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人畜無害





マネージャーさんが好きな飲み物を知らなかった。自販機の前で数秒立ち尽くし、とりあえずいつも飲んでるイメージのコーヒーと、あともものジュースと、迷った挙句に炭酸も買った。三つ選択肢があれば、どれかしらはお気に召すだろうか。残ったのは自分で飲めばいい。もしボーカルくんとかギターくんが欲しいって言ってたらあげよう。マネージャーさんはいつも大変そうだから、差し入れくらいは許されるかと思って自販機まで来たのだけれど、来る前になにを渡すか決めてくるべきだった。今日も、俺たちは少し時間が空いたからお昼ご飯を外で食べてから、打ち合わせのために午前中収録してたところに戻ってきたけれど、マネージャーさんはその間、打ち合わせの準備をしていたらしい。早めに戻ってきたら、始まるまでまだ少しあるのでゆっくりしててください、ってスマホを耳に当てたまま言って、足早にどこかへ行ってしまったのだ。あいつ飯食ったのか?とドラムくんが眠そうな顔で言ったので、もしかしたらそんな時間なかったんじゃないかと思って。でもそしたら飲み物じゃなくて、もっとお腹に溜まるものがよかったかな。でもコンビニ行く時間まであるかは分かんなかったし。
ドラムくんは煙草吸いに行っちゃって、ギターくんもお腹いっぱいになったから寝ちゃって、ボーカルくんは珍しく難しい顔でなんか書いてたから、邪魔したくないのもあって出てきたんだけど、どうしようかな。今から食べ物を買いに行くのは流石に間に合わないだろうか。自販機の前で、ペットボトルと缶を合計三つ抱えてぼんやりと考えていたから、人の声にいつもより驚いたのは確かだった。
「は?だから帰ってこいっつったろバカ、二階だよ二階」
「!」
「お前が出てったんだろうが突然!いなくなるならいなくなるなりに今から失踪しますんでよろしくお願いしますって報告してから出てけ!迷惑かけることばっか上達しやがって必死で探したんだぞ!ナナセが」
「……………」
「あ?見つけられるわけねえだろ、どこに……はあ。うん。分かった三分だけ待ってやる」
岸くんだ。電話越しに怒っている。ので、咄嗟に自販機の後ろ側に隠れてしまった。だって、きっとすぐに通り過ぎると思ったのだ。ちょうど曲がり角で細いへこみがあったもんだから、人一人か二人入れるくらいの隙間に飛び込んだのだけれど、予想に反して岸くんは自販機の前で立ち止まった。ちゃりんぴっぴ、とノータイムで何か買って、蓋を開ける音までした。悩むとかないんだ、すごいなあ。俺、自分が喉乾いててなんか飲みたくて自販の前まで来た時でも悩む。飲み切れるかなとか、いろいろ考えちゃって。
ペットボトルその他を抱えたまま、突然こんなとこから出てきたら完全に不審者だしどうしよう、とオロオロしていたら、俺から見えない位置にいた岸くんがずかずかと出てきて、見えるところで立ち止まった。こっちから見えてるということはあっちからも見えるということだ。振り向かないでくれ、と祈りながら縮こまっていたら、岸くんが口を開いた。
「3分48秒」
「細かい」
「どこ行ってたんだよ。次から即警察に通報するからな」
「秋さんと喋ってた」
「もしもし警察ですか?ヤバい薬をキメてる可能性があります」
「ない」
「あるんだよ。脳に異常をきたしてるんだよ対面で二人きりで普通に話せること自体が。何話したの?」
「なんでいづるに言わなきゃならないんだ」
「ほら!ヒノキの大事な回路が千切れ飛んじゃった、あの男からは有害な電波が発されているから。反抗期になっちゃった」
「新曲の歌詞が今までよりもかなり韻を踏む方向にシフトしてたから、なにか理由があるのか聞きたかった」
「なんで一回抵抗したんだよ。毎回ちゃんと教えるくせに」
「いづるがやるのより上手いし自然だから、勉強になるかと思って」
「なるかボケカス死ねバカこの」
どうしよう。全然どいてくれない。日野くんも合流したから二人でどっかに行くかと思ったのに、壁に背中を預けて話し出してしまった。ここから見えるのは岸くんだけだが、とても居づらい。それに、これは盗み聞きではないだろうか。やりたくてやってるわけじゃないけど、そんなのはただの言い訳だろう。申し訳ないし、でも今出て行ったら本当にただ盗み聞きをしている人なので、出て行けない。飲む?と差し出されたペットボトルを受け取って、飲みかけじゃないか、と不満げな声で日野くんが返した。
