このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

花桃




「……………」
「そんな拗ねる?」
「……………」
かわいい年下の恋人が拗ねている。ちゃんと口を尖らせて、そっぽを向いて、あたしを無視しながらのろのろ歩いている。拗ねててもかわいいなこの子は…と心の底から思うのだが、まあそれはそれとして。
なんでこんなんなってるかっていうと、二人で出かけると太一くんは「デートですね!」って喜ぶのであたしもそれが嬉しくて結構いろんなところに行ったりご飯食べたりしているのだけれど、その度に彼が外で手を繋いだり腕を回したりしてくるのをあたしがなあなあに避けるものだから、拗ねているのである。どうもあからさまにイチャイチャしたいらしい。おれは恥ずかしくないです!人の目なんて気にならない!とは太一くんの弁だが、それは彼の個人的な意見であって大多数ではない。男同士で普通に出かけるならまだしも距離が近くてベタベタしてると思ってるより目を引くし、あたしはともかくとしても太一くんが変な目で見られて傷つくのは嫌だ。ちなみにあたしが外でくっつくのを禁止しているので、家に到着する、エレベーターに乗るなど、二人きりが確保できそうな状況になると途端にぎゅーってしがみついてくる。前者はまだしも、後者は結構危ない橋だと思うけど。今はまだ外を歩いているので、太一くんはぷんってそっぽを向いたままあたしの弁解を聞いているわけだ。
「だってしょうがないでしょ。外でそういうことしないの」
「おれはしたいです」
「太一くんが狙われたら嫌だから」
「命を?」
「はいはいそうそう」
「ゔー!」
「ごめんて」
流したのが気に入らなかったのか、ぽかぽか殴られた。かわいい。君が誰かの射程圏内に入るのは嫌だよ、と素直に言い直せば、肩をすくめられた。
「でもおれのことなんか誰も狙いませんよ。今までまともに告白されたこととかないし」
「それは見る目なさ過ぎでしょ」
「あ、でも淵田さんが他の人に口説かれるのは嫌です。おれがべたべたしてたらそうなるかもしれないです?」
「えー?あたししばらく誰かにそういうことされてない」
「おれは?」
「そうね」
「んふふ。みんな見る目がない」
っていう感じで、上げて誤魔化すとその場は乗り切れるのだが、しばらくするとまたぶすくれる。デートした後は割といつも太一くんの家へ向かうので、文句を言うのがくっつく口実になっている節もある。家に行ったからと言って別に何が起こるわけでもなく、ちょっといちゃいちゃしたら帰るんだけど。あと次の日のご飯作ってあげたりはする。
ただ、その日はちょっと違ったのだ。さぶい、お引越ししなよ、手伝うよ、と机に向かってあったかいお茶を飲んでいたあたしに引っ付いてきた太一くんが、ぐるりと手足を回してしがみつきながらぼそぼそと喋り出した。顔が見えない。
「……ふちたさあん」
「ん?」
「外で……他の人が見てたら、やっぱり手ぇつなぐのもだめですか?」
「……時と場合によるかなあ」
「おれが男だから?」
「あたしが太一くんより年上で目立つ見た目をした男だから」
「……………」
「……ごめんね?」
「んーん……」
「じゃあ今度おうちデートしよっか。ずーっとくっついててもいいよ。あたしクッキー焼いたげる」
「うん」
ぐりぐり、頭を背中に擦り付けられて、後ろ手に弄ったけど微動だにされなかった。一緒に型抜きするう?と声をかけても、うん、と小さく返されるだけ。こんなに弱るなら、一回ぐらい許せばよかったな。でも、太一くんが変な目で見られたりこそこそ言われたりするの、やだなあ。あとあたしと外でそういうことになったら絶対この子かわいい顔するし。それを他人に見られるのも嫌だ。前においで、って服を引っ張って呼んだら、顔は俯けたままもぞもぞ移動してきて、あたしの肩に顔を埋めたまま、ぎゅーって抱きしめられた。あったかい。
それから二週間経った。デートしよってなったら、うちに来てってお願いされたから、二つ返事で頷いて太一くんの家の玄関の前に立っている、今。お迎えに来てあげたことはなかったなあ、とぼんやり思いながら、ちょっと音の割れているチャイムを鳴らす。さっき最寄駅でもうすぐ着くって連絡入れた時ちゃんと既読ついたし、誰が来るかは分かってるでしょ。ぱたぱたと足音が近づいてきて、鍵が回る音がした。
「おまたせ、……」
「……………」
「……………」
「……っど、お、ですか……」
「……………」
えっ。めちゃくちゃかわいい。なに?夢?めちゃくちゃかわいい女の子から、めちゃくちゃかわいい太一くんの声がする。少しだけ開けられた玄関扉の隙間から見るのが我慢ならなくて、扉を開けて素早く中に侵入すれば、ドアノブを離した手が所在なさげにあたしの服の袖を握っていた。太一くんまで心臓の音が聞こえてやしないだろうか。かわいすぎる。
黒いタートルネックに、ざっくり編んである分厚めの白っぽいニットを重ねて、足首まである長いベージュのスカートを履いている。ウィッグを付けているのか肩下くらいまで髪が伸びていて、首には細いチェーンのネックレスが光っていて、爪が透明にきらきらしてて、睫毛がいつもより長くて瞼が薄い金色にラメが乗っていて、唇がぷるぷるでいい匂いがする。一番最後はいつも通りかもしれん。かわいい。太一くんはあたしより少し小さいので、不安そうに下がった眉で見上げられて、どきどきするとかきゅんとするとかいうレベルじゃなかった。呼吸もできずに固まっているのをなんとか解除して、喋ろうとしたら思ったのより五倍ぐらいでっかい声が出た。
「っかわいい!」
「うあ」
「かわいい!マジでかわいい!どっ、どうしたのそれ、もっとよく見せて!やだもうあたしを喜ばせてどうしたいの!かわいっ、えーほんっとにかわいいよ、えへへへ」
「……うんん……」
「恥ずかしそうにしててもかわいいよお……写真撮っていい?撮ります目線ください」
ばっしばし写真を撮った後スマホを下ろして、それでどうしたの?と聞けば、曲がった指でピースしながら目を逸らして微妙な笑顔を浮かべていた太一くんが、んー…と煮え切らない声を出して一歩下がった。ので、一歩詰めたら、また下がられた。えっ?あたし怖い?
「……こわい、というか……」
「ごめん、やだった?かわいかったから、なんかテンション上がっちゃって」
「や!それは嬉しかったんです!でもその、あのー……」
「あ。やっぱ女の子の方がいいとか、可愛い格好の方が好きとか、勘違いしてるならやめてよね。太一くんだから喜んでるんだからね?分かる?」
「……わ……わかりません」
「もう一回言わそうとしてる?」
「はい……」
分かっちゃいるけど不安だったので直接そう言ってもらえて安心しました、とぽそぽそ言われて、じゃあもう一回丁寧に言ってあげようとハグしながら同じことを繰り返せば、熱あるのかな?ってぐらいあっつくなって照れていたので可愛さを更新するのはやめてほしいと思った。心臓に悪い。あたしの。
「なんで可愛いかっこなの?あたしへの誕生日プレゼント?」
「えっ、え、と、この格好なら、外で手繋いでも、変な目で見られないから……」
「……………」
「……やっぱ外出るのはきついですよね……」
「……………」
理由まで可愛かったから天を仰いだ。全然きつくない。肩とか腕とか、なんていうんだろう、男らしいところはみんな隠れているし、そもそも顔立ちもかわいく整っている上にメイクしてるから全く問題ないと思う。けど全然自信がないらしく、おうちデートにしますか?それとも俺着替えて…とぼそぼそ言い出したので、そんな勿体無いことはないと肩を掴んだ。
「待って。あたしがちょっといじる。そしたらお出かけしよ」
「えっ」
「こっち来て。座って。鏡ある?あっこれ借りるね、持ってて。はい座って」
「あの」
「髪……ドライヤー平気?えーコスメちゃんと揃えたんだね、えっこれいいやつじゃん!あたしも欲しくて迷って」
「あ、あげましょうか」
「ううん。太一くんが使って。もらうならあたしが太一くんに使う」
「意味あります?それ……」
「ねえ座って!夜になっちゃうでしょ!?」
「はいっ」



