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花桃



どこにでもよくいる高校生だったと思う。その当時は自分が特別だと思っていたけれど、それはそう思い込みたかっただけで、その年齢特有のものだった。そう思ったのは、あなたを見たからだった。おれの根底を作り替えた人。一瞬で全てを塗り替えて、あっという間にいなくなった人。
特に悪いこともしなかったし、良いこともしない子どもだった。抜きん出て何かが得意というわけでもなく、苦手というわけでもなく、平凡と言えばそこまで。悪いことをしていると評判の同級生は見下しながらも心のどこかでかっこいいと思っていたし、モテるやつのことは羨みながらも憧れていた。特別なことなど何一つ起こらない日々。友だちとも穏やかに平和な関係を築き、適当な女の子と付き合ってみて、校則を破ることも勉強ができないこともないので先生にも特段目を向けられず。まあそんな高校生だった。
昔から仲良くしていた従兄のみゆうくんが、うちの近くで一人暮らしを始めたのは、俺が高校に入学すると同時だった。父の兄の子どもであるみゆうくんは頭が良くて、おれはよく勉強を教えてもらっていた。その代わりとばかりに週に一度くらいのペースでみゆうくんはおれの家でご飯を食べていて、少し距離の遠い兄みたいなものだった。みゆうくんの家は狭いけど小綺麗で、勉強を終わらせてからだらだらゲームしながらお菓子をつまんでいると小言を言われるのが少し面白かった。母親にもそんなこと言われないのに。
「太一、いいとこ連れてってやろうか」
「ん?」
「今度行くんだけど」
みゆうくんが見せてくれたのは、一枚の紙だった。このバンドが解散しちゃうから見に行くんだけど、と指さされて、分かったような分かってないような声が出た。実際全く知らないし、なんなら流行りの曲にも詳しくない。テレビで歌番組を見るくらいしか得る手段もないし、友だちとカラオケ行ったりはするけど、そんなもんだから。何かしらの部活には所属しなきゃいけない学校だから、幽霊部員大歓迎と謳われていた軽音楽部には入ってはいる。どうもみゆうくんはうちの親からそれを聞いたらしく、やっぱ憧れるバンドがないとはじまんないよな、と一人頷いている。幽霊部員やるために所属してるから現状には満足してるのだけれど、そこまでは伝わっていなかったようだ。
けどまあ、普段だったら立ち入ることのない場所、しかも夜。非日常感あふれるそれに、いやおれ行かないし…と首を横に振れるほど、冷めた子どもじゃなかった。親に嘘をついて、体裁的には「この前のテスト、得意科目だと思ってたやつで自分的にやばい点を取ってしまったのでみゆうくんに集中特訓をつけてもらう」ということで、一泊する許可をもらった。悪いわねえ、夜ご飯ぐらい持っていきなさい、なんならこれも、こっちも、といろいろ持たされて何故か大荷物にはなったが、怪しまれることはなかったので結果オーライだ。みゆうくんが信頼されているのか、おれが良い子なのか、どっちだかは分からない。
いつものじゃ補導されるから俺の服を貸してやる、と被せられた服は違う匂いがして落ち着かなかった。全然知らない路線に乗って、大人の多い駅をみゆうくんに着いていく。当たり前だが夜なので、辺りは薄暗い。大通りから細い道に入って、連れられるままに歩いた。階段の壁に直接、みゆうくんに見せてもらったチラシが貼っついてて、それを横目に降りる。受付らしい入り口のところでは、おれを背中に隠しながらあからさまに誤魔化してる感じの早口でぺらぺらぺらと捲し立てながら通過したので、座って何かチェックしていたらしい女の人にものすごく怪しまれていたが、目を眇められただけで声はかけられなかった。怪しすぎて関わりたくなかったのかもしれない。
「お酒はだめだぞ、太一」
「うん」
