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ギスり回





それが、最初のギスギス。起きたのが結構初期だったから、ギターくんも怒ることあるんだなあって頭でずっといたし、それからしばらくは様子を窺いながらいたのだけれど、そうなることは滅多になく、むしろあれから一回もなく、じゃああれがレアケースだったのだなあ、と納得してからまたしばらく経った頃。
「今まで、大ッ変お世話になりました!」
と。こめかみに青筋を立てながらしっかり中指を立てて「死ねクソ」を全力で表してから部屋を飛び出していくギターくんを見ることになるとは思わなかった。

そのごたごたの、また少し前。
メジャーデビューさせてもらって、いろいろなきっかけから有り難いことに人の目に触れる機会が増えて、仕事は忙しくなった。事務所に集まっていたのを、スタジオ練習の予定だからと車で送ってくれてるマネージャーさんが、そういえば、と口を開いた。
「社長が。一人一つずつなにかご褒美くれるそうですよ」
「えー!嬉し!」
「なんで?」
「さあ。頑張ってるからじゃないですか?」
「ご褒美ってどんなんかな」
「希望聞いてこいって言ってましたよ。なにがいいですかね」
「なににしよっかなー」
「どらちゃん何がいい?」
「金銭」
「……それがご褒美として受け入れられるかは微妙ですけど、それでいいんですか?」
「それしかないだろ」
「ぎたちゃんは?」
「んー。うーん。考えてる」
「べーやんは?」
「えっ、と、あの、そ、お気持ちだけで、あの、嬉しいと言うか」
「じゃあベースくんの給料を俺の分に上乗せっていうのをこの先半年続けることをベースくんへのご褒美にする、そう上の人に言っておいてください」
「言いません」
「べーやん。時にはがめつくならないと、ああいう人もいるんだから」
「う、うん……」
「おいしいご飯!」
「うわ!ぎたちゃん突然でっかい声出さないでよ!」
「ボーカルくんの声の方が五倍ぐらいでけえよ」
「おいしいご飯にする。事務所で食べる時のやつ」
「お弁当のことですか?どこかお店を予約しても平気だと思いますけど」
「ううん。いい」
楽しみー!とにこにこしていたのは、よく覚えている。欲無いのか?もう少し何かあるだろ、とドラムくんには言われていたし、でも食べたら無くなっちゃうもんが確かに一番後腐れはないかも、とボーカルくんが賛同したりもしていた。
それから、しばらく経って。
「なあにこれ」
「……お弁当……じゃない……?」
「いつものとちがーう」
ドラムくんが、終わってから行く、とタバコ片手にふらっと行ってしまって、ボーカルくんは飲み物が欲しいって自販機のとこで別れた。だから俺とギターくんだけ先に楽屋に戻ってきてて、そしたらいつもはない箱がぽつんとテーブルの上に置いてあった。ギターくんは本番までの時間でお弁当を食べることが多くて、だから普段通りにテーブルの上を見たのだろう。ペットボトルの水はあったけど、いつものお弁当はなくて、その代わりになんか良さそうな箱。でもなんで一個なんだろう。ふんふん?と近づいたギターくんが、目を輝かせてぱっとこっちを見た。
「見て!」
「……?」
「すげえ美味そう!」
「……あ、ほんとだ……」
「これ、あれかな!?俺のご褒美のやつかなあ!?」
「……あ!ああ、うん、そうかもね」
「ねー!」
ギターくんに言われて思い出した。そういえばそんな話を少し前にしてたっけ。サーロインステーキ、ヒレステーキ、とにっこにこしながら読み上げているギターくんに、よかったねえ、と声をかければ、すっごく嬉しそうに首を縦に振られた。うーん。保護欲?っていうか。すごいレベルの演奏いっぱいやってて、それに見合う練習もちゃんとしてて、普段はあんまりギターくんのこと年下と思うことないんだけど、過去最高に「年下で後輩」って感じがする。めっちゃくちゃ嬉しそうだし。抑えきれないうきうきをだだ漏れにさせたままのギターくんが、お弁当をそおっと持ち上げて、裏面を見て、真顔になって下ろした。
「……ベースくん……」
「うん?」
「……桁が違う……」
「……ん?」
「……お弁当なのにゼロが四個ある……」
「えっ!?」
「……これ本当に俺のかな……?」
