+++ガラス越しの恋+++
「お前はどう思う?」
「へ?」
呆けていたところ、唐突に話を振られたので、思わずケンの声は上ずった。
向かいに座る男は、狭いテーブルの上に肘を突いたまま、質問を繰り返す。
「「G」について、お前はどう思う?」
「あぁ、その事か」
「反応悪いな。いつも「G」の話になるとそうだけど」
「去年や一昨年は「G」の話題で世界中盛り上がってたのに、貴方はいつもそうだったよね? 会社の人事やら会計とかの話題にはすぐに飛びつくのに」
彼から見てテーブルの右側に座る女性が言った。左側はメニューや箸、醤油などが置かれている。彼らは同じ会社の同期入社員で、ケンは買付を行う営業一課、彼は販売を行う営業二課、彼女は経理課で仕事をしている。
生ビール一杯300円で飲めるこの居酒屋の狭い店内は、彼らと同じ世代のスーツの男女でひしめき合っている。皆、まだ管理職への昇進をしていない安月給の会社員達だ。
「人事や会計は予想ができない。だから、怖いし、それだけに面白い」
「「G」だって、得体がしれないし、恐ろしいけど、産業革命以上の技術革新が期待できる存在らしいぞ。十分に面白い気がするがね。……お姉ちゃん、生のおかわり一つ頂戴!」
「はーい!」
彼が言うと、バイトの女の子が元気良く返事をする。大学生だろう。ケンは思わず若いと思った。
「二人とも、目がヤラシイわよ」
「まぁ、毎日オバサンばっかり見ているからな」
「そうそう。男も女も30過ぎたら、やさぐれていくんだよ」
二人の意見に彼女は呆れたと呟くと、テーブルに置いたポーチからロングの煙草とライターを取り出し、口に咥えたそれに火をつける。臭いの軽い煙の中にメンソールの香りが漂う。
彼も胸ポケットから潰れた紺色のソフトケースを取り出し、火をつける。ココアの香りが混じった濃い煙を吐き出す。
「あ……ごめん。禁煙、続けてたんだ」
ブスッとした顔で枝豆を口に運ぶケンに気がついた彼女は言った。ケンは苦笑して首を振る。
「いや、節約で買ってないんだ。禁煙は先月で解禁された」
「なんだ。それなら、吸えよ」
彼が潰れたソフトケースを差し出す。残り4本だった。
「10ミリは久しぶりだな」
「そういや、1ミリ専門だったな。ヤニクラ気をつけろよ」
「元々は赤マルだったんだ。いくら酔っててもそれは問題ない」
ケンは紫煙を吐きながら言った。
「そういえば、赤マルで思い出したけど、アレのロゴの噂知ってる?」
「ひっくり返して下半分隠すと、Mとlbの上が足に見えって、アレだろ」
「有名じゃん。黒人を首吊りさせて、眺める白人とかなんとか。黒人差別云々とかだっけ?」
「え? 俺は処刑人と執行人って聞いたぞ」
「私は箱を横にするとKが見えてくるって奴よ」
「あ~そんなのもあったね。白人至上主義の団体の頭文字とかなんとか」
「ほう。それは初耳だ」
「結局、噂話よね」
彼がテーブルを叩く仕草をする。一時代前のネタだ。
「だけど、「G」だって差別の一つな気もするがな」
「だって、オーパーツや怪獣だろ?」
「あれ、知らないの? 「G」の能力者っているらしいわよ」
「え? マジで?」
「結構、噂じゃ聞くわよ。ネット内を彷徨う幽霊とか、火を放ったりする女の妖怪とか。……ほら、新しい北朝鮮の代表。あの人がそれじゃないか、って噂がネットであるのよ」
「知らなかった。……お前、ネラーだったのか」
「ソーシャル・ネットワーキング・サービスの方よ!」
「あ、そっちか」
「生、お持ちしましたぁ!」
バイトの女の子が元気良くジョッキを渡す。彼は笑顔でそれを受け取る。
「おう、ありがとう。………どうした? 黙りこくって。話題を振ったのはお前だろ?」
会話に参加せずに、フィルターまで火が迫った煙草を吹かしていたケンに彼は言った。ケンは少し思案すると、煙草を灰皿で潰すと、ぽつぽつと話し始めた。
「いや、実はな。いたんだよ。もう、7年前になるな。俺さ、この会社に入る前は三重にある小さい村にいたんだよ」
「そういえば、前に聞いたことがあるわね」
「あぁ。大卒で、そのまま新卒採用で地元会社に入社したのは良いが、俺のいた蒲生村ってのは、輪をかけた田舎でな。土地の伝承とかもあった。そこにいたんだ」
「何が?」
「今、俺達が「G」と呼んでいるモノだよ。一つは、化け物だ。俺達は鬼神と言って恐れた。死人も出た。そして、やっちまったんだ」
「何をしたんだ?」
