本編










「はーい!今日からこのかめ組に入る、紀子ちゃんだよー!みんな、仲良くしてねー!」
「す、すだのりこっていいます・・・よろしくね。」




8年前、幼稚園に通っていた憐太郎はそこでとある出会いをした。
先生に連れられながら、少し恥ずかしげに部屋に入って来たこの女の子の名は、守田紀子。
一週間前に北海道から近所に引っ越して来た守田家の1人娘で、今日からこの幼稚園に入る事になった。
憐太郎自身、紀子と会うのは今日が初めてであり、彼女を見て憐太郎が初めて思ったのは・・・




――か・・・かわいい!




このときめきに突き動かされ、憐太郎は誰よりも早く紀子に話し掛けた。
紀子の方もすぐ憐太郎に心を開き、毎日のように遊ぶうちにいつしか2人は、幼稚園内でも指折りの仲良しになっていた。




「憐太郎君は、何をしている時が一番楽しい?」
「のりことあそんでるとき!」
「そう~、憐太郎君と紀子ちゃんはほんと仲良しね~。じゃあ、紀子ちゃんは?」
「れんとあそんでるとき!」




2人は昼寝の時間もいつも一緒で、大抵は2人揃って同じ時に同じ動作をするからか、周りからは「同じ夢を見ているのでは?」と言われるくらいだった。
昼寝の時間の終わりの恒例、それは生まれながらの寝坊助である憐太郎を起こす紀子の声だ。




「こら、れん!はやくおきなさい!」
「むにゃむにゃ・・・あと少しだけ・・・」






「ねぇ、れん!きょうはなにしてあそぶ?」
「うーん・・・じゃあ、のりこのすきなおままごとしよ!」




数ヶ月もして2人は休みの日も遊ぶようになり、大抵はどちらかの家に行っていた。
今日は紀子の家で飯事に興じており、おもちゃの横の画用紙にクレヨンで書かれた今回のシチュエーションは、「おしどりふうふ」らしい。




「おかえりなさい、あなた。」
「ただいま。きょうもたくさんしごとしてきたよ。」
「それはおつかれさま。きょうはあなたのだいすきなシチューにしましたよ~。」
「やった~!これでつかれもふきとぶよ!」




2人の想像するおしどり夫婦の日常が描かれて行く中、突然ドアの開く音がした。




「おじゃましま~す。」
「「げんじにいちゃんだ!」」




声を合わせて叫んだ2人は飯事を中断し、階段を降りて一階の玄関に向かう。
玄関にいたのは、高校生くらいの青年だった。




「「げんじにいちゃん!」」
「おうおう、今日も無駄に元気だな。じゃりん子ども。」




そう言いながら玄関に入ったギザギザ頭のこの青年は、憐太郎の知り合いである浦園験司。
憐太郎が物心付かない頃から彼の遊び相手をしている近所の青年で、面倒見の良さから憐太郎にとっては兄同然の存在であり、紀子もまた彼に同じ感情を持っている。




「レンの家に行ったらいないって言うからここに来てみたら、正解だったな。」
「きょうはどうしたの?あそびにいくのはあしただよ?」
「お前にちょっと渡したいのがあるんだよ。誕生日にはまだ早いけどよ、まぁ受け取れ。」




よく見ると験司は学校の鞄の他にもう一つ、大きいバッグを持っていた。
験司はこれ見よがしにバッグのファスナーを開け、取り出したのは飼育ケースだった。
中には無造作に置かれた草を食べる、ミドリガメがいる。




「あっ、かめだ!」
「わぁ~、かわいい~!」
「へへっ、近くの川で見つけたんだけどよ、こいつをお前にやるよ。」
「えっ、いいの!?」
「ああ。お前のパパとママにも話してあるから、安心しろ。ただし、何があってもこいつを捨てない事だけ約束しろよ。」
「うん!ありがとう!げんじにいちゃん!」