「そ……た……多分……?」
「マネージャーさんに聞こ」
いつになく素早い動きでスマホを取り出しきびきびと電話をかけ始めたギターくんが、楽屋のお弁当が、うんそお、一個しかなくて、と説明している。電話の向こうの声が何を言っているのかまでは分からない。スマホを持っていない側のギターくんの手がぎゅっと握られていて、うんわかった、と共にお弁当に伸びた。
「じゃあねー、ねえ!食べていいって!」
「よ、それは、よかったねえ」
「ベースくんも食べる!?」
「へっ!?あ、や、いいよ、ギターくん食べなよ」
「一切れでもいいから、すんげえ美味しそう!見て!」
「うん。うん」
「しゃちょ太っ腹だねえ!」
「うん……」
すごいねー!と喜色満面を向けられて、そうだねえ、と笑顔を返した。これが曇ることはあってはならないな、と割とマジで思う。まだ開けてもないのに、見て見て!ほら!とお弁当を持って嬉しそうにしている、その「嬉しそう」のレベルが、メジャーデビューが決まった時よりも、テレビでフルサイズ演奏ができると分かった時よりも、はじめてのワンマンライブが終わって割れんばかりのアンコールが聞こえた時よりも、高い。そりゃ守りたくもなるだろう。子どもを見ている時の感覚に近い。にんまりしながらお弁当を掲げていたギターくんが、はっとした顔で箱を置いた。
「あったかいお茶が欲しい……!」
「……あ。今日ポットないね」
「買ってくる!」
「うん。いってらっしゃ、」
「ベースくんも来て!」
「い、えっ?」
「お腹に優しいもんなんか飲みな!そしたらお肉食べれるでしょ!」
「えっ?や、むり、い、いいってそんな気を遣わなくても大丈夫だからありがと、っ」
いや力強いな!そおっとお弁当をテーブルに戻したギターくんに、にっこにこのまま手を引っ張られているのだけれど、全然振り解けない。つい数秒前まで「楽しそうだな〜」とはしゃぐ幼児を見ているくらいの感覚だったので、全く抵抗できず引き摺られてる事実に頭がついていかない。力つっよ。成人済みの男だもんな、そりゃそうだよ、俺よりよく食べるしたくさん動くしいっぱい寝るんだから力強いのなんて当たり前だよ。
自分で歩きますから!と悲鳴を上げた俺に、ギターくんがようやく、自分のテンションの高さと、俺の手を引っ張って抵抗を物ともせず引きずっていた事実に気付いたのは、楽屋を出てちょっと経ってからだった。何人かに見られた。恥ずかしすぎる。
「ごめんねえ、ベースくん」
「う……ううん……俺の力がないから……」
「楽しくなっちゃって……」
「うん……」
お目当てだったあったかいお茶も無事買えた。紙コップを大切そうに両手で持ってるギターくんに、こんだけふわふわしてたら一人で送り出さなくて良かったかもしれないな、でもそれは過保護すぎるかな、とぼんやり思った。嬉しいほんとに嬉しい、写真撮ってから食べるんだ、と頰が蕩けたような笑顔のまま喋り続けているギターくんに、うん、うん、と相槌を打ちながら、楽屋の扉を開けてあげる。ありがとお!と元気にお礼を言われて、びたりと止まった足にぶつかりそうになった。
「うあ、っ、ぎた、くん……?」
「……………」
「どうし……?」
「……なにしとん?」
「?」
部屋に一歩入ったところでギターくんが固まってしまったので、そろそろと横に避けて扉を閉める。ずれてようやく見えたけれど、どうやらドラムくんが帰ってきていたらしい。きょと、と不思議そうな顔でこっちを見ているその手には、箸とお弁当があった。
「……あっ!?」
「……ねえ?なにしてんの?」
「飯食ってる」
「……なんで?」
「は?腹減ったからだけど」
あぐ、とお肉を齧ったドラムくんが、これ美味いな、と感心したように言った。あれ?あれ、ギターくんのやつじゃないの?見間違えじゃなければ、さっき嬉しそうにしてたお肉いっぱい入ったお高いお弁当を、ドラムくんが食べちゃってるように見える。黙りこくった次の言葉から、声色がものすごく低くなっているので、ギターくんの方を怖くて向けない。さっきまでうっきうきだった人と同一人物とは思えないぐらい冷え切った声を出しているので、さすがにちょっと、顔見れない。全部語尾が疑問符ついてるし、跳ね上がる「?」に突き刺されて死にそう。足を止めていたギターくんが、ようやく歩き出して、テーブルに紙コップを置いた。
