みじかいまとめ
「あっ、あ、あの!」
スタジオまで向かうのに、時間早く着きすぎたから駅前のコンビニに寄ったらドラムくんとばったり会った。気づかれなかったら気づかなかったふりをしようと思ったんだけど、一瞬で目が合ったしドラムくんはちょうどお会計も済ませたところだったから当たり前のようにこっちに来た。暇つぶしの予定だったからなに買うかとか全く考えてなかったんだけど、早く用事を済ませないと、待たせちゃいけない、って思ってとりあえず水とか買った。正直何を買ったかよく覚えていないが、手に水のペットボトルを持っているので多分これは買ったんだと思う。どうせギターくんは遅刻だしボーカルくんはギリ、なんてぼやかれて、曖昧に笑いながら後をついて歩く。歩いて10分くらいだけど、今日のドラムくんは機嫌がいいのか、割と話しかけてくるので居づらくはなかった。俺が返事に詰まっても無視してくれるし。変に気を遣われる方が困るので、助かる。
それで、スタジオがもう見えてきたあたりで、多分待ち伏せしてたなって感じの女の子がぶるぶるしながら声をかけてきたのだ。可哀想なくらいのド緊張が伝わってくる。ドラムくんの方が一歩前にいるので、俺は半分ぐらい背中に隠れている。から、逆に落ち着いて観察できて助かるけど。そんなに身長は高くない、髪を二つに結んだ女の子だ。ひらひらした服に踵の高い靴。時々ああいうのライブでも見るけど、動きにくくないのかな…とぼんやり思う。女の子にとっては慣れっこなのだろうか。彼女とかがああいうタイプではなかったから、わからないけど。目を泳がせながらそれでも退かない彼女に、一応足を止めていたドラムくんが歩き出した。えっ。いやいや。どう見ても話しかけられてる。恐らくドラムくんが止まっていたのにも「そこにいられたら邪魔」以外の感情はなかったんだろうとは思っていたけど。目の前をすり抜けて通り過ぎたドラムくんを目で追った女の子が、眉を下げて小さく繰り返した。
「あっ、あのっ……」
「……ど、ドラムくん、」
「俺じゃない」
「あき、あきさん」
「……………」
ものすごく嫌そうな顔をこっちに向けたドラムくんが、それを無かったことにしてきっちり笑顔を貼りつけ、女の子の方を向いた。今の嫌な顔見えてなかったかな。多分平気だとは思うけど。
「……なに?」
「……あっ、ぇ、えと……っ」
「どこかで会ったことあるかな。ごめん」
「いっ、いえ!ない、ないです、けど」
「……そう?」
うわあ。「めんどくさ」が声から滲んでいるのがわかる。対外用の穏やかな声ではあるけれど、返事の前の空白に嫌さを感じるのは、俺だけだろうか。女の子はいっぱいいっぱいだから気づいていないのかも。ふわふわしたスカートをきゅっと握った女の子が、俯き気味に目を泳がせたまま口を開いた。内心かなりめんどくさがっているっぽいドラムくんが食い気味に口を開くので、冷や冷やする。
「ぇあっ、あの、す、すきです、ファンですっ……」
「ありがとう」
「この前も最前、っあの、こっち見てくれてましたよね、目合いました、狙って投げてくれてますよねっ!」
「……あー……」
「マナちゃんに聞きましたっ、でま、出待ちしてたら、つながれるって……」
俺先に行ってもいいかな。すごい面倒ごとに巻き込まれた予感がする。今までの面倒臭さに、若干バツの悪さが混じった声を上げた、ドラムくんが悪い。なんていうか、こう、女の子に目がないドラムくんがよくない。それに尽きると思う。スマホを握りしめている女の子に、来た道を戻ってスタジオまでうまく迂回するルートはないだろうか…と申し訳ないけど思った。
