こりゅさに(未満、風含む)
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両片思い、修行前🐉です
今日も忙しかった。じゃない、今日は特に忙しかった。
シャレにならないぐらい。
どのぐらい忙しかったか、少し振り返ってみよう。
まず昨日から体調を崩していた小竜を病院に連れて行った。軽めの風邪であれば薬を飲んで終わりのつもりだったのだが、インフルとかコロナを疑うレベルの熱だったため念の為、という我らがドクター薬研の判断だった。
次に出陣。練度が安定してきた第一、二部隊は待機となったものの、他二部隊を過去へ送り出す。うち第四部隊が思いがけず検非違使と遭遇、交戦。幸い破壊は出さなかったものの重症二振、中傷一振の大損害。彼らの手入れをして、その後検非違使の出現報告を含めた出陣記録の提出。
そうこうしている内に前日に遠征に送り出した第五部隊が帰還。報告を上げてもらい、これもまた同じように記録として提出。
他に仕事の合間に五虎退の虎が執務室になだれ込んで来たり、一段落したしと思って裏山に散歩に出たら雨に降られたり、提出期限が迫る課題の存在を思い出したりで、とにかくバタバタした一日だった。
さて、そんな一日も、先程遅めの夕飯を頂いてシャワーを浴びたことで終わることができる。一日よく頑張った、私。偉い!
とはいえ、まだ眠らない。何せ一日こんなに頑張ったのだ。趣味の時間があったってバチは当たらないだろう。
読書だ読書。時々大きな本屋に足を運んで、気になる文庫本を数冊選んで買う。そんなことを繰り返しているうちに私の私室の本棚はいっぱいになり、執務室にも本棚を置くこととなった。最初こそ清光に呆れた顔をされていたがしかし、世の中には部屋の床を本棚にするほど本を愛する積読の民なる民族もいるのだと思えば、まだまだ私なんて可愛い方だと思った。
そんなことを考えながら、私は嬉々として執務室の本棚と向かい合う。何を読もうか。先日読破したのは世界大戦の頃の軍艦の話だったから、今日は陸軍の話にでもしようか。いや、続けて日本海海戦の話に手をつけても良い。
迷う分にはいくらでも迷えるのだが、時間は有限だ。
どの道全て読むには読むのだし。私は迷っていた数冊の内から今夜のお供を選んで、部屋の小上がりの畳に寝転がって本を開いた。
読書は楽しい。そして楽しいことは時間の流れを忘れさせる。
物語が一区切り着いて、私がふと時計を見れば時刻は午前三時を過ぎた頃だった。
マズい。
今日もとい昨日は忙しかったため、明日改め今日の午前はとりあえず休養にしようということにはしたのだが、このペースで読み耽って床に就けば起床できるのは夕方になってしまう。
そうなる前に誰かしらが私を叩き起しには来るのだろうが、睡眠時間が足りないと私は致命的に事務作業が遅くなる。信じられないほど疲労に弱いのだ、私の目は。
そんな訳で、もう寝ようと思う。続きはまた明日、と小上がりに鎮座するミニテーブルに栞を挟んだ本を置く。物語のお供にと淹れた、未だ飲みかけの紅茶の入ったマグカップを持って立ち上がった時だった。
足音がした。
え、何?
聞き違いだろうか。いやまさか。
執務室での夜更かしを幾度となく咎められてきた私は、不寝番の足音をよく知っている。
この足音は、不寝番のソレよりも幾分かペースが遅い。何より今日の不寝番は平野と前田ペア、秋田と京極ちゃんペアだ。あの四振が不寝番でバタバタと足音を鳴らしている所は聞いたことがない。短刀と脇差の不寝番は神出鬼没なのだ。何度も夜更かし現場を抑えられている私が言うのだから間違いない。
では誰だ。
物の怪の類だろうか。本丸はほぼ神域であるものの、所謂現世なんかよりは余程あちらとこちらの境界があやふやだ。無い話ではない。しかし、そういう類いの気配は無い、気がする。
野生動物かもしれないとも一瞬思ったが、明らかに足音が違う。
ではもしくは、侵入者だとか? 最後にほんの少し過ぎった可能性に、いやそれは無いなとかぶりを振る。通常の時間の流れから途絶した空間に点在する本丸という場所に侵入者が来るとなると、それは本丸を襲撃されているのと同義である。結界を破られた気配は無いし、侵入する側からすると、そもそも侵入を試みることがアホらしくなる案件なんだとか、どこかで人伝手に聞いた。
結局私の頭が僅かに思案した程度では答えは出ず、執務室の引き戸からチラリと覗いてみることにした。マグカップを執務机に置く音が、妙に大きく聞こえた。
すす、と静かな音を立てて引き戸を少し開けた。もしかして、案外酔っぱらいがフラフラしているだけかもしれない。まあ見ればわかると、隙間から廊下を覗く。
明かりのない本丸は暗い。明るい部屋で活字を追っていた私の目は、足音の主をすぐに特定することはできなかった。幸いにも今夜は月が出ていて、じっと目を凝らしていればその像をなんとなく掴むことができるようになる。どうやら、ヒトの形をしているようだ。
明るい長髪、身長は高め。廊下の壁伝いに重たそうな足取りでこちらに向かってきている。
まさか。
「小竜?」
ほんの少しだけ開けていた引き戸を開ききって足音の主に声をかけると、どうやら正解であった。いつもは陽の光を浴びて小麦畑のように輝く髪が、月明かりを受けてガラス細工のように繊細に輝いている。こんな時間に何してんのとか、体調はどうなのとか、気になることはいくつかあったが、その様子は尋常ではない、ように見える。
声をかけた私に気付いたらしい小竜は酷く安堵したような、しかし苦しそうな表情で何か言いたげにその薄い唇を開いていた。
慌てて駆け寄ると、小竜は私に向かって崩れ落ちるように倒れてきた。諸共に沈まないように踏ん張って、小竜の体重を受け止める。
重たい。
でもそれ以上に、熱い。
午前中に病院に連れて行ってタダの風邪と診断されたものの、小竜の体調は拗らせた夏風邪と同じ程度には悪かった。薬は飲んでいる筈だが、切れたのか効いていないのか、その体温は僅かに肌が触れただけでもわかるほどに高い。
「どしたの、小竜」
小竜は答えない。何事だろう、本当に。熱せん妄ってやつだろうか。専門家では無いのでわからない。
ただ小竜が崩れ落ちる直前に見えたその表情は、体調不良だけで片付けて良いようなものでは無かった、ような気がしなくもない。これもやはり専門家では無いのでわからない。強いて言えば審神者の直感だ。
「とりあえず部屋入らない?」
夜はまだ冷え込むし、と付け加えて少し後ずさると、小竜ものろのろと足を動かして着いてきた。
「小竜、そこ座れる?」
やっとのことで小竜を部屋の小上がりまで連れて行って、そう声を掛けると小竜は大人しくそれに従った。普通に座るのもしんどそうだし、と壁際を選んだのは正解だったんだと思う。小竜は座って早々に壁にもたれていた。相当体調が良くないんだろう。話を聞くにしても寝かせるにしても、このままでは良くないような気がする。
