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ギスり回





だから。ギターくんは割とちゃんと怒ることができるのだ。それを知ってちょっと近くなった気にもなったし、仲良くなったみたいで嬉しかったのもある。今までそういうこと、自分にはなかったから。
だから。

「……………」
うあー、めちゃくちゃ怒ってる。隣に座ってるのに顔を見れない。ぱちん、ぱちん、と一定のテンポで鳴らされているペンの音に、頼むから気づいてくれと壁の向こうの相手に祈った。
事の発端は。でかいフェスに呼ばれて、一番大きいステージの、割と終わり寄りの良い順番をもらえた。テレビに出るようになったり、ラジオの枠を貰ったり、いろいろ人の目につくようになったから、有難い話だと思う。ものすごいたくさんの人が集まる有名なフェスだから、打ち合わせとかも大変だったらしい。俺はあんまり力になれないから、なんにもできなかったけど。それで、本番直前で、立ち位置とか音の確認とかして、ステージにちょっと立たせてもらって、それが終わって今。
俺がふらふらしてたからギターくんがついてきてくれて、静かなとこがいいよねーってギターくんが連れてきてくれて、機材とか荷物とかが積んである裏に二人で座ってた。注目されることには未だに慣れなくて、死にそうなぐらい心臓がだくだくする。だいじょぶだよ、とのんびり言われる度に頷くけれど、浅い呼吸ばかりが重なって、どうしようもなかった。自分でも、どうしようもないな、と思う。緊張はみんなしてるよ、ってボーカルくんは言ってくれた。なんでそんなになるんだよ、と言うドラムくんは呆れを一周通り越した感じだった。客席側で参加したこともあるフェスだ。だからというわけでもないのだが。
「誰のかなー……なんかもってきちゃったんだよねえ……」
「……ぎ、ぎたくん、っさ、先にもど、戻ってて、いいんだよ……」
「うーん」
聞いてるんだか聞いてないんだか、といった返事のギターくんは、口を少し尖らせながらペン回しを始めた。膝に顔半分埋めながら、ふうふう唸ってる俺のことは放って。何回か取り落として、学生ん時はできたんだよなあ、と小さく零す。黙々と回すうちに勘を取り戻してきたのか、くるくると普通に回すだけでなく、指の間をくぐったり、揃えた指の周りを回したりし始めた。ぼおっとそれを見ていると、ペンを弾いてキャッチしようとして、損ねて落としたギターくんが、あれえ、と笑った。
「……上手だね……」
「授業中ずっとやってたんだー」
「き、器用だよね、ギターくん……」
「そお?細かいことあんまだけどなあ」
「ううん」
「ちょっと元気出た?」
「……うん」
「よかったねえ」
ぱちり、とペンのクリップを鳴らしたギターくんが、立ちあがろうとして、また座った。もう戻った方がいい時間かなと思って俺も立とうとしたんだけど、ギターくんの声に再び腰を下ろした。
「戻ったらどうせ人だらけでしょ。もうちょいいようよ」
「……う、ん。いいのかな」
「やばくなったら連絡来るって」
ねえこれやってみたい、と向けられたスマホにはペン回しの動画が映っていた。見ててね!ってスマホを持たされて、言われた通りにする。動画のそれはどうやら難しい技らしく、何度も取り落としては拾って、諦められないみたいだった。途中で、ギターくんなのに妙にこだわるなあ、と思わないでもなかったけど、できないのは悔しいだろうし、元々よくやってたって言ってたから再燃しちゃったのかな、と内心で納得して。
「あ」
「あ、っ」
何回目か。ぴん、と弾かれて飛んでいったペンに、手を伸ばしたけど届かなかった。勢いづいて飛んでいってしまったペンを拾いに行こうとしたら、ギターくんに手を引かれた。引き止めるような動きに、びっくりして振り向いて、ペンを拾う前に戻される。
「え、っえ、なに」
「……裏側に人いる」
「……ぇ……?」
「ここ立入禁止区域ぽい。バレたら怒られちゃうかも」
