このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

ギスり回



ギターくんは怒らない。
怒らない人間なんていないので、厳密にいうと「滅多に怒らない」なのだが、その滅多すらかなり低確率なので、怒らないと仮定してもいいだろう。ムッとしてることはあるし、ドラムくんに痛いことされたりしてやり返してる時はある。けど、ちゃんと怒ってるっていうか、喧嘩してるのは何回かしか見たことがない。感情をセーブできるのはすごいことだと思うし、だからあんまり緊張したりとかもしないんだろうなって思う。すごい。ドラムくんは「他人に興味ないだけだろ」ってあっさり言ってたけど、興味のあるなしに関わらず人の目は気になるものだと思う。感情を露わに、例えば思いっきり怒ったりしたらやっぱりどうしたって目を引くわけだし、自分の気持ちよりもそれが先に立つところはある。自分の場合は、だけれど。そんなことはどうでもよくて。
一番最初に、怒ってるっていうか、ああ多分これ今普段と違う琴線に触れてるな…って思ったのは、四人でバンドを組むことになった最初の頃だった。

「もうちょい真面目にできん?」
「……は?」
あ。空気悪。一瞬でそう思ったし、流石にドラムくんが顔を上げた。返した声のトーンと裏腹に、いつも通りちょっと笑ってるみたいな顔のギターくん。珍しく、ちゃんと真顔で相手の方を体ごと向いているボーカルくん。ドラムくんが作ってきてくれた曲をはじめて、それぞれパート練して、合わせてみようってなった直後のことだった。一回通して、一息吐く、前。しんと静まり返った部屋の中で、口火を切ったのはギターくんだった。
「……やってまあす」
「ううん」
「……はー……」
食い気味で否定されて、ギターくんが深く息を吐いた。なんでこんなことになってるのか全然分からない。俺時空超えたかな。だってさっきまでボーカルくん楽しそうに歌ってたじゃん。どらちゃんありがとー!すげえ楽しい!っつって。あれは夢だったのだろうか。助けを求めてドラムくんを見たのだけれど、不思議そうな顔で二人を見たドラムくんは、「俺関係なさそうだな」と思っている表情を浮かべるとすぐに顔を落としてしまった。多分なんかの調整をしてくれてるんだと思うけどタブレット見るより今起きてるこの現実を直視してくれ頼むから、俺だけじゃ何にもできないから!そんな俺のはらはらは誰にも伝わらず、先に口火を切ったのはボーカルくんだった。
「ぎたちゃんもっとがんばれるでしょ!途中で休憩したの分かってっからね!」
「……してないよお」
「した!」
「……………」
めんっどくせ…って、目を閉じて眉根を寄せたギターくんの顔に書いてある。休憩、するようなとこなかったけどな。俺は自分のことで精一杯だったから気づかなかったのかもしれないけど、サボってたらドラムくんも言うと思う。そのドラムくんも関係ないって顔で別のことしてるし。どういうことだろう、ボーカルくんは何が不満なんだろう、と思いながら、いつ仲裁に入れば良いのだろうかとおろおろしていたら、ずかずか近づいてったボーカルくんが、ここ!あとここ!このへん!とさっきもらった譜面をばしばし叩きながら見せ始めた。
「近い近い……」
「練習ん時より下手だった!」
「あ?」
がくんと下がった声のトーンと、反対に跳ね上がった片眉。どこからどう見ても怒っている。これで機嫌が良い人はいない。至近距離にも関わらず声を張り上げて突っかかるボーカルくんに、ギターくんが見下すように目を眇めた。
「できてたのにやんなかったってことは、手ぇ抜いたってことでしょ!俺に合わせたの!?それすんげえムカつくんだけど!」
「分かってんなら言わないでよ」
「あぁ!?」
ぼそりと吐き捨てたギターくんに、ボーカルくんが激昂して一歩詰めた。いや言い方、同じことを伝えるにしてもまず言葉選びってものがあるだろうが、「下手」とかいう言葉を使うと相手がどういう気持ちになるかちゃんと考えなくちゃダメ。ていうかちょっと本当に怖い、このままじゃマジの喧嘩になっちゃう。俺には絶対止められないし、なんなら怒ってる人を見るだけで足とか震えるし、もう帰りたい。ドラムくんの肩を叩きながら二人の方を必死で指差しているのに、うーん?とかぼそぼそ言いながら全然見てくれなかった。目の前であんなもめてんのにどんな集中力だよ。捨てろそんな集中。
