本編
「なんだアレは!」
日が落ちかけた時、村人の一人が叫んだ。皆、一斉に声のした方向を見た。
「鬼だ!」
「本当に現れた!」
「村の終わりだぁ!」
村人達が口々に恐怖の声を上げる。夕日に黒い身体を輝かせ、クマソガミは塀の後ろに立っていた。
その大きさは昨日よりも更に大きくなり、4mを超える巨体になっていた。
「ググググ………」
「ひぇー!」
「くるなぁ!」
「ママー!」
クマソガミは恐れる村人達に迫ろうと、塀を破壊し、庭の中に侵入する。
既に村人達は農具を捨てて、蒲生の家に上がりこむ。なぜか源一郎達が一番前になる。
「なんじゃアレは!」
「鬼なのか?」
「早く退治してくれ!」
「死にたくない!」
「黙れ!」
声を張り上げたのは銀河であった。一瞬で、皆が静まる。
「あの鬼神は恐怖と魂を喰らう。恐がるんじゃねぇ!」
「無理を言うなよ!」
「じゃぁ、銀河が何とかできるのか?」
「うわぁあああ、何かしてる!」
ゆっくりと歩み寄りながら、クマソガミは村人達からの恐怖を吸い取り、背中から翼の様な物を広げる。更に、目と鼻のない顔に赤く光る筋が入る。その赤い筋は全身に広がり、薄暗い庭で溶岩の様に赤く光る。
「オソレロ……ググググ………」
「もう終わりだぁ!」
「皆死ぬんだぁ!」
「ナンマイダ、イチマイダ……」
クマソガミは村人達を恐怖させるように、ゆっくりと迫ってくる。しかし、その足が方陣を踏んだ。
「ググ……!」
「効いてる!」
銀河は声を上げた。クマソガミは方陣に足をとられ、動けずに暴れる。しかし、もう一方の足も別の方陣の中に入れてしまい、更に動けなくなる。
しかし、おもむろにクマソガミは片腕を弓状に変化させる。もう一方の腕の指は矢に変形させ、それを弓にそえ、矢を放った。
矢は屋根や梁、床にぶつかり、爆発する。
「ひぇ!」
「爆発した!」
「殺される!」
「オソレロ………オソレロ……」
「国家権力を舐めるな!」
「お父さん!」
巡査部長は、クマソガミに発砲した。しかし、クマソガミは首を回すと、口から弾を吐き出す。
「ならば!」
「ググググ………」
巡査部長は拳銃を腰に戻し、クマソガミに正拳突きをする。
「イテェ!」
巡査部長は血の出る拳をおさえて悶える。クマソガミは弓を刀状に変形させて、巡査部長に振り下ろす。
軽快な金属音が響いた。
「ふっ! 国家権力は拳銃の携帯を許されているんだ!」
巡査部長は拳銃の甲でクマソガミの刀をおさえていた。
「さぁ、今のうちに、逃げるんだ! ぐはっ!」
「お父さん!」
彼の叫びも虚しく、クマソガミはもう一方の腕で彼の身体を突き飛ばす。吾郎が彼の元に駆け寄る。
「大丈夫だ………」
「よかった」
心配する吾郎の頭を巡査部長は優しく撫でる。しかし、その手は血だらけになっていた。
「ググググ………ゴアッ!」
「方陣を!」
「なんと!」
クマソガミは気合いで方陣を破り、一歩踏み出す。しかし、次の方陣がその足を止める。
「しかし、一度破り方を知ってしまった。今度はそう長くは持たないぞ」
「………どうする? どうする、俺?」
源一郎の後ろで銀河はペンダントを握り締め、自問する。
その時、門から声が聞こえた。
「銀河、自分を信じろ!」
「じっちゃん!」
門の前に立っていたのは、祖父の銀之助であった。銀之助は更に銀河に語りかける。
「この鬼神は、人の恐怖を糧に生きる。ならば、その全てを奪い去れ!」
「そ、そんな………」
「自分を信じろ! お前はわしの孫だ!」
「!」
銀河の瞳に涙が浮かんだ。そして、銀河は能々管を見つめる。
彼は、能々管を握り締めると、村人達に叫んだ。
「恐れるな! 俺達は、誰一人、恐怖する事はない! 鬼神、クマソガミに恐怖することもない! 得体の知れないモノを恐れはしない! 恐怖を、消し去れ!」
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「!」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
「ググ……ガガガ………!」
