本編











「・・・ン!ねぇ、レンってば!」
「・・・ふえっ?」




腑抜けた様な声を出し、少年は目を覚ました。
場所は学校の教室、勿論授業中だ。




「えっと・・・あっ!」
「気がついた~、能登沢君。ぐっすり眠れた?」
「は・・・はい、先生。」
「じゃあ、この問題の解き方も分かるわけないわよね~。」
「・・・えっと、鶴亀算?」
「あのね・・・何処をどう見たら、この2つのグラフが鶴亀算に見えるのかしら・・・?」
「あっ・・・」




教師の突っ込みと共に、教室中が生徒達の笑い声に包まれる。
笑い声の中心にいる、この茶髪の癖毛少年の名は、能登沢憐太郎。
青森県・つがる市に住む12歳の少年で、寝起きの際に最も酷くなるそのツンツンな癖毛さえ除けば、どこにでもいる元気な男の子である。
親しい者からはもっぱら呼びやすく略した「レン」と呼ばれ、本人もつい名前欄に「太郎」を抜いて書いてしまう事も少なくない。
ちなみに彼が寝ていた理由、それはこの4時間目が彼の最も苦手な時間である、算数の時間であるからに他ならない。




「・・・ふあぁ。何か、いい夢を見てた気がする・・・」






授業が終わり、給食後の昼休み。
憐太郎はサッカーボールを手に持ち、学校のグラウンドの端にある小さめのゴールの前にいた。




「あいつら、まだかなぁ・・・」
「「おーい!待たせたなー!!」」




と、そこに声を合わせて2人の男子がやって来た。
片方は先程の算数の時間に憐太郎を起こしたクラスメートだ。




「遅いよ!拓斗、透太!」
「だって仕方ねぇじゃん!今日の給食におれの嫌いなトマトが入ってたんだからよ!」
「同じく、ぼくの嫌いなグリーンピースがスープに入ってた。」
「そんなの、一気に流し込めばいいのに。」
「簡単に言うけど、案外難しいし。」
「それにトマトなんてどう流し込めってんだよ!グリーンピースとは大きさが違うんだぞっ!」
「もう。わかったから、早く始めようよ。」




憐太郎に言われ、2人はゴールから離れて行く。
トマトが嫌いな声も体もとにかく大きいこの色黒の男子は、遊樹拓斗。
憐太郎を起こしたグリーンピース嫌いの細身で色白の男子は、城崎透太。
どちらもここ、つがる市立稲垣小学校・6年2組に通っている憐太郎のクラスメートで、憐太郎の親友である。
彼らはほぼ毎日何かしらの遊びに興ずる程に仲が良く、彼らの通う遊び場でこの仲良しトリオは知らない者はいない。
そんな彼らが今日の遊びに選んだのはサッカー。
1人がキーパーを務め、2人がボールを奪い合いながらゴールを目指し、ボールを奪ってゴールに入れた方が勝ちと言うルールであり、無論キーパーにボールを止められればキーパーの勝ちとなる。
ポジションはキーパーが憐太郎、拓斗と透太はさしずめフォワードのポジションである。




「今日のアイス代がかかってんだ・・・絶対負けるかよ!」
「ぼくもお小遣いが貰えるまでまだ少しある、負けられない・・・!」
「僕だって今月はピンチなんだ・・・必ず止めてやるんだ!」




下校後のアイス代を掛けたこの試合に、それぞれの決意を心に思う3人。
そして憐太郎が投げたボールが、試合の始まりを告げた。




「もらったぁ!」




先に出たのは、拓斗であった。
やや動きは鈍めな拓斗だが、ここはスタートダッシュの早さの差が出た。




「くっ!」
「へへっ、いただきだ!」




ボールを前に蹴り出しながら、憐太郎が待ち構えるゴールを目指す拓斗。
憐太郎もいつボールが来てもいいように、阻止の体勢を取る。




「よし、このままゴールにダッシュだっ!」


――大丈夫だ・・・
まだ、奪い返すチャンスはある・・・




出遅れた透太は拓斗の右斜め後ろに張り付きつつ、拓斗がきっと見せるであろう一瞬の隙を伺う。
それを知ってか知らずか、拓斗はジグザグに走って透太を振り払おうとするが、透太はどんな軌道にもぴったりと張り付き、離れない。