「魔女狩り。村の地主の娘を鬼の娘だと騒いで、家に押しかけたんだ。でも違った。鬼神はいた。恐怖と魂を喰らう「G」だったんだ。俺達は恐れたさ。その恐怖を吸って、どんどん不気味になってくる。その時、ガキが叫んだんだ。得体の知れないモノを恐れはしない、ってな。その中学生のガキも、「G」だったんだ。人の心を操る能力。いや、違うな人を諭す、そんな能力だ。釈迦やキリストとかに、恐れる事はないと言われたら、何となく恐れずに、それを受け入れる気がするだろ? そんな感じだ」
「まぁ、何となくわかる」
「それで、どうなったの?」
「俺達の恐怖が消えて弱った鬼神に、そのガキがトドメを刺した。鬼神は消滅。めでたしめでたし。そして、俺は「G」に対する恐怖を失った。だから、俺は「G」よりも人事や会計、あと日経平均だな。そういう方のが興味深いんだ」
「……マジ?」
「これで嘘とか言うなよ?」
「マジ話だ。なんとなく面白かった伝承の多い村も、それ以降興味をなくした。だから、会社を辞めて、今の会社にお前らと一緒に入社したって訳だ。くだらない昔話だよ。……お姉さん、生おかわり!」
「はーい!」
ケンが手を上げて言うと、バイトの女の子は笑顔で元気に答えた。
「その「G」の子はどうなったの?」
「知らん。だけど、その地主の家に通って、色々と勉強しているって話は聞いたな。なんていったかな」
「何が?」
「そういう、「G」の能力者の呼び名。昔からいたらしい。そのガキが調べて、名乗ってたのを耳にした事があった。心理の……なんだったかな」
「あ、7年前っていうと、2005年か!」
「2010年以降の事じゃないんだぁ」
「安倍清明とかもそうだったんじゃないか? 昔からいたんだよ。今更、「G」だなんだ騒ぐ事はなかったんだ」
「生、お持ちしましたぁ!」
その後、話題は「G」から今年の映画になっていた。ケンが帰宅したのは、1時を過ぎていた。
翌、ケンが起床したのは昼を過ぎていた。土曜日休暇は彼の救いであった。
「頭いてぇ。……ん? パソコン、電源をつけていたか?」
ケンは水を飲みながら、机の上にある電源が入ったままのパソコンを見つめた。マウスを動かすが、カーソルが動かない。
「フリーズか?」
キーボードを叩くが、やはり反応はない。
「なんだ? 故障かよ………」
『貴方は誰?』
突然、スピーカーから女性の声が聞こえた。
ケンは黙って水を飲み込む。美味しい。酔いが醒めていないらしい。
「酒、飲みすぎたな」
『飲みすぎはいけないわね』
「………。誰?」
『ムツキ』
「ケンだ。メッセとかは開いていないはずだが……」
『ネット通信が出来れば十分なのよ。私、「G」だから』
「そりゃ便利だな」
ケンは椅子に腰掛けると、頬杖をしてモニターに向って話しかける。そして、似た話を昨日聞いた記憶があるなとか考える。
『そうでもないわ。私、体が無いから』
「人工知能とか?」
『違うわ。死んじゃったのよ。よくわからないんだけど、死ぬ瞬間に私の心はネットの中に入った。それからもう半年かな? こうやってふらふら世界中を遊んでいるの』
「最近の幽霊は随分ハイテクになったんだな」
ケンは笑い混じりに言った。ムツキも笑う。モニターはデスクトップ画面のままで、スピーカーから彼女の声が聞こえるだけだ。
『否定できないけど、幽霊は酷いわ。ムツキって呼んで』
「わかったよ。……睦月。一月生まれ?」
『正解。……ケンはいくつなの?』
「34になる」
『おじさんじゃん』
「おじ……お兄さんと呼べ。ムツキはいくつなんだよ」
『16だよ』
「高校生か」
『そう。……もしかして、ロリコン?』
「違うわ! 若いなと思ったんだ」
『やっぱりおじさんじゃん』
「うるせぇ」
『……不思議な人だね。ケンって』
「そうか?」
『普通、突然パソコンから声が聞こえたらびびるよ?』
「びびられたの?」
『殆ど100%でね。この前は幼稚園の子が泣いちゃって大変だった。一度、お寺のパソコンだったことがあって、悪霊退散! って和尚さんが叫んで、パソコンぶっ壊しちゃったし……』
「災難だな」
『まぁ、慣れちゃったら平気よ。そういう存在なんだって、わかるし。生まれつき体が弱くて、外出なんてした事もなかったから。外の世界を自由に見られる今の方が幸せかな』
「大変だったんだな。生きていた頃のムツキは」
『まぁね』
「皆、そういう反応ばっかりなのか?」
『2ヶ月くらい前に、一度違うのもあったよ。でも、アレは嫌だったな。完全にオタクの引き篭もりで、○○ちゃんが来てくれたぁ~って叫んで画面にへばりついてきたから』
「………いるんだな。そういう奴」