そう思って水取ってくるよ、と声をかけて部屋の簡易キッチンにつま先を向けると、衣服の端を引っ張られる感覚があった。
これは、行くな、ということだろうか。
普段の小竜なら絶対にしない仕草に戸惑いを覚えながらも、私も小竜の隣に腰掛けた。上半身だけで小竜に向き合って、再び声をかけた。
「どしたの、ほんと」
大丈夫? と続けると、小竜の形の良い唇が、躊躇いがちにゆっくりと開かれる。
「キミが」
「うん」
「いなくなる……ゆめ、を、」
「うん」
「みて……」
ようやく絞り出した、といった様子の小竜の声は、酷く掠れていた。体調不良のせいでは無いだろう。喉は元気そうだったから。きっと、相当夢見が悪かったのだ。
「不安になっちゃった?」
小竜は答えない。しかし気休めにと彼の頭に伸ばした手を振り払われることも無く、余程憔悴しているのだろうと察しがついた。かわいそうに。心做しか少しやつれているようにも見える。
小竜景光という刀は、その来歴から真の主を探し求める性質がある。それはもはや本能に近い欲求なのだろう。そんな小竜にとって、仮初の、真の主では無いとはいえ主を失う夢というのは耐え難いものなのだ、きっと。酷い風邪でナイーブになっているせいでもあるのだろうけど。
小竜の金糸のような髪を撫でているうちに、小竜も上半身だけで私に向き直っていた。首だか肩だかに頭を押し付けるように、そして夢で消えてしまったらしい私を逃がさないようにとでも思っているのか、小竜の長い腕が緩く腰周りにまわされている。柔らかい毛先が首筋を掠めて、少しくすぐったい。
「俺も」
ややあって、小竜が再び口を開いた。
「手を尽くしたんだ」
「そっかぁ、ありがと」
でもそんなことはお構い無しにキミが居なくなってしまったから、と小竜は続けた。ああ、怖かったんだろうなぁ。
「……それで、飛び起きた」
「うん」
「夢だって、すぐにわかったんだが……」
「うん」
「どうしても、寝付けなくて」
「ここまで来ちゃったか」
小竜は何も言わなかった。代わりに、頭が僅かに動いて、髪がたてがみのように揺れた。子供みたいだ。随分大きいけれど。
「小竜」
私は小竜の名前を呼んだ。返事は無い。別に良い。
「ちゃんといるから」
悪夢から醒めて、私の姿を確認してなお僅かに強ばっていた身体から力が抜けたように、小竜は小さく息をついた。そして再びややあって、ああ、と小さく答えた。
今度は、穏やかな声だったと思う。
「小竜、一回離して」
しばらく小竜の頭を撫で回していたが、落ち着いてきたのでそういえば、ともう一つの本題を思い出す。
「熱高そうだけど、どんな? しんどい?」
「少し」
そう、今の小竜は病人だ。今度こそとりあえず水を飲ませるために、簡易キッチンで水を汲んで戻る。
「飲めそう?」
辛いなら飲ませてあげようか、と言うと、小竜は自分で飲める、といつもの調子で言って、コップの水を飲み干した。とりあえずメンタルはそれなりに元気になったようで何よりだ。
「小竜、軽い夜食作ったら食べる?」
「この時間からかい」
「いや、夕飯から時間空いてるし、薬飲めるなら飲んじゃった方が楽になると思うんだよね」
空きっ腹に薬は胃が荒れるので簡単なものなら作るけど、という旨の説明を聞いた小竜は、少し考えて「じゃあお願いして良いかい」と首を縦に振った。最初より顔色はマシになったけれど、それでもやはり熱は高いようで頬が赤い。
「あったかいのと冷たいのどっち」
「暖かい方で」
「うどんか雑炊か」
「……うどんかな」
「かしこまり」
簡易キッチンの小さな冷蔵庫と冷凍庫には、私の夜食やら酒やらつまみやらがこれでもかと詰め込まれている。
その中から冷凍うどん二袋とりだして、あとは卵と麺つゆと、おろし生姜を用意する。病人にそうごちゃごちゃしたものを食べさせても仕方が無いため揚げ玉とかは入れない。
鍋を火にかけて、麺つゆ、水、生姜を入れて沸くまで待つ。その間に冷凍うどんを電子レンジに放り込んで、卵を溶く。あとは丼を二つ用意。片方は私の分だ。
麺つゆが沸いたら鍋をかき回しながら、それと逆方向に溶いた卵を回し入れる。こうすると卵がふわふわになるのだ。
流しに卵を入れていた器を置くのと同時に、電子レンジが麺の仕上がりを報せた。良いタイミング。
袋から麺を取りだして、ザルにあげて一瞬水に晒して、こっちは用意した丼に放り込む。あとは鍋に沸かしていた麺つゆを半々に注いで、完成。
「お待たせ」
本当は刻みネギとかあれば良かったんだけど、それは母屋の方の厨に行かないと無いだろう。仕方ない。
「小竜、起きれそ?」
「ああ、大丈夫……」
ぐったりと小上がりで伸びている小竜に声をかけると、小竜はのそのそと上体を起こした。辛そ。
私は一度小竜の方に戻って、我が物顔でミニテーブル占拠する小説を退けた。そのままテーブルを小上がりから下ろす。そこで夜食タイムというワケだ。
「何か手伝うことはあるかい」
「大人しくしてさっさと風邪治すこと」
途中、小竜が声をかけて来たけれど、病人にさせることは無い。というかもう持って行くだけだし。
そんな訳で、小竜と私はこの時間にお夜食タイム。時計をちらりと見れば、時刻は午前三時半過ぎ。太る。
「いただきます」
二人揃って小さなテーブルに向かって手を合わせて、麺をすする。うまぁ。冷凍うどん、やはり強い。
小竜も小竜で、最初にぽつりと「美味い」と言ったきり黙々と箸と口を動かしている。この状態でも食欲が落ちないのは、刀剣男士の凄いところなのか純粋に小竜がよく食べるからなのか。
私が食べ切る頃には既に小竜は丼を空にして「ごちそうさま」と手を合わせていた。空腹が紛れたからなのか、暖かいものを食べたからなのか、少し眠たそうだ。
いや、薬。
医者に処方されたのでは無いのだけど、小竜が処方されていたのもただの解熱剤だったし、まあ私の手持ちの市販薬で構わないだろう。戸棚から風邪薬を引っ張り出す。
「一回二錠ね、今水持ってく」
「悪い、ありがとう」
「良いよ別に」
ほれ水、と小竜にコップを押し付けて、私は食器を下げた。早い所快方に向かってくれると良いのだが。食器に水を張りながら小竜の方に目をやると、ゴミを捨てるためであろう、小竜はフラフラと立ち上がっていた。
「大丈夫?」
「別に、ゴミ捨てるだけだし平気さ」
本当だろうか。言葉とは裏腹に、小竜の足取りはどこか重そうで、割に浮ついている。
「無理しないでよ」
水を止めて、私は小竜の元へ歩を進める。途端、小竜がフラついた。私が慌てて身体を支えるまでもなく、小竜は自力で持ち直したが。
ううん。
この状態で小竜を部屋まで送り返すのは不安だ。かといって、私が小竜を支えきれるかと言うと自信はない。母屋の刀剣男士の私室と、離れの執務室は意外と距離があるのだ。
不寝番を呼んで手伝ってもらっても良いけれど、今夜は皆短刀だ。彼らに一九〇センチ近い男を運ぶのを手伝わせるのは些か酷だろう。適当に大般若や清光あたりを叩き起しても良いが、この時間ではやはり可哀想だという気持ちの方が勝った。何よりこの時間に男士の私室の前を通ればたぶん彼らのうち何振かは目を覚ますだろう。私には解り得ない感覚だが、彼らは気付くのだと言う。