「えっ」
わざと潜めた声に縮こまると、さっきまで普通に喋ってたけどバレなかったから別に平気だけどね?と笑われた。焦らせたかったのか茶化したかったのかの判別が付かずに固まると、笑いを引っ込めて息を吐いたギターくんが口を開いた。
「さっきからずうっと、ベースくんにあんま聞いてほしくないなーって、誤魔化してて。引き留めてごめん」
「ぇあ、ぅ、ううん……」
「多分だけど、うーん、裏にいる人知ってる人でさあ。噂聞いたことあって。めっちゃ文句言いまくるから標的にされるとめんどいって、捕まると長いらしいし。俺前絡まれたことあんだよねー……」
ぽそぽそとそう近くで言われて、本当にこっちには気づいてないの、と聞けば、多分?と首を傾げられた。ペンが飛んでいった先に取りに行けば、壁からは出てしまう。ボーカルくんとドラムくんのところに戻るには、壁の向こうの細い通路を抜けないといけない。そこにいる人に見つからないように動くのは無理だ。確かに、ちゃんと耳を澄ませれば会話が聞こえてくる。聞かなくていいよ、とギターくんは言ったが、聞こえてきてしまった。ああ、確かに、聞いていて良い気持ちはしない言葉ばかりだなあ、という感じで。
なんとなく緊張感が生まれてしまって固まった俺に、とりあえずペン取る!とガッツポーズをしたギターくんが、その辺に落ちてた木の棒を駆使して、吹き飛んだペンを手繰り寄せた。がんばれー、と小声で応援しながら、別のことをしていると気にならない程度の声量ではあるんだな、と再確認。だから、ギターくんはずっと俺の気をひこうとしてくれていたわけだ。分からないけど。半々かもしれない。半分は気をひこうとしてくれてて、半分は本当に戻るのがめんどくさくてペン回しやりたかっただけかも。ペンを無事取り戻したギターくんとハイタッチして。
「こーやって、こそこそしてんのさあ。悪いことしてるみたいでちょっとおもろいね」
「……うー……ん……?」
「えー?」
困ったみたいに笑ったので、つられて笑った。まあそう思った方が多少、気は楽になるかも。

それで、今のこれである。どうせすぐいなくなるよ、あっちだって出番あるんだから、とペン回しの練習に戻ってしまったギターくんに、出番があるということは同じ出演者の誰かなんだな、と思い至った。数が多すぎて分からないけれど、ギターくんが知ってる人ってことはバンド関係の誰かだ。そう察することはできても、当たりはつけられない。まあ確かに時間はまだあるし、まずくなったらマネージャーさんからも連絡来るはずだし、俺たちが出る時にはもう既にボーカルくんも「散歩してくる!」っていなくなってたし、と言い訳を重ねていたから、しばらく気づかなかった。
「……………」
「……?」
ギターくんが手を止めて、ぼーっとしている。最初は、眠くなっちゃったのかな?と思ってそっとしておいたのだけれど、なんか、ちょっといつもと違うなあ、と思って。
「そうそう。どうせ今回限りなのにな」
「思い出づくりに金かけすぎだろ」
「言えてる。ははは」
なんとなく聞こえてきた声を拾って、壁の方を振り向く。何かしてると聞こえないくらいの声量。逆に言えば、何もせずにいれば会話の内容までしっかり聞こえてくる。二人分の声にギターくんの方を見て、そろそろと目を逸らした。
え、だって、めっちゃくちゃ怒ってんだもん。ぱちん。ぱちん。回されなくなったペンのクリップを弾いて鳴らしているギターくんの手元を見ながら、なんで急に怒って、俺なんかしたかな、と一瞬で頭が冷えた。が、恐らく、壁の向こう側の人たちに、ギターくんは怒っているのだ。途切れ途切れながらも拾えた内容は、恐らく俺たちのことを指していた。だから、聞き始めが遅かった俺よりも、ギターくんは最初から全部の内容を知っていて、静かに怒っているのだろう。途中から聞いたって、あんまりいい気持ちはしない。自分のことに関しては、そりゃあそうだろうなって、そう言われても仕方がないんだから。努力不足も力不足も承知の上だし恥ずべきところだと思っている。受け止めるしかないけれど、ボーカルくんのこととかドラムくんのこととか、もちろんギターくんのことも、ああやって見下されたり、不当に貶されることはないはずだ。勢いだけとか、博打が当たったとか、失礼だと思う。まあ、俺とギターくんがここにいることを知らずに言っているんだろうから、責められるかどうかは微妙なところだが。いることを知っていて言っているなら性格が悪い。