『少数派だけどね。でも、ケンだって、かなり変わっているわよ』
「いいだろ? こうして会話が成立するんだから。……それに、「G」に驚くほど俺は暇な人間じゃないんだ」
『本当? こうしてお喋りしてるし、さっきは飲み物飲んでいたみたいだけど』
「そういや、音は聞こえても見えないのか? やっぱりカメラがないとダメとか?」
『そうじゃないのよ。どうも、セキュリティーソフトの中に私が入れないものがあるみたいで』
「へぇー。このソフト優秀なんだな。幽霊もガードできるのか」
『幽霊っていうなぁ!』
「悪かった。……セキュリティーレベル下げると見えるのか?」
『そうなんじゃないの? 私はコンピューターとか苦手だからわからない』
「ネットをさまよう幽霊が何をいう」
『また幽霊って言ったぁ!』
「まぁまぁ、喚くなよ。今プロテクト外すから、ちょっと離れろ。マウスが操作できない」
『はーい』
返事がした後、スピーカーから声が聞こえなくなった。試しにマウスを動かす。モニターの中でカーソルが動く。
ケンは少し思案したが、約束通りセキュリティーのレベルを下げた。そして、カップ麺を食べようとお湯を沸かしに台所へ行くと、ムツキの声が聞こえてきた。
『あれ? ケーン、どこぉ? おーい』
「はいはい。お湯くらい沸かさせ……ろ」
『どう? 結構容姿には自信あるんだけど?』
「あぁ」
モニターの中にいたムツキの姿は、アイドル顔負けの美少女であった。ケンは机の前で思わず立ち尽くしていた。
『ふーん。ケンって思ったよりも若そうね。もっとおじさんをイメージしてた』
「だから、お兄さんって言っただろ? ……それ、本当なのか?」
『顔?』
「あぁ」
『まあ一応。もう死んじゃってるから、別に顔なんてどうでもいいんだけどね』
「生きている間に会いたかったな」
『やっぱり、ケンってロリ……』
「違う! 断じて違う」
『ま、そういう事にしておきましょう!』
「なんだよ。その言い方」
『ごめんごめん。……それにしても、暇そうね』
「突っ立ってるからか?」
『だって、だらしなさ過ぎよ。レディの前でシャツとトランクスだけって』
「! す、すまん! 忘れてた!」
少し頬を染めたムツキに言われ、ケンは慌ててシャツとズボンを着る。丁度、台所からお湯が沸いた音が聞こえてきた。
手早く台所でカップ麺の中にお湯を注ぎ、タイマーを3分にセットすると、部屋に戻った。ムツキはモニターの中から部屋の中をきょろきょろと見回していた。
「あんまり独り暮らしの男の部屋の中を見るなよ」
『エッチな本とかあるの?』
「バカ」
『彼女いないの?』
「残念な事にね」
『へぇ。ケンって結構モテそうなのに』
「そこまで興味がないんだよ」
『えっ! ……それって、ホモ?』
「違う! なんでムツキはそう極論ばかり言うんだ」
『まぁ、私も一度も彼氏できなかったから同じだけどね』
「待て。俺は一言も彼女が一度もいないとは言っていないぞ」
『じゃあ、いたの?』
「高校の時に。向こうから告白してきて、付き合った。一ヶ月で別れたけど」
『どこまでしたの?』
「おい、思春期女子高生! そういう事はきくんじゃない。……キスまでだ」
『言ってるじゃん』
丁度、タイマーの音が鳴った。ケンは立ち上がると、台所から箸とカップ麺を持って、机に戻る。
『太るよ』
「人の食生活に文句をつけるな」
『太ったらモテないよ』
「それこそ言われる筋合いはない」
『あっそ。………ねぇ』
「あん?」
『しばらくここにいてもいい?』
「なぜ?」
『居心地いいし、何よりもケンは普通に私と接してくれる』
「………別に構わないが、パソコンが使えないのは不自由だな。それをどうにかできるなら、好きなようにしろ」
『ありがと! これでも結構さじ加減がわかってきたんだ! ………これでどう?』
ムツキは画面の中で小さくなり、デスクトップのアイコンと同じ大きさになった。不思議と解像度は先ほどと大差がない。更に、きょろきょろとデスクトップ上を見回し、ポインタを見つけるとそれにしがみついた。
『……よし! これで大丈夫よ、多分』
「ポインタにくっついたのか」
『これを習得するのに4ヶ月以上かかったのよ』
「おーすごいすごい。問題は操作ができるかだ」
そう言うと、ケンはマウスを動かす。ムツキがそれに合わせてスライドされる。
『あんまり乱暴に操作しないでね。酔うから』
「注文が多いな」
『いいじゃない。美少女が手元にいるって、そうそうない経験よ?』
「いや、多分。絶対にない」
そして、奇妙な居候が彼のパソコンに居ついた。