「ど、ドラムく、た、たすけて、何とかしてよっ」
「ここやっぱちょっと変えていい?」
「いいいいいい!」
「一拍分空ける、詰まってて苦し、いてえ引っ張んな」
「ボーカルくんが!ギターくんと!」
「知ってる、見りゃ分かるだろ、うるさい」
言葉の区切りで睨まれて、肩を叩いていた手をそおっと離した。勝手に触ってごめんなさい。ぶるぶるしながら、助けてくれそうなボーカルくんの方を見たけれど、喧嘩中だから俺なんかに構ってられる余裕があるはずもなかった。そっちをドラムくんに何とかして欲しいのに俺が怒られるのおかしいだろ。一人でどうにかしろって話なのかもしんないけどどうにかできてるならとっくにやってる。ギターくんとボーカルくんが、いつもだったら基本楽しそうなのが当たり前の二人が、普通に「イラついてます」の顔で睨み合ってるのが本当にお腹痛くて、こっちが泣きたかった。俺が土下座したり金払ったりして収まるならいくらでもする。怖い顔でお互いを見据えたまま黙りこくってた二人だったけれど、ボーカルくんを見下ろしているギターくんが先に口を開いた。普段からこの身長差なんだろうけど、ギターくんおっきいなあ、とつい思ってしまった。怖い。
「じゃあ新しい人探したら?お試し期間は終わり。それでいいでしょ」
「やだ」
「もっと、ボーカルくんのやりたいようにやってくれる人見つければいいんじゃない。俺のことはもう巻き込まないで」
「やだっつってんじゃん!思い込み激しくない!?俺の話ちゃんと聞いてた!?」
「耳痛」
「手ぇ抜かないでちゃんとやれっつってんの!俺に合わせたんだかべーやんだかどらちゃんだか知んないけど、周りにつられて程度を落とすなって簡単な話じゃない!?」
「俺一人でやってんじゃないんだから合わせんのなんて当たり前でしょ」
「ぎたちゃんが合わせるんじゃなくてこっち側が合わせりゃいいだけだろうが!」
こっち側、と一括りにされて、ひえ、と怯えた声が漏れてしまった。咄嗟に口を手で塞いだけれど、ギターくんと目が合ってしまって、ざっと血が下に落ちる音がする。巻き込まないでくれ俺まで怒られる、と思って、怖くて縮こまって、しばらくしてもブチ切れる声も聞こえないことに気づいて、そろそろと目を戻した。ギターくんから出ている擬音をそのまま表現するなら、「ぽかん」だった。えっ。何その顔。さっきまで怒ってたのに。なんで。
「ぎたちゃんがちゃんとやってくんないと!ふざけたこと言ってんなやマジで!」
「……え?」
「どらちゃん言ってたでしょ!?ぎたちゃんが好き勝手やるって、だから俺結構期待してちゃんと身構えてたのに、ふっつーのつまんねーやつやりやがってふざけんな!」
「……あれ本気のやつだったの?」
「できた。ベースくん、次からこれ」
「ぇあっ!?あっ、はい!」
「ねえ?」
「いいか!ちゃんとやれよ!サボんな!ぎたちゃんじゃなきゃダメなの!俺がやりたいようにじゃなくてぎたちゃんがやりたいようにやんの!俺はそれをどうにかこうにかする!」
「……ふわふわじゃん」
「当たり前だろお前がちゃんとやんねえから俺の考えてたどうにかこうにかが全部なくなっちゃったんだよ!もう忘れちゃったじゃんかどうしてくれんの!?」
「ごめん」
「いいよ!」
ギターくんが唖然としたままドラムくんに投げかけた疑問は完全に無視され、次に俺の方を向いたもののボーカルくんに胸ぐらを掴まれていて、ぽかんとしたまま話が進んでいく。じゃあもっかい最初からやって変えたとこの前で止める、とドラムくんがカウント取り出したからボーカルくんが離れて、全く頭がついていけなかった俺が普通に入れなくてドラムくんに殴られて蹴っ飛ばされた。
「痛いっ、ごめんなさい!ごめんなさいぃ」
「死ね」
「二度としません!」
「べーやんいじめんな!」
「当然の報いだろうが」
「一回ぶつのは分かるけどその後蹴っ飛ばして突き飛ばすのはやりすぎでしょ!」
「死んでやり直せ」
「はい……」