「なんで食べてんの?」
「だから腹減ったからだって」
「それ誰の?」
「俺のだよ。食ってんの見えねえのか」
「りっちゃん買ってきたやつなの」
「ううん。マネージャー」
「は?」
「あ?なに」
「俺のなんだけど?」
「なんで」
「なんでってなに。どゆこと」
「あ?」
あ。あー。ドラムくんがギターくんに引き摺られてイライラし出した。すごいやだ。やめてって言うなら今だろうな、間に入って仲介しなくちゃ、怒んないで話し合おうってまだ今ならリカバリーできるから、と頭の中ではそう思うのに、口からは何も出てこない。喋りながらもドラムくんがずっとちゃんと食べ続けてるのについに切れたらしいギターくんが、すたすたと近くに寄って手を伸ばした。のを、ドラムくんが避けた。
「食べないでよ!」
「なんでだよ。意味わかんね」
「俺のだってば!」
「そんな証拠どこにもないだろ」
「はあ!?」
「名前でも書いといたら?そんな大事なら。ごちゃごちゃうるっせえな」
「……………」
「つーか食いもん一つでなんでそんなキレてんのかがまず分からん。これ美味いけど、後で食やいいだろ。なに?怖」
「……………」
ギターくん黙ってんのすごい怖いな。こっちからは顔が見えないので倍怖い。ていうかドラムくん、ご褒美云々のこと忘れてるんじゃなかろうか。じゃあそこから誤解を解かないと、と無理矢理足を一歩踏み出したのと、後ろの扉ががちゃりと音を立てて開いたのが同時だった。
「たっだいまー!マネージャーさんからねえ預かり物して、」
「今まで、大ッ変お世話になりました!」
「き、っええ!?えっなに、うええ!?」
「あっえっ!?ボーカルく、あっギターくん!」
「ぎたちゃっ、べーやんこれ持ってて!待ってぎたちゃん!ねえ!」
「あぇ、は、っはい……」
ボーカルくんが真後ろからでっかい声で入ってきたので俺はまずびっくりして、ギターくんが中指立てながらドラムくんの横の椅子を蹴り転がしてから俺とボーカルくんの横を抜けて廊下へ飛び出してって、それを見たボーカルくんは何が何だか分からないだろうにギターくんを追いかけて走っていった。俺に紙袋を渡して。ドラムくんは、と思って振り向けば、流石にびっくりしたのかぽかんとしていたけれど、俺と目があってすぐ機嫌悪そうな仏頂面になった。
「……なに」
「ど、ドラムく、あ、謝ってこなきゃ、っだめだよ、ギターくんにっ」
「なんで」
「だからあれっ、それ!そのお弁当、ギターくんのご褒美でしょ!?」
「は?」
「……っ……」
「お前が持ってる紙袋よく見ろよ」
「……ぁ、え?」
言われて見下ろした紙袋の中には。ギターくんが目を輝かせて読み上げていた通りに、サーロインステーキ、ヒレステーキ、ときらきらした文字で印刷されている箱が、三つ入っていた。

「僕の説明不足でした……本当に……」
すみません、とマネージャーに深く頭を下げられて、やめてくださいと手を振った。ボーカルくんも、そうじゃないって!と頭を上げさせようとしている。ドラムくんとギターくんはまだそっぽ向き合ってるけど。
事の発端。ご褒美の話を社長にしたマネージャーは、じゃあ適当に一番いいやつ買ってやれ、とデパートへ買い出しに行かされ、ちょうど良いタイミングでやっていた物産展でめちゃくちゃ高いお弁当を手に入れたらしい。経費で落ちました…としょぼしょぼ言われた。それは良かった。
ただ。そのお弁当が件のお弁当なのだが、値段のことも相俟ってそんなにいっぺんに捌けるものでもなかったらしく、「今店頭に一つしかないので、先にそれだけ持っていってください」と店員さんに謝られたらしい。仕出もやっているので次の入荷ですぐに持っていきます、と。30分もしたら届けられるということだったので、マネージャーさんはお店に任せて局に戻ってきた。そこでただ待っているだけじゃ時間の無駄で、仕事があるのは道理だ。それでお弁当を持ち歩くわけにもいかず、とりあえず一つ楽屋に置いておいたらしい。それを俺とギターくんが見て、マネージャーさんに確認をとった。電話では「件のご褒美ですよ」「横峯さんどうぞ食べてくださいね」とマネージャーさんも伝えたらしい。後から三個来るからとかそういうのは言わなかったそうだ。しかしそこを責めるのもお門違いだと思う。