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サウンド




「やばい。なんか変」
ぽつりとギターくんが呟いた。三人体制でやるはじめてのライブの直前。三人でやるってことも発表してなくて、だから今外に並んでいるお客さんたちは誰も何も知らない。最後だって思われてるのかもしれない、下手したらほぼ見納めのつもりの人がほとんどなんてのもあり得ますね、ってマネージャーさんも言ってた。ドラムくんがなんとなく調べた感じもそうっぽいらしい。だから今日がどうなるかによって、今後一気にみんなが離れていってしまうのか、俺が歌っていても見捨てないでもらえるのか、の分岐点になるわけだ。もう吐きそうとか頭痛いとかは、とうに通り越してしまった。逃げたいとかやめたいとかは、随分前になくなったけれど。俺が失敗したら全部終わりだってことは分かっているので、精神的には一種現実逃避に近いものがある。まともに考えないことが大事。ドラムくんも流石に落ち着かないみたいでうろうろしてるし、煙草は空っぽになった上にマネージャーさんに取り上げられてる。それで、一番いつも通りだし、逆に言うといつも通りでない姿は見たことがないギターくんが、ほぼ進んでないお弁当を箸でつつきながらぽつりと呟いて、俺とドラムくんが思わず顔を見合わせたのが今現在である。
「……飯食えば治るだろ、お前」
「ご飯食べたくない」
「た、体調悪いとか?」
「んー……べつにそゆわけじゃ……」
もしかしなくても、やばくないだろうか。ギターくんが使い物にならない状況というのは、今考えたくもないし考えたこともない。うーん?と鳩尾のあたりを押さえて首を傾げているギターくんを見て、指を彷徨わせたドラムくんが、それを鳴らしてでっかい声を出した。ので、びっくりしてこっちが肩を揺らしてしまった。
「緊張!」
「うあ」
「緊張だな!」
「これが……緊張……?」
「そう。お前みたいな精神的な強度以前に失敗への恐怖心がない人間が緊張なんて感じるはずがない。生まれて初めての緊張はどうだ?」
「なにゆってんか分かんない」
「考える力のないバカガキが一丁前に大人になったつもりか?ミルク飲んで寝て忘れろ」
「わあ……びっくりするぐらいムカつく……」
「俺に腹を立てることで初めての感情の芽生えを潰せるなら是非そうして、今芽生えるなマジで」
「ベースくんも緊張するとご飯食べれなくなる?」
「な、なるね……」
「もやもやーってする?」
「する……」
「そうか……これが緊張……」
ふむ…と言った様子で頷いているが、今まで生きてきて本当に一回も、ただの一度たりとも緊張を覚えたことがないなんて、有り得るだろうか。絶対ない。でもギターくんならあるかも。どっちかっていうと、楽しそうだったり嬉しそうだったりしてるイメージの方が強いしな。
これはどうしたらいいの?と聞かれて、どうしたら…?と困ってしまったのはこっちだった。自分の感情との付き合い方が分かっているならこんなことになったりはしない。限界まで追い詰められるし引きずるし、できなかった時のことばかり考えるし、記憶は飛んで気づいたら終わっていることすらある。しかしそれをそのまま伝えて、ギターくんのためになるだろうか。余計に不安にさせてしまうのは良くない。どうしようかと迷った挙句、大変曖昧なふわふわした回答を返した。
「……明るい……ポジティブな……こと?を、考える……とか……?」
「うん」
「……………」
「あんま聞いてやるなよ。かわいそうだろ」
「うーん。別にめちゃ不安とかそゆわけじゃないんだけどなあ……」
「飯食って仮眠とったら絶対忘れる」
「なんか進まないんだもん」
「好きなメニューじゃないからだろ」
「俺好き嫌いしないもーん」
「ごちゃごちゃ言ってないで食って寝ろ」
ドラムくんの一方的な言い分は確かに酷いかもしれないが、ギターくんなら食べて寝れば普段通りに戻っていそうな信頼もある。そもそも俺のアドバイスがアドバイスになっていないのも良くないわけで。ポジティブなことね?と首を傾げたギターくんの第一声は「打ち上げなに美味しいもん食べれるかな」だった。もうドラムくんの言う通り食べてから寝てみたらいいと思うよ。でも今実際に進まなくなってるのは事実で、体調が悪いわけじゃないならやっぱり緊張のせいなのだろう。ギターくんなので、そうそう演奏に支障を来すようなことはしない安心感はある、とは言っても。
「……元気になることを考える……とか……」
「うん。お肉」
「あっ、あ、そういうんじゃなくて、あの、応援してくれてる人とか、今日を楽しみにしてくれてる人のこととか……」
「ほう。それはたしかにな」
「クソ真面目」
「う」
「それやるとお前の場合墓穴だろ。それがあるから失敗できないと思って緊張するんだから」
「……そ……それは……そうなんだけど……」
「もっと単純に考えりゃいんだよ」
はあ、と溜息を吐いたドラムくんが、少し考えて、ギターくんの肩を叩いた。振り向いたギターくんにつられてそっちを見る。いつもと同じ無表情だったドラムくんが、突然、ニコ!って笑った。にやあ、とか、にたり、とかじゃないやつ。ぎょっとして言葉も出ずに二人して固まると、ギターくんの手を取ったドラムくんが、血色のいいニコニコ笑顔のまま、目を輝かせながらはきはきと言った。
「今日のためにいっぱい頑張ってきただろ!大丈夫、みんな楽しみにしてくれてる!自分を信じて、最後までやり切ろう!悠!風磨!」
「だはははは」
「元気出たろ」
「あ″はっ、ははははもっ、がぃ、げほっ、げほげほっ、もっかいやっ、あははは!」
「二度とやらない」
「やだあ!ぐ、ふっ、わら、笑わないから、もっ、元気ない時見るのに動画とっ、ふ、撮るから、りっちゃん、んふふ、っ」
「やらない」
突き飛ばされたように笑い出したギターくんを見たドラムくんが、すん…といつもの顔に戻ってしまった。どんな表情筋だ。別人みたいだった。お願いもっかいだけ、と笑いすぎて泣きながら咽せているギターくんを見下ろしているドラムくんは、いいえ、やりません、と冷たく断っている。あんなに笑うほど面白いかどうかはさておき、元気ない時に見たら確かに勇気づけられるかもしれない。お願いしてみようか、とそっとスマホを向ければ、それに気づいたドラムくんにものすごく嫌そうな顔をされた。
「馬鹿正直男にはもっとやりたくない」
「ば、ばか……」
「気持ち悪がるか笑えよ。俺の努力が浮かばれないだろ」
「でも、あの、嬉しかった」
「ひぃ……し……しぬ……ふはっ、う、うれしかった……っぐぅ……」
「ほらギターくんが死んじゃうだろ」
「ええ……?」
「もっ、もうやめて、お腹、ふはっ、お腹いた、んふふ」
「こっちが普通の反応だからな」
椅子に溶けながらまだ震えているギターくんを指差したドラムくんに、一応頷いておいた。この一連の話で何もかもを忘れたらしく、落ち着いて起き上がった頃には、はーあ、笑った笑った、とお弁当をもぐもぐしていたので、結果的には良かったのかもしれない。


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