「ぎたちゃんはねえ!もうちょっと俺を信用した方がいいよ!ショックだった!」
「うん。ごめんね」
「ねえ!べーやんもそう思うよね!」
「おっ、おも、えっと……」
「んはは」
からからと楽しそうに笑ったギターくんがジョッキを傾けた。練習の後、「お腹すいた」ってギターくんが言い出して、じゃあご飯食べ行こーってなって、ドラムくんは用事があるって帰っちゃった。俺も帰ろうと思ってたんだけど、断るタイミングを見失ったままついてきてしまった。二人の方が楽しかったんじゃないかな、俺がいても邪魔になるだけだろうな、って思っていたから途中まで気づかなかったんだけど、ギターくんがいつもよりもふにゃふにゃしている。通常時からしゃっきりはしてないから比較としてはあれなんだけど、ボーカルくんも、ぎたちゃん今日ペース早くね?って言ってた。だから俺の幻覚じゃないんだと思う。まださっきのことで納得行ってないらしいボーカルくんがずうっとギターくんにぶちぶち文句を言っていて、それを聞くギターくんは謝っている。あんまり申し訳なさそうじゃないけど。どちらかと言うと半笑いだ。
「ぎたちゃん上手なんだからさあ、もったないよ。一人でやりたかったの?」
「ん?んーん。バンド組んでみたかった」
「やんなかったの?」
「やんなかったねえ」
「なんで」
「……なんでだろうねえ?」
焼き鳥の串を齧りかけたところで首を傾げたギターくんに、ボーカルくんがつられて首を傾げている。そうなんだ。てっきりこう、経験があるものだと。上手だし。お世辞とかじゃなく、本当に。もぐもぐしながら考えたらしいギターくんが、半分減った串をゆらゆらしながら言った。
「ヘルプばっかやってたから、メンバーとしてちゃんと入れてもらったことないんだよね」
「ふうん?」
「サポメンなってもー、割とすぐ切られるし。手が足んないとこにはちょうど良いから、そゆとこには声かかるけど、そんだけ。みたいな」
「ぎたちゃん手放すの惜しくない?ね、べーやん」
「うん。うん、あっ、あの、俺に言われてもって思うと思うけど……」
「んー。でもねえ、あんまいくないんだよ。俺がやりたい放題すると元々あったのとずれちゃうから。みんなに合わしてうまーくやんないといけないんだなー、って」
「えー、バカじゃん。ぎたちゃんにそれさせんの」
「ふはっ、んふふ。んん」
耐えきれないと言った感じで吹き出して笑ったギターくんに、ボーカルくんが不可解そうな顔をしている。多分、俺が分かった気になるのもおかしな話だけど、ギターくんは若いし、でも技術はあるから、彼は彼なりに人の目をちゃんと意識しながら立ち回ってきたのだろうなあと思う。浮かないように、弾かれないように、反感を買わないように。どの表現がギターくんがやってきたことに当てはまるのかまでは断定しかねるけれど、なまじ人一倍上手くて周囲に合わせることも容易だった分、そうしようと決めるまではきっと大変だったのだろうとなんとなく感じた。手放した、というか、扱いきれなかった、というか。ドラムくんのように「好き勝手やれ」と野放しにできてしまうだけの力量とか、手綱の取り方とか、そういうのは誰にでもできることじゃない。
今日は結局、ボーカルくんがギターくんにずっと噛みついてて、ギターくんも気が入ってなくてあんまし上手く噛み合わなかったけど。ドラムくんが敷いた線路の上で、ギターくんがやりたいようにやって、ボーカルくんもやりたいようにやったら、どうなるのかなあっていうのは楽しみで、自分がそれを手伝えるのはすごく光栄なことだとすら思う。足を引っ張りないようにするので必死だけど、それでも。
「とりあえずぎたちゃん切ったやつ全員悔しがらせてやろうぜ」
「そんなにいっぱいいないよ」
「いーや。いる」
「いないんだってば」
「強がんなって!」
「マジでいないのに。なにその自信」
くつくつと、頬杖をついて笑うギターくんはすごく嬉しそうで、彼の今までなんて何も知らないけれど、よかったなあと思ったのだ。

1/3ページ