いや、どうしたものかな。もう私の部屋で寝かせた方が早いような気がしなくもない。この判断が合理的判断なのか、疲労による判断ミスなのかは議論の余地があるとして、しかし今の私にはそれが一番良い判断のような気がした。
「眠い?」
「ええ? うん、そうだね……」
案の定である。うちの小竜は夜更かしが得意では無いタイプの小竜景光だ。何も無ければ十一時過ぎには就寝し、七時前には起床する、らしい。夜更かし党の私には一切理解できないが。熱を出してから寝通しで、逆に昨日は寝付けずに過ごしていたらしい小竜がこの時間になってもピンピンしていられるはずも無く。
熱でフラフラな上におねむの大男を私室まで戻してやれる自信はないのだ、繰り返し言うが。
まあ、小竜に戻れるかと聞けば戻れるとは言うだろう。そういう性質の奴である。しかしそれを信用するにはあまりにも頼りない。夢見が悪かったと言った時より意識は明瞭ではあるのだろうけれど、それでもアメジストの双眸にいつもの鋭さは無い。
「小竜、寝よっか」
まあ、ダメ元だ。このまま手を引いて二階の私室まで着いてくるようならそれこそそのまま部屋で寝かせてしまえば良いし、気付いたら不寝番を呼ぼう。そうしよう。
僅かに逡巡した後、私はほら、と小竜に手を差し出した。その手を小竜が素直に握ったので、私はゆっくりと私室に向かって歩き始めた。
結論から言うと、小竜はそのまま私の部屋で寝た。
熱でぼんやりしていたのと、眠かったのと。私に手を引かれて、小竜は私の後を着いてきた。ベッドに転がして布団をかけてやると、驚くほど素直に、一瞬で小竜は寝た。
体力的にも限界だったのかもしれない。
それから五分程は握られたままの手をそのままにしていたのだが、ふと執務室の流しに食器類を放置したままだったことを思い出したので、私はそれを片付けに降りた。私の手を離さなかった小竜の手には、代わりにぬいぐるみを握らせておいた。
洗い物と言っても鍋と食器類だけなもので、片付けは早々に終わった。そういえば小竜、多少なりとも楽にはなったものの、やっぱりまだ寝苦しそうだったし濡れタオルでも持って上がるか。あとスポドリ……はないので、水。
簡単に用意できたものを持って部屋に戻る途中、どこで眠ろうかなとふと考える。
同じベッドで寝る気は起きない。そりゃそうだ。風邪っ引きと同じベッドで寝るのは自殺行為である。小竜はデカいし、狭そうなのも嫌だ。
あとはそう、と、先に言い訳のように並べた理由を押しのけて、本命の理由が覗く。
こっそり心を寄せている相手と同じベッドで眠れるような気はしない、だとか。
ほんの僅かにチラついた恋心に蓋をし直して、階段を上る。病人相手に何考えてんだか。
まあ、無難にソファで眠ることになるだろう。
そんな訳で、私の長い一日は終わりを告げたのだった。
目が覚めると、見知らぬ天井だった。
間違いなく、俺の部屋ではない。
ここはどこだと、俺は未だ気だるさが残る身体を起こして、辺りを見回した。
テレビ、電子オルガン、本棚、作業机。濃紺の遮光カーテンの隙間から日が差している。
ぐるりと部屋を見回して、最後に視界に飛び込んできたのはソファに伸びている俺の今代の主人だった。
この辺りで完全に目が覚めた。というか、眠気も何もかもが吹き飛んだ。様々な懸念や嫌な可能性が脳裏を過ぎった。
ここは今ソファで寝息をたてている彼女の私室だ。
一体なぜ。
経緯を思い出そうと記憶を辿るも、思い当たる節がない。
というか、熱を出してからの意識がずっと曖昧で、ほとんど寝て起きてを繰り返していた記憶しかない。その寝て起きての合間合間に誰かしらが病人食を作って持ってきてくれていたような気はするが、それを誰が持ってきてくれていたのだとか、そこら辺の記憶すら曖昧なのだ。
人間の身は熱に弱いらしい。
一度息をついてよくよく思い出せば、昨日の午前中に病院に連れていかれたことは思い出せた。が、やはりこの部屋で、彼女のベッドで眠っていた理由は思い出せない。
ただひとまず、お互い衣服の乱れは無く、何か間違いがあった訳では無さそうなことは俺を少し冷静にさせた。俺の個人的な感情はさておき、主人に手を出したとなれば、初期刀の加州をはじめ本丸の刀剣男士総出で袋叩きにされるだろう。
笑えないもしもの話を考えながら身体をぐ、と伸ばす。そういえば、体が随分軽い。体調がマシになったんだろうか。全快とまではいかずとも、茹だるような息苦しさや寒気はなりを潜めていることに気が付いた。
ふいに、ソファの方からアラームが鳴った。彼女の携帯端末からだった。
「んん……」
彼女は呻き声を上げながら、ソファの肘掛の辺りをまさぐっている。そこに端末は無いんだが。眠っている内に落としたのか、端末は彼女の頭より上の肘掛、ではなくその下、床に落ちている。
アレは起こした方が良いんだろうか。
やがて静かな惰眠を諦めたらしい彼女は、アラームを無視して寝返りを打った。
いや、起きなよ。
相変わらずの不精に呆れていると、彼女は掛け布団……はないため、ソファのクッションを頭に被った。そこまで睡眠に真摯になれるなら、早寝すれば良いのに。
しかし、今日に限ればおそらくだが、俺が彼女のベッドを占拠していた事も理由の一端ではあるのだろう、と思う。
さて、一度声はかけようか。アラームをかけているということは起きる意思はあったということに他ならないだろうから。
そう考えて、俺が彼女のベッドから降りた丁度そのときだ。
クッションの向こう側から爆音で音楽が鳴った。途端、彼女は驚いたのか弾かれたように大きく寝返りを打って、床に落ちた。
……どうしてそうなるんだ、キミは。
思わず喉元まで出かけた言葉をぐっと飲み込んで、起床すぐなのに既に床で力尽きたらしい彼女に声をかける。
「おはよう、大丈夫かい」
「はよ……」
どうやらきちんと覚醒したようだった。結構なことだ。
ようやく肘掛ではなく床に端末があったことに気付いた彼女はうんざりした様子でアラームを止めた。そのままソファの背もたれに挟まっているパッド端末の音楽も停止した後、彼女もソファに頭を預けたまま停止。まさかこのまま二度寝するつもりだろうか。
わずかに脳裏をよぎった俺の懸念は、しかし杞憂に終わった。彼女が、首だけをこちらに向けて口を開いた。
「体調は?」
「随分マシになったかな」
「それは何より」
て言ってもまだ本調子じゃないだろうし、明日か明後日まで養生ね、と。
俺が私室に居ることに驚く様子もなく、また何か気まずさを感じさせることもなく、当然のように彼女はそう言った。この様子だと、俺が彼女に手を出したという可能性はいよいよ無さそうだ。その点については、良かったと思った。本当に。
とはいえ、それだけでは俺の疑問は解消されていない。
「夢見は?」
俺が口を開きかけたタイミングで、彼女はそんなことを聞いた。夢見?