「ななせは?」
「お前探して見つかんなくて凹んでたけど、誰か来てくれってマネージャーが言うから行かせた。タイアップの説明だと思うけど」
「お前が行けばよかったのに……」
「穏やかに話し合う気分じゃなかった。今イライラしたら椅子とか蹴りそう」
「蹴ればいいだろ」
「信用がなくなるだろうが」
「それの何が大事なんだ」
「……ファンレター的な声とか最近大事にするようになったから、人心理解の回路が繋がったのかと思ったけど、そうでもないんだな……」
「応援してもらうのは有り難いし大事だろ。それがなかったら続けていられない」
「普通の人が言うと感動的な台詞なのにお前が言うとぞっとするのはなんでなんだろう」
「そうかな」
「うん。今の俺の言葉にもっと傷ついた方がいい」
「何も感じなかった」
「まあほら、ヒノキはロボだから。いつ口からビーム撃つの?」
「そんなもの出るわけないだろう」
「早くヒノキビームで俺が嫌いな奴と俺の邪魔する奴と俺のこと見下してる奴焼き殺せよ」
「お前の独裁に手を貸す義理はない」
「なんで韻踏んでるって?」
「流行るから」
「があああああそらそうだろうよそうだと思ってたわあっちの方がよっぽど機械的だよな!いつもやってるやつに最近の流行りを取り入れてランキング一位を掻っ攫っていっぱいいろんなとこで使われて話題になってカラオケででも下手くそ共に消費されて歌われれば満足なんだろ!?」
「そこまで言ってない」
「噛み砕いたら要するにそういうことだろうが!何が楽しいんだか全く理解できねえわマジで……気持ち悪い通り越して引く……見てるものが違すぎて意味分かんなさすぎ……シンセ突然好き放題やるし……」
「直接言えばいいだろ。ここで俺に言うな」
「それもそう。どこにいんの?」
「もう今日は話せないって。喫煙所で会ったんだけど、これから病院に行くって」
「びょういん」
「背中の骨が痛いそうだ。早く良くなってほしい」
「骨より先に治すべきとこあんだろがよ」
「まだ悪いところがあるのか?」
「強いて言うなら全部じゃね。考え方と価値観と行動と理性と顔と口と目とその他諸々。医者でもお手上げかもしれん」
「次の曲も楽しみにしているから病院には頑張ってもらいたい」
「あのなヒノキ、そのまま死んでくれと思ってる人間もこの世界には多いんだ」
「お前だけだろ」
「ぜってえちげえ」
多分病院云々は嘘だろう。だってこの後、スタジオでミーティング兼練習のはずだし。もしかしたらスタジオを病院と呼んでいるのかもしれないが、そんなことはないだろう。吐き捨てるように言った岸くんに見えないように小さくなりながらそう思っていたが、がしがしと髪を掻き回して鼻を鳴らした岸くんが、こっちを見たので目が合った。
「……は?」
「……あっ……」
「怖い。俺にだけ見える幽霊?」
「宮本さん。こんにちは」
「……こんにちは……」
「なにしてんすか」
「……えと……飲み物を買いに……」
「はあ。意味分かんね」
ばっさりと切られて、そりゃそう、と思うしかなかった。俺も意味が分からない。隙間から出たものの、二人から無言で見据えられた。こうなるに決まってる。誰もいないと思ってたところから急に人が湧いてきたらそりゃこうなる。申し訳ない上に恥ずかしいしとにかく早く帰りたかったので、どうしていいか分からずに、手の中にあったペットボトルと缶を差し出す。
「っと、え、あの、ど、どれがい、いいですか……」
「なんで」
「……なんっ……なんでって……その、ど、ドラムくんが?め、いわくを、おかけして、したようなので……」
「はあ?」
「いただきます」
「あ!てめヒノキおら!ジュースずるいぞ寄越せ!」
「早い者勝ちだ」
「半分こ!」
「絶対に嫌だ」
「クソバカ!せめてじゃんけんするとかしろや!」
「しない」
「っこ、これがいいなら、あの、もう一個買うから、喧嘩しないで」
「は!?親切かよ!?」
「ひっ……」
「そういう時はお礼を言うんだ」
「ありがとうございます!死んだベース弾いててつまんなくないんですか?」
「え″ぅっ……」
にこにこされたまま突然刺しにきたので、吐きそうになった。油断させといて酷くないか。全くお前は、と日野くんが眉を寄せる。
