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2013年4月、南米のある国で内戦が勃発した。
原因は軍事政権による圧政に対する民衆の蜂起。
大勢の人間が自分と同じ国の人間、同じ民族と殺し合い、死者は莫大な数に上っている。

2025年9月現在、内戦勃発から12年の月日が流れた今も、それは収束するどころかますます悪化の一途を辿り、衰えを見せていない。










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荒れ地を縦に走る長い舗装された道を、一つの人影が歩いている。
190㎝近い身長と服の上からもわかる引き締まった身体付きから男性と容易に推測する事が出来るが、頭からすっぽりとフードを被っている為、顔の造形や年齢は伺い知れない。
その辺で拾ったと見られる棒きれを杖代わりに大荷物を背負いながら、時折頭を上下左右に動かし、誰もいないのにブツブツブツブツ何かを喋っている(ハッキリ言って不気味だ)。


その男が不意に背後――地平線の彼方まで届くかという真っ直ぐな一本道を振り返る。
暫くして、濛々と上げる砂埃と今にも分解しそうなエンジン音を響かせながら、良い言い方をすればレトロ、悪い言い方をすればオンボロポンコツ中古トラックがやって来た。
幌が掛かっている荷台には名前も知らないような野菜(おそらく現地の物)が詰まれていて、行商か卸し売りだと思われる。

それを目に留めた男は道のど真ん中から路肩に避けつつも、右手の親指を立てて右腕を道路側に向けて突き出す、いわばヒッチハイクのポーズを取る。
「丁度良かった、オーイ、乗せてくれ!」





「兄ちゃん観光客かい?」
「あ~、そんなもんだな…」

舗装されている筈なのにガタガタ揺れるトラックの助手席に座りながら、運転している気の良さそうな40絡みのオッサンに生返事をする。
乗せてくれたはいいが、かなりのお節介焼きのこの人物に、正直男は辟易していた。


フードは2人の間に座っている10歳くらいの子供――おそらくオッサンの息子に剥ぎ取られ、顔がむき出しになっている。

降り注ぐ日光に反射して輝く純金色の短い髪、気怠げに細められた切れ長の瞳は、宇宙から見た地球を思わせるアルティメット・ブルー。
白皙の肌も合わせて鑑みれば西洋人にしか見えないが、精悍な顔立ちはパーツをよく見ればどこか東洋人を彷彿とさせる部分も存在する。おそらく混血なのだろう。


視線を感じ男が振り向けば、案の定少年が凝視していた。
と言うか最早ガン見の範疇である。
思わずたじたじになるが、黒髪黒瞳に褐色の肌の人間が多いこの国で(実際にこの親子もそうだ)、己の金髪碧眼が珍しいのだろうと苦笑を男が顔に浮かべる。

迷惑だから止めなさい的なニュアンスの現地語で父親が止める。
男も昔の職業柄と経験上、母国語の他に英語、日本語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語等を習得してはいるが、それは相手も習得していて初めて会話が成り立つのである。
まだ年端もいかない少年にそれを求めるのは酷というものだ。


最寄の街(それでも車で30分は掛かった)で降ろして貰い、フードを再び被り直して親子に礼と別れを告げる。
その際に渡された(半ば無理矢理持たされた)どうやら瓜科の植物らしい緑色でラグビーボールに似た形をしたそれを弄りながら、取り敢えずぶらりと歩を進める。
何の気なしに周りを見渡せば、小さい街ながらも活気に溢れていて、ここから東に約30㎞先に存在する街に滞在している人達とはまるで(精神的な意味で)様相が違うであろう事が容易に理解出来る。

そこにあるのはこの国ベネズエラと隣国ロリシカの国境である川、そしてロリシカで現在進行形で行われている内戦から逃げて来た難民のキャンプと、それを抱える中規模の街だった。
この男はまさにその街を目指して歩いて来たのである。




"辺境のナイチンゲール"。




何時からか、そう呼ばれる人物が現れた。

総じて飢餓や内戦に苦しむ人々の元に訪れる彼女――証言から女性と判明――は、いつの間にか現れては人々の心と身体を癒し、荒れ果てた大地すら浄化し、人知れず去って行くのだという。
菩薩だとかマリアだとか他にも様々な呼び名があるが、一番噂に上がった名前は何故かナイチンゲールだった。

「ナイチンゲールって看護師だろうがぁあああああっっっ!!!!!」
その噂を聞いた時男が思わずそうシャウトしたのも無理無い話かも知れない。
その噂の人物が行っているのは明らかに医療行為、医師の仕事だったから。

それでも会いに行こうと思ったのは、無理矢理聞き出した相手の容貌が昔の知人に瓜二つで、懸念と不安を解消させる為の自己満足に結局は過ぎないのだが。










宿代をケチる為に勝手に町外れに建てた簡易テントの傍らで、肌寒い気温にも拘わらず焚火も焚かず、半月と星しか光源が無い中で、男は一枚の写真を眺めていた。
ややくたびれた感のある写真に写っているのは、一面の銀世界を背景にこちらに笑顔を見せる集団。

一目で記念写真、集合写真だとわかるその写真を見つめる切なさと暖かさを湛えた男の瞳は、天空に輝く月と同じ黄金色だった―――――




栗色の肩まで届くサラサラな髪、優しげな瞳は青みががった黒で、100人中100人が振り返るであろう名前の如くたおやかな雰囲気の美女がそこにいた。


「ぁああああああああっっっっっ!!!!!芙蓉??!!!」
「えっ、黄?!」

三日後、件の難民キャンプで男――黄天が目にしたのは、およそ15年振りの再会を果たした旧友だった。
しかし驚いたのは再会した事にではない。
"15"年振りに会ったにも拘わらず、あの時と全く変わっていない顔立ち――いやむしろお互いに若干若返っていたのだ、驚かない方がおかしい。

光の速度で怪我人の手当てをしていた芙蓉の襟首を掴み(30㎝近く身長差があるからこそ出来る所業である)、誰の邪魔も話を聞かれる心配の無い場所、すなわち難民キャンプの外へと、唖然とする人々の視線を尻目に連れ去ってしまったのだった。



「落ち着け落ち着け落ち着け俺気のせいだもう一回よく見ろ気のせいだそうじゃなかったらきっと娘とか親戚とかいうオチn「それなら名前を呼ばないと思うけど」んぎゃぁっ!!」
プチパニックに陥る黄と、冷静に淡々と話す芙蓉。
心臓が飛び出るかと思ったと呟く黄に呆れた視線を送る彼女に、ハタと動きを停止する。
「………お前、俺のこの状態の事、ひょっとして前から知っていたか?」
「当たり前じゃない、私もあの時あそこにいたんだから」

この2人の状況と関係性を知る為には、時をそれこそ15年以上前に遡らなければいけない。
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