番外編 孤高の空
数分前、基地から脱出したハワードは"彼"の助けで引き続き逃亡していた。端から見ればアスリートさながらのフォームで疲れを感じさせない走りだ。実際、ハワード自身疲れは感じていない。
……あちらが私の意識が表面化したのを感知したようだ。こちらに来る。
……どういう事だ。
直後、ハワードの強化された聴力が基地からの音声を拾った。
『管制室より全部隊へ通達。コンディション・レッド発令。アリゲラと思われる飛行物体がEE9788方面から、当基地へ向けて侵攻中。稼動可能な部隊は、指示に従い順次発進。地上部隊は例外なく防空態勢へ移行せよ。繰り返す―――』
軍の攻撃をかい潜ったらしいアリゲラ。"彼"によると、"彼"を察知したアリゲラが"彼"を狙ってこちらに向かってきていると言う。その進路上に基地があり、事情を知らない軍は迎撃と防衛態勢を整えているのだと推測できる。
やがて基地から爆音がした。もうアリゲラが到達したのだろう。この短時間で迎撃態勢が整ったとは到底思えない。つまり蹂躙を許してしまっていると考えられる。この混乱は逃げるには好都合だった。
……待つんだ。
だが、ハワードは"彼"から身体の主導権を取り戻すと立ち止まった。
「……」
基地を見捨てて逃亡するのは心を引きずった。この混乱なら逃げ切れる。だがここで基地を見捨ててアリゲラを野放しにするのは後悔する気がした。
この間にも見える範囲だけでも爆煙の数は増えていく。
このような心境にハワードは戸惑った。
これは気遣いに応えられなかったが気にかけてくれたスコット、軍入隊以前から関わりがあったヴィート、任務で組む機会が多かったマクドネル少佐他、今までさほど意識していなかったパイロット、整備員、オペレーター、誘導員など、同じ基地の職員に同情するものなのか。それとも今まで世話になった基地という建造物に対してのものなのか分からない。だがハッキリしているのは、アリゲラを野放しにできない思いだけ。
……力を貸して欲しい。
気がつけば、"彼"に頼っていた。敵か味方かもまだ分からない「G」に。
"彼"はハワードが言いたい意味を悟った。ハワードは戦うと言っているのだ。もう一度巨人である本来の姿になり、アリゲラを殺したいと。
……君と私は互いに寄生し合っている。君が負傷すれば私も負傷するし、私が負傷すれば君も負傷する。それでも構わないと言うのか?
……構わない。他にはどんなデメリットがあるんだ?
……私は君に寄生され、体の維持に限界が生じる。具体的なタイムリミットは分からないが短くはないだろう。だが永遠にとはいかないようだ。
……なら、君に寄生するのをやめる。
……いや、先程介入した脱出で君の身体には多大な負担をかけてしまった。今私への寄生を解除してしまったら君は…
……構わない。奴を倒してくれるならば。
ハワード自身、柄にもない事を言っているのは分かっていた。しかも他人のために死ぬかもしれないリスクを負うのは割に合わない。
……君は何故、そこまでして奴を倒したい?
……パイロットの空を汚したのが許せない。それだけだ。
"彼"はハワードが主張した真偽を計りかねた。ハワードが本当の事を言っているのか分からない。
だが、煙たがっていたハワードが自分を頼ってくるのが意外で、寄生を許してくれたハワードの恩義に報いたかった。
それに"彼"自身無駄な殺生を好まないが、その生物によって他の生物が殺されていくのは"彼"も黙っていられなかった。
……分かった、力を貸そう。ただし君は私に寄生したままでいるんだ。
……感謝する。
「レイセオン!」
第三者の介入で会話は途切れた。ハワードに追いついたコンロイと憲兵たちだ。一部が重火器を装備している彼らは銃を向ける。ハワードは包囲されていくのを感じるが逃げようとはせず、ただ佇んだ。
流れる沈黙。ハワードはその沈黙に溶け込むような黒い光に包まれた。その光は巨大に膨らんでいき、やがて収束する。
呆然とするコンロイたちの目前には、巨大な足が存在していた。彼らは無意識に見上げた。
「!」
彼らの目の前には巨人がいた。あまりにも近すぎる距離に、数人の憲兵が腰を抜かす。銃を向けた憲兵もいたが、間近の恐怖に発砲する者はいない。コンロイはただ見上げるだけだ。
もう一度本来の姿に戻った"彼"=ネクストは足元のコンロイたちを視認する。たじろぐ憲兵に配慮してか、ゆっくり浮遊して高度を上げると、一気に加速して飛び立った。軽い衝撃波が木々を揺らし、コンロイたちに駆け抜ける。
飛び去っていくネクスト。コンロイたちの前には衝撃の事実だけが残った。
爾落人か能力者の疑いがある軍属のハワード・レイセオンが、「G」のネクストに変身したと。