話はちらちらと別のところへ逸れて、「久しぶりに横峯見たけど、」と聞こえてきた名前に、そろりとギターくんの方を窺った。クリップを弾く音は止まないし、膝を立てて背を壁につけもたれ掛かっているギターくんは、眉を寄せたり睨んでいたり、しない。冷えた目を前に向けたまま、真顔でじいっと止まっている。これがギターくんが怒っている時の顔だと俺は知っているし、この後ちゃんとキレ出したら俺には止める術がない。ボーカルくんを呼んできて場の空気を変えて落ち着かせてもらうか、ドラムくんを連れてきて羽交い締めにでもしてこの場から引き剥がしてもらうしかない。俺に今できることがあるとしたら、この場からとっとと離れることぐらいである。突然空飛べるようになったりしねえかな、と他人事のように思う。
「上っ面だけ」「上手いフリ」「結局ちゃんとやってるところ見たことない」。ろくに音出さないで本番どうすんだよ、と笑う声に、そんなことないのに、何にも知らないくせに、と腹の奥に何かが溜まるような気になった。どれもこれも、人を傷つけるためだけの酷い言葉だと思う。自分が言われてたら、目の前が真っ暗になるだろう。けど、俺じゃなくて、ギターくんのことだから。こんなことを言われて、こんなことに心を割くような無駄なことを、してほしくなかった。さっきギターくんが俺の気を逸らそうとしてたのも、もしかしたらこういう気持ちだったのかもしれない。時計を見るふりをしてスマホを取り出し、何も気づいていない顔で、そろそろ帰ろうと言うためにギターくんの服の袖を引っ張った。
「、」
「……ぎ、」
ふ、と。和らいだ目と視線があったので、少し安心した声を漏らした。薄く笑ったギターくんはきっと、こんなのもう聞く必要ないって、怒るだけ無駄だって、思ってくれたんだろうと浅い期待を持ったのだ。急に立ち上がったギターくんに引っ張られるようにつんのめって、一瞬で霧散したけれど。
「おお。迷子?」
「ここ入っちゃいけないの知ってる?」
「知らないからいんだろ」
「そっかそっか。悪い」
一人で、行かせたくなくて、ついてきてしまった。ほぼギターくんの後ろに隠れている。そおっと覗いた先には、俺でも知ってる有名バンドのギターとドラムがいて、正直言うと引いた。それこそフェスなんかには常連の、安定した人気を持っている人たち。ああ、そういう人間だったんだ、と失望してしまった自分がいた。ステージに立っている姿だけで人間性を測れないってことは分かってるし、けどなんだか嘘をつかれているようで、気持ちが悪い。さっきのもしかして聞こえてた?ごめんね、と軽く謝られて、すたすた歩いていくギターくんに置いていかれないように必死で服の裾を握ったままついていく。
「挨拶は?横峯」
「……………」
「怒ってんの。はは」
「自分でも場違いなの知ってんだろ」
「……………」
話しかけられたから、仕方なく、と言った感じで緩慢に振り返ったギターくんに、もういいから早く行こう、と背中を押す。俺が押した分だけ何故かギターくんは方向転換するので、結局ギターくんが向かい合って俺は背中に隠れてしまった。どうせなら前に立って守ってやれよ、大人だろうが、不甲斐ない。そう思う、自分でも痛いほど分かってる、けど足が震えて無理だった。ギターくんの方がずっと、傷ついてるのに。嫌な気持ちになってるのに。