「素直にお礼だけ言えよ」
「いっっっつもつまんねえ動きもねえ面白くもねえベースラインだから興味本位でつい。ごめんね」
「……あ、いえ……」
「そんなこと思ってないですよ」
「ヒノキってお世辞も言えたんだ」
「……すみません……なんか、気を遣わせて……」
「ナナセでも出来ることなら全人類練習すれば出来るってことだから。あんたも練習頑張ったんだな。あ、ですね?」
「……はい……」
死にてえ。笑顔で言われて、笑顔で返すしかなかった。その通りでしかないし、ドラムくんから「ここ考えて」と投げられたからと考えて渡したものは大体「ちょっといじった」と返ってくる。そういうことだ。ついていけてないのは俺一人。胃が捩じ切れそうだった。岸くんはまともなことを言ってると思うし、お世辞を言わないで正直に告げられるのはすごいと思う。敵を作るとこを厭わないことは、自分には逆立ちしたって出来ないから。それに、お世辞で誤魔化されると、そっちに縋りたくなる。自分はまだマシなんだと、出来ているんだと、思いたくなる。そうでないのが当たり前なのに。耳の奥がじんじんする。こそこそ隠れていたバチだろうか。でも言われてることは事実でしかないしなあ。バチも何もない。
「あ。宮本さん」
「……そんじゃ。また」
「またよろしくお願いします」
「……あ、ぅ、はい……」
「お話邪魔しましたか。すみません」
「……いえ……」
「ど、大丈夫ですか!?」
「……え……?」
後ろからマネージャーさんの声がして、岸くんと日野くんが行ってしまった。そっちを振り向いて、そういえば差し入れを買いに来たんだった、ジュースは渡してしまってないけれど、ここで会えたならいっそ選んでもらった方が良いかな、とぼんやり思いながら、マネージャーさんに手を引かれる。これじゃ買えないや。
「え、ぇ、ど、どこに」
「部屋です!会議はいいんで!」
「な、なんで」
「顔色が悪いからです!頭が痛むとか寒気がするとか吐き気があるとか、ありますか?」
「ないです……」
「じゃあしばらく休んでください、横になってても構わないので」
「……なに。どうしたんですか」
「宮本さんの顔色が悪いので。横峯さんと我妻さんは?」
「散歩」
「……捕まえといてくださいって言いましたよね?」
「俺はちゃんと「待て」って言いました」
「……はあ……」
捕まえてくるのでここにいてください、と部屋の中にいたドラムくんに言ったマネージャーさんが、俺をソファーに深く座らせて、持ってた炭酸とコーヒーをとって、代わりに水を持たせて出て行った。呆然と、されるがままに座っていると、ばたんと閉じた扉の音の後に溜息をついたドラムくんがこっちを向いた。
「顔色悪いのなんかいつもだろ」
「……うん……」
「どこ行ってたんだよ」
「……自販機……差し入れ、マネージャーさんに、あげようと思って……」
「ふうん。誰かに会った?」
「き、あっ、や……誰にも……」
「……………」
「だっ、誰にも会ってない……」
「……………」
「……う……」
「日野がいた」
「そ、そうなんだ」
「岸には俺は会ってない。斎藤は遠目で見た」
「……お、……俺も会ってない……」
「あっそ」
全然誤魔化せている気がしない。ドラムくんの顔を見れずに、自分の膝を見下ろしていると、ふうん、わかった、と重ねられた。何が分かったんだ。怖い。自分がなにか言われるのは勘弁だ。もうこれ以上は耐え切れる気がしない。正直に岸くんに会ったと白状したらいいのか、とだくだく汗をかきながら縮こまっていると、ドラムくんが席を立った。
「ぁえっ、ど、どこ行くの」
「ん?トイレ」
「こ……ここにいてって……」
「人の道具を使い物にならなくされると困るので、それを身を持って教えてやるためには本人の思考を使い物にならなくするのが一番効率が良い報復だと思ったんだけど、どうだろう」
「ど、ほう、えっ?」
「行ってきます」
「い、って、らっしゃ……?」
早口で言われた上、こっちを向いていなかったので、なんて言っていいか分からなかった。行ってきます、の時だけ振り向いたドラムくんが笑っていたので、見送ってしまった。閉じた扉に数秒固まって、立ち上がって走り出す。
「どっ、ドラムくん!やり返しに行かないで!やめて!」



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