「最高のやつができた……」
「……これが……おれ……?」
正直、あたしはちょっといじっただけだ。穴を埋めただけ。でも見違えるように可愛くなってしまった。元がいいからだな、これは。
髪を少し巻いて顔にかかるように整えたり、少しムラがあった睫毛に自分のカラーマスカラを重ねたり、やっぱり普段通りだった唇にリップを上乗せしたり、ちょこちょこ直しただけで全然可愛い。太一くんどっちかっていうとひょろちびっこいから似合う。あたしも女の子の格好したことあるけど、身長ちゃんとあって体付きも男だと、いくら可愛い服着ても無駄なんだよね。自分がマフラーがわりに巻いていたストールを肩からかけさせて、マスクをつけたら完璧だった。ぱっと見で男には見えない。声聞いたら分かるけど。
「な、なんでマスク?」
「顎隠れるとだいぶ違うから。あとかわいーからあんま他人に見したくない」
「……は……」
「どこ行く?なにしたい?」
「……えと……」
「なんでも言って。エスコートしてあげる」
「……好きです……」
「あたしも」
それから、太一くんのリクエストで、もう夜に近いけどお出かけした。クレープ食べたり、イルミネーション見たり。ちゃんと手も繋いだ。くっついて寒いねって言い合って、誰にも見えないように笑った。靴は用意できなかったっていうけど、スニーカーで全然平気。指を絡めて握ったまま駅に向かう途中、人の多い道でぽそりと声がした。
「……くせになりそう」
「いいじゃん。次あたし服買うよ」
「やー……やってみてわかりましたけど、くせになっちゃダメなやつですよこれ……」
「そお?じゃあまたいちゃいちゃしたくなったらいつでも言って」
「はあい」
人に聞こえないようにそっと潜めた声。嬉しそうに緩んだ目尻は、外に出てからずっとだ。マスクしといてよかったな、と思う。キスしたいもん。かわいい。ほとんどの人が駅に向かって登っていく階段の目の前で、太一くんがふと足を止めた。
「ん?どっか痛い?」
「……………」
「さむい?これ着る?」
「……や……」
「どしたの」
「……か……帰りたくないなー、とか……ま、もうちょ、っと、一緒にいれたり……しないかなとか……」
尻切れとんぼに消えた言葉に、ああ、うん、と返事をした自分の声が思ったより低くてちょっと引いた。

3/5ページ