「いいや、特に何も見なかったよ」
何せ熱に浮かされて、夢を見るどころの状態ではなかったのだ。
素直にその旨を伝えれば、彼女は再びそれは何より、と言って欠伸をした。彼女の質問の意図も持ち合わせた疑問も解消しない俺の顔を見てか、そうそう、と彼女は付け加えるように言葉を継ぎ足した。
「小竜ねぇ、昨日の二時だか三時だかぐらいに寝ぼけて私の部屋に来たのよ」
熱も高かったしガチでボケてたんだろうねえと、彼女はなんでもなさそうな顔で言った。
待ってくれ。俺が、彼女の部屋に押しかけたのか?
一切覚えのない事実に、動悸がした。
しかし、彼女が嘘をつく理由も無いだろう。
何か変なことを口走ったりしなかっただろうか、とか、本当に何事も無かったんだろうか、と俺の胸中に不安が差し込む。いやに響く鼓動を押し込めながら、俺は口を開いた。
「それで俺をそのまま寝かせたのかい? 不用心じゃないか」
「いや熱でぐったりしてる大男を担いで部屋に戻せって方が無理筋でしょ」
「不寝番に頼めばよかったろう」
「平野前田秋田京極ちゃんに小竜担がせんの? ちょっとエグくない?」
「彼らも刀剣男士なんだし、キミが思っている程非力でもないさ」
「それはそうでしょうけれども」
なんかほら、ねぇ? と肩を竦める彼女の様子を見ていても、いつもと何ら変わりは無い、ように見える。
本当に、熱に浮かされて部屋に来ただけ……なのかもしれない。
とはいえ、それにしても、だとは思った。深夜に恋仲でもない男を部屋に入れるだなんて。押しかけた俺が言えることでは無いのは重々承知しているが、それは、どうなんだ。
審神者として。もしくは、年頃の女性として。
俺だったから良かったものの、と言うつもりもない。人の身を得て、自分の足で旅をして、様々な物を見聞きして、今までに知らなかったものを知った。それは知識だとか感覚だとかの話でもあるし、喜怒哀楽、または恋のような、感情の話でもある。そういう感情は、時として当人の意志とは関係無く溢れてしまうものであることも今は知っている。
いくら当人が厳しく律し抑え込んでも、ふとしたきっかけでソレは簡単に牙を剥く。
俺だって彼女に手を出さないという保証は無かったのだ。
「まあほら、何も無かったし」
「……何も無かったって言うなら、良いけどね」
そんな俺の気も知らず、彼女はあっけらかんと言い放つ。本当にどうなんだ、それは。
異性の身体を持つ者として一切意識されていないことを嘆くべきなのか、彼女の信用を喜ぶべきなのか、不用心を非難すべきかわからないまま、俺は会話を続けた。
「そうだ、キミ、随分手厚く看病してくれただろう」
「顔拭いて水置いといただけだよ」
「それでもだよ、ありがとう」
「良いよ別に」
目覚めてから部屋を見回したときにあった作業机。あれに、水桶とタオル、ミネラルウォーターが置いてあった。水については俺が起きなかったため口をつけることは無かったが、彼女が用意してくれていたのだろう。
「大したことしてない」
「こういうのは素直に受け取っておくものだよ」
「はあ、どういたしまして」
どこか釈然としないとでも言いたげな雰囲気ではあるものの、彼女はそう言ってようやく立ち上がった。
「お腹減った」
朝ご飯食べに行くついでに部屋まで送ったげる、と手近な所にあった薄手のアウターを羽織りながら、彼女が手を差し出した。ほら行くよ、と言わんばかりに。
「キミ、俺のこと幼子か何かと勘違いしていないかい」
俺は僅かな困惑と多大な呆れを隠すことなく彼女の手を見つめながら言った。特に手は取らない。
「風邪引いて心細いかなーって」
「間に合ってるよ、そういうのは」
「あらそう?」
ご飯一緒に食べなくて良い? と続けた彼女は、おそらく一切俺の話を聞いていない。一体俺のことをなんだと思っているのだろう。
「バカなことを言ってないで、早く行かないと朝食を食いっぱぐれるよ」
そろそろ俺も部屋に戻らないと、様子を見に来てくれる誰かしらに居ないことを気付かれかねない。厠に行っていたで済めばそれで良いが、それで済まねばどう誤魔化すかを考えなければ。寝ぼけて夜中に主人の部屋に押し入りそのまま一晩明かしたなどと、口が裂けても言えるはずがなかった。
俺が厨へ足を運ぶ理由を提示すれば、彼女はそれもそうだ、と差し出していた手を引っ込めた。
「今日の朝ご飯は、何かなぁ」
小竜もとりあえず元気だし、脱病人食だと良いね、と言いながら部屋をあとにした彼女に続いて、俺は違いないね、と頷いた。
今日も忙しかった。じゃない、今日は特に忙しかった。
シャレにならないぐらい。
どのぐらい忙しかったか、少し振り返ってみよう。
まず昨日から体調を崩していた小竜を病院に連れて行った。軽めの風邪であれば薬を飲んで終わりのつもりだったのだが、インフルとかコロナを疑うレベルの熱だったため念の為、という我らがドクター薬研の判断だった。
次に出陣。練度が安定してきた第一、二部隊は待機となったものの、他二部隊を過去へ送り出す。うち第四部隊が思いがけず検非違使と遭遇、交戦。幸い破壊は出さなかったものの重症二振、中傷一振の大損害。彼らの手入れをして、その後検非違使の出現報告を含めた出陣記録の提出。
そうこうしている内に前日に遠征に送り出した第五部隊が帰還。報告を上げてもらい、これもまた同じように記録として提出。
他に仕事の合間に五虎退の虎が執務室になだれ込んで来たり、一段落したしと思って裏山に散歩に出たら雨に降られたり、提出期限が迫る課題の存在を思い出したりで、とにかくバタバタした一日だった。
さて、そんな一日も、先程遅めの夕飯を頂いてシャワーを浴びたことで終わることができる。一日よく頑張った、私。偉い!