すっかり上機嫌の憐太郎は、紀子と一緒にケースの中の亀を眺める。




「いいなぁ~、れんだけ。わたしもかめ、かいたいな~。」
「じゃあ、のりこもいっしょにそだてようよ!いつでもつれてくるから!」
「いいの!?」
「うん!」
「わーい!ありがとう、れん!」




微笑ましいやり取りに、つい顔が綻びる験司。
彼の目的は、これで達成されたようだ。




「じゃあまず、こいつに名前を付けやらねぇとな。どんな名前にするんだ、レン?」
「うーん・・・」
「早く決めろよ?オレの気が変わらねぇ内にな。」
「じゃあ・・・ガメラ!」










それから月日が流れる事、3年。
憐太郎と紀子は一年の差がありながらも幼稚園を卒園し、憐太郎は小学校の入学式を間近にしていた。
だが2人にそんな事はあまり関係は無く、今日も憐太郎は手に持ったガメラと共に、近くの公園で紀子の到着を待っていた。




「おそいな~、紀子。なにやってるんだろ・・・」




指を使ってガメラと戯れつつ、約束の時間になっても来る気配の無い紀子を待つ憐太郎。
と、そこに誰かが駆け足でやって来た。




「紀子、おそいよ!何して・・・」




公園に入って来た者を紀子と信じて声を掛けようとした憐太郎だが、突如途中で止める。
それもその筈、公園に来たのは紀子では無く、験司であったからだ。




「験司・・・兄ちゃん?」
「はぁ、はぁ・・・よう、レン・・・」




ここまで全力で走って来たからか、汗だくになりながら憐太郎の前で立ち止まるその男、験司。




「そんなにあわてて、どうしたの?それに紀子しらない?もうやくそくのじかんなのに、来ないんだ・・・」
「・・・悪ぃ、あいつは来れねぇ・・・」
「えっ・・・?」
「ついさっき・・・紀子は倒れて病院へ行った・・・」
「・・・!?」




外は暗雲が立ち込め、雪が降り始めていた。










それから数日、激しい雪と紀子の病室の面会謝絶が続く中で分かった事。
紀子は生まれつき心臓病を患っていた事、完治させるには東京の大きな病院に行かなければならない事。
そしてそれは、何年も掛けて治療しなければならない事。






「紀子・・・」




あっという間に日々は過ぎ去り、紀子が東京へ出発する前日。
豪雪も止み、自身の希望で自宅に帰って来ていた紀子の元に、憐太郎がガメラを手にやって来た。
無論、紀子が入院した日から憐太郎は彼女と会っていないが、待望の再会と言うには状況が悪過ぎた。




「来てくれたのね、レン・・・」
「も、もちろんさ。あしたからもう、紀子と会えなくなるんだから・・・」
「ありがとう・・・わたし、きょうまでずっとレンに会いたかったから、この町をはなれる前に会えて、とってもしあわせよ・・・」




目に見て分かる程に衰弱し、壊れそうな笑顔を憐太郎に向ける紀子。
憐太郎はそんな紀子の姿を、直視する事が出来ずにいた。




「あの、さ・・・」
「どうしたの?」
「えっ、えっと・・・そうだ、君にガメラをあげるよ・・・」
「ガメラを・・・?」
「だ、だって東京に行ったらともだちがいなくなるじゃないか・・・だから、だから紀子にあげる!」
「えっ、レン?」
「頑張って治して来てね、じゃあ!」
「あっ、待って・・・レン!」




半ば強引にガメラを紀子の手に置き、憐太郎は部屋を走り去っていった。
彼にはこれ以上、痛々しい紀子を見る事は出来なかった。




――・・・どうして、どうしてあんなことしかいえないんだ・・・!
もっといいたいこと、いっぱいあったのに・・・それなのになんで・・・!