バーカウンター。リアルに見たのは初めてだった。こそこそとみゆうくんに言われて頷き、ソフトドリンクのメニューの中から頼む。さくさく出てきたプラスチックのカップを両手で受け取ると、みゆうくんがこっちだと先導してくれた。人がたくさんいる広いところから、狭い通路へ。こっちほんとに入っていいところ?不安に思ってそう聞けば、ダメなとこにはそう書いてあるだろ、って指さされた。確かに。カップを両手で持ったままなので、溢さないよう気をつけながらちょこちょことついていく。お疲れ様です!と元気に挨拶したみゆうくんが立ち止まってなにやら話しているので、手持ち無沙汰になってカップを傾けた。頼んだのはオレンジって書いてあるやつだったけど、よくわかんない。なんのジュースだろう、ちょっとしゅわしゅわする。もう一口、もう一口、としばらく飲んでいるうち、後ろから手が伸びてきたのには気づかなかった。
「こら」
「っわあ!」
「未成年。やめなさい」
「……ひ……」
するりと伸びてきた手にプラスチックカップを奪われて、引き攣った声が漏れた。おれはそんなに背が高い方じゃないから、大抵の人が真っ直ぐか見上げる高さになる。慣れっこのはずのそれに恐怖心を覚えたことは今までなかったのだが、ピンクと水色の混じった長い髪が腕を掠って、完全に気圧されてしまったのだ。怒られているわけではなかった。柔らかい口調だったし、問い詰める声色でもなかった。ただ、見たことのない人種だったから。派手に染められた髪と、普通と違う明るい目の色。少し掠れている落ち着いた声、揺れるピアス、指輪とブレスレット。まぶたがきらきらしていて、小さくなって黙っているおれを見て少しばつの悪そうな顔をした人が、みゆうくんの方を向いた。
「あ!お疲れ様です!」
「うん。見にきてくれてありがとう」
「いや来ないとかいう選択肢ないですし……」
「……あー、これ。この子間違えてカクテル取っちゃってるから、もらった」
「ええ!?ダメだって言ったろ!」
「いやいやあのね、見分けつくわけないんだから、監督責任は君にあるんだよ」
「そうですね!すいません!」
「もう」
おれのせいでみゆうくんが怒られている。およそ怒られていそうな声量ではない返事をしているのは聞こえるが、胸がばくばくして冷や汗がだらだら流れた。後から考えれば普通にアルコールが体に回って体調不良になっていただけなのだが、その時の自分はそれを、見知らぬ怖そうな大人に叱られているせいだと思い込んでいたので、それを悟られてはいけないと必死になっていた。楽しそうにみゆうくんが話している声がする。途切れながら聞こえてくる言葉に、この人たちを見に来たんだ、見せたかったって言ってた、と理解しようとする頭が散り散りになっていく。気持ち悪い。でもそんなこと言えない。黙って耐えていたら、とん、と背中に手が触れた。
「ひ……」
「……顔青いよ。おいで」
「や、まっ、み、みゆ」
「淵田が人攫いしてる」
「してなーい」
背中を押されて連れて行かれた先。奥まった、廊下と言うか部屋というか、とりあえずそこでパイプ椅子に座らされた。あわあわ着いてきていたみゆうくんの肩をグーで押して、水取ってきなさい、と行ってしまったピンクの頭の人が、おしぼりを持って戻ってくる。しばらくしてみゆうくんもペットボトルの水を持って走ってきた。
「ごめん!ほんっとにごめんな太一、気分悪かったら帰ろうか」
「う、ううん、平気」
「いやでも」
「あたし行くね。後はご自由に」
「すみません!あの今日」
「いーいーのー」
「いひゃいぃ」
みゆうくんの頬を引っ張って伸ばしたピンクさん(仮)が、おれを見て、少し頬を緩めて行ってしまった。喧騒が遠い。もらった水を飲んでいるうちに気分は良くなって、普通ぐらいには回復した。みゆうくんが「帰ろっか?」とものすごく後悔している顔で言うので、見たいの見て帰ろうよ、と何度も説得して、じゃあ一番後ろで、具合が悪くなったらすぐに言うこと、と約束した。それで、一番後ろの隅の隅から、ステージを見たのだ。
「……ぁ、」