言い返すのをわざわざ待っているような沈黙。俺が使い物にならないことも、ギターくんが勢い任せで噛み付いてこないことも、分かっているから待っているのだろう。なんなら今の、出番前という状況も食い物にしているのかもしれない。どうせ手出しできるわけがない、と。気にしなくていいよ、もう行こう、構うことないよ。そう、口からは出せないまま、ギターくんの服を震える指先で引っ張った。かちん、と鳴らされたペンのクリップに、ふとそっちを見た。
「知ってる?ベースくん。ボールペンて人殺せんの。映画で見た」
「……へ……?」
低い、冷え切った声。ぼそりと吐かれたそれが、向こうまで届いていたかは分からない。まばたきもせずにじっと相手を見据える暗い目。なにするか分かんない顔に、今までで一番強くギターくんの服を引っ張った。
「い、っいこ、ギターくんっ」
「うるせえへったくそ!お前らレベルに合わせてやってやってたに決まってんだろ、バーカ!」
「ひ、い、っ行こうってば!」
「俺より上手くなってから物言え!」
負け惜しみとか捨て台詞というよりは、完全に煽りにかかった言葉を、普段のトーンで、面白がって吐くものだから、どっと汗が噴き出て必死にギターくんを引っ張って走って逃げた。なんかあったらどうするんだ。あっち側も付いてくる気はそもそもなかったらしい、そんなに走らないうちからスタッフの人に「そっちは入らないでくださーい」と声をかけられて、足を止める。ぜえぜえしている俺を見て、ありがとねえ、と笑ったギターくんに手を引かれて、見たことのある道へ戻る。
「ご、っごめ、なにも、なんにもできなくて、っ」
「んーん。ギターくんがねえ、嫌がってくれただけで嬉しかったよ」
「もっとこう、まも、守るとか、庇うとか、できなくてごめん……」
「あは、別に欲しがってないってえ」
それに、喧嘩するなら正々堂々やらないとね。そう漏らしたギターくんの顔には、いいこと思いついちゃった、と書いてあった。その「いいこと」のおかげで機嫌が良くなったらしいギターくんが、あのねえ、と嬉しそうに話す。
「あんだけ発破かけられたら、聞きに来ないと恥ずかしいでしょお」
「そ……そうかな……?」
「そお。プライドで生きてっから。だから俺はー、それを粉々にして踏み潰します。りっちゃんに説明したいんだけどベースくん手伝って」
「ぇ、えぁ、はい……」
前言撤回。機嫌は良くなっていなかった。プラスの方向にブチ切れてるだけだった。売られた喧嘩は買う派のドラムくんに何を説明するのかは知らないが、何にせよ穏やかな終わり方はしないだろう。

結果。怒っているギターくんが仕掛けた「俺より上手くなってから物言え」の言葉よりよっぽど伝わる演奏のおかげで、炎上というか話題性というか、悪いことにはならなかった。ドラムくんに説明したかったのは「ギターソロの時間を伸ばしてください」で、それに対する返事は「は?今?ギリすぎるだろ」と呆れ半分、「まあいんじゃない、できんならやれば」と投げ半分、だった。それを頼むのは俺が手伝うことでもないが、一人で持ちかけるより二人で言ったほうが真剣さは伝わったらしい。軽い返事だった割にはドラムくんも満足げだったので、マーケティングとしても成功。ボーカルくんも、かっこいかったすごかった、って喜んでたし。ただギターくんは、謝ってほしいものですなあ?と首を傾げていた。が、それはないだろう。だってあの人たちは確信犯で場所を選んでいる。根を掘ればきっと俺と変わらないはずだ。怖がりで、周りが羨ましくて堪らないくせ、なにもできない。だから外に当たり散らして、自分を上げたつもりになる。それが楽なのは、多分俺が一番よく分かる。本番前に細かなことは伝えきれなかったので、一連の経緯を説明すると、ボーカルくんは怒っていた。俺もそうやって素直に怒ってあげられたらよかった。つまらなそうに聞いていたドラムくんが、でもまあ、と口を開いた。
「すぐサボんのは本当のことだろ。直せ」
「ふあああ」
「聞けや」
「ねむい」
「やなやつやなやつ!やなやつ!」


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