それで俺たちが自販機に行ったタイミングでドラムくんが来て、お弁当を下で受け取ったマネージャーさんが楽屋を覗きにきた。これ食べていいの?とドラムくんに聞かれたマネージャーさんは、はいどうぞ、と答えたと同時に電話がかかってきたのでその対応をした。楽屋から少し離れた曲がり角で仕事の話をして、いる間に俺たちが帰ってきた。その時点でマネージャーさんの手にはまだお弁当があって、「もう届いたから秋さんが食べてもここに横峯さんの分あるしいいや」のマネージャーさんと、「腹減ったし食おう」のドラムくんと、「俺のご褒美」のギターくんの間でがっつり擦れ違いが起きた。そこにボーカルくんが通りかかり、電話がなかなか終わらないと踏んだマネージャーさんが、これ持ってってくださいご褒美です、と早口でボーカルくんに告げて紙袋を渡して、ボーカルくんはうっきうきで扉を開け、ギターくんがブチ切れて飛び出していったわけだ。
「僕の言葉不足でしかありません。本当にすみませんでした」
「いやいやいや!用意してもらえるだけありがたいって!ねえ!?」
「は、はい、そうです、あの、だいじょぶですから……っ」
「いやあっち全然大丈夫じゃありませんよね」
「う」
「う……」
飛び出していったギターくんと追いかけていったボーカルくんに横を走り抜けられたマネージャーさんは、とりあえず電話を無理やり切り上げて二人を追いかけたらしい。「もうやめてやる!」「やめるなんて言わないでよ!」「りっちゃんと一緒になんもやりたくない!」「ぎたちゃんがいないと困る!」とでっかい声の応酬をしている二人をなんとか回収して楽屋に戻ってきたところで答え合わせをして、今に至る。
「……………」
「……………」
「まずさあ、どらちゃんも謝んなよ。ぎたちゃんもそしたら許してくれるでしょ」
「なんで俺が謝んなきゃなんないんだ」
「それは……まあ……大人だからだよ……」
「ふざけんな。断る」
「ねえー!リハの時間になっちゃうってえ!」
「知るか。俺は巻き込まれただけだろ。こいつが勘違いで自爆したんだ」
「……………」
「なんでそういうこと言うの!仲直りする気ある!?」
「……………」
「……………」
「もおー!」
ボーカルくんの手に負えないレベルでギターくんが拗ねているので、もうどうしようもない。これじゃドラムくんも折れないだろう。どうするんだ、と宙を見上げている、と。
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「……ぎたちゃん?」
ぐうう。って。ものすごいしっかり、お腹が鳴った音がした。ぷいってしてたギターくんが、ボーカルくんに声をかけられて、のろのろと体ごと俺たちに背中を向ける。そのまましばらく無言だったのだが、ぷるぷるしだしたギターくんがやっと小さな声で口を開いた。
「……食べてもいいですか……」

「うまあ……」
「どんどん食べな!お腹空いてたんでしょ!」
「おいひい。すんごいおいしいでふ」
「良かったですね」
「んふふ」
幸せそうにお肉を頬張っているギターくんに、よかったねえ、とボーカルくんとマネージャーさんと一緒にお茶を出した。まだぶすくれているドラムくんが、もういいのかよ、時間なんだけど、と遠くからぶつくさ言っていて、ギターくんがガン無視している。まだ怒ってる。
「おい!時間!リハ!」
「どらちゃん今だけは黙ってて」
「あ!?」
「ちょっとはご機嫌とりをしてください」
「誰のせいでぎたちゃんが脱退しそうになってると思ってるんだー!」
「なんで俺がこいつのご機嫌窺わなきゃなんねんだよ」
「僕のせいです」
「違うよ!マネージャーさんのせいじゃないよ!」
「……………」
「ほら睨まれてる!どらちゃんのせいだって」
「うるせえ死ね」
「……………」
「ん?なあに?」
「……………」
「マネージャーさんはちゃんと謝ってくれたけどどらちゃんは謝ってないって。名前書けとか食べ物でキレんなとかムカついたって」
「自分の口で言えや」
「おいしいから今日はちゃんとやるけどりっちゃんのことは嫌い」
「ほら!ちゃんとごめんなさいして!」
「誰かするか、ふっざけんな!」


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