かっこよかった。さっきのピンクさんがギターを弾いていて、楽しそうに笑っていて、前の方はめちゃくちゃ盛り上がっていて、ああ自分もああいう風になれたらきっとどんなにか、ああやって心の底からハマるものができたらどれだけ幸せなのだろう、と思うともうどうしようもなく、居ても立っても居られない気持ちになった。一番後ろにいるくせに声がでっかいみゆうくんがわあわあ隣で騒いでいて、でもそれは一人だけの話じゃなかった。手を振って、飛び跳ねて、ここにいるみんながこの人たちを好きなんだと思った。俺もああなりたい。普通で平凡な変わり映えのない日常、あれを特別だと思っていた、思いたかった自分が恥ずかしい。特別っていうのはこういうことを言うんだ。
憧れだった。全部を一瞬で塗り替えて、あなたはいなくなってしまった。解散した後、どう頑張っても後を追えなかったし、みゆうくんから「バンドは組んでないらしい」「ライブハウスとかの手伝いしてるって」と聞いたけれど、それだけじゃどうしていいかわからなかった。ギターをはじめようかと思ったけど、あれを見ちゃったら自分に同じことができる気がしなかった。だから違うことでなにか並び立てることはないかと探して、試して、一番長続きして自分に向いてたのが作曲だった。一人でこつこつ続けていれば完成する、この世でたった一つのもの。これならもしかしたら、有名になれたら、誰かに弾いてもらえれば、あなたがスタッフとして手伝いに来てくれることがあるかもしれない。もしかしたらあなたが演奏してくれるかもしれない。そしたらきっと、あなたに憧れてここまで来ましたって、言うんだ。たったそれだけだった思いは、どんどん重くなって、会えた時には何も言えなかった。
もともとうまく行っていなさそうなバンドだったから、打ち上げをすっぽかされたこと自体にはなんの感慨も覚えなかったけれど、それが二回目を呼んでくれたならもう運命だと思った。まともに話せなかったことに後悔して、もう気持ち悪がられたらそれでおしまいでいいからと無理やり勇気を出して、それからは精一杯かわいこぶった。好かれるように。可愛がってもらえるように。あなたに面倒を見てもらえるように。みゆうくんみたいに、明るくて、一緒に話してると楽しくて、元気で、にこにこしてたらきっと、あなたもおれに興味を持ってもらえるんじゃないかって。それは本当のおれじゃないかもしれないけれど、じゃあ今更本当のおれは何なんだって、そんなのもう分からなくなってしまった。あなたに執着する前の自分は思い出せない。あなたに変えられてしまう前の自分はいなくなったから。取り繕って演技して、なんて浅ましいんだろうって自己嫌悪もあったし、優しさに漬け込んでいると申し訳ない気持ちにもなった。けど、それより、会えることが嬉しくて。だってこれまで何年も、ずっと、がんばってきたんだ。
憧れが恋に変わった瞬間は覚えていない。もしかしたら、久しぶりにこの目であなたを見た時にもうだめだったのかも。優しくされたから、好きになってしまったのかも。けど、あなたからも好かれていると知ったから、じゃあ精一杯利用してやろうと思った。こんなおれじゃ嫌われてしまうだろうけど、それでもやめられなかった。





「……だからおれ……ごめんなさい、騙してて……」
「……………」
「……あの……」
「待って」
「はい」
「……待って……」
「はい」
「……南くん?」
「はい」
「えっ違う。君の従兄、南くん?」
「そうですね」
「太一くんは?」
「南です」
「……はああああ……」
「本当に気付いてなかったんですね……」
確かに、南と名乗る子の面倒を見ていたことがあった。勿論好みだったからである。その子がどう見ても未成年の子どもを解散ライブに連れてきたので、具合悪そうなその子をちょっと介抱してあげたことがあった。今まですっかり忘れてたのは、それが完全に下心ありきの手助けだったからである。しかもそれが太一くんだとは思わないじゃないか。確かにまあ、似て……るといえば……似てると言うか……あたしの好みではあるから……なんとも……系統は似てるけど……!