大粒の涙を流し、憐太郎は雪に染まった町の道路を駆けずり回る。
紀子に対して冷たい反応しか出来なかった悔しさ、大切な紀子があんな姿になってしまった事の悲しさ、そしてもう紀子と会えなくなってしまうと言う、寂しさ。
今の憐太郎には分かった・・・初めて紀子を見た時の、あのときめきの正体。
自分はずっと、紀子に恋をしていたと言う事が。




――紀子・・・!










翌日、出発を目前にした守田家の前に大型のワゴン車が止まっていた。
車の近くには多くの荷物と紀子の両親、ガメラを持った紀子がいる。




「憐太郎君、来なかったわね・・・」
「いつまた紀子と会えるか分からないんだ、きっと紀子と会うのが辛いのさ・・・」
「レン・・・」






一方、能登沢家では憐太郎がちょうど家を出た所だった。
呼吸を乱しながら、憐太郎は必死に守田家へ向かって走る。




「さいあくだ・・・!こんなときに、ねぼうするなんて!でもまだ・・・まだ、まにあう・・・!」






「浦園君、病院まで着いて来てくれてすまないね。」
「いえいえ、オレも東京に用事が出来ましたので、それなら紀子を送ってからでもいいかと思いまして。」
「さぁ、行きましょう。紀子。」
「・・・うん。」




荷物を全て詰め込んだワゴン車に、急遽駆け付けた験司を含む4人が乗り込む。
暗い表情の紀子を励まそうと験司は紀子に話し掛けようとしたが、いざ話そうと思うとどんな事を話せばいいのか、験司は分からなかった。




――レン・・・どうして来てくれないの?
もうこれから、いつまで会えないか分からないんだよ?
これで、さいごになるかもしれないのに・・・!




ガメラを抱きしめながら、懇願するかの様に心の中で紀子は叫ぶ。
だが無情にも、車は出発してしまった。




――おねがい、来て・・・!
レン・・・!


「・・・りこー!」
「・・・!」




車のエンジン音にかき消されたが、確かに聞こえたあの声。
すかさず紀子は、後ろに振り向いた。




「の・・・こー!!」
「レ・・・レン!」




バックミラー越しに紀子が見たもの、それは彼女が待ち焦がれていたもの・・・必死に車を追う憐太郎であった。




「レ、レン!」
「えっ、憐太郎君!?」
「レン!レンー!」
「のりこーーっ!!」




窓を開け、紀子は絞り出した声で憐太郎を呼ぶ。
憐太郎の存在に気づいた紀子の父は車を止めようとするが、既に車と憐太郎とを挟む踏切は電車の通過を知らせていた。




「レンー!!」
「ごめん・・・ごめんのりこ!!きのう、あんなことしかできなくてー!!」
「いいの!いいのー!!」
「それから、それから!僕は・・・!」




憐太郎がその続きを言った瞬間、高速で通り過ぎる電車が2人を裂いた。
しかし、憐太郎を待っていては東京行きの飛行機には間に合わなくなると判断した紀子の両親は、車を再び走らせた。
電車が去って踏切がまた開いた時、もう紀子の目に憐太郎が映ってはいなかった。




「ごめんな、紀子・・・憐太郎君を待ちたいのは俺達も同じだけど、そうすると病院に間に合わなくなってしまうんだ。」
「予定をずらしたら、次はまたいつ予約が取れるかが分からないの・・・本当にごめんなさい、紀子・・・」
「・・・いいの。さいごにレンに会えて、レンのきもちがきけただけで、わたしはいいの。」
「最後にあいつ、なんか言ってたよな?お前は分かったか?」
「うん・・・」






踏切の反対側の憐太郎の方は、道路にうずくまりながら視界から消えて行くワゴン車を見ていた。
彼の体力はもう限界を迎え、立つ事も出来なかったが、その表情に悔しさは無かった。




「・・・また、また会えるよね・・・紀子。」




それは彼が紀子に一番伝えたかったこの思いを、紀子に伝えられたと確信したからであった。




――・・・紀子。
僕は、きみが・・・すき・・・!!
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