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日常





「もおやだ!今日という今日はやだ!許さないから!」
「はあ」
「謝って!」
「なんで」
「やめてっつってんのにやるじゃん!もうしませんってゆって!」
「もうしません」
「こっち見て!」
「うるさ……なに?PMS?」
「なにて?」
「バカ」
直前まで怒っていた勢いを急に失速させて頭の上に疑問符を浮かべたので素直な感想を口に出せば、いいもん…とスマホを弄って、数秒で調べがついたらしく手の中のそれを投げつけられた。普通に角が当たって痛かったし。んなわけねーだろ死ね!とついでのように殴られ、そこまで言うのは珍しいなと他人事のように思う。そもそもの発端は悠が「痛いから噛まないで」と言ったことであって、そんなことをこいつが言いださなければ何の問題も起きなかったのだから、怒られる筋合いはない。なんで俺の方が我慢しなきゃならないんだ。お前が我慢しろ。しかもそんなに害があるほどやってないし。そう言うと大体、ここもここもここも痕になってる!と指さしながらキレられるのだが、別にさして大ごとでもない、治るぐらいのちょっとしたやつはノーカンではないだろうか。キスマークと大差ない。面倒になってきて適当に生返事をしていると、話を聞いていないことで火に油を注いだらしく、蹴飛ばされた。
「バーカ!きのこ!噛み癖直るまでりっちゃんもううち入れないから!」

ということがあったのが二週間近く前。別に悠と会っていないわけじゃないし、顔を合わせれば普通なのだが、家には行っていない。完全にタイミングが合わなかっただけで、そういえばそんなことを言っていたなと思い出したのは今なので、それが理由じゃないんだけど。
「今日ずうっとスマホ見てるー」
「ん」
「あ、やっとこっち向いた」
ねえー?と甘い声で腕を絡められて、謝る代わりに髪を撫でた。勝手に俺のシャツを着るな。皺がつくから袖を折らないで欲しいし、服を着たいなら自分の服を着て欲しい。時々連絡をつけて会って、何となく一緒にご飯を食べて夜は一緒に過ごす、という感じの相手なので、文句を言って改善してもらうほどの関係性でもないし、あっちも言われたところで変わるつもりはないだろう。ライブには「え。人多いし知らん人とくっつくのとか無理すぎ」と言って来なかった割に、チケット自体を捌けさせるのには一役買ってくれた経緯がある。桜色のつやつやした爪が、するりと腕に這った。
「仕事ー?」
「ううん」
「彼女ー?」
「いない」
「あ!分かった!好きな子!」
「いない。友だち」
「そういうことにしてあげる」
そういうこと以外のどういうことでもないのだが。ふふん、と誇らしげに笑われて、苦笑を返した。そういえばしばらく家に行っていないと思い返してラインの画面を見ていたので、先日悠が送ってきた変なスタンプで途切れたトークは見えたのかもしれない。女の中でも特にそういう恋愛の話が好きな女なので、俺の腕に絡んでいたのが崩れて膝の上に寝転がる勢いではしゃいでいる。花みたいないい匂いがした。
「どんな子?なな?」
「そう」
「えー絶対嘘じゃん。ななじゃないじゃん?でもアキくんのタイプとか分かんないしなー、あ!でも見た目は分かんの!おっぱいでっかい子!」
「……見た目で判断したりしないけど?」
「へーえ?」
「……………」
体重をかけられてまだ、そうではない、と言い切って無垢にそれを信じてもらえるほどの信頼度はない。ので、沈黙を返事と変えさせてもらった。まあ男の子なんてみんなそうゆうとこあるよね、と頷いた女が、俺の手で勝手に遊びながら喋り出した。
「アキくんさ?クール系ってゆうかー、やることやるけどあんまちゃらけてないじゃん?だからー、そういうとこ押してった方が女の子はキュンとくると思う」
「ど……うん?」
「ギャップだよギャップ!自分にだけふざけるとか!自分にだけ優しいとか!顔冷たいからさーあ、そういうのが大事なんだよ絶対、好きな子にもやんなよ」
「……参考にする」
「そんでさあ、二人で会うじゃん?あ、二人で会うからって突然家とかホテルとか行っちゃダメなんだからね、知ってる?好きな子のことは大事にしなきゃいけないんだよ」
「え?俺のことなんだと思ってる?」
「そんでー、告白?えーアキくんが告白すんのとか超見たい!なな呼んでくんない?隠れて動画撮っとくから」
「絶対嫌」
「誰にも見せたくないぐらい好きなんだね♡」
「……………」
えへ♡とかわいく微笑まれて、自分でも固まっていると分かる笑顔を返した。なんというか、面倒くさい。早くこの話終わんねえかな、と思いながら指でやわらかい唇をなぞれば、手を雑に掴んで退けられた。邪魔するなよ、が含まれたそれについスマホに目を落としたのを見つかって、連絡待ちなんだよね♡どきどきするよね♡とテンションを上乗せしてしまった。クソ。
「どんな子なのお?あっ!いいよ!言いたくないなら!自分だけの宝物だもんね!大好きなんだよね!」
「あの。俺、好きな子はいない」
「顔かっこいいしおっきいし上手だし優しいしお金持ってるし優良物件だから自信持って!絶対幸せになってね!」
「もう一回言う?好きな子は」
「あっなんか通知きたあ!来たよ!らぶちゃんからじゃない!?」
「うるっさ……」
どす、と全体重を乗せてスマホを渡されて、唸り声が漏れた。らぶちゃんって誰だよ。ハアハアしないでくれ。見ないから!と手で目を隠されて、指の隙間からばっちり見える瞳とがっつり視線が合いながら、画面のロックを解除した。普通にただの通知だろうと思っていたのだが、タイミングが最悪なことにちゃんと悠だったし、写真とメッセージだった。散らかった机が若干写りこんでいる上に乗っかったなにかの鍵と、「りっちゃんのわすれもの?」というオール平仮名バカ丸出しの文章。ちゃんと網膜に焼き付けたらしく、二秒後ぐらいに大きく息を吸う音がした。
「っかわいい〜〜〜!家!?家行ってんの!?あだ名で呼ばれてんの!?」
「これ男友だ」
「年下!?えかわいっ、顔見せてよ!」
「ち、あのさ、男」
「見せろ!」
「いってえな爪長えんだよ切れ!」
「やだ怒ったあ!」