「くそ、お前しつけぇぞ透太!」
「だって、そのボールが欲しいもん・・・っと!」




どんな動きを取っても、常に同じ位置で追い付いて来る透太に、拓斗は焦りを見せ始める。
拓斗に比べて体力こそ無い透太だが、それを補う為に彼は柔軟さを鍛えており、毎朝柔軟体操は欠かさない程だ。




「ほんと、お前ってばチョロチョロ・・・!」
「いただき!」
「うおっ!?」




後ろからボールを取られるのではないかとの焦りから、拓斗は少し早めにボールを蹴り出したが、それこそが透太が狙っていたタイミングだった。
軌道が変わったボールについて行こうと足の動きを変えたその隙を突き、透太は左足をボール目掛けて繰り出す。
ボールは透太のキックで大きく軌道を変え、左前へ斜めに飛ぶ。




「ち、ちきしょ・・・!」
「もらいっ!」




すかさずボールの着地点に先回りし、そのままゴールへ向かってボールを蹴る透太。
ボールを奪い取った時点で彼はこの試合の勝利を確信していた・・・が、彼は大きな誤算に気付いていなかった。




「これでぼくのか・・・!?」




息を切らし、何故か透太は呆然とゴールを見る。
そこには、しっかりとボールを全身で受け止める憐太郎の姿があった。




「おおっ・・・」
「へへっ・・・これで、アイス代は拓斗と透太のおごりだね。」
「・・・レンをどうするかまで、考えてなかった・・・」






「それでは皆さん、さようなら。」
「「「「さようなら!」」」」




激闘から約2時間。
授業後の終礼が終わり、誰もが待ち望んだ下校時間がやって来た。
憐太郎も早速帰宅の準備をするが、そこへ1人の人物が憐太郎の元に近寄り、話し掛ける。




「能登沢君、今日の算数は分かった?」




頭のラインに沿って整えられた、ショートヘアーの黒髪を少しなびかせ、憐太郎に質問したのはこのクラスの担任である、光蛍。
その気さくでかつ丁寧な教え方と、誰もがつい振り向いてしまう美貌から、採用されてまだ二年程の新人ながら学校内外で高い人気を誇っている。




「えっと・・・全然。」
「あれっ、遊樹君や城崎君には聞かなかったの?」
「とりあえず聞いたんですけど・・・答え聞いただけじゃわけわからなくて。」
「もう、最初からずっと寝てたわね?あれは苺の2013年度と14年度での出荷量の比較の問題よ。その結果をグラフ化して、2つの曲線グラフを重ねてたけど、決して鶴と亀の移動力の違いじゃないから、間違えちゃ駄目よ?」
「は、はい・・・分かりました。」




蛍の指摘に、恥ずかしさから少し顔を赤らめる憐太郎。
しかしながらそれは緊張でも、学校の者ーー主に男子や男教員ーーが蛍に対して思っている感情では無く、純粋に算数の時間を殆ど寝て過ごしてしまった事を恥じているようだ。




「しかも補足しとくと、鶴亀算って中学校で習う計算方法よ?それが出てきた方が凄いわ・・・」
「いや~、確か昨日見たクイズ番組で言ってたと思います・・・」
「変な事は知ってるのね・・・まぁとりあえず、明日の算数は今度のテストにも出る範囲だから、今度こそ寝ちゃ駄目よ?」
「はい!意識が続く限り、頑張ってみます!」
「ふふっ、頑張ってね。じゃあ、また明日。」
「はい!先生、さようなら!」
「さようなら。」




勉強道具の一式を鞄を肩から下げ、憐太郎は外で待たせている拓斗と透太の元へ向かった。
ちょっと慌ただしい彼を見送る蛍の顔は、とても微笑ましいものだった。
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