人、秋さんが立っているのはグランドピアノの前だ。一応隣にボーカルの人がいるけれど、セットっぽい椅子に座って脚をぷらぷらさせて別の方を見ているので、関係なさそう。そしてこっちを向いている本人は、恐らく完全に対外向けだろうなという感じの、とても愛想の良い笑顔を浮かべている。怖。ジャケットはそもそも着ていなくて、袖口のボタンを外して軽く腕を捲っていて、なにをしたいのかと首を捻った。ピアノの全体像を映したいからなのか少し距離があるせいで、口が動いてこちらに向かって何か言ったようなのに女の子の声で聞こえなかった。おい黙れクソ女、とかではないだろう。女の子に優しい、といえば聞こえはいいが、先輩風に言うと「尻尾振って媚び売ってみっともなく腹出してる」だから。これなにの動画です?とヒノキさんに聞こうと思って、一瞬目を逸らしたからめちゃくちゃびっくりした。
「、うわ」
「……………」
「……えっ……ええ……?」
「……………」
殴りつけるようなピアノの音。ワンフレーズ、サビらしきところを思いっきり弾き切った後、ぱっと手が止まって一呼吸置いてから、大分原曲に近い、明るくてゆったりした音が流れ出した。CMで聞いたことある。なんかアイドルがやってる、あれ、てことはもしかしてこの人たちの歌なのかな、とようやく思い至った。跳ねるようなピアノの音。横を向いていた我妻さんが、なんでもないように振り向いて何か話しかけて、笑っている。その間も何の変わりもなく曲は続いて、サビに向かうにつれてどんどん早くなっていく。加速したそれは一番最初のフレーズに戻って、歓声と拍手に負けないくらいの強い音になった。荒っぽいと言ってしまえばそこまでの、でも聞いてて思わず体が動いてしまうような、「楽しい」を引き摺り出されるような、終わり方をした。きゃあきゃあとはしゃぐ声に巻き込まれながら、軽く頭を下げて笑顔のままふいっと歩いて行ってしまったところで、動画がぷつりと終わる。絶句していると、ヒノキさんが最初に戻した。
「どう思う」
「ど……どうって……?」
「わざわざこのために作ってきてる。どうせそれをやるなら、自分たちの曲でやるだろ。ライブでピアノアレンジがあるのは知ってる。それはまだ分かるんだが、こっちの意味がわからない」
「はあ」
「技術が飛び抜けてるわけじゃない。独学らしい、ミスもあるし音の跳びも多い。勢い任せで誤魔化しているというコメントもついている。それはまあ確かにそうなんだが、相手を盛り上がらせる、否応なしに聞かせる、ことに関しては随一のものだと俺は思った」
ぶつぶつと重ねるヒノキさんは、本当に「どうして」が分からないらしい。いやあ、完全に推測だし俺の色目も入ってるけど、なんとなく察する。歌うことを無視したアレンジをどうしてわざわざ作る?即興でやったにしても納得がいかない、ジャズのアドリブが入ってるのは趣味か手癖か意図かミスを隠すためなのか、加速していく理由は恐らく飽きさせないためだろうと推測できるし最初に殴りにきてるのもこっちを見ろという意思表示に近いだろう、とスマホに穴が開きそうなほど見つめながら溢し続けるので、手を上げた。
「……あのう」
「なんだ」
「この子たちにちやほやされたかったから練習しただけじゃないですか……?」
「……は?」
「いやだから、この女の子たちが可愛いから、あの人女好きでしょ?だから練習して、きゃーきゃー言われたかったんじゃないかなって……ほら、我妻さんもなんか笑って見てるじゃないですか。販促したいならこの人歌いますよね」
「……………」
「……え?ヒノキさん?」
「……………」
「……おーい……」
「……そうか。腑に落ちた」
ヒノキさんには恐らく思いつかない理由だろうから口に出したのだけれど、理解は一応追いついたらしい。そういう、私利私欲に基づいた考え方、ヒノキさんしないから。数秒固まった上で立ち上がったので、つられて立ち上がる。そのまま扉に向かわれて、それもつられて追いかけた。
「えっ?えっ、どこ行くんですか?」
「理由がそれならいづるに見せられる」
「やめっ、待っ、やめてください!?なに言ってんですか!?」
「別に騒がれてるところを見せたいわけじゃない。このピアノの打ち方、左手の踏み方を覚えさせたい」
「騒がれてるところを見るに決まってるでしょうが!やめてください!せめて画面を見せないとかしてください!」
「そうか。まあいいや、手元が映ってるわけじゃないし」
じゃあ音だけにしよう、と意気揚々と出ていかれて、俺は先輩のブチ切れを止めることに間に合ったのか、それとも失敗したのか、全然分からなくなった。いやそもそもピアノとか弾けるなよ。先輩鍵盤大好きなんだぞ。拗らせて大嫌いな相手にあんなことされたらまたしばらくのたうち回るじゃないか。弾けてもいいけど、作曲に使えるくらい、に留めとけよ。なんであんなちゃんと弾けるんだよ、きっとちゃんと努力してるんだろうなあ、それも含めて先輩めっちゃイライラしそうだし、この後練習すんのやだよお!
帰ってきた先輩はまだ動画に映っている相手を知らないようで、にこにこしながら「ヒノキがかっこいいの聞かしてくれた」と教えてくれた。このまま一生気付きませんように。どうかお願いします。そんな些細な願いは4時間後には粉砕した。

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