呆然と立ち尽くす村人達の前で、クマソガミは苦しむ。身体を染めるほどの赤い筋も消え、背中の羽も弱々しく萎んでいる。
更に、銀河は能々管を両手で握りしめると、クマソガミに突進しながら叫んだ。
「消えろぉおぉおおおおおお!」
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2012年元旦。後藤宅には、銀之助と和装した元紀の姿があった。相変わらずの質素な仏壇に線香を供えると、元紀は銀之助にお辞儀した。
「銀河がいなくなって、もう一年以上も経つんですね」
「なに、あの子の事だ。どこにいてもあの調子だよ」
「確かに。………でも、折角なら成人式を一緒にやりたかったな」
「その言葉、去年も聞きましたよ」
銀之助は笑顔で言った。元紀も少し照れながら微笑む。
既に21歳を過ぎた元紀は、かつての少女から、大人の女性になっていた。短い髪は相変わらずであるが。
「あの夏がつい昨日の様に感じます」
「わしもだよ」
「……あの時から、彼は自覚していたんですね。自分の存在に」
「うむ。……しかし、銀河がこの村を、いや恐らく世界を救ったのは事実だ。あの子自身も、この家を出て行くと言ったその日まで、後悔はしていなかったよ。あの子がこの村を出たのは、単に村はもう狭すぎただけなんだから」
「全く、広い世界に旅立って音信不通とは、迷惑な話ね。……でも、わたし達から、得体の知れないモノへの恐怖を消し去り、クマソガミを能々管の一撃で消滅させた。……アレだけの騒ぎだったのに、よく今まで皆黙ってたわね」
「それは、元紀ちゃんもよーく理解していると思うよ」
「えぇ。彼は村を守った。だから、わたし達も、彼を守りたいと思い、そして受け入れた。………と言っても、根本的に彼への恐怖っていうのを、彼自身が奪い去っている訳ですから、受け入れられるのも当然ですよね」
「終わりよければ、全てよしとはこういう事を言うのだろうね」
「そうですね」
元紀は微笑んで、銀之助の出したチャイを飲む。そして、おもむろに彼女は銀之助に聞く。
「そういえば、フェジョアーダってどこの料理なんですか?」
「あぁ、ブラジルの家庭料理だよ。親戚がブラジル移民していてね。若い時に訪ねた際に教わったんだよ」
「なぁんだ。わかってみると、大した事ないですね」
「大抵そういうものだよ」
銀之助は優しい笑顔で彼女に言った。そして、彼女を見つめて聞く。
「源さんの墓参りはしたのかい? 久しぶりの里帰りに、孫の顔を見れないと怒るよ?」
「あら? そういう考えは失ったんじゃないのですか?」
「銀河の力を受けて何年になると思うんだい? 墓参りっていうのは、向こうに対してじゃなく、自分自身が忘れないでいたいと願う事なんだよ。そうすれば、その者の思い出は、いつまでも自分自身の心にあり続ける」
「流石は、銀河のじっちゃんですね」
「だろう?」
銀之助の聞き返しに思わず元紀は噴き出す。
「もうやめてくださいよ。面白いなぁ。……安心して下さい。この後に行くつもりです。これはおじいちゃんとの約束ですから」
「約束?」
「えぇ。銀河に能々管を譲る事と同じくらい、大切な遺言です。毎年盆と正月には、墓参りをしろと。約束したら、遺産は全部くれてやる! だそうです」
「成程。だから、源さんが死んでからの3年間、大学で村を出てもちゃんと盆と正月に帰ってきているのか」
「きっと、わたしが村に帰ってこさせる為に言ったんでしょうね」
元紀は苦笑混じりの表情で言った。銀之助はポンと手を叩いて彼女に聞く。
「そういえば、駐在が警部補になったのは吾郎から聞いたかい?」
「えぇ。アレでも彼は色々家族の話をしてくれるんですよ?」
「これはおアツい事で何よりだ。卒業後は? そろそろ就職活動も始まるのだろ?」
「そうですね。公務員試験を受けて、親子二代の駐在になる人の妻というのも面白そうなんですが、実はちょっと魅力的な仕事があるんです」
「ほう。なんだい?」
銀之助が興味を示す。元紀はクスリと笑うと言った。
「「G」の調査を専門にする仕事です」
【終】