「狙って投げてくれてます」は偶然かもしれないけど、「こっち見てましたよね」に関しては、ドラムくんが最前列に近い女の子の顔をちゃんと見て、なんなら認識していることを俺やボーカルくんやギターくんは知ってるので、言い逃れができない。だってドラムくん、ニコニコしながら顔見に行くもん。完全にこっちのことを放置する背中を何度見たことか。彼女はそれのことを言っているのだろう。それに関しては全くもってその通りなわけで。ただ後半の、「出待ちしてたら繋がれる」に関しては、ドラムくんならそういうことしてそうではあるなあという気持ちと、そう簡単にバレるような轍を踏むだろうかと訝しむ気持ちが半々である。自分からバラすならまだしも、こうやって迫られてるところに遭遇したことはない。ギターくんなら付き合い長いからあるかもしれないけど、今から聞けるような状況には到底ないわけだし。
「あのっ、グッズもこれ、友だちとか誘うので、ライブのアフターとか……」
「……………」
「……えと……」
いや怖。ドラムくんの無言の圧が強すぎる。顔は笑ってるけど全然笑顔じゃない。なんか初対面の頃にああいう顔よくされたなあ…とぼんやり思い出してしまった。目が笑ってないというか。浮かべているのは間違いなく完璧に笑顔なのに、愛想らしきものは一切無いというか。気圧され気味の女の子が、片手にタオルを持ったままうろうろと目線を下げた。なんか逆に可哀想だな。他人事にそう思っていると、ドラムくんが口を開いた。その声色が、思っていたのより数段柔らかかったから、女の子同様いつの間にか下を向いていた俺も顔を上げた。
「待ってくれてるのは嬉しいよ。ありがとう」
「っえ、え!いえっ、やりたくてやってるので、こっちも嬉しいです……っ」
「けど、誰か一人だけ特別扱いすることはないから」
ごめんね、と付け加えそうな声色で、そうしなかった。ただ事実を伝えただけ。嬉しそうに見上げた女の子の表情が、凍ったのが分かった。
「……ぁ……」
「どいて」
もう最後はお願いですらなかった。ドラムくんが完全に上に立っているから、会話というより命令に近い。動かない女の子に目を眇めて、横をすり抜ける。先に進んで、ついてこない俺に気付いたのか、少し不思議そうな顔で振り向いた。その顔があまりにいつも通りで、イラついてたり不愉快そうじゃないものだから、それが逆に怖かった。
「ベースくん」
「ぇあ、っ」
このまま女の子を放っておくのも可哀想だが、下手にフォローしてドラムくんの機嫌を損ねる方が断然恐ろしい。走って追いつけば、当然とばかりに踵を返す。そのままスタジオの入り口に向かってしまったドラムくんの後について歩きながら、後ろからさっきの女の子の声がした気がした。
「……顔基準って本当だったんだ……」
「どらちゃんが女の子フってた?」
「そ、あ、あんまおっきい声で言わないで」
「メスならなんでもいいのかと思ってた!」
「あのっ、大きい声出さないで……」
「どらちゃんに聞いてみる」
「やめて!」
「どらちゃあん」
「やめてえ!」
割と衝撃的だったからスタジオからの帰り際、ボーカルくんと二人になった時にその話をしたら、まだこの辺にいるはず!とか言いながら本人確認を取ろうとされた。マジで頭おかしいのか。やめてくれ。しかもほんとにまだいたし。早く帰っていてもらいたかった。ちなみにギターくんは「お腹空いて限界」と残して練習が終わるといつの間にか消えた。
「なに」
「女の子フったの?」
「は?ああ。女子高生じゃないんだから何でもかんでも話すなよ」
「ち、ちが、そうじゃなくて」
「珍しくない?好みじゃなかった?」
「今は事足りてる」
「あんね、あんまり女の子に向かって事足りてるとか言わないやつだよ」
「そうだけど事実だし」
「最低……」
「それにああいう女は後々面倒くさいから」
「どんな子だったの?」
「どこからどう見ても重そう。束縛やばそうだし分を弁えなさそう」
「すげえ言うじゃん……」
推測なのにめちゃくちゃ言うし、なんか当たらずも遠からずっぽいのが、なんか、うーん。そうなの?とボーカルくんに聞かれたけれど、無回答とさせてもらった。
「でもやっぱ女の子相手なのに珍しいよ。どらちゃん熱あるんじゃん?」
「ない」