すごい長々と、訥々と話してくれたのを聞いていたのだが、途中から頭の中がパニックになってしまったので、いまいち覚えていない。だって解散ライブって結構前なんだけど。あたししばらくバンド組んでないし、ぷらぷらしながら過ごしてる、ってことはそんな前から知られてたってこと?高校生の太一くんに?作曲はじめた発端があたし?あ、だからもう、目標達成してモチベーション下がっちゃったから曲作ってないのか。なるほどね。全然なるほどじゃないけどね。だんだん俯いて、前髪で顔が隠れている太一くんが、ぽとりと雫をこぼした。
「え!」
「ごめ、っごめんなさ、だま、してて、っひ、きっ、きもちわるい、ですよね」
「な、泣かないで!ごめん!違うの!」
「も、もうあわな、っので、ぇ」
「やだあ!」

泣き止んでもらった。取り乱してすみません…とまだ鼻の赤い太一くんがティッシュ片手に頭を下げて、あたしはもう居た堪れなかったのだが。
ぽつぽつと重ねられた言葉は、素直に嬉しかった。嘘があるとは思えないし、それを疑っては失礼だから。でも、憧れきっかけの「好き」が長続きするとは思えないのだ。土台が違う。だから、できたら返事は待ってもらいたい。その間に、ああ気の迷いだったんだって気付いてもらえたら、それが太一くんのためだから。そこにあたしの気持ちとかそういうのは関係ないじゃない。さっきから繰り返し同じことを言っているとは思うけれど、再びそう重ねれば、ものすごい不満そうな顔を向けられた。まだ涙目のくせに。鼻もぐずぐずで、目尻も緩んでいるくせに。自分が受け入れられて当然、って顔。そういうところが可愛くて、好きで、大事にしてあげたくて、だから手放さなければならないのだ。しばらく考えてみようよ、とできるだけプラスに感じられるように言葉を重ねると、マジでものすごい嫌そうに顔がぐしゃっと歪んだ。そんな顔するんだね。今までどれだけ太一くんが可愛こぶってきたかがよくわかる。結構表情豊かじゃん。ゔーん、と唸った太一くんが、好きなんですけど、と握手を求めるように片手を差し出してきたので、ありがとう、と頭を下げておいた。
「んんん…あの、一回確認してもいいですか?おれのこと好きなんですよね?」
「そう」
「なんでおれが好きなのはダメなんですか?なんの違いがあるんですか」
「だって、太一くんにはいろいろ、もっといろんな人と会って、可愛い女の子が好きになるかもしれないじゃない」
「なりません」
「それは今だからそう思うだけだって」
「……あのですね。淵田さんから見たら俺が突然告白してつらつら過去話して勝手に迫ってるように感じるかもしれませんけど。俺からしたら数年来の仕込みが今やっと実ったところなんです。いいよって言ってください」
「嫌……」
「んがああああ」
「あはは」
およそ告白した人間とは思えない苦しみようについ笑ってしまった。そういえばあたし、付き合ったことはあっても、告白されたことはないや。だから分かんなかったけど、こう見えてるんだ。精神的優位は楽しいし嬉しいし、なにより自由だ。こんな立場にいられるのなら、特に好きでもないピンク頭の年上が必死に縋ってくるのも適当に受け入れて、いいように使うのだろう。飽きたら終わり。今までの扱いに納得がいって、それもあって笑いが止まらなかった。笑っているあたしに腹を立てたらしい太一くんが、飛びついてきたので受け止めきれずに後ろに倒れた。
「あはっ、あはは、も、くるしっ、あきらめてよお」
「嫌です!おれっ、おれは、絶対諦めませんから!あなたを幸せにするって誓ったんです!この前!」
「こ、このまえ?っ近……っふふ、あはは」
「大体ねえ!こうやって、押し倒されてなんにも感じないんですか!?」
「はえ?」
「今から、き、っちゅーしますよ」
「言い淀む人にはちょっと……」
「ちゅーします!」
「高校生みたいな言い方」
「キスしますよ!?」
「いいよ。それで諦めてくれる?」
「諦めないしキスします」
「欲張り、んむ」
ほんとにした。首から真っ赤な太一くんが、唇を押し付けて離れる。諦める気、ないんだろうなあ。でもくっついちゃったら最後、離れられないよ。今度はあたしが惨めったらしく縋って泣き喚いて、別れないでって必死になる。太一くんが思ってるよりずうっと、めんどくさいんだよ、あたし。男だし、年上だし、好きな人にはいつかどこかに行っちゃうんじゃないかっていつでも不安に思う。いいよって言っちゃいたいなあ。そしたらどれだけ喜んでくれるんだろう。つやつやの黒髪を撫でれば、不思議そうな顔のまま擦り寄られて、なんか泣きそうになった。
「……ごめんね」
「嫌です」
「付き合えないけど好きだよ。友だちでいようよ」
「絶対嫌です」
「もう女の子紹介したりしないから」
「今日から淵田さんの彼氏になるつもりでおれは準備してるんです!」
「なにー?あ、指輪とかベタな……」
「……………」
「……えっ……」
「……指輪はサイズがわからなかったので……」