とはいえ、まだ眠らない。何せ一日こんなに頑張ったのだ。趣味の時間があったってバチは当たらないだろう。
読書だ読書。時々大きな本屋に足を運んで、気になる文庫本を数冊選んで買う。そんなことを繰り返しているうちに私の私室の本棚はいっぱいになり、執務室にも本棚を置くこととなった。最初こそ清光に呆れた顔をされていたがしかし、世の中には部屋の床を本棚にするほど本を愛する積読の民なる民族もいるのだと思えば、まだまだ私なんて可愛い方だと思った。
そんなことを考えながら、私は嬉々として執務室の本棚と向かい合う。何を読もうか。先日読破したのは世界大戦の頃の軍艦の話だったから、今日は陸軍の話にでもしようか。いや、続けて日本海海戦の話に手をつけても良い。
迷う分にはいくらでも迷えるのだが、時間は有限だ。
どの道全て読むには読むのだし。私は迷っていた数冊の内から今夜のお供を選んで、部屋の小上がりの畳に寝転がって本を開いた。
読書は楽しい。そして楽しいことは時間の流れを忘れさせる。
物語が一区切り着いて、私がふと時計を見れば時刻は午前三時を過ぎた頃だった。
マズい。
今日もとい昨日は忙しかったため、明日改め今日の午前はとりあえず休養にしようということにはしたのだが、このペースで読み耽って床に就けば起床できるのは夕方になってしまう。
そうなる前に誰かしらが私を叩き起しには来るのだろうが、睡眠時間が足りないと私は致命的に事務作業が遅くなる。信じられないほど疲労に弱いのだ、私の目は。
そんな訳で、もう寝ようと思う。続きはまた明日、と小上がりに鎮座するミニテーブルに栞を挟んだ本を置く。物語のお供にと淹れた、未だ飲みかけの紅茶の入ったマグカップを持って立ち上がった時だった。
足音がした。
え、何?
聞き違いだろうか。いやまさか。
執務室での夜更かしを幾度となく咎められてきた私は、不寝番の足音をよく知っている。
この足音は、不寝番のソレよりも幾分かペースが遅い。何より今日の不寝番は平野と前田ペア、秋田と京極ちゃんペアだ。あの四振が不寝番でバタバタと足音を鳴らしている所は聞いたことがない。短刀と脇差の不寝番は神出鬼没なのだ。何度も夜更かし現場を抑えられている私が言うのだから間違いない。
では誰だ。
物の怪の類だろうか。本丸はほぼ神域であるものの、所謂現世なんかよりは余程あちらとこちらの境界があやふやだ。無い話ではない。しかし、そういう類いの気配は無い、気がする。
野生動物かもしれないとも一瞬思ったが、明らかに足音が違う。
ではもしくは、侵入者だとか? 最後にほんの少し過ぎった可能性に、いやそれは無いなとかぶりを振る。通常の時間の流れから途絶した空間に点在する本丸という場所に侵入者が来るとなると、それは本丸を襲撃されているのと同義である。結界を破られた気配は無いし、侵入する側からすると、そもそも侵入を試みることがアホらしくなる案件なんだとか、どこかで人伝手に聞いた。
結局私の頭が僅かに思案した程度では答えは出ず、執務室の引き戸からチラリと覗いてみることにした。マグカップを執務机に置く音が、妙に大きく聞こえた。
すす、と静かな音を立てて引き戸を少し開けた。もしかして、案外酔っぱらいがフラフラしているだけかもしれない。まあ見ればわかると、隙間から廊下を覗く。
明かりのない本丸は暗い。明るい部屋で活字を追っていた私の目は、足音の主をすぐに特定することはできなかった。幸いにも今夜は月が出ていて、じっと目を凝らしていればその像をなんとなく掴むことができるようになる。どうやら、ヒトの形をしているようだ。
明るい長髪、身長は高め。廊下の壁伝いに重たそうな足取りでこちらに向かってきている。
まさか。
「小竜?」
ほんの少しだけ開けていた引き戸を開ききって足音の主に声をかけると、どうやら正解であった。いつもは陽の光を浴びて小麦畑のように輝く髪が、月明かりを受けてガラス細工のように繊細に輝いている。こんな時間に何してんのとか、体調はどうなのとか、気になることはいくつかあったが、その様子は尋常ではない、ように見える。
声をかけた私に気付いたらしい小竜は酷く安堵したような、しかし苦しそうな表情で何か言いたげにその薄い唇を開いていた。
慌てて駆け寄ると、小竜は私に向かって崩れ落ちるように倒れてきた。諸共に沈まないように踏ん張って、小竜の体重を受け止める。
重たい。
でもそれ以上に、熱い。
午前中に病院に連れて行ってタダの風邪と診断されたものの、小竜の体調は拗らせた夏風邪と同じ程度には悪かった。薬は飲んでいる筈だが、切れたのか効いていないのか、その体温は僅かに肌が触れただけでもわかるほどに高い。
「どしたの、小竜」
小竜は答えない。何事だろう、本当に。熱せん妄ってやつだろうか。専門家では無いのでわからない。
ただ小竜が崩れ落ちる直前に見えたその表情は、体調不良だけで片付けて良いようなものでは無かった、ような気がしなくもない。これもやはり専門家では無いのでわからない。強いて言えば審神者の直感だ。
「とりあえず部屋入らない?」
夜はまだ冷え込むし、と付け加えて少し後ずさると、小竜ものろのろと足を動かして着いてきた。
「小竜、そこ座れる?」
やっとのことで小竜を部屋の小上がりまで連れて行って、そう声を掛けると小竜は大人しくそれに従った。普通に座るのもしんどそうだし、と壁際を選んだのは正解だったんだと思う。小竜は座って早々に壁にもたれていた。相当体調が良くないんだろう。話を聞くにしても寝かせるにしても、このままでは良くないような気がする。
そう思って水取ってくるよ、と声をかけて部屋の簡易キッチンにつま先を向けると、衣服の端を引っ張られる感覚があった。
これは、行くな、ということだろうか。
普段の小竜なら絶対にしない仕草に戸惑いを覚えながらも、私も小竜の隣に腰掛けた。上半身だけで小竜に向き合って、再び声をかけた。
「どしたの、ほんと」
大丈夫? と続けると、小竜の形の良い唇が、躊躇いがちにゆっくりと開かれる。
「キミが」
「うん」
「いなくなる……ゆめ、を、」
「うん」
「みて……」
ようやく絞り出した、といった様子の小竜の声は、酷く掠れていた。体調不良のせいでは無いだろう。喉は元気そうだったから。きっと、相当夢見が悪かったのだ。
「不安になっちゃった?」
小竜は答えない。しかし気休めにと彼の頭に伸ばした手を振り払われることも無く、余程憔悴しているのだろうと察しがついた。かわいそうに。心做しか少しやつれているようにも見える。