「俺のじゃない」
「え?じゃあこれなに?」
「知るか。疲れた」
「俺のチャリの鍵かなあ……」
こないだ失くしたから…とぶつくさ言っているが、そうかもしれないなら先にそっちを確認してから連絡してほしい。テンションが上がった妖怪恋話女で欲が発散できなかったので、そのまま悠の家に行く連絡をした。バイト終わりだったらしく、適当な駅で待ち合わせて歩いてきたのだが。
「お腹空いた」
「なんで家に着いてから言うんだよ……」
「こないだりっちゃんがカップ麺のストック食べちゃったからなんもない」
「は?食ってない」
「食べた。からいやつ」
「知らん。いつ?」
「三ヶ月ぐらい前」
「覚えてるわけねえだろバカ」
「俺も買い足すの忘れてたけどさあ」
ていうか、忘れてるんだろうか。忘れてるんだろうな、この様子だと。なんでどっか寄ってくんなかったの?と首を傾げられたのを無視しながら、一瞬でも心に引っ掛けた優しい俺の方が馬鹿を見るじゃねえか、と腹が立った。殴ろうかな。
「ねえー。今なんもないよ」
「いつもなんもねえだろこの家」
「こないだ全部使っちゃったもん」
「あ?」
「ご飯と一緒に買いに行こうよお」
「……………」
ねえー、と腕を引っ張られたが、いい匂いもしなかったし爪も長くなかった。



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