太一くんのポケットから差し出されたのは、レザーとシルバーのブレスレットだった。ずっとそれ剥き身で突っ込んでたの?ラッピングとかしてよ。かわいいなあ。プラスとマイナスで言ったらプラスなので、文句は言えない。もらえないよお、って言ってるのを無視して、あたしに馬乗りになったまま腕につけられて、もらわないけど…と見て悲鳴が出た。
「ブルガリじゃんバカ!」
「そうです」
「余計もらえないよ!」
「これあげるから付き合ってください」
「それでいいよって言うと思う!?」
「ちゃんと調べて準備したので付き合ってください」
「なにっ、……」
手を伸ばして差し出された箱の中には、ちゃんとローションとかゴムとかその他諸々必要そうなものが詰まっていたので、箱の蓋を閉じて遠くに蹴っ飛ばしておいた。ああー!って言われたけど、なに考えてんだこの子は。バカ。思っていたより猪突猛進型だった。そういうことじゃないでしょう!と上に乗っかられているのを下ろそうとしたら、全力で抵抗されてしがみつかれた。
「下りなさい!」
「やです!」
「もう!怒るよ!」
「怒っててもいいから好きって言ってください!」
「やだ!」
「なんでなんですか!いいって言うまで家から出しませんからね!」
「しつこいなあもう!」
「ええはいしつこいですよ!今ここでなあなあにして逃げたら絶対追いかけますから、連絡切っても無駄ですよ、バイト先も知り合いも全部使って追っかけますからね、外堀全部埋めて追い詰めておれと付き合うって言うまで離しませんからね、なんなら淵田さんが言う通りに半年でも一年でも待ってあげますけど絶対おれの気持ちは変わらないし待ってる時間もずっとアピールし続けますから辛いのはあなたなんですからね!」
「わー!もおー!」
「このままここに監禁します!いいよって言うまで!好きだって言うまで!」
そして。
泣いて、怒って、あたしの上で暴れて、大声を出しすぎて疲れたらしい太一くんは丸くなって寝てしまった。子どもみたいだ。ぐずぐず言ってるから背中をとんとんしてたら、ことんと静かになった。手首に通されたブレスレットを外して、太一くんに通す。脱力して重たい身体を下そうとしたら、むずがるようにしがみつかれた。どうしよっかな。いいよって言わなかったらこのままここにいられるんだって。それも幸せそうだなと思った。でもあたしの幸せより太一くんの幸せだよなあ。もう何年も棒に振らせちゃってるのかもしれないわけだから、これ以上は奪えない。ぺったりと胸に頬をつけている太一くんの髪から、いい匂いがした。断り続けてたらきっと飽きてくれるよね。辛い思いさせてごめん。そう思いながら鼻を啜ったら、びくりと身体が揺れた。こっちを見ないまま、声だけが聞こえる。
「……寝込みを襲わないんですか」
「うわ起きてたの?」
「うとうとしちゃっただけです。淵田さんがいい匂いするから」
「太一くんのがいい匂いだよ」
「……好きって言えないなら嫌いって言ってくれますか?」
「え?」
「そしたら諦めます」
顔が見えないから、分かんないな。本気なのかどうか読めない。言って、と言う割に悲壮な声だし。さっきまであんなに自信たっぷりに駄々こねてたくせに。ぎゅうっと服を握りしめられて、じゃあ言ってあげようと思って、口を閉じた。
言えるわけないじゃない。あたし、この子のこと好きなんだよ。笑った顔も、怒った顔も、泣いてたのは少し可哀想だと思ったけど、どれもかわいくて守ってあげたくて、大事にしたい。嫌いだなんて言ったらきっと傷つくでしょ。また泣いちゃうかも。そんなのできるわけない。言葉を止めたあたしに気づいたのか、もそもそと顔をあげて鼻先がくっつきそうなくらいの距離まで寄ってきた太一くんが、ふっと目を緩ませた。
「ねえ、やっぱ好きって言って」
「……ずるう……」
「おれだって淵田さんのこと嫌いなんて言えないですよ。一緒でしょ?」
「違う」
「一緒です。だっておれは淵田さんのこと大好きだし、笑っててほしいし、幸せにしたいし、えっちな目で見ています」
「全部違うって……」
「あ、おれの幸せをおれ任せにしないでくださいね。あなたにかかってますよ」
「……人任せにしないでよ」
「ちゅーしてもいい?」
「……うん」
「おれのこと好きですか?」
「……………」
「往生際わっる。ふふ」
唇と唇がくっついたから、わざとその間に好きだって言ったら、ばりって音がしそうなぐらい離れてぽかんとするから、笑ってしまった。涙が出るほど笑えて、止まらなかった。



「じゃ、あたし帰るね」
「ええ!?」
「えっ」
「と、泊まって行かないんですか!?」
「うん」
「もう終電ないですよ!」
「平気平気、始発まで時間潰すから」
「や、あのっ、着替え新しいのありますよ!」
「お付き合いはじめて数時間でお泊まりはしないよ。大人として」
「こんなにその気なのに!?」
「……君結構ちゃんと下心あっておもしろいよね……」

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