小竜景光という刀は、その来歴から真の主を探し求める性質がある。それはもはや本能に近い欲求なのだろう。そんな小竜にとって、仮初の、真の主では無いとはいえ主を失う夢というのは耐え難いものなのだ、きっと。酷い風邪でナイーブになっているせいでもあるのだろうけど。
小竜の金糸のような髪を撫でているうちに、小竜も上半身だけで私に向き直っていた。首だか肩だかに頭を押し付けるように、そして夢で消えてしまったらしい私を逃がさないようにとでも思っているのか、小竜の長い腕が緩く腰周りにまわされている。柔らかい毛先が首筋を掠めて、少しくすぐったい。
「俺も」
ややあって、小竜が再び口を開いた。
「手を尽くしたんだ」
「そっかぁ、ありがと」
でもそんなことはお構い無しにキミが居なくなってしまったから、と小竜は続けた。ああ、怖かったんだろうなぁ。
「……それで、飛び起きた」
「うん」
「夢だって、すぐにわかったんだが……」
「うん」
「どうしても、寝付けなくて」
「ここまで来ちゃったか」
小竜は何も言わなかった。代わりに、頭が僅かに動いて、髪がたてがみのように揺れた。子供みたいだ。随分大きいけれど。
「小竜」
私は小竜の名前を呼んだ。返事は無い。別に良い。
「ちゃんといるから」
悪夢から醒めて、私の姿を確認してなお僅かに強ばっていた身体から力が抜けたように、小竜は小さく息をついた。そして再びややあって、ああ、と小さく答えた。
今度は、穏やかな声だったと思う。
「小竜、一回離して」
しばらく小竜の頭を撫で回していたが、落ち着いてきたのでそういえば、ともう一つの本題を思い出す。
「熱高そうだけど、どんな? しんどい?」
「少し」
そう、今の小竜は病人だ。今度こそとりあえず水を飲ませるために、簡易キッチンで水を汲んで戻る。
「飲めそう?」
辛いなら飲ませてあげようか、と言うと、小竜は自分で飲める、といつもの調子で言って、コップの水を飲み干した。とりあえずメンタルはそれなりに元気になったようで何よりだ。
「小竜、軽い夜食作ったら食べる?」
「この時間からかい」
「いや、夕飯から時間空いてるし、薬飲めるなら飲んじゃった方が楽になると思うんだよね」
空きっ腹に薬は胃が荒れるので簡単なものなら作るけど、という旨の説明を聞いた小竜は、少し考えて「じゃあお願いして良いかい」と首を縦に振った。最初より顔色はマシになったけれど、それでもやはり熱は高いようで頬が赤い。
「あったかいのと冷たいのどっち」
「暖かい方で」
「うどんか雑炊か」
「……うどんかな」
「かしこまり」
簡易キッチンの小さな冷蔵庫と冷凍庫には、私の夜食やら酒やらつまみやらがこれでもかと詰め込まれている。
その中から冷凍うどん二袋とりだして、あとは卵と麺つゆと、おろし生姜を用意する。病人にそうごちゃごちゃしたものを食べさせても仕方が無いため揚げ玉とかは入れない。
鍋を火にかけて、麺つゆ、水、生姜を入れて沸くまで待つ。その間に冷凍うどんを電子レンジに放り込んで、卵を溶く。あとは丼を二つ用意。片方は私の分だ。
麺つゆが沸いたら鍋をかき回しながら、それと逆方向に溶いた卵を回し入れる。こうすると卵がふわふわになるのだ。
流しに卵を入れていた器を置くのと同時に、電子レンジが麺の仕上がりを報せた。良いタイミング。
袋から麺を取りだして、ザルにあげて一瞬水に晒して、こっちは用意した丼に放り込む。あとは鍋に沸かしていた麺つゆを半々に注いで、完成。
「お待たせ」
本当は刻みネギとかあれば良かったんだけど、それは母屋の方の厨に行かないと無いだろう。仕方ない。
「小竜、起きれそ?」
「ああ、大丈夫……」
ぐったりと小上がりで伸びている小竜に声をかけると、小竜はのそのそと上体を起こした。辛そ。
私は一度小竜の方に戻って、我が物顔でミニテーブル占拠する小説を退けた。そのままテーブルを小上がりから下ろす。そこで夜食タイムというワケだ。
「何か手伝うことはあるかい」
「大人しくしてさっさと風邪治すこと」
途中、小竜が声をかけて来たけれど、病人にさせることは無い。というかもう持って行くだけだし。
そんな訳で、小竜と私はこの時間にお夜食タイム。時計をちらりと見れば、時刻は午前三時半過ぎ。太る。
「いただきます」
二人揃って小さなテーブルに向かって手を合わせて、麺をすする。うまぁ。冷凍うどん、やはり強い。
小竜も小竜で、最初にぽつりと「美味い」と言ったきり黙々と箸と口を動かしている。この状態でも食欲が落ちないのは、刀剣男士の凄いところなのか純粋に小竜がよく食べるからなのか。
私が食べ切る頃には既に小竜は丼を空にして「ごちそうさま」と手を合わせていた。空腹が紛れたからなのか、暖かいものを食べたからなのか、少し眠たそうだ。
いや、薬。
医者に処方されたのでは無いのだけど、小竜が処方されていたのもただの解熱剤だったし、まあ私の手持ちの市販薬で構わないだろう。戸棚から風邪薬を引っ張り出す。
「一回二錠ね、今水持ってく」
「悪い、ありがとう」
「良いよ別に」
ほれ水、と小竜にコップを押し付けて、私は食器を下げた。早い所快方に向かってくれると良いのだが。食器に水を張りながら小竜の方に目をやると、ゴミを捨てるためであろう、小竜はフラフラと立ち上がっていた。
「大丈夫?」
「別に、ゴミ捨てるだけだし平気さ」
本当だろうか。言葉とは裏腹に、小竜の足取りはどこか重そうで、割に浮ついている。
「無理しないでよ」
水を止めて、私は小竜の元へ歩を進める。途端、小竜がフラついた。私が慌てて身体を支えるまでもなく、小竜は自力で持ち直したが。
ううん。
この状態で小竜を部屋まで送り返すのは不安だ。かといって、私が小竜を支えきれるかと言うと自信はない。母屋の刀剣男士の私室と、離れの執務室は意外と距離があるのだ。
不寝番を呼んで手伝ってもらっても良いけれど、今夜は皆短刀だ。彼らに一九〇センチ近い男を運ぶのを手伝わせるのは些か酷だろう。適当に大般若や清光あたりを叩き起しても良いが、この時間ではやはり可哀想だという気持ちの方が勝った。何よりこの時間に男士の私室の前を通ればたぶん彼らのうち何振かは目を覚ますだろう。私には解り得ない感覚だが、彼らは気付くのだと言う。
いや、どうしたものかな。もう私の部屋で寝かせた方が早いような気がしなくもない。この判断が合理的判断なのか、疲労による判断ミスなのかは議論の余地があるとして、しかし今の私にはそれが一番良い判断のような気がした。
「眠い?」
「ええ? うん、そうだね……」
案の定である。うちの小竜は夜更かしが得意では無いタイプの小竜景光だ。何も無ければ十一時過ぎには就寝し、七時前には起床する、らしい。夜更かし党の私には一切理解できないが。熱を出してから寝通しで、逆に昨日は寝付けずに過ごしていたらしい小竜がこの時間になってもピンピンしていられるはずも無く。
熱でフラフラな上におねむの大男を私室まで戻してやれる自信はないのだ、繰り返し言うが。
まあ、小竜に戻れるかと聞けば戻れるとは言うだろう。そういう性質の奴である。しかしそれを信用するにはあまりにも頼りない。夢見が悪かったと言った時より意識は明瞭ではあるのだろうけれど、それでもアメジストの双眸にいつもの鋭さは無い。
「小竜、寝よっか」
まあ、ダメ元だ。このまま手を引いて二階の私室まで着いてくるようならそれこそそのまま部屋で寝かせてしまえば良いし、気付いたら不寝番を呼ぼう。そうしよう。
僅かに逡巡した後、私はほら、と小竜に手を差し出した。その手を小竜が素直に握ったので、私はゆっくりと私室に向かって歩き始めた。
結論から言うと、小竜はそのまま私の部屋で寝た。
熱でぼんやりしていたのと、眠かったのと。私に手を引かれて、小竜は私の後を着いてきた。ベッドに転がして布団をかけてやると、驚くほど素直に、一瞬で小竜は寝た。
体力的にも限界だったのかもしれない。
それから五分程は握られたままの手をそのままにしていたのだが、ふと執務室の流しに食器類を放置したままだったことを思い出したので、私はそれを片付けに降りた。私の手を離さなかった小竜の手には、代わりにぬいぐるみを握らせておいた。
洗い物と言っても鍋と食器類だけなもので、片付けは早々に終わった。そういえば小竜、多少なりとも楽にはなったものの、やっぱりまだ寝苦しそうだったし濡れタオルでも持って上がるか。あとスポドリ……はないので、水。
簡単に用意できたものを持って部屋に戻る途中、どこで眠ろうかなとふと考える。
同じベッドで寝る気は起きない。そりゃそうだ。風邪っ引きと同じベッドで寝るのは自殺行為である。小竜はデカいし、狭そうなのも嫌だ。
あとはそう、と、先に言い訳のように並べた理由を押しのけて、本命の理由が覗く。
こっそり心を寄せている相手と同じベッドで眠れるような気はしない、だとか。
ほんの僅かにチラついた恋心に蓋をし直して、階段を上る。病人相手に何考えてんだか。
まあ、無難にソファで眠ることになるだろう。
そんな訳で、私の長い一日は終わりを告げたのだった。
目が覚めると、見知らぬ天井だった。
間違いなく、俺の部屋ではない。
ここはどこだと、俺は未だ気だるさが残る身体を起こして、辺りを見回した。
テレビ、電子オルガン、本棚、作業机。濃紺の遮光カーテンの隙間から日が差している。
ぐるりと部屋を見回して、最後に視界に飛び込んできたのはソファに伸びている俺の今代の主人だった。
この辺りで完全に目が覚めた。というか、眠気も何もかもが吹き飛んだ。様々な懸念や嫌な可能性が脳裏を過ぎった。
ここは今ソファで寝息をたてている彼女の私室だ。
一体なぜ。
経緯を思い出そうと記憶を辿るも、思い当たる節がない。
というか、熱を出してからの意識がずっと曖昧で、ほとんど寝て起きてを繰り返していた記憶しかない。その寝て起きての合間合間に誰かしらが病人食を作って持ってきてくれていたような気はするが、それを誰が持ってきてくれていたのだとか、そこら辺の記憶すら曖昧なのだ。
人間の身は熱に弱いらしい。
一度息をついてよくよく思い出せば、昨日の午前中に病院に連れていかれたことは思い出せた。が、やはりこの部屋で、彼女のベッドで眠っていた理由は思い出せない。
ただひとまず、お互い衣服の乱れは無く、何か間違いがあった訳では無さそうなことは俺を少し冷静にさせた。俺の個人的な感情はさておき、主人に手を出したとなれば、初期刀の加州をはじめ本丸の刀剣男士総出で袋叩きにされるだろう。
笑えないもしもの話を考えながら身体をぐ、と伸ばす。そういえば、体が随分軽い。体調がマシになったんだろうか。全快とまではいかずとも、茹だるような息苦しさや寒気はなりを潜めていることに気が付いた。
ふいに、ソファの方からアラームが鳴った。彼女の携帯端末からだった。
「んん……」
彼女は呻き声を上げながら、ソファの肘掛の辺りをまさぐっている。そこに端末は無いんだが。眠っている内に落としたのか、端末は彼女の頭より上の肘掛、ではなくその下、床に落ちている。
アレは起こした方が良いんだろうか。
やがて静かな惰眠を諦めたらしい彼女は、アラームを無視して寝返りを打った。
いや、起きなよ。
相変わらずの不精に呆れていると、彼女は掛け布団……はないため、ソファのクッションを頭に被った。そこまで睡眠に真摯になれるなら、早寝すれば良いのに。
しかし、今日に限ればおそらくだが、俺が彼女のベッドを占拠していた事も理由の一端ではあるのだろう、と思う。
さて、一度声はかけようか。アラームをかけているということは起きる意思はあったということに他ならないだろうから。
そう考えて、俺が彼女のベッドから降りた丁度そのときだ。
クッションの向こう側から爆音で音楽が鳴った。途端、彼女は驚いたのか弾かれたように大きく寝返りを打って、床に落ちた。
……どうしてそうなるんだ、キミは。
思わず喉元まで出かけた言葉をぐっと飲み込んで、起床すぐなのに既に床で力尽きたらしい彼女に声をかける。
「おはよう、大丈夫かい」
「はよ……」
どうやらきちんと覚醒したようだった。結構なことだ。
ようやく肘掛ではなく床に端末があったことに気付いた彼女はうんざりした様子でアラームを止めた。そのままソファの背もたれに挟まっているパッド端末の音楽も停止した後、彼女もソファに頭を預けたまま停止。まさかこのまま二度寝するつもりだろうか。
わずかに脳裏をよぎった俺の懸念は、しかし杞憂に終わった。彼女が、首だけをこちらに向けて口を開いた。
「体調は?」
「随分マシになったかな」
「それは何より」
て言ってもまだ本調子じゃないだろうし、明日か明後日まで養生ね、と。
俺が私室に居ることに驚く様子もなく、また何か気まずさを感じさせることもなく、当然のように彼女はそう言った。この様子だと、俺が彼女に手を出したという可能性はいよいよ無さそうだ。その点については、良かったと思った。本当に。
とはいえ、それだけでは俺の疑問は解消されていない。
「夢見は?」
俺が口を開きかけたタイミングで、彼女はそんなことを聞いた。夢見?
「いいや、特に何も見なかったよ」
何せ熱に浮かされて、夢を見るどころの状態ではなかったのだ。
素直にその旨を伝えれば、彼女は再びそれは何より、と言って欠伸をした。彼女の質問の意図も持ち合わせた疑問も解消しない俺の顔を見てか、そうそう、と彼女は付け加えるように言葉を継ぎ足した。
「小竜ねぇ、昨日の二時だか三時だかぐらいに寝ぼけて私の部屋に来たのよ」
熱も高かったしガチでボケてたんだろうねえと、彼女はなんでもなさそうな顔で言った。
待ってくれ。俺が、彼女の部屋に押しかけたのか?
一切覚えのない事実に、動悸がした。
しかし、彼女が嘘をつく理由も無いだろう。
何か変なことを口走ったりしなかっただろうか、とか、本当に何事も無かったんだろうか、と俺の胸中に不安が差し込む。いやに響く鼓動を押し込めながら、俺は口を開いた。
「それで俺をそのまま寝かせたのかい? 不用心じゃないか」
「いや熱でぐったりしてる大男を担いで部屋に戻せって方が無理筋でしょ」
「不寝番に頼めばよかったろう」
「平野前田秋田京極ちゃんに小竜担がせんの? ちょっとエグくない?」
「彼らも刀剣男士なんだし、キミが思っている程非力でもないさ」
「それはそうでしょうけれども」
なんかほら、ねぇ? と肩を竦める彼女の様子を見ていても、いつもと何ら変わりは無い、ように見える。
本当に、熱に浮かされて部屋に来ただけ……なのかもしれない。
とはいえ、それにしても、だとは思った。深夜に恋仲でもない男を部屋に入れるだなんて。押しかけた俺が言えることでは無いのは重々承知しているが、それは、どうなんだ。
審神者として。もしくは、年頃の女性として。
俺だったから良かったものの、と言うつもりもない。人の身を得て、自分の足で旅をして、様々な物を見聞きして、今までに知らなかったものを知った。それは知識だとか感覚だとかの話でもあるし、喜怒哀楽、または恋のような、感情の話でもある。そういう感情は、時として当人の意志とは関係無く溢れてしまうものであることも今は知っている。
いくら当人が厳しく律し抑え込んでも、ふとしたきっかけでソレは簡単に牙を剥く。
俺だって彼女に手を出さないという保証は無かったのだ。
「まあほら、何も無かったし」
「……何も無かったって言うなら、良いけどね」
そんな俺の気も知らず、彼女はあっけらかんと言い放つ。本当にどうなんだ、それは。
異性の身体を持つ者として一切意識されていないことを嘆くべきなのか、彼女の信用を喜ぶべきなのか、不用心を非難すべきかわからないまま、俺は会話を続けた。
「そうだ、キミ、随分手厚く看病してくれただろう」
「顔拭いて水置いといただけだよ」
「それでもだよ、ありがとう」
「良いよ別に」
目覚めてから部屋を見回したときにあった作業机。あれに、水桶とタオル、ミネラルウォーターが置いてあった。水については俺が起きなかったため口をつけることは無かったが、彼女が用意してくれていたのだろう。
「大したことしてない」
「こういうのは素直に受け取っておくものだよ」
「はあ、どういたしまして」
どこか釈然としないとでも言いたげな雰囲気ではあるものの、彼女はそう言ってようやく立ち上がった。
「お腹減った」
朝ご飯食べに行くついでに部屋まで送ったげる、と手近な所にあった薄手のアウターを羽織りながら、彼女が手を差し出した。ほら行くよ、と言わんばかりに。
「キミ、俺のこと幼子か何かと勘違いしていないかい」
俺は僅かな困惑と多大な呆れを隠すことなく彼女の手を見つめながら言った。特に手は取らない。
「風邪引いて心細いかなーって」
「間に合ってるよ、そういうのは」
「あらそう?」
ご飯一緒に食べなくて良い? と続けた彼女は、おそらく一切俺の話を聞いていない。一体俺のことをなんだと思っているのだろう。
「バカなことを言ってないで、早く行かないと朝食を食いっぱぐれるよ」
そろそろ俺も部屋に戻らないと、様子を見に来てくれる誰かしらに居ないことを気付かれかねない。厠に行っていたで済めばそれで良いが、それで済まねばどう誤魔化すかを考えなければ。寝ぼけて夜中に主人の部屋に押し入りそのまま一晩明かしたなどと、口が裂けても言えるはずがなかった。
俺が厨へ足を運ぶ理由を提示すれば、彼女はそれもそうだ、と差し出していた手を引っ込めた。
「今日の朝ご飯は、何かなぁ」
小竜もとりあえず元気だし、脱病人食だと良いね、と言いながら部屋をあとにした彼女に続いて、俺は違いないね、と頷いた。
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